福島県下郷町 大内宿
Ouchi shuku,Shimogo town,Fukushima
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Comment |
General |
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Nature |
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Water | 用水路 | |
Flower | ||
Culture | 宿場の街並を動態保存 | |
Facility | ||
Food | そばなど伝統的で素朴な食 |
May 10,2022 瀧山幸伸
A camera
B camera
上空から
大内ダム
Edited Movie Download (YouTube)
晩夏の1日、奥会津の大内宿へ行きました。
ここは、昔、会津若松と日光・今市を結ぶ会津西街道=別名下野街道、南山通りの宿駅の1つで、現在は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。
現地にある文部省、福島県、下郷町連名の説明には、
「主屋の多くは江戸時代後期から明治にかけて建築されたもので、……この町並みは、会津及びその周辺地域にみられたこの地方の宿場形態の典型的なもので、その多くが失われた今日もなお往時の姿をよく残している。また、周囲の社寺や自然環境とも一体となって優れた歴史的景観を今に伝えている」
とありました。
大内宿は、今や年間100万人の観光客が訪れるといいます。
われわれが行った日も、平日ではありましたが、多数の観光客が訪れ、メインの通りは、左右に土産物店が並び、ちょっとした商店街の様相です。
売っている商品は、自家製の栃餅、手打ち蕎麦など、この土地ならではのものもありますが、中には他から仕入れたと覚しき商品で店頭を飾っている店も多くありました。
何より驚いたのは、これだけ観光客が押しかけるのに対して、この観光客を運ぶ公共交通機関が、ほとんどないに等しいことでした。
集落の外れには大きな駐車場が用意され、観光客のほとんどがマイカーか観光バスで来るのです。
われわれは行くとき、宿の車で送って貰ったのですが、帰路は路線バスがあるだろうと高を括っていました。
しかしそういうものはないと聞いてびっくりしたのです。
さらによく聞いた結果、通学用のバスが1日に数往復あることが分かり、そのうちの1便に乗って戻りましたが、観光客で乗っていたのはわれわれだけでした。
地方は公共交通機関が整備されていないから、誰もが車を使う。
そしてそのためには道路が必要という論理が称えられますが、この大内宿を見ていると、その論理は逆のような気がしてなりません。
みんなが車を使うから、駐車場さえ用意しておけば、公共交通機関のニーズは生まれない。
あるいは誰もがマイカーを使うから公共交通機関の利用者が少なくなり、便数が減り、やがてそれすらなくなる。
つまり車社会が公共交通機関を駆逐しているのです。
駐車場には、福島県下郷町が出した「茅葺き宿場街道・散策体験みちづくり ウォーキング・トレイル事業」と銘打った大きな看板がありました。
その看板には
「この地を訪れた皆様がこの大内周辺の豊かな自然環境、歴史的事物、文化的施設を堪能し、安全かつ快適に散策を楽しまれるよう願っております」
とありました。
しかし、ここに来る多くの人たちが観光バスはまだしも、CO2をまき散らしながらマイカーでやって来るのは、何ともスジが通らないのです。
たしかに古い建物群は魅力的です。
しかし、その魅力に匹敵する街づくりは、なかなか難事業のようであります。
名称:大内宿
所在地:福島県南会津郡下郷町大字大内
自身、ここを訪れるのは二度目になります。
今回は早朝で、人影もまばらで静かな大内宿です。
茅葺屋根の続く街並みは江戸時代の宿場町がそのまま残っていると言ってよいでしょう。
ただ、街並みを保存するためにはやむを得ないのでしょうが、すべての家が、なんらかの観光客相手の商いをしているのは若干興ざめですね。
June 2004 HD 1280x720
Sep 2003 source movie
【街の歴史】
会津大内宿は40軒ほどの小規模な宿場だ。江戸時代の面影を濃く残した宿場であり、 国の伝統的建造物群保存地区に指定されている。
大内宿は下野街道の宿場として江戸時代初期に整備されたが、その後会津から白河を経由する街道が整備され、脇街道となった。
さらに明治に入り新たに川沿いに新道が整備されたため、全く忘れられた存在となっていた。
その後長い時間を経て昭和40年頃から古い街並の価値が再評価される動きが起こり、現在に至っている。
中途半端な近代化の影響を受けなかったため、当時の宿場の面影をかなり忠実に保っている貴重な街並だ。
【街並】
【北端の神社付近(山の中腹)からの眺望】
宿場を貫く中央の道路の両側には、入母屋造り、茅葺の均質な建建物群による美しいシーケンスが見られる。
これは、宿場として機能していた当時、平屋建てしか許されなかったためであり、さらにセットバックした軒線も揃っている。
建物が道路からセットバックしている理由は、宿場の荷役機能を保つためである。当時は荷を運ぶ馬などをつなぎとめ、荷の上げ下ろしのため、両側の家屋前面には広い空間が必要であった。
ドイツのロマンチック街道などは町並みの美しさが語られるが、日本にもこのように素朴であるが美しい街並がある。 近代、現代の建築においてはこのように美しい連続景観を見たことがない。
この街には赤いポストも近代的な看板も無いし、客の目を引く洋風の花も少ない。かなり洗練された街並だが、街に暮らす人々の努力は並大抵のものではなかろう。
【秋の夕暮れの景観】 影が街並の印象を際立たせる 2003年9月
【夏の正午過ぎの景観】 陰影が少なく、平板な印象を与える 2004年6月 工事中の青いビニールシートが目立ち、訪問者と写真家の心を凍らせる。
【宿場中央から北を望む。会津若松方向の街並景観】
【宿場中央から南を望む。会津田島、江戸方向の街並景観】
道路は、近年アスファルト舗装であったものを、中央水路の発掘調査にあわせて当時の素材に復元した。これがアスファルト舗装では街並の美しさが半減する。道路は重要な景観要素である。歴史的な街並を保存復元する良い参考例となる。朝夕には水路の水を道路に撒く姿が見られる。この光景も美しい。
【水路】
道路の両側にある2本の水路は、本来道路中央に1本だけあったものだ。両脇の水路は、近くでは美しいのだが、遠眼には排水路の印象を与えてしまう。島原の武家町にある中央水路と比較するとその印象の差が理解できるだろう。水路が中央に復元されればさらにこの街の素晴らしさが増すだろう。
海外での中央水路の素晴らしい例は、スイスのベルン旧市街(世界遺産)である。時計台から傾斜に従って流れていく水路が心地よい。
【参考:島原】
【北側突き当たり、加登屋と浅野屋】
宿場当時の見張り屋の役目を果たした。
【加登屋】 唯一の二階建てであり、この家が見張り屋として特殊な位置付けであったことがわかる。
【浅野屋】 浅野屋は宿場道路突き当たり正面にあり、道行く人々と各家の動きを見張る位置にある。築400年とのこと。湯殿山への山岳信仰の行者も多数往来したのであろう。
【浅野屋から南側を望む】
【ランドマークの神社】 石段と地蔵
2003年は屋根に木が生えるほど老朽化していたが、最近葺き替えた
【細部の和風演出】
【和風食】そばがきと切り蕎麦、川魚の塩焼き
【囲炉裏と炭入れ】 炭入れのデザインが和む。
囲炉裏の上には岩魚の燻製が。
五平餅が香ばしくておいしい匂いを漂わせる。
【蕎麦店の演出】
【みやげ物店の演出】
全て街並に調和したみやげ物を販売している。近代的な宣伝看板は一切見られない。
店によってはオリジナルな品揃えに挑戦している。
【民宿の演出】 民宿も歴史的な建築様式を最大限活かしている。
【水による修景、演出】 水路に冷やされた清涼飲料。網の中はマス、イワナ
【花と植栽による修景、演出】 水路沿い、あるいは水路と建物の間にある空間を利用して和風の花卉による修景を行っている。洋風の花は少ない。
そばの実とウドの実
松は和風に良く似合う
【屋内インテリアによる演出】
床の間の獅子頭と天狗の面
縁側の活け花
【ストリートファニチャ】 神社の灯篭
【大内宿のまつり】
7月の半夏まつりと2月の雪まつり 雪祭りは真っ白い世界が幻想的である。リピーターを確保するには、四季折々の印象的な景観と祭りなどのイベントが必要である。
下野街道会津本郷から大内宿へ From Aizu Hongo to oouchi shuku source movie
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