広島県福山市 福山城
(Fukuyama Castle, Fukuyama City, Hiroshima Pref.)
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福山市丸の内1-1-1 福山城 伏見櫓 重文 近世以前/城郭 桃山 桃山 三重三階櫓、本瓦葺 19330123
福山市丸の内1-1-1 福山城 筋鉄御門 重文 近世以前/城郭 江戸前期 元和(1615-1624) 脇戸附櫓門、入母屋造、本瓦葺 19330123
September 24, 2022 野崎順次 source movie
広島県福山市丸之内1丁目
福山城
国史跡 福山城跡
元和5年(1619),福島正則の移封の後をうけた水野勝成(みずのかつなり)は,はじめ神辺(かんなべ)城にいたが,まもなく福山に築城をはじめ,元和8年(1622)入城した。水野氏の後嗣が絶えた後も,松平氏・阿部氏の居城とされたが,明治維新に至って建築物の多くは取り除かれた。城は丘陵の先端部を占め,北部背面を切通しとし,三方に堀や郭(くるわ)を設けていたが,現在は外郭はほとんど市街地化されている。しかし本丸,二ノ丸はよく規模をとどめ,天守閣は空襲で焼失したが,昭和41年(1966)復元,地階を有する天守台は,江戸時代初期(17世紀初め)の天守閣の好例とされている。そのほか本丸と二の丸の石垣や,伏見城松の丸から移建された三層櫓や鉄筋御門などが残っている。
(広島県教育委員会ホームページより)
2022年8月28日に福山城がリニューアルオープンした。天守北側の鉄板張りが特に注目される。以下は当時のネット新聞記事である。
築城400年を記念した大規模な改修工事を終えた広島県福山市の福山城が(2022年8月)28日、リニューアルオープンした。天守前の広場で開かれた記念式典には関係者約400人が参加し、湯崎英彦知事は「福山の魅力が未来へとつながれることを期待している」とあいさつした。全国で唯一、天守の外壁に防御のために施されていたとされる「鉄板張り」を復元。天守内にある博物館は約5億円をかけて展示内容を一新し、体験型に生まれ変わった。馬の模型にまたがって武将の気持ちを味わえるコーナーを設けたほか、レプリカの火縄銃による射撃体験もできる。令和2年秋から工事を進めていた。福山城は元和8(1622)年8月28日、初代福山藩主が幕府に築城を報告。昭和20年に空襲で天守が焼失し、市民らの寄付によって41年に再建された。
(THE SANKEI NEWS 2022/8/28 15:54)
現地説明板
JR福山駅からのアプローチ
国重文 筋鉄御門
国重文 伏見櫓
市文 鐘櫓
八方よしの松
南西から仰ぐ天守
塩櫓跡、内六番櫓跡など
天守西面
天守北側鉄板張り
福山城天守最大の特徴として、北側以外の壁が漆喰の塗籠となっていたのに対して、北側のみは5層を除く全面に鉄板を張っていた。その目的は、風雨への備えであるとともに、天守の位置が本丸の北側に寄っているため、外部から直接天守が攻撃されることへの備えであった。全国の天守にあっても極めて特殊なものであり、他に類例がない。鉄板張りを記録した史料としては、元禄11(1698)年の「備後福山之覚書」(池田家文書)が最も古く、水野家が藩主だった時代には天守の壁面に鉄板が張り付けられていたことが判明する。
鉄板は、縦130cm、横11.4cmを基本とする細長い板を横に並べ、上下に重ねる「羽重ね」であった(窓の側柱や竪格子にも鉄板が張られていた)。取付けは、鋲頭(びょうとう)の付いた鋲釘で打ち留められており、板の左端と一段落とした中央に打つことで、鋲頭が斜めにつながって並ぶ。また東西面の北端にも見切りのための鉄板が張り付けられていた。
2022年(令和4年)の福山城博物館リニューアルにおいては、、古写真や寄贈を受けた鉄板、他城の事例を参考にしながら、表面の質感や鋲頭、上下の重ねなどの復元を行った。なお、復元に際しては建造物の安全性に配慮して、現代の素材や工法を採用しており、鉄板の左右の重ねなどの復元はしていない。
(現地説明板より)
旧天守の礎石
東から仰ぐ天守
水野勝成の銅像と東二之丸あたり
鏡櫓と多聞櫓跡
月見櫓
天守を遠望する。
御湯殿(湯殿)
本丸御殿跡
ライトアップ
May 3, 2021 野崎順次
source movie
国史跡
福山城
三之丸西御門櫓台跡
本遺構は旧福山城の三之丸西御門の枡形の南側に存在していた櫓の石塁で、現存するものは櫓の基壇の右塁と東にのびる桝形を構成する城壁の一部である。元和八年(1622)完工当時櫓の建築は未完成で、その後ついに築造されず、稲荷社が奉祀されていた。西側には外濠が存在し、福山城の縄張りの西側外郭の規模を伝える重要な遺構である。
(現地説明板)
Apr.29,2013 瀧山幸伸 source movie
たそがれ時の福山城
A camera
B camera
2012.8.20撮影
福山城はJR福山駅のすぐ北側です。
復興建物群
湯殿
鐘櫓
筋鉄御門(重要文化財)
元和年間(1615-1624)の建築
脇戸附櫓門、入母屋造、本瓦葺
伏見櫓(重要文化財)
桃山時代の建築
三重三階櫓、本瓦葺
なかなかいいアングルで見られないので、福山駅の新幹線ホームから撮影しました。
広島県福山市丸之内1丁目
撮影日: 2012年5月12日
福山城(別称:久松城、葦陽城)は、徳川幕府から西国鎮護の拠点として、譜代大名の水野勝成が1619年(元和5年)に備後10万石の領主として、入府し築いた城である。城郭構造は輪郭式平山城である。歴代の藩主は、水野氏五代、松平氏一代、阿部氏十代と続き廃藩置県に至るまで福山城が藩治の中心になっていた。福山城は、江戸時代建築の最後にして最も完成された名城としてたたえられていた。1873年(明治6年)に廃城となり、多くの建物が取り壊された。1945年(昭和20年)8月の空襲により、天守閣と御湯殿は焼失したが、1966年(昭和41年)の秋に市制50周年事業として天守閣と御湯殿、月見櫓が復原された。現存する伏見櫓、筋鉄御門(すじがねごもん)は、国の重要文化財に指定されている。また、城跡一帯は国指定史跡である。
JR福山駅より城へ。眼の前は二ノ丸南側石垣である。福山城の石垣は多くで切込みハギと呼ばれる方形に整形された石が用いられ、布積と呼ばれる水平基調の石組みで構築されている。角部分は算木積と呼ばれる概ね縦横の比率が1:3の矩形の石材を交互に組み合わせる技法が用いられている。これらは慶長時代に発達した構築技術の頂点に位置するもので、安定性が高く、今日に残される石垣のほとんどは積み直されることなく築城時のまま維持され、経年による孕みもほとんど見られない。
国重文 伏見櫓 桃山(1573-1614)
三重三階で初重と二重は総二階造といわれる同規模の構造を持ち、その上に独立した構造の小さな望楼部を乗せる慶長初期の建築様式を残した望楼型の櫓である。壁仕上げは白漆喰総塗籠で長押形を施している。桁行は8間(約15メートル)あり並の城郭であれば天守に相当する規模を持つ。伏見櫓は慶長6年(1601年)前後に建てられたと推定される伏見城松の丸の東櫓を元和6年(1620年)に移築したものである。
国重文 筋鉄御門(すじがねごもん) 江戸前期 元和(1615-1624)
脇戸附き櫓門、入母屋造り、本瓦葺き。本丸の正門。「筋鉄」の名称のとおり、1階の扉や門柱に筋状の鉄板が打ち付けられている。二階の門櫓には白漆喰総塗籠の柱に長押形が施され隣接する伏見櫓と意匠を合わせた可能性が指摘されている。
市重文 鐘櫓(鐘楼部のみ指定)
一部現存。近世城郭で唯一本丸内に位置する鐘櫓とされるが、往時は鐘突堂と呼ばれ御台所門と火灯櫓とを結ぶ多聞櫓(枡形門)に設置された鐘楼であった。
湯殿(再建)
再建。表居間と共に伏見城から移築されたといわれる建物で石垣から建物を突出させた懸造の座敷(展望室)と湯殿(蒸風呂)で構成されていた。
月見櫓(再建)
伏見城の櫓を移築したといわれる。2層2階建てで北側に附櫓を有していた。
鏡櫓(再建)
本丸東側、月見櫓の北側にある。2層2階建てで築城時に建てられたが廃城後間もなくに取り壊された。
天守閣
昭和41年(1966年)に天守が鉄筋コンクリートにより再建された。だが、古写真等の資料が比較的多く残っていたにもかかわらず、史実よりも現代的な美観が優先されたことや建築基準法に従ったことなどから、上記以外にも窓の形状や配置など多くの点が旧状と異なっている。そのため、第二次世界大戦で焼失したのち復興された天守の中で最も不正確な姿での再建となり、「復元」ではなく「復興」に分類されている。
その他の本丸
二の丸は本丸を囲む帯曲輪で西面から北面、北東面(北半分)にかけては2段に分かれていた。その上段をめぐる。東側の水野勝成像、北側には空襲で焼失した天守の礎石が移設されている。
西側に回る。
本丸の鐘櫓と石垣、そして阿部正弘像
本丸と二ノ丸の南側石垣と隙間に咲く野花
JR福山駅南側の五浦釣人像
福山市の名誉市民平櫛田中翁の快心作といわれるこの像には、翁の生涯の師、岡倉天心に対する報恩の気持ちがこめられている。岡倉天心先生が東京から五浦に移って、横山大観など多くの偉才を育てたことを釣りに例えている。田中翁は、練達した彫技法による写実的な作風で田中芸術を開花させ世界に誇る木彫の名匠として活躍され、昭和50年4月に108歳で他界された。文化功労・文化勲章受章者 日本芸術院会員 東京芸大名誉教授。
参考資料
福山城博物館HP
ウィキペディア「福山城」
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