神奈川県鎌倉市 円覚寺
Engakuji,Kamakura city,Kanagawa
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General |
静かな禅寺。 | |
Nature |
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Flower | ||
Culture | 国宝舎利殿 | |
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鎌倉市山ノ内409 円覚寺舎利殿 国宝 近世以前/寺院 室町中期 室町中期 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、こけら葺 18990405 19510609
舎利殿の特別公開
Shariden special day
通常時の拝観はここから
特別公開で、近くから拝観できた。
舎利殿
Shariden
移築したもの。同様式の正福寺地蔵堂のほうが古い。
細部
禅堂
Zendo
正続院付近
虎頭岩
方丈庭園
方丈
仏殿
Butsuden
鐘楼
弁天堂
選仏場
龍隠庵
舎利殿特別公開
『鎌倉時代後半の弘安5年(1282)、ときの執権北条時宗が中国・宋より招いた無学祖元禅師により、円覚寺は開山されました。
開基である時宗公は18歳で執権職につき、無学祖元禅師を師として深く禅宗に帰依されていました。
国家の鎮護、禅を弘めたいという願い、そして蒙古襲来による殉死者を、敵味方の区別なく平等に弔うため、円覚寺の建立を発願されました。
円覚寺の寺名の由来は、建立の際、大乗経典の「円覚経えんがくきょう」が出土したことからといわれます。また山号である「瑞鹿山ずいろくさん(めでたい鹿のおやま)」は、仏殿開堂落慶の折、開山・無学祖元禅師の法話を聞こうとして白鹿が集まったという逸話からつけられたといわれます。
無学祖元禅師の法灯は高峰顕日(こうほうけんにち)禅師、夢窓疎石(むそうそせき)禅師と受け継がれ、その法脈は室町時代に日本の禅の中心的存在となり、 五山文学や室町文化に大きな影響を与えました。』
円覚寺ホームページより転載
総門
桂昌庵
三門
松嶺院
選仏場
龍陰庵
居士林
方丈
Dec.2,2014
総門
三門
仏殿
選仏場
国宝洪鐘、弁天堂
唐門(勅使門)
方丈、庭園 妙香池
舎利殿
黄梅院
開基廟
桂昌庵
神奈川県鎌倉市山ノ内409
瑞鹿山 円覚寺
撮影日: 2011年7月30日
臨済宗円覚寺派の大本山にして、1282年(弘安5年)の開創。開山は中国(宋)より渡来の仏光国師無学祖元。開基は鎌倉幕府の執権北条時宗公。国師は時宗公の熱心な招請に接し弘安二年来朝、初め建長寺に住し、時宗公はじめ鎌倉の武将の教化し、多くの門弟を育てた。
時宗公は弘安四年再度の蒙古の来襲を撃滅した後、翌五年正法を興隆し、師恩に報じ、また文永・弘安の両役に戦死した敵味方両軍の菩提を弔うために本山を建立した。
国師の流派を世に仏光派と称し、弟子に仏国国師、孫弟子に夢窓国師が出て、室町時代には国師の法孫は天下に満ち、五山の学僧の主流となった。
江戸時代にやや衰微していたが、江戸末期に中興誠拙禅師が出、明治に至って今北洪川、釈宗演の二大禅師が出世され再び関東禅界の中心となり、禅風を門外に宣揚した。
さて、JR北鎌倉駅の北西の塔頭から回ってみようと思った。が、行き過ぎて高野の手前までいってしまった。遠く大船観音が見えた。
戻って駅の直ぐ近くの石段を上ると、雲頂庵、白雲庵、富陽庵と続いて、境内三門近くの桂昌庵に出た。桂昌庵には弓道場がある。
いったん、線路沿いの道に出て、総門から再入場する。
三門、仏殿、方丈が直線状に並ぶ。
三門は三解脱門(空・無相・無願)を象徴するといわれ、諸々の執着を取り払って佛殿(涅槃・解脱)に至る門とされる。天明年間、中興の誠拙禅師が再建。「円覚興聖禅寺」は伏見天皇の勅額。
仏殿
大光明宝殿ともいう。円覚寺のご本尊宝冠釈迦如来を安置する。大正12年の震災で倒壊したが、昭和39年に再建された唐様禅宗様式の鉄筋コンクリート造り。
居士林
在家修行者のための座禅道場。もと牛込にあった柳生流の剣道道場であったものを昭和三年に寄進・移築された。
寿徳庵
塔頭の一つ、居士林の裏の高台にある。三門、仏殿、選仏場を見下ろす。
選仏場とは座禅場のこと
元禄十二年(1699)建立の茅葺き屋根の建物。仏殿の西側に坐禅堂を配置するのは七堂伽藍の古い形式を伝えるものである。現在は運慶派の南北朝時代の作と伝えられる薬師如来が安置されている。
奥へ、方丈へ向かう。
方丈
本来、禅林の住持の居間をいう。護摩居士の居室が方一丈であったことに由来する。現在は各種法要の他、坐禅会や説教会、夏期講座等の講演会や秋の寶物風入など多目的に使われている。昭和4年竣工。
方丈の庭の百観音とビャクシン
方丈の庭園
史跡・名勝 円覚寺庭園
池は妙香池。夢窓疎石作と伝える庭園の遺構である。背後に正伝庵、一撃亭。
国宝 舎利殿
神奈川県唯一の国宝建造物で塔頭正続院の中にある。弘安八年(1285)北条貞時公が創建。源実朝が宋国より拝領した仏牙舎利を奉安したお堂。?葺き入母屋造り。日本に残る唐様建造物の中で最も代表的に美しい。手前にリスが走った。
白鹿堂
円覚寺落成慶讃の日、国師の法話を聞くためこの洞中から一軍の白鹿が現れたという。この奇遇により山号を瑞鹿山と号することになった。
仏日庵と開基廟
円覚寺の開基、北条時宗公の尊像を安置する塔頭。現在の開基廟は江戸時代1811年(文化8年)に改築されたものとされる。川端康成の「千羽鶴」の舞台となった茶室烟足軒がある。
黄梅院
境内最奥に位置する塔頭。文和三年(1354)足方尊氏が夢窓疎石の塔所として建立。
如意庵
山を下り、さらに石段を登りつめ弁天堂に向かう。
茶屋と見晴らし
弁天堂
国宝 洪鐘
正安三年、北条時貞が2500人の善男善女、当山250人の僧衆の合力により鋳造。長大なること関東第一。江の島の弁天の助力により鋳造が円成したとして、側の弁天堂にその尊像を祀る。
下って帰る。
参考資料
円覚寺HP
ウィキペディア「円覚寺」
現地説明板
A camera
B camera
May 2003 瀧山幸伸 source movie
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