京都府京都市伏見区 伏見稲荷大社
Fushimiinaritaisha,Fushimiku,Kyoto city
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京都市伏見区深草薮ノ内町68 伏見稲荷大社御茶屋 重文 近世以前/住宅 江戸前期 江戸前期 桁行7.6m、梁間7.9m、一重、入母屋造、上部桟瓦葺、腰廻檜皮葺、玄関車寄附属 19270425
京都市伏見区深草薮ノ内町68 伏見稲荷大社 本殿 重文 近世以前/神社 室町後期 明応3(1494) 五間社流造、檜皮葺 19090405
京都市伏見区深草薮ノ内町68 伏見稲荷大社 権殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永12(1635) 五間社流造、檜皮葺 両宮社1棟、五社相殿1棟、荷田社1棟、長者社1棟、藤尾社1棟、熊野社1棟、城州稲荷社御修復御入用金高目録帳9冊 20140127
京都市伏見区深草薮ノ内町68 伏見稲荷大社 外拝殿 重文 近世以前/神社 江戸末期 天保11(1840) 桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺 20140127
京都市伏見区深草薮ノ内町68 伏見稲荷大社 楼門 重文 近世以前/神社 桃山 天正17(1589) 三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺 20140127
京都市伏見区深草薮ノ内町68 伏見稲荷大社 南北廻廊(南廻廊) 重文 近世以前/神社 江戸中期 元禄7(1694) 桁行五間、梁間一間、一重、一端楼門接続、切妻造、檜皮葺 20140127
京都市伏見区深草薮ノ内町68 伏見稲荷大社 南北廻廊(北廻廊) 重文 近世以前/神社 江戸中期 元禄7(1694) 桁行五間、梁間一間、一重、一端楼門接続、切妻造、檜皮葺 20140127
京都市伏見区深草薮ノ内町68 伏見稲荷大社 奥宮 重文 近世以前/神社 桃山 桃山 三間社流造、檜皮葺 20140127
京都市伏見区深草薮ノ内町68 伏見稲荷大社 白狐社 重文 近世以前/神社 江戸中期 元禄7(1694) 一間社春日造、檜皮葺 20140127
Oct.21,2024 柚原君子
表参道
楼門
外拝殿
本殿
権殿
白狐社
奥宮
鳥居群
January 28,2024 大野木康夫 source movie
伏見稲荷大社は24時間参拝可能です。
日曜の夜明け前に訪問しました。
参道~楼門
外拝殿、権殿、本殿
奥宮へ
奥宮、白狐社
千本鳥居へ
1
千本鳥居
熊鷹社へ
熊鷹社付近
帰路
早朝6時前は人も少なく、ゆっくりと撮影できました。
Mar.24,2022 瀧山幸伸
A camera
本殿周辺
奥宮へ
奥宮巡拝(右回り)
本殿へ
B camera
本殿周辺
奥宮巡拝
本殿へ下山
January 17, 2021 野崎順次 source
movie
今回は稲荷山に登り、七神蹟地を巡拝する。特に磐座に興味があるので、剣岩(長者社神蹟)をぜひ拝観したかった。その後、分かったことだが、長者社には剣岩と雷岩があり、剣岩は本殿内に秘蔵されており、社の上にそびえるのは雷岩である。
神体山である稲荷山は、東山三十六峰の最南端に位置し、標高233m。3つの峰(一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰)が連なるが、かつては古墳で、それぞれに円墳が確認されている。三ノ峰からは二神二獣鏡が出土している。この山々「お山」を中世には「下ノ塚」「中ノ塚」「上ノ塚」と呼び、奥社奉拝所の先にある山々を巡拝できる参道には、そこかしこに人々が石碑に「白狐大神」や「白龍大神」などの神名を刻んで祀られた無数の小さな祠(その数、1万基、あるいはそれ以上とも言われる)の「お塚」が奉納されており、「お塚信仰」と呼ばれている。
参拝者の中には、石碑の前にひざまづいて「般若心経」や「稲荷心経」などを唱えている人もおり、日本で神仏分離が行われる前の信仰(神仏習合)が今でも保たれているのを見ることができる。奥社奉拝所の奥に「おもかる石」という石がある。この石は試し石のひとつで、願いを念じて持ち上げた時、重さが予想していたより軽ければ願いが叶い、重ければその願いは叶わないといわれている。
また稲荷山には信者から奉納された約1万基の鳥居があり、特に千本鳥居と呼ばれる所は狭い間隔で多数建てられ名所となっている。鳥居を奉納する習わしは江戸時代に始まった。
応仁の乱で焼失する前は稲荷山の山中にお社があったが、再建はされず現在は神蹟地として残っている。明治時代に以下の七神蹟地を確定し、親塚が建てられた。お塚は、その周りを取り囲む形となっている。親塚の神名が本殿に祀られる五柱の神名とは異なるが古くからそういう名前で伝わっているとされ、理由は定かではない。
七神蹟地、およびその親塚にある神名
一ノ峰(上之社神蹟) - 末広大神
二ノ峰(中之社神蹟) - 青木大神
三ノ峰(下之社神蹟) -
白菊大神
荒神峰(田中社神蹟) - 権太夫大神
間ノ峰(荷田社神蹟) - 伊勢大神
御膳谷遙拝所 -
往古に三ヶ峰に神供をした所と伝えられている
釼石(長者社神蹟) - 社殿の後ろに御神体の剱石があり長者社には加茂玉依姫(かもたまよりひめ)を祀る
(ウィキぺディア「伏見稲荷大社」より)
鳥居、楼門、外拝殿、本殿、お札・お守りの授与所
左に進み、稲荷山参道に入る。
少し上ると、熊鷹社と新池
そして四つ辻を過ぎて、どんどん上る。
展望台から三つ辻
山頂一周は右回りで参拝する。
最初の神蹟は御膳谷遙拝所
さらに上り、薬力社を過ぎる。
長者社神蹟の剱石・雷石
長者社は伏見稲荷の司祭者である秦氏の祖神を祀った社で、ここはその最初の社があった神蹟として伝えられている。長者社神蹟には御剱社があり、社殿内には「剱石」という聖石が祀られている。
剱石のある御剱社のすぐ裏には「雷石」と呼ばれる巨岩がある。享保17年(1732年)に編まれた『稲荷谷響記』の中に「古老が伝えるには、昔ここで激しい雷が落ち、神が呪文を唱えこの岩に雷を縛った(封じた)」という記述がある。
稲荷山を描いた最古の図「山上旧跡図」(1531年)には両方の聖石の存在が記されており、それぞれ共に古くからの信仰があったことがわかる。神社は、元々雷石と剱石は両者一体の岩石信仰だったものが、後に剱石だけ鍛冶伝説関連の石として独立したと説明している。
(「イワクラウオッチング - 第2部4章 - 近畿のイワクラ - 京都府」サイトより)
雷岩をじっくりと観察する。
最後の大きな上り道
一ノ峰(上之社神蹟) - 末広大神
二ノ峰(中之社神蹟) - 青木大神
間ノ峰(荷田社神蹟) - 伊勢大神
三ノ峰(下之社神蹟) - 白菊大神
右回り巡拝を終えて四つ辻に戻ってきた。
ひたすら下って、三つ辻では、白人女性がお茶と串団子を食べていた。撮らしてねと云って、撮った。
熊鷹社
さらに下って、奥社方面に曲がる。
根上りの松
反対側の道を上ると、伏見神寶神社
奥社、おもかる石、千本鳥居
お休み処「啼鳥菴」の庭園
August 8,2020 大野木康夫 source
movie
お盆休み期間初日、早朝の参拝
重要文化財の附指定となっている参道脇の摂末社
藤尾社(重要文化財の附指定)
江戸前期の建築
一間社流見世棚造、檜皮葺
熊野社(重要文化財の附指定)
元禄7(1694)年の建築
一間社春日見世棚造、檜皮葺
霊魂社
楼門(重要文化財)
眷属狐
南廻廊(重要文化財)
北廻廊(重要文化財)
外拝殿(重要文化財)
本殿へ
本殿(重要文化財)
権殿(重要文化財)
奥宮へ
重要文化財の附指定となっている上末社4棟
長者社(重要文化財の附指定)
江戸前期の建築
一間社流見世棚造、檜皮葺
荷田社(重要文化財の附指定)
元禄7(1694)年の建築
一間社流見世棚造、檜皮葺
五社相殿(重要文化財の附指定)
元禄7(1694)年の建築
五間社流見世棚造、檜皮葺
両宮社(重要文化財の附指定)
元禄7(1694)年の建築
二間社切妻見世棚造、檜皮葺
奥宮へ
玉山明神社
神馬舎
石段の上が奥宮
白狐社(重要文化財)
奥宮(重要文化財)
千本鳥居へ
千本鳥居
ここまでで引き返す。
神楽殿
御茶屋(重要文化財)
帰路
早朝5時40分に着いたときは人が少なかったのですが、さすがに帰るころ(6時20分頃)には参拝の人が増えてきました。
1年前だと、早朝から外国人観光客の姿が多く見られたのですが、今回は全く気づきませんでした。
April 18,2016 田中康平
重要文化財(本殿、権殿、外拝殿、外拝殿、南北廻廊、奥宮、白狐社)重文指定年月日:1909.04.05(明治42.04.05)
非常に外国人旅行者が多い。
国指定文化財等データベース解説文: 伏見稲荷大社は、稲荷信仰の総本社で稲荷山の西麓に境内を構える。本殿は明応3年(1494)の再建で、重要文化財に指定されている。権殿は寛永12年(1635)の建立で、本殿を一回り小さくした五間社流造の仮殿である。楼門は天正17年(1589)の再建で、和様の意匠である。そのほか、稲荷祭の時に神輿を並べた外拝殿、3室の内陣をもつ奥宮、稲荷神の眷属である狐を祀る白狐社などが良好に維持されおり、近世の稲荷信仰の隆盛を伝える社殿群として価値が高い。
Nov.29,2013 瀧山幸伸
楼門付近
お茶屋付近
拝殿、本殿、権殿付近
奥社へ
千本鳥居
奥社奉拝所
熊鷹社へ
三つ辻へ
三つ辻から四つ辻へ
四つ辻
御膳谷奉拝所へ往復
京都トレイル 御幸奉拝所へ
東福寺へ
平成25(2013)年10月18日に文化審議会が答申した重要文化財(建造物)の指定9件の中に、伏見稲荷大社の社殿7棟の追加指定が含まれていたので撮影に行きました。
伏見稲荷大社は、稲荷信仰の総本社で稲荷山の西麓に境内を構える。
本殿は明応3年(1494)の再建で、重要文化財に指定されている。
権殿は寛永12年(1635)の建立で、本殿を一回り小さくした五間社流造の仮殿である。
楼門は天正17年(1589)の再建で、和様の意匠である。
そのほか、稲荷祭の時に神輿を並べた外拝殿、3室の内陣をもつ奥宮、稲荷神の眷属である狐を祀る白狐社などが良好に維持されおり、近世の稲荷信仰の隆盛を伝える社殿群として価値が高い。
既指定の本殿とともに保存を図る。
(文化庁広報資料より)
境内案内図
楼門
南北廻廊
外拝殿(げはいでん)
権殿
権殿から奥宮へ
奥宮
白狐社
ついでに千本鳥居を撮影しました。
内拝殿と本殿
2012.9.24撮影
京都市観光協会企画の「京の夏の旅」文化財特別公開「伏見稲荷大社 荷田春満旧宅・お茶屋」に行きました。
楼門と外拝殿
荷田春満旧宅(国指定史跡)
東滿ノ歿後火災ニ罹リ明治二十二年其ノ境地ノ一部ニ東丸神社ヲ創立セリ東滿當時ノ書院神事舍及ヒ門今ニ存シ舊規尚見ルベキモノアリ
(国指定文化財等データベースより)
外拝殿から右手(南側)、東丸神社の右側(西)にあります。
建物内は撮影禁止です。
庭園は近年修復されたということです。
御茶屋(重要文化財)
江戸前期の建築
桁行7.6m、梁間7.9m、一重、入母屋造、上部桟瓦葺、腰廻檜皮葺、玄関車寄附属
松の下屋
庭園
内拝殿と権殿
本殿(重要文化財)
修理が終わりました。
京都府京都市伏見区
撮影:2012年9月
<本殿>
<御茶屋>
全国に三万社を数える稲荷社の総本宮である伏見稲荷大社は、和銅4年(711)に渡来人で山城の地
の豪族秦伊呂具(はたのいろぐ)氏の手で創建された。境内に建ち並ぶ華麗な建造物は圧巻である。
『枕草紙』にも描かれた稲荷詣は、千余年の今も何ら変わりなく続く。
伏見稲荷大社は大きな朱色の鳥居から始まる。一の鳥居である。
二の鳥居の前方に聳え建つのが楼門。
楼門
天正17年1589(1589)建立 9.6m×15.0m
桃山風の堂々とした二層の大門。屋根は桧皮葺。入母屋造で、上層の周りに高欄を巡らし、下層に
は左大臣、右大臣の随身が控える。
門前の両脇には、宝珠と鍵をくわえた一対の青銅製のキツネ像が立っている。明るい表玄関である。
『なおなお命の儀は三カ年、しからずば二年、実にならずば三十日にてもたのみ思召され候』
伏見稲荷大社に残る豊臣秀吉の「命乞いの願文」、天正16年(1588)6月20日の日付がある。
生母・大政所(おおまんどころ)の大病平癒を祈願して、秀吉は稲荷の神に一万石の立願米を捧げた。
ひたすら母を思う祈り、その甲斐あって大政所は本復する。
翌年、秀吉の寄進を基に建立されたのが、朱塗りの色も鮮やかな楼門である。
千本鳥居を目指す
一の鳥居から稲荷山の頂上近くまで、約1万本の鳥居が立ち並ぶ。
願い事が「通る」あるいは「通った」御礼の意味から、鳥居を奉納する習慣が江戸時代以降広まった。
千本鳥居さまざま
鳥居は二つに分かれ、すぐに一つになる。上り下りの道行きに、陽光が差し込み変化する。
延々と続く朱の鳥居の回廊は興味が尽きない。
千本鳥居をくぐって、稲荷の山の大気を胸一杯に吸うと元気が出る。
鳥居が信心篤き人々をお山巡へと誘う。
そのお山・稲荷山は東山三十六峰の最南端にあたる。
山全体に大小さまざまな「お塚」が鎮まり、その道々に朱の鳥居が続く。
鳥居を奉納することは、人々の祈願とお礼の気持ちを表した素朴な信仰のしるし。
鳥居とキツネ
キツネは伏見稲荷大社のシンボルであり、「稲荷大神様」の神のお使いとされる。
神と人の間を取り持つ霊獣として広く庶民に親しまれてきた「おいなりさん」である。
稲荷山からの京都市内の遠景
鳥居と働く人
お参り
シンボルカラーの朱色は、魔力に対抗する色とされ、「生命」「太陽」「生産」をイメージする。
朱の材料は水銀=丹で、防腐剤として使われる。境内に残るモミジとも重なり参詣者の目に焼きつく。
(撮影が12月19日でモミジのシーズンは過ぎていた)
荷田春満旧宅(かだあずままろきゅうたく)
京都府伏見区深草藪之内町
国指定史跡
伏見稲荷大社楼門の左前方に建つ神官 荷田家の歴代の住居で、江戸時代中期の国学者・歌人 荷田春満
の生まれ住んだ所。
住居の一部から東丸神社が創建され、荷田春満の学徳を讃えて学問の神様として祀られている
荷田春満{寛文9年(1669)〜元文元年(1736))は伏見稲荷の神官荷田家に生まれた。
神職は継承せず,古典研究に没頭。賀茂真淵本居宣長平田篤胤とともに国学四大人に数えられる。
その旧宅は神官荷田家歴代の居所で,書院と門などが残っている。現在は「荷田春満旧宅」として国指定史跡。
書院は平屋建、書院造
門、屋根、内庭
Jan.2011 撮影:大野木康夫
所在地 京都府京都市伏見区深草藪之内町62
伏見稲荷神社は全国に4万社ある稲荷社の総本宮で、稲荷社唯一の式内社(名神大社)です。
社伝によれば、和銅4(711)年に伊侶巨秦公が稲荷山の三峯に稲荷神を祀ったのが起源とされており、稲荷神は秦氏の氏神とされています。
私が小さい頃祖父に聞いた話では、稲荷山はもともと藤森の神(紀氏系の神)の土地であったのを、稲荷の神が「稲束を置けるだけの土地を貰いたい。」といって、稲束の稲を一本一本つなげて山を囲み、一山を貰ったのが伏見稲荷だということでした。
今でも、藤森神社の祭礼では、神輿が伏見稲荷に担ぎ込まれ、応対に出た神官に「土地返せ」と言うと、神官が話をはぐらかして有耶無耶にごまかすということです。
伏見稲荷の周囲には藤森神社の氏子が住んでおり、伏見稲荷の氏子は南区の九条一帯から下京区の五条一帯にかけて住んでいます。
氏子が九条一帯に多いのは、伏見稲荷が東寺と関係が深く、廃仏毀釈で破却された神宮寺の愛染寺が東寺の末寺であったことと関係があるのかもしれません。
また、稲荷の眷属が狐なのは、稲荷神である宇迦御魂神(うかのみたま)の別名が御饌津神(みけつのかみ)であり、狐の古名が「けつ」であったことから「三狐神」(みけつのかみ)とも書いたことに由来するそうです。
JR奈良線の稲荷駅から参拝することにしました。
稲荷駅は明治期の開業当時は大津市の膳所駅(旧馬場駅)から今の名神高速道路沿いに南下していた東海道線の駅で、鉄道唱歌にも「赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山」と歌われており、現存する旧国鉄最古の建物である「ランプ小屋」(明治13(1879)年の建築、準鉄道記念物)が残っています。
稲荷駅のすぐ東側が参道の入り口です。そこから楼門が見えています。
楼門(京都府指定文化財)
天正17(1587)年の建築
平成22(2010)年に修復され、江戸時代中期に付けられていた正面の蟇股が取り外されました。
外拝殿
荷田春満旧宅(国指定史跡)
東滿ノ歿後火災ニ罹リ明治二十二年其ノ境地ノ一部ニ東丸神社ヲ創立セリ東滿當時ノ書院神事舍及ヒ門今ニ存シ舊規尚見ルベキモノアリ
(国指定文化財等データベース)
御茶屋(重要文化財)
江戸時代前期の建築
桁行7.6m、梁間7.9m、一重、入母屋造、上部桟瓦葺、腰廻檜皮葺、玄関車寄附属
慶長11(1606)年、御水尾天皇から拝領したものです。
境内風景
1月8日なので、まだ多くの初詣の人で賑わっていました。
内拝殿
本殿と屋根でつながっています。
本殿(重要文化財)
明応3(1494)年の建築
五間社流造、檜皮葺
応仁の乱で焼失した後、ほどなく再建されたものです。
五間社の巨大な社殿です。
権殿を経て御神蹟巡りに向かいます。
ほどなく千本鳥居の二股になっている参道に着きます。
鳥居のトンネルをくぐると、奥社があります。
奥社に奉納される絵馬は三角の狐の形をしています。
奥社の右奥に「おもかる石」があります。
願いを込めて持ち上げ、思ったより軽かった時は願いがかなうと言われています。
山上の御神蹟を目指し、鳥居のトンネルを上がっていきます。
しばらく上ると、熊鷹社に着きます。
御神蹟には、御塚と呼ばれる石の祠がたくさん建てられています。
熊鷹社は新池、谺ケ池(こだまがいけ)といわれる池のほとりに建っています。
行方知れずの人を探す時、池に向かって手を打てば、こだまが返ってきた方向に手がかりがあると言われています。
熊鷹社からの道は、勾配が急になります。
途中、何軒かの茶屋を過ぎます。
茶屋は、鳥居奉納の取次店になっているようです。
山の中腹にある少し開けた場所が「四ツ辻」です。
ここから御神蹟を巡る周回路が始まります。
下ノ社御神蹟(三ノ峯)
白菊大明神と呼ばれています。
荷田社御神蹟(間ノ峯)
中ノ社御神蹟(二ノ峯)
上ノ社御神蹟(一ノ峯)
稲荷山の山頂です。
末広大神と呼ばれています。
一ノ峯からは下り坂となります。
長者社御神蹟(劔石)
御劔社とも言われています。
伝説では三条宗近が稲荷神の助けを得て、名刀「小狐丸」を鍛え上げた場所であるとされています。
薬力社御神蹟
石井大神とも言われています。
薬力の滝があります。
御膳谷
三ケ峯の奉拝所であり、稲荷山で一番多くの御塚が集まっています。
大杉社
もとは大きな杉の御神木がありましたが、現在は折損しています。
ここまでくるともう少しで四ツ辻に戻ります。
山を下りて、参道の商店街を通って稲荷駅に戻りました。
参道には神具点が多く、稲荷名物の稲荷せんべいやすずめの焼き鳥を売る店が並んでいます。
すずめの焼き鳥は、国産のすずめの入手が困難となっているため、今では2軒で売っているだけです。
Aug. 2006 瀧山幸伸 source movie
本殿
御茶屋
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