京都 祇園祭り
Kyoto Gion Matsuri
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July 2011 大野木康夫
2011年の祇園祭
祇園祭は、貞観11(863)年に、相次いで起こった震災、噴火、飢饉などの悪疫を鎮めるため、66箇国に応じた66本の鉾を神泉苑に立て、祇園社から神輿を出して牛頭天王を祀ったのが始まりとされています。
その中には貞観11年に陸奥国で起こった大震災も含まれていることもあり、今年は「復興と鎮魂」をテーマとする「仙台七夕まつり」に長刀鉾の日和神楽と綾傘鉾が参加し、京都から応援ツアーを組んで復興を支援するということになっています。
祇園祭は、7月1日から、各町内で祭りの無事を祈願する「吉符入り」が行われ、囃子の稽古が始まります。
その後、色々な行事が行われ、神輿洗、山鉾建てなどを経て、14日から宵山に入ります。
7月15日 宵々山 source movie
正式には16日が宵山ですが、近年は14日から行われます。
四条通や烏丸通が歩行者天国となるのはこの3日間の午後6時から11時までです。
仕事が終わり、長刀鉾のところに行ったらちょうど6時で歩行者天国が始まりました。
四条通を西に向かい、烏丸通を渡ると、北側に函谷鉾、南側に月鉾が見え、お囃子が聞こえてきます。
たくさんの人ですが、まだスムーズに歩くことができます。
室町通を北に向かいます。
一応、四条通から蛸薬師通までは北向きの一方通行になっています。
曲がってすぐに菊水鉾があります。
錦小路を少し東に入れば、占出山があります。
安産の神として祀られる神功皇后が御神体なので、安産のお守りを売っています。
室町通に戻ると山伏山があります。
蛸薬師通を東に入ると橋弁慶山です。
再び室町通に戻ると、鯉山です。
鯉山の胴掛、水引、見送は16世紀にベルギーで製作された毛織のカーペットで、重要文化財です。
六角通を東に入ると浄妙山です。
宇治川の橋合戦の際に高倉宮方で奮戦した園城寺の浄妙坊と一来法師の人形が飾られていますが、巡行当日の山飾りは、浄妙坊の頭を一来法師が飛び越える瞬間を表した躍動的なものになります。
また室町通に戻ると、黒主山です。
もともと24日の後の祭に巡行した山で、後の祭の本来の巡行経路である三条通に向けて北向きに建てられています。
室町で一番北にある役行者山です。
隣の新町通も北行き一方通行なので、烏丸通に回ります。
烏丸通に出たところに鈴鹿山があります。
だいぶ人が増えてきました。
烏丸通を下がり、錦小路を越えると孟宗山があります。
会所(笋町会所(たかんなちょうかいしょ))は京都市指定文化財です。
四条通から南はすごい人波で、まともに歩けなくなってきました。
綾小路通から東洞院通に入り、高辻通を下ったら保昌山があります。
保昌山の町会所(燈籠町会所)は京都市指定文化財です。
高辻通を西に向かい、室町通を上がります。
仏光寺通を過ぎれば白楽天山ですが、南行き一方通行だったので、新町通に向かいました。
新町仏光寺を下ったところに岩戸山があります。
山にも大型のものがありますが、屋根の上には必ず松の木が乗っています。
新町通を上がりますが、人が多くなかなか進むことができません。
ようやく船鉾に着きました。
西側の家は長江家住宅(京都市指定文化財)です。
綾小路を西に入ると伯牙山です。
町会所は杉本家住宅(重要文化財)です。
主屋では屏風飾りをされていますが、有料で、撮影禁止です。
会所部分はほんの一部分ですが、無料で、撮影可能です。
杉本家住宅の西側の細路地では、少し行燈を置くなど、風情のある取組をされています。
四条通に出ると、すぐ西に郭巨山があります。
山の近くに、公開町家である「四条京町家」があります。
西に向かうと、四条傘鉾があります。
油小路通を下ると、小さな山が点在しています。
綾小路油小路を東に入れば芦刈山があります。
綾小路通から下ると油天神山があります。
子どもがいろんなグッズを売っています。
仏光寺通から下ると太子山があり、子どもが唄を歌ってお守りを売っています。
太子山の会所は秦家住宅(京都市指定文化財)です。
油小路仏光寺を東に入ると木賊山です。
西洞院通を上がります。
西洞院通には四条を上がったところの蟷螂山しか山鉾がありません。
四条を東に戻っていたら、四条傘鉾の棒振り踊りをやっていました。
すごい人だかりで、あまりよく見えませんでした。
四条通の郭巨山会所
月鉾は11トンと、山鉾の中で一番重いそうです。
四条から室町通を下がります。
正面に鶏鉾が見えます。
先ほど近づけなかった白楽天山です。
人がすごく多くなってきて、思うように進めなくなってきました。
綾小路通を西に入れば綾傘鉾です。
会所は福知山の大原神社の分社です。
綾小路新町から北に向かいますが、すごく混雑しており、なかなか進むことができません。
途中、禁門の変で焼けて以来休み山となっている、大船鉾の飾りがあります。
大船鉾は後の祭の最後を進んでいた鉾ですが、2年後の復活を目指して現在建造中で、近年囃子も復活しました。
大船鉾が復活したら、後の祭の巡行を復活しようという動きもあります。
四条を渡って新町を上がっていきます。
すぐに放下鉾が見えます。
会所(小結棚町会所)は京都市指定文化財です。
錦小路を越えると南観音山です。
このあたり、北向き一方通行のはずですが、多くの人が北から下ってきます。
南観音山、北観音山、八幡山は、後の祭の山なので、三条通に向かって北向きに建てられています。
沿道の町家の屏風飾り
北観音山
民家の屏風
八幡山
中学生の時、バスケットボール部の補欠だった私は、試合中ベンチで先生が買ってきた八幡山の破魔矢をずっと持っていました。
16日の宵山は土曜日なので、もっと人出が多くなりそうです。
山鉾巡行は、かつては17日(前祭)と24日(後祭)の2回に分けて行われ、巡行ルートも異なっていましたが、昭和41(1966)年から交通規制の関係で17日の前祭の日に統一されました。
当日は、四条烏丸東の長刀鉾を先頭に9時から行われ、32基の山鉾が四条通、河原町通、御池通、新町通を経て各町内に戻ります。
新町御池の交差点で辻回し(鉾の方向転換)を見ることにしました。
長刀鉾が11時頃に到着する予定の新町御池に9時前に行きましたが、もう多くの人が場所取りをしていました。
新町通りは狭いので、信号をたたまないと鉾が通れません。
11時15分、ようやく長刀鉾がやってきました。
長刀鉾に乗っていた稚児と禿は、新町御池の手前で鉾から下り、男仕さんが担いで車に乗せて会所に帰ります。
空いたスペースには、囃子方が乗り込みます。
この間、後続の山鉾はじっと待機しています。
長刀鉾の辻回しです。大型の山鉾の車輪は4つで横には回らないため、回す方向に敷いた青竹の上を水を掛けながら滑らせて方向転換します。
これを辻回しといい、四条河原町、河原町御池、新町御池ではすべての大型の山鉾が辻回しを行います。
新町御池では、曲がって入っていく新町通が狭いので、慎重に行われるようです。
山鉾の全面に立つ人は「音頭取」と呼ばれ、通常は2人ですが、辻回しの際には4人になります。
山鉾の操作を担当するのは車方で、綱を引くのは曳子です。
何度か作業を繰り返し、だいたい90度の方向転換ができると、音頭取は2人になり、車方が「かぶらでこ」と呼ばれる道具を使って方向を微調整しながら進みます。
祇園囃子も、四条通や河原町通を巡行する時のものから、「戻り囃子」と呼ばれる少し早いものに変わっています。
新町通は狭いので、大型の鉾になると、軒先ぎりぎりを進むことになります。
長刀鉾が新町御池を出発するまでおよそ30分かかりました。
待機していた小型の山(霰天神山、孟宗山、芦刈山)が続いて通って行きます。
小型の山もかつては舁山でしたが、近年は車輪を付けており、交差点だけは舁くことになっています。
次に辻回しをする函谷鉾がやってきました。
辻回しは時間がかかるので、準備をしている間に、後続の小型の山鉾(油天神山、保昌山)が先に通って行きます。
函谷鉾の辻回しです。
長刀鉾以外の鉾の稚児は、稚児人形になっています。
後続の四条傘鉾が通ります。
傘鉾も鉾なので、囃子方と棒振り踊りの子どもたちが随行しています。
新町御池では踊りの披露はありません。
11トンと山鉾の中で最も重い月鉾がやってきました。
辻回しに使う水は、消火栓から消防車で汲み上げ、桶に入れて消防士が管理しています。
やはり、小型の山(太子山、占出山、木賊山)が脇を通過していきます。
通過する際には必ず、責任者の方同士が挨拶をされています。
月鉾の辻回しです。
辻回しの途中に伯牙山が脇を通過しました。
辻回しが終わると、囃子がすごく速いものに変わり、新町通に入って行きました。
鶏鉾はすでに待機していましたが、後続の小型の山鉾(綾傘鉾、郭巨山)が先に行きます。
鶏鉾が新町御池に進みます。
後続の菊水鉾も見えます。
鶏鉾の辻回しです。
菊水鉾が進んできました。
音頭取が浴衣に扇子ではなく、烏帽子袴に紅葉団扇です。
白楽天山、山伏山、蟷螂山が脇を通って行きます。
菊水鉾の辻回しです。
追加の音頭取りは法被姿です。
後続の放下鉾が待機しています。
待機している放下鉾は、四条新町上るが町内で、先に新町に入ると通りをふさいでしまうため、後続の岩戸山(新町仏光寺下る)と船鉾(新町綾小路下る)が先に行くようです。
岩戸山の辻回しです。
他の山鉾は青竹を専用の荷車で運んでいますが、岩戸山は山の下に収納しています。
船鉾の辻回しです。
船鉾は船型で縦に長いので、慎重に微調整をして新町通に入っていきます。
放下鉾の待機は続いていますが、後の祭の巡行列やってきました。
本来の巡行ルートとは違ったコースをたどるので、先頭の北観音山は、一番最後に辻回しをします。
先に橋弁慶山、八幡山、鯉山、役行者山、鈴鹿山と新町通に入っていきます。
黒主山、浄妙山は待機して放下鉾の辻回しを待ちます。
放下鉾の辻回しです。
黒主山、浄妙山と続きます。
籤取らずでしんがりの南観音山ですが、北観音山の南側に帰るため、先に新町御池にやってきます。
南観音山の辻回しです。
一番最後、北観音山の辻回しです。
外国人の方が車方を務めています。
北観音山が新町通に入ったのが14時10分、11時15分に長刀鉾が来てから、実に2時間55分が経っていました。
新町御池の辻回しは、他の場所よりも比較的すいており、新町通が狭い分、近くで見ることができます。
御池通の風通しがいいので比較的涼しいこともあり、おすすめですが、傘鉾の棒振り踊りが披露されないことや、他の交差点のように一回で辻回しを決めるようなことがないということがあります。
実際にどこで巡行を見られるかは、御自分でよくご検討ください。
7月24日 花傘巡行 source movie
かつて後の祭が行われていた7月24日に、花傘巡行が行われます。
巡行する花傘は10基ほどで、約千人が参加する行列になります。
行列は10時に八坂神社を出発し、四条通、河原町通、寺町通から四条通を経て12時に八坂神社に帰り、神社の舞台で芸能や舞踊が奉納されます。
巡行開始前の石段下の風景です。
参加する子ども神輿の子どもや花傘娘が神社に入っていきます。
10時前に巡行が始まりました。
子ども神輿
花傘巡行旗、神饌列
祇園太鼓、獅子舞、幌武者、児武者
馬長稚児(うまおさちご)
八坂神社婦人会馬長
久世六斎
京都織物卸商業組合花傘、花傘娘
先斗町お茶屋組合歌舞伎踊
花街の踊り列は近辺4花街が交代で務めます。
祇園東お茶屋組合小町踊
祇園萬燈会鷺踊、萬燈踊
放下鉾祇園囃子
祇園囃子は交代で参加です。
行列は四条通を進みます。
帰り道、マンホールの蓋が京都市では一番古いタイプだったので、家の近くにある後継タイプと合わせて撮影しました。
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