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京都府京都市東山区/中京区 祇園祭り

Gion Matsuri,Higashiyamaku/Nakagyoku,Kyoto city,Kyoto

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July 17,2023  野崎順次  source movie

京都府京都市中京区
祇園祭山鉾巡行(前祭)

山鉾巡行(前祭)は神幸祭(神輿渡御)が行われる7月17日の午前中、山鉾巡行(後祭)は還幸祭(神輿渡御)が行われる7月24日は午前中に行われます。山鉾巡行では午後から行われる神輿渡御(神幸祭・還幸祭)の前に町・通りを祓い清めます。その為山鉾巡行は小雨決行、大雨強行とも言われ、荒天で中止になった記録はないとも言われています。なお山鉾巡行(前祭)では長刀鉾を先頭に山鉾23基が四条通・河原町通・御池通の順に巡行します。山鉾巡行(後祭)では橋弁慶山を先頭に山鉾11基が御池通・河原町通・四条通の順に巡行します。
(京都ガイド・祇園祭徹底紹介)

今年の順番は次の通りです。
1長刀鉾、2山伏山、3白楽天山、4芦刈山、5函谷鉾、6郭巨山、7四条傘鉾、8木賊山、9鶏鉾、10油天神山、11孟宗山、12霰天神山、13菊水鉾、14保昌山、15綾傘鉾、16太子山、17月鉾、18伯牙山、19蟷螂山、20占出山、21放下鉾、22岩戸山、23船鉾

この日、京都の最高温度は38℃との予想で、暑さに参った観光客を観察がてら、久しぶりの祇園祭に出かけた。あまり早く行っても人が多すぎるだろうと、昼前に河原町蛸薬師あたりで撮影を開始した。実際の撮影時間は11時43分から12時58分で1時間余であった。

三条京阪から三条河原町へ、早速救急車に出会った。

   

見ることのできた山鉾の由来は、京都ガイド・祇園祭徹底紹介サイトからの引用である。

16番・太子山は聖徳太子を祀っていることに由来しています。

             

17番・月鉾は鉾頭に新月型を付けていることに由来しています。

                 

18番・伯牙山は中国の周時代に琴の名人・伯牙が親友・鍾子期の訃報に悲しんで、琴の弦を断ったという故事に由来しています。


    

19番・蟷螂山は車に惹かれそうなカマキリが鎌を振り上げて立ち向う「蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す」という中国の故事に由来しています。

           

20番・占出山は神功皇后の新羅遠征の際、肥前松浦川で鮎を釣って戦勝の兆としたという説話に由来しています。

        

21番・放下鉾は真木の天王座に放下僧の像を祀っていることに由来しています。(くじ取らず)

                      

蛸薬師河原町に浴衣の舞子さんたち

          

22番・岩戸山は天照大神が天の岩戸を開いて現れる日本神話に由来しています。(くじ取らず)

                    

再び舞妓さんたちに注目

                    

23番・船鉾は神功皇后の新羅遠征の際の出船に由来しています。(くじ取らず)

                          

河原町通を最後の船鉾が通過した。歩道側に寄せていた横3~4mもある信号機を元に戻る作業に注目が集まった。

        

未だ交通規制中の河原町通

  

地下鉄に乗るため御池河原町に来ると、船鉾が辻回しの最中だった。

         

 


July 24,2022 大野木康夫 source movie

祇園祭後祭の朝、新町通を北行する山鉾を撮影しに行きました。

196年ぶりに復活した鷹山(三条新町と衣棚の間)
             

新町三条の少し北側で山鉾を待ちました。
朝8時前は人もまばらでしたが、8時を過ぎたころから人が多くなってきました。
鷹山が新町三条で辻回しをするからでしょう。
    

8時30分過ぎに八幡山が新町通を北上していきました。
新町通はあまり広くないので山鉾との距離が近く、迫力を感じます。
              

八幡山のすぐ南から北観音山が北上してきました。
北観音山は大きな曳山なので、車輪のきしむ音やお囃子、音頭取りの掛け声などが間近で聞こえ、一層迫力が増します。
                                

次は南観音山が北上してきました。
                      

三条通から鷹山が新町通に入ってきました。
引き綱は東側に付いており、バックで西進してきました。
         

音頭取りが前に移動し、辻回しの準備にかかります。
        

新町三条での辻回し
狭いので慎重に行われ、4回かかりました。

                                                 

辻回しが終わり、新町通を北行していきます。
少し右に曲がっていたので、屋根方が電柱を蹴って衝突を避けていました。
前が詰まっていたので、目の前で山が停まり、再出発の時に山の脇から曳手が綱を引き始めるのを見ることができました。
これまでは大通りでの観覧ばかりだったので、新鮮に感じました。
                                     

最後に大船鉾が新町通を北行していきました。
                  

新町通は穴場と言われていましたが、今後、新町三条の北側は辻回しが行われるため、少し人が多くなると思います。



July 17,2019 大野木康夫 source movie

神幸祭

祇園祭の神輿は、八坂神社の三主祭神に合わせて、中御座(素戔嗚尊)、東御座(櫛稲田姫命)、西御座(八柱神子神)の三基です。

江戸中期頃から三条台村(三条大宮付近)の三条台若中(現在の三若神輿会)が神輿渡御を行っていましたが、その後、東御座の渡御は高瀬川の舟主衆から若松町・若竹町(三条京阪付近)の四若神輿会に、西御座の渡御は壬生村の壬生組(じんせいぐみ)から錦市場の錦神輿会が行うようになりました。

中御座は六角形、東御座は四角形、西御座は八角形ですが、それぞれの重さは2トン以上にもなります。

渡御はすべての区間で神輿を担ぎ、要所では神輿を上下に揺さぶって、長柄の先に付ける鳴環(なりかん)という金具を鳴らしながら渡御します。

タイミングが合えば、神輿はシーソーのように揺れながら進んで行きます。

寺町御池

中御座

           

寺町通

中御座

                

四条御旅所付近

中御座

                 

東若御座神輿

  

東御座

                                                        

西御座

                                     



July 17,2018 大野木康夫 source movie

 

祇園祭前祭山鉾巡行

四条麩屋町交差点付近

注連縄と斎竹は高橋町(東洞院高辻)の奉仕

    

四条通風景

     

高橋町役員整列、巡行開始

             

長刀鉾が注連縄前に進む

                               

注連縄切準備

               

注連縄切

                                                

巡行再開

            

オフィスビル10階から見た山鉾巡行

                                               



July 24,2016 大野木康夫 source movie

祇園祭 後祭り巡行

撮影場所 河原町御池南東、京都ロイヤルホテル北側

朝8時30分頃には交差点は満員だったので、南側から撮影することにしました。

巡行待ち風景

             

橋弁慶山

                     

北観音山

                                                                

浄妙山

         

役行者山

                                           

黒主山

                        

南観音山

                                                                                                           

鈴鹿山

                    

八幡山

                            

鯉山

                           

大船鉾

今年から、龍頭が付けられています。

                                                                                                                                                       

花笠巡行

                                                                                               



July 10, 2015 中山辰夫

祇園祭

神輿洗式

祇園祭の神輿に鴨川の水を振り掛ける「神輿洗い」が10日夜、四条大橋で行われた。

神輿洗は、神幸祭(17日)と還幸祭(24日)の時に出る神輿3基のうち、主祭神を奉斎する中御座の神輿を四条大橋まで運び、鴨川の水で清める行事で、7月10日と28日の夜に行われる。

【汲み上げの式】

10:00四条大橋で鴨川の水を汲み上げる儀式が行われた。汲み上げた水は、午後からの神輿洗いの神水として使われる。3回(6桶)汲み上げる。

式場の四条大橋周辺

            

汲み上げとお祓い 神用水は夜の神輿洗の時に使われる。予備の神用水は仲源寺に置かれる。

          

【お迎え提灯】

神輿洗式の神輿をお迎えする行列のことで、起源は定かでないが、江戸時代には南座・北座等四条大橋付近に芝居小屋が集まっていて、そこの芸人・役者達が思い思いの趣向を凝らした提灯に火を入れ、鳴り物入りで神輿洗の神輿をお迎えしていたが、この行事は永年にわたり中断していた。

その後昭和27年、八坂神社境内に灯籠を献灯する祇園万燈会によって、神輿洗式に付随する行事として復活させた。

16:30頃より、お迎え提灯行列が八坂神社を出発し、決まったコースを巡回したあと、19:00頃四条大橋を通って八坂神社にもどる。その行列である。

                

八坂神社で神事を行い、おけら火で通りを清めた後、男衆に担がれた中御座神輿が四条大橋に到着。

30℃近い気温で蒸しかえす暑さの中、ムンムン立ち込める男衆の熱気に囲まれながら、朝鴨川からくみ上げた水を神職が神輿に、「神水」としてサカキで振りかけた。

             

洗い式終了後、神輿は八坂神社へ戻り、本日の行事が全て終了した。

  

四条大橋周辺は河床に明かりが灯り、涼感を求めて歓楽する人で賑わう。

      

京の街なかでは、今日から鉾建てがスタート。釘を使わず、荒縄を巻き、木槌を打ちながら部材を固定する「縄がらみ」の伝統技法を用いて進められる。

「チョウ」や「エビ」などと呼ばれる独特の形をした縄の模様や、鉾が組み上がる様子を見るのも楽しい。

京都は一気に祇園祭一色に染まってゆく。

    



July 2012 中山辰夫

京都の町家

中京区山鉾町めぐり−1

孟宗山〜占出山〜橋弁慶山〜浄妙山〜鈴鹿山

  

烏丸通りを上ル。夏の整いが見られる。

 

【孟宗山会所】(笋町会所)

烏丸通四条上ル笋町686

市指定文化財 

町会所は、烏丸通りに面して建つ、市指定文化財の町家である。

     

間口は狭いが奥行きのある京都特有の構造。

南側の路地を入った北側に会所家と地蔵堂、西側に土蔵がある。庭には孟宗山に因んだ竹が植えつけられる

   

会所開きは14日

南側の路地を入った北側に会所家と地蔵堂、西側に土蔵がある。会所家はお飾り場で釣床には御神体が安置される。

室境上には竹をあしらった数奇屋風の欄間とし、西と南の開口部の上は格子欄間としている。地蔵堂は、前面に向拝を設ける。

懸魚木鼻の彫刻は小さいながらも良くまとまっている。廻りはビルに囲まれているが、それを感じさせない奥行である。

     

17日巡行

    

中国に史話から、病身の母のために、雪の中から奇跡的に掘り当てた筍を喜々として持ち帰る孟宗の姿をあらわす。

欄縁の彫金群鳥図は幸野楳嶺(1844〜95)の下絵、胴懸は平山郁夫筆、見送は日本画家竹内栖鳳が喜寿の折に描いた墨絵の竹林図。

【占出山会所】(うらで)

錦小路通室町東入ル

15日は朝から人出も多くなってきた。

「此附近木下順庵邸跡」と刻まれた石標の立つ入口から奥の会所に向かう。町屋の会所は広々としており余裕がある。

     

町屋奥には、平屋と土蔵がある「奥棟形式会所」であり旧い会所の姿を残している。

    

会所通路には、三十六歌仙図や日本三景の前懸・胴懸、さらに国宝の三条小鍛治宗近作の大刀などが展示される。

     

17日巡行

神功皇后がアユを釣り、戦勝の兆しを得たという故事に由来する。

御神体は烏帽子帽子を被かぶり右手に釣り竿左手に吊り上げた鮎を持つ。見送は西陣の名工・林瀬平が寛政6年(1794)に織りあげた。

巡行は復元新調品使用。安産のお守りと腹帯が授与される。

    

安産のお礼に奉納される衣装が多く、「占出さんは衣装持ち」と評判。

【橋弁慶山会所】

蛸薬師烏丸西入ル橋弁慶町

会所は町家を使っており、この通り一帯は、ビルと町家風商店が交互に並ぶ感じである。

     

町家は、1階で展示を、2階は注連縄をはって2体人形が置かれる。2階には上がれない。

    

15日の午前中には山も出来上がり、1・2階の準備も出来つつある。

     

17日巡行

山鉾は弁慶と牛若丸が五条橋の上で戦う姿を表わす。

黒塗りの橋上を舞台に弁慶は鎧姿に長刀、牛若丸は擬宝珠の上に立って刀を構える。

2体の人形は永禄6年(1563)大仏師・康運作と銘がある。

胴懸の「加茂葵祭行列図」は、円山応挙の下絵によるものと伝えられ、葵祭りの様子が描かれている。

今年は140年振りに後祭の先頭で巡行。

    

【浄妙山会所】

六角通烏丸西入ル骨屋町154

今年、そのご神体や装飾品を展示する飾り席が、町内のマンション1階のロビーに開かれた。

戦後、会所を失った浄妙山は、近年は町内のビルで会所飾りを行っていた。しかし、ビルの倒産で一時は保存会の持ち回り宅で開かれていたが、今年からは跡地に建ったマンションのロビーを借りて開かれた。

マンションの新住民も祇園祭に参加し、これまで祭を守ってきた旧住民と一緒に祭を盛り上げる。

また、浄妙山の近くでは、松村家、伴市、木村屋で屏風飾りを見ることが出来る。

大店の町家が目立つ町内である。

    

ビル内での会所

    

15日には山や展示の準備が終わっていた。

会所飾りには、宇治橋合戦の屏風を背景にした2体の人形と、矢が突き刺さった橋の欄干、宇治川の急流を彫った縁が並ぶ。

   

浄妙山の近くでは、松村家、伴市、木村屋で屏風飾りを見ることが出来る。

    

17日巡行

「平家物語」の宇治橋合戦をテーマにする。三井寺の僧兵、筒井浄妙の頭上を一来法師が飛び越えて先陣争いをする瞬間を再現している。橋げたに突き刺さる矢まで生々しい。胴懸は長谷川等伯の原画を基にした「柳橋水車図」

    

【鈴鹿山会所】

烏丸通三条上ル場之町

町家で独立している。奥行きが長い。

    

山は烏丸通りに面して立てられる。15日午前は準備中である。

    

会所の中での水引や見送の展示は遅くなってから始まる。

牛頭天王が祀られている。天王は疫病の神様で、祇園祭は「天然痘除け」のお祭りであったことの名残である。

   

黒漆塗りの欄縁は、正面で大きく切り込まれている。表面の金具は山鹿清華の下絵による四季花鳥紋である。

 

17日巡行

鈴鹿権現「瀬織津姫」を御神体とする。伊勢国鈴鹿山で往来の人々を苦しめた鬼を退治する。金烏帽子は能面、太刀姿のモデルは、巴御前といわれる。前懸は、近年新調された2頭のラクダの絵柄「黄砂の道」。見送は皆川月華の下絵による「ハワイの蘭花図」

    

真松に山鉾で唯一絵馬がつけられ、盗難除けの護符として珍重される。

無事戻って来ました。すぐに解体です。組立式のため作業は早く進む。

    

≪参考≫

祇園祭の成り立ちと変遷

  

参考資料≪祇園祭、京都祇園祭、各所パンフレット、他≫


京都の町屋

中京区山鉾町めぐり−2

役行者山〜黒主山〜鯉山〜山伏山〜菊水鉾〜霰天神山

祭りを楽しむ

    

【役行者山会所】

室町通三条上ル役行者町

町会所は、築後150年は経過している専用の町家。さすがの建物である。

    

15日には山も出来上がり、会所の展覧も始まっていた。

   

会所は「うさぎの寝床」と表される通り、細い路地の奥で、かなりのスペースである。

  

豪華な懸装品で、山鉾に取り付けるものが多く展示されていた。

    

蔵の中には役行者・一言主神・葛城神の3体の御神体人形が祀られている。

  

「役行者の腰かけ石」脇においてある。触れると御利益があるとされる。

 

護摩焚き

16日の14時からは、室町の通りで、聖護院の山伏による護摩焚き供養が行われる。見ものである。

 

17日巡行

役行者が一言主神(ひとことぬしのかみ)を使って、葛城と大峰の間に橋を架けたという故事にちなむ。

見送は、中国製の2枚の龍図を向かい合わせて縫い、金襴で縁取ったもの。

    

巡行を終えた山鉾は、それぞれの会所へ戻り解体される。

姉小路から室町通の「カド」を廻る際に「辻廻し」が見られた。

         

解体

直ちに懸装品の取り外しを行い、胴組の解体は一休み(食後)した後に行われる。

     

室町通・新町通は山鉾が集中して建ち、祇園祭の期間は、普段とは全く異なった町風景が展開される。

【黒主山会所】

室町通三条下ル鳥帽子屋町497

マンション建築場所が、祇園鉾の保存場所であったため、エントランスを黒主山「お会所飾り」のスペースとすることになった。

     

山や会所飾り

    

お供の人たちの裃(かみしも)や袴、黒ずくめ。町内で山を囲む「埒(らち)」が黒塗りで新調された。

  

平安時代の「六歌仙」の一人・大伴黒主が桜を仰ぎ見る姿が御身体。

   

会所飾り 山に飾る懸装品が展示されている。

    

17日巡行

謡曲「志賀」にちなみ大伴黒主が桜の花をあおぎながめている姿を表わしている。御身体人形は寛政元年(1789)の銘を持つ。

前懸は五爪龍文様錦、胴懸は草花胡蝶模様の綴織、見送は牡丹鳳凰文様。人形着用の古衣装には、江戸時代初期在銘が残る貴重なもの。

     

粽に桜を添え、欄縁の金具に桜・椿・もみじ・菊が彫られるなど、装飾品は花との縁が深い。

町並の賑わいを日常と比べてみる。通り両側のお店や町家は趣向を凝らして祭りを盛り上げている。

            

永楽堂 「永楽通宝」のカンバンがある手拭屋や布製カバンの専門店。家宝を(美術品)を展示している。

     

與田屋弥兵衛(帯屋)さん 祝! 創業274年

            

【鯉山会所】

室町通六角下ル

会所は通りに面して建つ町家である。

    

15日には山も建ちあがっている。見物客も増える一方である。

   

会所へ入る長い列が出来る。ここの会所は人気があって毎年多くの人が訪れると聞く。

    

参道途中にある庭

    

会所は、祇園祭が始まると懸装品が飾られ、蝋燭を売る子どもたちの唄声が聴かれる場所で、まさに地域の生活習慣そのものが歴史文化となっている場所といえる。 繰広げられた豪華な懸装品は山に飾られる。

約1m半ある鯉の彫刻は、左甚五郎作といわれ会所では近くで見られる。立身出世を象徴する。

        

山蔵と祭壇

  

17日巡行

龍門の滝を登った鯉は、龍になるという中国の故事「登龍門」に基づいた山で、激流を飛沫を上げて登る鯉の木彫りが、鳥居越に見える。

見送はホメロスの叙事詩「イリアス」の一場面で、16世紀ベルギーで織られたもの。国重要文化財である。巡行は復元新調品を使用。

    

同じ町内のお店もタイアップして売上げアップ

       

【山伏山会所】

室町蛸薬師下ル山伏山町544

会所は通りに面する2階建ての町家である。

祇園祭になるとガラリと様相が変わる。この会所の「大茅の輪くぐり」が有名である。清祓いと祈祷がともに行われる神仏一体の山

    

山も人込みに埋まる感じである。

    

宵山の会所飾りは、間近で懸装品などを見る絶好の機会である。巡行で山を飾る数々の水引や織物が並ぶ。

    

会所の奥に大茅の輪くぐりと庭がある。

    

通りでの可愛い女の子たちの"厄除けちまき“売り

    

17日巡行

山に飾る御神体が(人形)が山伏の姿をしているのでこのように呼ばれる。

昔八坂の法勝寺の塔が傾いたとき法力によってそれを直したという浄蔵貴所の大峰入りの姿を表わしている。

胴懸は花卉胡蝶文様の刺繍。他の山では四隅のみの飾房が、周囲の水引や胴懸などにも下がっているのが特長

    

通りの賑わい

     

巡行を終え、会所前に戻ると解体が始まる。

  

【菊水鉾会所】

室町通四条上ル

会所はマンションの2階に設けられ、室町通りから会所へ上がれるように外階段が取り付けられる。

マンションは「大黒庵武野紹鴎邸跡」に建っており石碑が残る。会所では13日から16日の4日間御茶会が開催さ、行列が出来る。

    

山鉾は15日には出来上がっている。

    

会所のあるビルの場所は「菊水井」や、わび茶を利休に伝えた武野紹鴎ゆかりの土地で、表千家・裏千家・遠州流の3流派

の奉仕による茶会が行われる。唐破風の屋根が特長、極彩色の鳳凰、ランの花を球形にデザインした房掛などがみもの。

     

山車の部分

    

17日巡行

町内に古くからあった「菊水井」にちなんで名付けられた鉾で、鉾頭には金色の透かし彫の菊花をつけている。

蛤御門の変で焼失した後、88年ぶりの昭和27年(1952)再興を果たした。

稚児人形は、菊の露を飲んで長寿を保ったという中国の故事に因む、能「枕慈童」の姿である。

    

山鉾の解体

巡行が終わると、すぐに解体作業に取り掛かる。先ずは貴重な懸装品を取り外す。最長3日間かけて建てられた山鉾は次々と解かれる。釘1本も使わない、豪壮な「縄絡み」の様子が見えて満足であった。

                     

【霞天神会所】(あられ)

中京区錦小路通室町西入ル

京都市登録有形文化財

町会所は町屋で、会所家と大日堂、土蔵からなる。会所家は明治19年(1886)頃の建物で「町席」と称する10畳の座敷に釣床を設け玄関には式台を備えて格式を整えている。土蔵は江戸時代後期の造営で中に天神祠を安置している。

 

日常の通り

   

会所の町家

   

山周辺

   

路地を入ったところで「屏風祭」を行っている。

  

「町会所」の「屏風祭」には、唐破風春日造の檜皮葺きの社殿が祀られます。

京都に大火があった時、霰(あられ)が降ってきて、猛火がおさまったとされる。この時、霰と一緒に降りてこられた天神様を「火除けの神様」として祀っている。天明や元治の大火の時もこの山だけは残ったとことから霊験あらたかとされる。

  

お飾り場 懸装品が並ぶ

      

前懸は16世紀ニベルギーで製作された「イーリアス物語」を描いた毛綴や中国刺繍の太湖岩鳳凰図もある。左右の胴懸は上村松篁・上村淳之親子の原画花鳥綴織。

17日巡行

山のなかでは唯一、真松の変わりに若松12本を社殿の両側に植え並べ、最前部に「天神」額を掲げた朱塗り鳥居を建て、朱塗り極彩色の廻廊をめぐらし、中央に唐破風春日造の神殿を安置する。紙垂(しで)付き榊を一対立てて、 大きな紅梅が飾られる。

   

≪参考≫

祇園祭の山と鉾 山鉾の構造

  

参考資料≪祇園祭、京都祇園祭、各所パンフレット、他≫


京都の町家

中京区山鉾町めぐり−3

放下鉾〜南観音山〜北観音山〜八幡山〜

祇園祭は町衆の力があって今日につながっている。従い町家とは切り離せない。町家は6月に入ると“夏の佇まい”を整える。

夏に涼を求める“ととのい”をする。これが、祇園祭の数日間はガラリと趣をかえる。まことに華やかな祭典が各町内で繰広げられる。

祇園祭で燃える新町通りの宵山に、山鉾を中心に町会所として使われる町家を中心に巡る。

   

【放下鉾会所(小結棚町会所)】(ほうか)

新町通錦小路下ル小結棚町432

京都市指定文化財

小結棚町は祇園祭のとき、放下鉾を出す町である。町会所は新町通の東側、四条通と錦小路通のほぼ中間に所在する。

    

会所家は、表通りに面して、1階に町内の詰所、2階に見物席や囃子方の席を設ける。1階天井には、二階から直接渡るための廊下が収納されている。

鉾の道具を運び出すために、長大な木製の渡り廊下が仮設される。

    

会所:慶應3年(1867)再建 桁裄6.5m、梁間12.8m、2階建、桟瓦葺、土蔵:嘉永2年(1849)築造

1階には車輪や鉾の部材、2階には御神体や懸装品を収納する。

13日には山鉾建ては終わり曳き初めが行われる。懸装品は展示中で、山鉾への飾り付けはまだである。山鉾へ登る桟橋が準備されている。

   

「曳き初め」に多くの人が集まってくる。

    

「曳き初め」、山鉾が大揺れし、電柱やビル壁に当らないように舵取りするのが腕の見せ所。

    

女性を含めた多くの人々、特に子ども達が参加した。鉾頭のユレにヒャ−とした歓声を上げながら引張った。

     

15日の町中

山鉾横にある玄関よりより会所の中へ入る。

    

会所の二階へ上がる。懸装品が展示されている。 17日の巡礼の際には、殆ど全部が鉾に取り付けられる。

       

山鉾の中へ入る。沢山の装飾品が手に取るように見える。天井幕も豪華である。

       

山鉾から見た鉾廻りや新町通り

       

粽売りも忙しい!

   

17日巡行

「放下」とは禅の言葉で(ほうげ)と読み、無心の境地となって執着しないことをいう。

この鉾が創建された当時は、曲芸をして仏法を説く放下僧が人気を博していたとされる。

鉾頭の日・月・星の三光が下界を照らし、その形が洲浜に似ていることから、別名「洲浜鉾」と呼ばれる。かつては生稚児が乗っていた。

胴懸はインド製の中東蓮花葉紋絨毯で復元新調。見送は皆川泰蔵作、紺色ろうけつ染の[バグダット]モスクを背景に、大きく羽を広げたフクロウ。

     

【南観音山会所】

新町通錦小路上ル百足屋町388の1

 

百足屋町は、古くから京都の商業の中心地として、また、祇園祭に南観音山を立てる山鉾町として、京都の伝統と文化を担ってきた。

伝統的京町家が軒を並べるこの界隈も多くの町家が取り壊され、町並の崩壊が進み、マンションへの建て替えが計画されていた場所であった。

しかし住民の反対運動と建築主の交代で伝統的町並景観を再生する方向が取られ、京町家の代表的形態である表屋造形式を採用した商業的建築物が建てられることになり、その代表が「くろちく百千足館」である。

当建築は伝統的町並の保存・再生の新たな試みとして注目されている。

表屋:木造一部RC造、母屋及び土蔵:S造一部RC造5階

    

この界隈の再生町家の並び

        

山鉾・南観音山の町会所の一階は(株)おたべのお店。(ここで販売されるアイスキャンデーは、祇園祭の風物詩として人気がある)

     

会所の奥には山の部材や、装飾品、本尊が収納されている土蔵があり、祭期間中は渡り廊下が敷設される。奥行きは長い。

    

山鉾建ても終えた13日の午前中は、準備を終えた曳き初めが行われた。

13日の町中の様子、曳き初め目当ての人が多い。

     

会所2階の展示。祀られる楊柳観音と善財童子。祭りの期間中、粽や餅などが供えられ、神式のお祓い、仏式の読経が行われる。

       

会所2階から山鉾へ登れる。

    

山鉾の中から見た新町通り

    

普段とは様変りの町並み

          

町家の風情、屏風祭・・「おたべ」のお隣の町家

      

17日巡行

山鉾巡行のしんがりを務める曳山で、楊柳(ようりゅう)観音と脇侍の善財童子を祀る。前懸はメダリオン中東蓮華紋のペルシャ製絨毯。

   

四隅の房掛は、梅・菊・蘭・竹の四君子を深彫した木製の薬玉。

この下にダイナミックな金糸組紐を下げている。龍紋の天水引、最後の見送は、新調された加山又造による[龍王渡海図」。

龍王の目には宝石が光る。柳の大枝は南北両観音山の目印。

   

【北観音山会所】

新町通六角下ル六角町358−1

江戸時代から現在も、この界隈は呉服・和装関連商品の問屋、商社が多い。

町内に三井家や伊藤家などの豪商が住んでいたため、豪華な懸装品が多い。

町会所は木造二階建の町家である。土蔵の二階に懸装品が保管されている。土蔵は三井本家の米蔵であったものを使用している。

     

会所1階には、鏡を抱えた楊柳観音座像(中央)と脇侍の韋駄天立像が安置され、お参りが出来る。

   

13日午前中には山鉾建ても終わり、「曳き初(ぞ)め」の準備中だった。お目当てが[曳き初め]の人出が時間を追って増える。

    

13日 曳き初め

三日ほどかけて組み上げた山鉾を、囃子方や音頭取りらも乗り込んで、本番さながら試し曳きする行事である。

   

保存会世話役の人たちも一緒に歩く。この時だけは、女性も飛び入りで曳綱を握ることができる。近所の子どもも勇んで綱を握る。

            

会所2階から山鉾へ登る桟橋がつながれる。取り外しが簡単に出来る造りである。

   

この伝統ある町内には、有力な町家があり、各家が趣向を凝らして祭りを盛り上げている。

京都生活工藝館・無名舎 (財)祇園祭山鉾連合会、理事長吉田当主宅 インド更紗交流展示

南観音山・旧前懸 障屏山水文様インド更紗(18世紀前半)と北観音山・旧後懸 八ツ星メダリオンインド絨毯・他

       

無名舎・夏の装い

         

無名舎・吉田邸と藤井紋さんとはお隣同士である。両家の境目に注目

  

風情ある光景を盛り上げるのが藤井紋さんの屏風祭。

普段は閉めたままの窓もオープン。窓越しにお飾りを見る。室内からは冷気が外に向かって噴出しており、その心遣いがうれしい!

    

外から覗かせてもらっただけだが、豪華な屏風がずらりと並んだ様はなかなか壮観。

豪華絢爛な狩野派の金屏風「四季の図」と北観音山のミニチュアに、しばしうっとりである。

     

17日 巡行

     

天水引は豪快な青龍一匹の刺繍。全唐革の縁取りに特長がある、下水引は、唐人物の王侯行列風俗の豪華な刺繍。見送の[鳳凰宝散額唐子嬉遊図]は17世紀の中国・明末清初の綴錦。右下に下げられた柳の木枝は楊柳観音のシンボル。

【八幡山会所】

新町通三条上ル 

紫織庵のすぐ前に山が建てられる。

   

「紫織庵」は今年も屏風展を開催されている。二階には「鉾見台」が設けられ、目の前で山鉾が見れる。

     

保存蔵のある路地に会所がつくられる。会所は1階で、日常お参りが出来る八幡宮が安置されている。

       

会所には、宵山の期間山を飾る他、町会所にて御神体、懸装品、所蔵品などを展示している。

「八幡山保存会HP引用」

        

石清水八幡宮を勧請した町内の八幡様を祀る山。鳥居の上には左甚五郎作と伝わる鳩が二羽向き合い夫婦円満のしるしとされる。

  

17日巡行

八幡宮を山の上に勧請して巡行する。純金箔を貼った豪華な小祠は、天明年間(1781〜89)の製作と伝わる。

前懸は慶寿群仙図で元禄3年(1690)に寄進されたものを昭和62年に復元新調したもの。見送は[婦女嬉遊図]、17世紀中国、明代の綴織である。

   

≪参考≫

町会所について

町会所は 山鉾町の共有財産である。 四条通りなどではビルの一階、二階が町会所となっているが祇園祭りの魅力は大通りから少し入った所にある町会所である。

 

烏丸通りの西側、四条通の北側には古い様式の町会所がまだ残っている。

古い町会所には、小さな町内というコミュニティーの数百年の歴史が残り興味深いものがある。

古い様式を遺しているものは霰天神山、月鉾、保昌山、占出山、山伏山、北観音山、南観音山、孟宗山 郭巨山 鈴鹿山 八幡山、橋弁慶山、役行者山、放下鉾、鯉山などがある。 

町会所は神事を行い祭のため準備する作業場、会議室、休憩室の役割を持っている。また夜は祇園囃子の練習所にもなっている。

豊臣秀吉が、町屋の間口の幅で税金をかけたので俗にいう「うなぎの寝床」のように奥は長い。

町会所は 懸装品、町有の美術工芸品を展示する。 

町会所は無料で自由に入れるところもあるが護符(お守り)、粽(ちまき)、町内の神仏に関連するグッズを買えば入れる。 

(北観音山HPより)


July 2012 中山辰夫

例年、7月17日は祇園祭・山鉾巡行が行われる。

今年は連続して35℃を越える大変な猛暑日であったが、スケジュール通り無事終わったようである。

御池通りに設けられた有料観覧席(15,000席)から、全体を写した報告である。

祇園祭ポスター

   

山鉾の位置と巡行順

  

有料観覧席(御池通)

今日は平日のためか、観覧の客は年配者が大半である。しかもツアー組が多く見かけられた。(10時半前後)

幸い、最前列に席が確保できた。炎天下であるが日傘の使用はダメである。

    

17日の朝、懸装品を飾った山鉾が四条烏丸に集結する。午前9時、長刀鉾を先頭に巡行がスタートする。

注連縄切り「引用」

四条麩屋町に渡された注連縄を太刀で切る巡行のハイライト。

稚児の重要な務めである。無事終わると周りから大きな歓声と拍手が沸きあがる。

 

くじ改め「引用」

山鉾巡行で最も重要な儀式である『くじ改め』が古式にのっとり荘重に行われる。

四条堺町の関所で、大紋烏帽子に差袴帯刀で構える奉行役の京都市長に、クジの入った文箱を持った各山鉾

の町行司が、扇子を使って結び紐を解き、蓋を開けクジ札を差し出す。奉行がクジ札を取り出し順番を読み

あげて誤りの無いことを確認すると、町行司が後ずさりし、山鉾へ向き直り扇子で招くと各山鉾は関所を超

えて東行して行く。今年の町行司には小学生(高学年)も務めた。

          

各辻毎での「辻回し」など、行事をこなしながら、山鉾は市役所前に至る。

お池の観覧席。大変な暑さである。10:30から13:30まで約三時間の格闘が始まった。

  

長刀鉾(なぎなたほこ)

所在:四条通東洞院東入る。

毎年巡行の先頭を行き、生稚児を乗せる唯一の鉾。鉾の舞台で披露される稚児舞と、四条麩屋町での注連縄

切りが見もの。鉾先に付けた疫病邪悪をはらう鉾頭の大刀は御所と神社を避けて南を向く。

       

今年のお稚児さんは小学校4年生、二人の補佐役が大役を支える。心配なお母さんが同道する。

  

郭巨山(かっきょやま)

所在:四条通西洞院東入

中国史話「二十四孝」の一つ、郭巨が黄金の釜を掘り当て、母に孝養を尽くしたという故事による。

ちまきには金運招福の小判がつく。欄縁(らんふち)下の乳隠しと日覆障子の屋根が特徴。

        

霰天神山(あられてんじんやま)

所在:錦小路通室町西入)

永正年間の大火の際、霰が降り猛火は消えた。そのとき天神様を祀ったのが起こりである。火除けのお守り授与。

近年、前掛の毛綴織(つづれおり)『イーリアス』トロイア戦争物語(部分)と後掛「紅地雲龍宝尽図」を新調した。

    

蟷螂山(とうろうやま)

所在:西洞院四条上ル

カマキリと御所車の車輪がうごくなど山鉾として唯一のからくりが施されている。

仕掛けで動くカマキリは愛嬌たっぷり。首をかしげて手斧を振り、羽根を広げる姿は巡行の大スター。1864年から

117年間は巡行されていなかった。

        

観覧風景

     

函谷鉾(かんこほこ)

所在:四条通烏丸西入)

函古関と呼ばれる関所を鶏の鳴き声を真似て突破した故事から、鉾頭に函谷関から見た明け方の山稜と

三日月を掲げる。生稚児に代わり人形稚児を乗せた最初の鉾。

          

油天神山(あぶらてんじんやま)

所在:油小路通綾小路下ル

風早家に祀られていた菅原道真公の天神像がご神体で、町名の由来ともなった。油小路通にある朱塗り

の社殿に天神像が安置されている。

       

綾傘山(あやかさやま)

所在:綾小路通室町西入ル

山鉾の古い形態を残す二つの大きな傘の形をした風流鉾が特長。鬼形は太鼓に合わせて棒を振り回す「棒

振り囃子」を披露。金烏帽子をかぶった6人の稚児も行列に参加する。

         

占出山(うらでやま)

所在:錦小路通室町東入ル

神功皇后が、鮎を釣って戦勝の兆しとした故事。前懸と胴懸は日本三景を描いた逸品。

身重の神功皇后をご神体とすることから、安産のお守りと腹帯が授与される。

安産のお礼に奉納された衣装に名品が多く、「占出さんは衣装モチ」と評判。

       

月鉾(つきほこ)

所在:四条通室町西入ル

「動く美術館」とも称され、重量・高さ共に全山鉾一である。鉾頭に新月をつけ、「天王座」には月読尊を祀る。

前懸は17世紀インド製の優品。軒桁、四本柱などの飾金具はいずれも見事なものばかり。

            

孟宗山(もうそうやま)

所在:烏丸通四条上ル

病身の母のために、雪の中から母の欲しがる筍を掘り当て、喜々として持ち帰る孟宗の姿を表わす。

近年、胴懸綴織「砂漠らくだ行(日)(月)」(原画 大山郁夫を新調した。

       

太子山(たいしやま)

所在:油小路通仏光寺下ル

ご神体は16歳の白装束姿の聖徳太子像。四天王寺の建立に関わった杣入りの逸話から、真木には松

に代わってスギを使用する唯一の山。総金地インド刺繍の胴懸と細工の秀麗な錺(かざり)金具が見事。

      

木賊山(とくさやま)

所在:仏光寺通西洞院西入ル

世阿弥の謡曲「木賊」より採題。ご神体の翁は、わが子と生き別れた悲しみのうちに木賊を刈る。そのもの悲しい

姿は桃山時代の名品といわれる。金具にあしらわれた蝙蝠(こうもり)がユニーク。

      

菊水鉾(きくすいほこ)

所在:室町通四条上ル

鉾名は菊の露を飲み長寿を保った枕慈童の故事に由来。町中にあった菊水井戸にちなんで名付けられた。

丸みを帯びた唐破風の屋根はこの鉾のみ。鉾頭には金色の菊花をつける。昭和の鉾としての偉容を放つ。

             

伯牙山(はくがやま)

所在;綾小路通新町西入ル

中国の琴の名手、伯牙が大切な理解者を失い、悲しみから絃を断ち切ろうとする姿を表わす。

水引、胴懸、見送りなどの図柄はすべて中国風で統一されている、

         

四条傘鉾

所在地:四条通西洞院西入ル

歴史は古く、始まりは応仁の乱以前に遡る。赤幣と若松を載せた傘そのものがご神体。

色鮮やかな衣装をまとった地域の小学生たちが踊り方として巡行に参加、

        

芦刈山(あしかりやま)

所在地:綾小路西洞院西入ル

妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁がやがて妻と再会を果たす夫婦和合の姿を表わす。

ご神体の古衣装が天正銘の小袖で国重要文化財指定である。

      

鶏鉾(にわとりほこ)

所在地:室町通四条下ル

尭(ぎょう)の時代、訴訟に用いる太鼓は苔むし、鶏が巣をつくるほど天下泰平の世が続いたという故事

にちなむ。稚児人形は鶏の王冠を戴く。16世紀ベルギー製の見送りは国重要文化財

            

白楽天山(はくらくてんやま)

所在地:室町通綾小路下ル

唐の詩人、白楽天と道林禅師が仏法の大意を巡り問答する姿を再現。

見ものは各国の織物で、前掛は16世紀ベルギー製、見送は18世紀フランス製のゴブラ織り。

      

山伏山(やまふすやま)

所在地:室町通蛸薬師下ル)

ご神体の浄蔵貴所は山伏とよばれる修験僧のお姿。傾いていた八坂の塔を祈祷で元に戻すほどの法力を

もっていたという。清祓いと祈祷がともに行われる神仏一体の山

      

保昌山(ほうしょうやま)

所在地:東洞院通松原上ル

後に妻となる和泉式部のために、紫宸殿に忍び入り紅梅を手に入れようと危険を冒す武将平井保昌の姿

を表わす。ご神体(人形)は緋縅の鎧に太刀を付け、梨地蒔絵の台に紅梅を一杯持ってこれに捧げている。

町内で出される縁結びのお守りが人気。

         

放下鉾(ほうかほこ)

所在地:新町通四条上ル

町角で芸を披露しながら仏法を説く「放下僧」を祭る。三人の人形方によって滑らかな稚児舞を披露する。

日、月、星三光が下界を照らす形をしている。

          

岩戸山(いわとやま)

所在地:新町通仏光寺下ル

天照大神の岩戸隠れの神話で、天照大神、手力雄尊など三体のご神体を祀るが、伊弊諾尊は屋根上に安置

している。鉾とおなじく祇園囃子を奏する曳山である。

          

船鉾(ふねほこ)

所在地:新町通綾小路下ル

鉾全体を船の形にしている。舳先には金色の鷁(げき)、船尾には螺鈿細工の舵を飾る。鉾の上には神功皇后

と三神像を祀る。安産のお守り授与。

             

これより後祭の巡行列

橋弁慶山(はしべんけいやま)

所在地:蛸薬師通室町東入ル

弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う姿を表わしている。これら人形は永禄6年(1563)の古い銘があり貴重である。

          

北観音山(きたかんのんやま)

所在地:新町通六角下ル

揚柳観音像と韋駄天像を安置する曳山。見送の紅地百子喜遊図は17世紀中国明朝の優品。飾金具はいずれも豪華

          

鈴鹿山(すずかやま)

所在地:烏丸通三条上ル

伊勢の国鈴鹿山で、人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現を女人の姿で表わしている。胴懸は18世紀中国清朝のもの。

真松には山鉾で唯一絵馬が付けられ、盗難除けの護符として珍重される。

       

浄妙山(じょうみょうやま)

所在地:六角通烏丸西入ル

平家物語の宇治橋合戦がテーマ。三井寺の僧兵筒井浄妙の頭上を一来法師が飛び越えて先陣争いをする瞬間を再現。

自然木でつくった人形2体組で表現されている。橋桁に刺さった矢まで生々しい。鎧は国重要文化財である。

        

黒主山(くろぬしやま)

所在地:室町通三条下ル

謡曲「志賀」にちなむ。大伴黒主が大きく反って桜の花をながめている姿を表わす。ちまきに桜を添え、欄縁の

錺金具には桜、椿、モミジ、菊が彫られるなど、装飾品は花との縁が深い。

          

南観音山(みなみかんのんやま)

所在地:新町通錦小路上ル

山鉾巡行のしんがりを務める曳山で、揚柳観音と脇侍の善財童子を祀る。柳枝を付ける。前懸はメダリオン中東

蓮華紋のペルシャ製絨毯。天水引は、玄武・朱雀・白虎・青龍を盛上刺繍で描いた復元新調品。下水引は加山又造

の下絵による「飛天奏楽図」

      

鯉山(こいやま)

所在地:室町通六角下ル

中国の龍門の滝を登ったコイは、龍になるという中国の「登龍門」に基づいた山で、激流を飛沫を上げて登る

鯉の木彫が、朱塗りの鳥居越しに見える。

前懸・胴懸・水引・見送等は16世紀の毛織で国重要文化財である。

         

八幡山(はちまんやま)

所在地:新町通三条下ル

町内に祀られていた八幡宮を山の上に勧請したもので、常には町会所の庭にお宮を祀っている。

山の上の小祠は総金箔の美麗なもので天明年間(1781〜88)の製作とされる。

    

役行者山(えんのぎょうじゃやま)

所在地:室町通三条上ル

山のご神体(人形)として役行者と一言主神と葛城神の三体を安置し、この組合せは、役行者が一言主神を

使って葛城と大峰の間に、橋をかけたという伝承を想起させる。

           

大船鉾

所在地:新町通四条下ル

神功皇后が凱旋した船に由来する舟形の鉾。幕末に焼失し休み鉾だったが、現在2014年に鉾での巡行復帰を目指す。

今年は142年ぶりにご神面を納めた唐櫃(からひつ)で巡行に参加。

      



July 2011 大野木康夫

2011年の祇園祭

祇園祭は、貞観11(863)年に、相次いで起こった震災、噴火、飢饉などの悪疫を鎮めるため、66箇国に応じた66本の鉾を神泉苑に立て、祇園社から神輿を出して牛頭天王を祀ったのが始まりとされています。

その中には貞観11年に陸奥国で起こった大震災も含まれていることもあり、今年は「復興と鎮魂」をテーマとする「仙台七夕まつり」に長刀鉾の日和神楽と綾傘鉾が参加し、京都から応援ツアーを組んで復興を支援するということになっています。

祇園祭は、7月1日から、各町内で祭りの無事を祈願する「吉符入り」が行われ、囃子の稽古が始まります。

その後、色々な行事が行われ、神輿洗、山鉾建てなどを経て、14日から宵山に入ります。


7月15日 宵々山 source movie

正式には16日が宵山ですが、近年は14日から行われます。

四条通や烏丸通が歩行者天国となるのはこの3日間の午後6時から11時までです。

仕事が終わり、長刀鉾のところに行ったらちょうど6時で歩行者天国が始まりました。

      

四条通を西に向かい、烏丸通を渡ると、北側に函谷鉾、南側に月鉾が見え、お囃子が聞こえてきます。

たくさんの人ですが、まだスムーズに歩くことができます。

      

室町通を北に向かいます。

一応、四条通から蛸薬師通までは北向きの一方通行になっています。

曲がってすぐに菊水鉾があります。

   

錦小路を少し東に入れば、占出山があります。

安産の神として祀られる神功皇后が御神体なので、安産のお守りを売っています。

     

室町通に戻ると山伏山があります。

    

蛸薬師通を東に入ると橋弁慶山です。

     

再び室町通に戻ると、鯉山です。

鯉山の胴掛、水引、見送は16世紀にベルギーで製作された毛織のカーペットで、重要文化財です。

       

六角通を東に入ると浄妙山です。

宇治川の橋合戦の際に高倉宮方で奮戦した園城寺の浄妙坊と一来法師の人形が飾られていますが、巡行当日の山飾りは、浄妙坊の頭を一来法師が飛び越える瞬間を表した躍動的なものになります。

    

また室町通に戻ると、黒主山です。

もともと24日の後の祭に巡行した山で、後の祭の本来の巡行経路である三条通に向けて北向きに建てられています。

    

室町で一番北にある役行者山です。

    

隣の新町通も北行き一方通行なので、烏丸通に回ります。

烏丸通に出たところに鈴鹿山があります。

     

だいぶ人が増えてきました。

烏丸通を下がり、錦小路を越えると孟宗山があります。

会所(笋町会所(たかんなちょうかいしょ))は京都市指定文化財です。

    

四条通から南はすごい人波で、まともに歩けなくなってきました。

綾小路通から東洞院通に入り、高辻通を下ったら保昌山があります。

保昌山の町会所(燈籠町会所)は京都市指定文化財です。

     

高辻通を西に向かい、室町通を上がります。

仏光寺通を過ぎれば白楽天山ですが、南行き一方通行だったので、新町通に向かいました。

 

新町仏光寺を下ったところに岩戸山があります。

山にも大型のものがありますが、屋根の上には必ず松の木が乗っています。

  

新町通を上がりますが、人が多くなかなか進むことができません。

ようやく船鉾に着きました。

西側の家は長江家住宅(京都市指定文化財)です。

        

綾小路を西に入ると伯牙山です。

町会所は杉本家住宅(重要文化財)です。

主屋では屏風飾りをされていますが、有料で、撮影禁止です。

会所部分はほんの一部分ですが、無料で、撮影可能です。

        

杉本家住宅の西側の細路地では、少し行燈を置くなど、風情のある取組をされています。

   

四条通に出ると、すぐ西に郭巨山があります。

山の近くに、公開町家である「四条京町家」があります。

             

西に向かうと、四条傘鉾があります。

  

油小路通を下ると、小さな山が点在しています。

綾小路油小路を東に入れば芦刈山があります。

   

綾小路通から下ると油天神山があります。

子どもがいろんなグッズを売っています。

    

仏光寺通から下ると太子山があり、子どもが唄を歌ってお守りを売っています。

太子山の会所は秦家住宅(京都市指定文化財)です。

           

油小路仏光寺を東に入ると木賊山です。

   

西洞院通を上がります。

西洞院通には四条を上がったところの蟷螂山しか山鉾がありません。

   

四条を東に戻っていたら、四条傘鉾の棒振り踊りをやっていました。

すごい人だかりで、あまりよく見えませんでした。

   

四条通の郭巨山会所

 

月鉾は11トンと、山鉾の中で一番重いそうです。

    

四条から室町通を下がります。

正面に鶏鉾が見えます。

   

先ほど近づけなかった白楽天山です。

    

人がすごく多くなってきて、思うように進めなくなってきました。

綾小路通を西に入れば綾傘鉾です。

会所は福知山の大原神社の分社です。

      

綾小路新町から北に向かいますが、すごく混雑しており、なかなか進むことができません。

途中、禁門の変で焼けて以来休み山となっている、大船鉾の飾りがあります。

大船鉾は後の祭の最後を進んでいた鉾ですが、2年後の復活を目指して現在建造中で、近年囃子も復活しました。

大船鉾が復活したら、後の祭の巡行を復活しようという動きもあります。

   

四条を渡って新町を上がっていきます。

 

すぐに放下鉾が見えます。

会所(小結棚町会所)は京都市指定文化財です。

       

錦小路を越えると南観音山です。

このあたり、北向き一方通行のはずですが、多くの人が北から下ってきます。

南観音山、北観音山、八幡山は、後の祭の山なので、三条通に向かって北向きに建てられています。

       

沿道の町家の屏風飾り

   

北観音山

        

民家の屏風

  

八幡山

中学生の時、バスケットボール部の補欠だった私は、試合中ベンチで先生が買ってきた八幡山の破魔矢をずっと持っていました。

         

16日の宵山は土曜日なので、もっと人出が多くなりそうです。


7月17日 山鉾巡行 source movie

山鉾巡行は、かつては17日(前祭)と24日(後祭)の2回に分けて行われ、巡行ルートも異なっていましたが、昭和41(1966)年から交通規制の関係で17日の前祭の日に統一されました。

当日は、四条烏丸東の長刀鉾を先頭に9時から行われ、32基の山鉾が四条通、河原町通、御池通、新町通を経て各町内に戻ります。

新町御池の交差点で辻回し(鉾の方向転換)を見ることにしました。

長刀鉾が11時頃に到着する予定の新町御池に9時前に行きましたが、もう多くの人が場所取りをしていました。

新町通りは狭いので、信号をたたまないと鉾が通れません。

  

11時15分、ようやく長刀鉾がやってきました。

       

長刀鉾に乗っていた稚児と禿は、新町御池の手前で鉾から下り、男仕さんが担いで車に乗せて会所に帰ります。

空いたスペースには、囃子方が乗り込みます。

この間、後続の山鉾はじっと待機しています。

            

長刀鉾の辻回しです。大型の山鉾の車輪は4つで横には回らないため、回す方向に敷いた青竹の上を水を掛けながら滑らせて方向転換します。

これを辻回しといい、四条河原町、河原町御池、新町御池ではすべての大型の山鉾が辻回しを行います。

新町御池では、曲がって入っていく新町通が狭いので、慎重に行われるようです。

山鉾の全面に立つ人は「音頭取」と呼ばれ、通常は2人ですが、辻回しの際には4人になります。

山鉾の操作を担当するのは車方で、綱を引くのは曳子です。

                        

何度か作業を繰り返し、だいたい90度の方向転換ができると、音頭取は2人になり、車方が「かぶらでこ」と呼ばれる道具を使って方向を微調整しながら進みます。

祇園囃子も、四条通や河原町通を巡行する時のものから、「戻り囃子」と呼ばれる少し早いものに変わっています。

新町通は狭いので、大型の鉾になると、軒先ぎりぎりを進むことになります。

          

長刀鉾が新町御池を出発するまでおよそ30分かかりました。

待機していた小型の山(霰天神山、孟宗山、芦刈山)が続いて通って行きます。

小型の山もかつては舁山でしたが、近年は車輪を付けており、交差点だけは舁くことになっています。

           

次に辻回しをする函谷鉾がやってきました。

辻回しは時間がかかるので、準備をしている間に、後続の小型の山鉾(油天神山、保昌山)が先に通って行きます。

              

函谷鉾の辻回しです。

長刀鉾以外の鉾の稚児は、稚児人形になっています。

                                             

後続の四条傘鉾が通ります。

傘鉾も鉾なので、囃子方と棒振り踊りの子どもたちが随行しています。

新町御池では踊りの披露はありません。

        

11トンと山鉾の中で最も重い月鉾がやってきました。

辻回しに使う水は、消火栓から消防車で汲み上げ、桶に入れて消防士が管理しています。

        

やはり、小型の山(太子山、占出山、木賊山)が脇を通過していきます。

通過する際には必ず、責任者の方同士が挨拶をされています。

           

月鉾の辻回しです。

辻回しの途中に伯牙山が脇を通過しました。

辻回しが終わると、囃子がすごく速いものに変わり、新町通に入って行きました。

                    

鶏鉾はすでに待機していましたが、後続の小型の山鉾(綾傘鉾、郭巨山)が先に行きます。

                  

鶏鉾が新町御池に進みます。

後続の菊水鉾も見えます。

       

鶏鉾の辻回しです。

                                

菊水鉾が進んできました。

音頭取が浴衣に扇子ではなく、烏帽子袴に紅葉団扇です。

        

白楽天山、山伏山、蟷螂山が脇を通って行きます。

        

菊水鉾の辻回しです。

追加の音頭取りは法被姿です。

後続の放下鉾が待機しています。

                

待機している放下鉾は、四条新町上るが町内で、先に新町に入ると通りをふさいでしまうため、後続の岩戸山(新町仏光寺下る)と船鉾(新町綾小路下る)が先に行くようです。

               

岩戸山の辻回しです。

他の山鉾は青竹を専用の荷車で運んでいますが、岩戸山は山の下に収納しています。

                 

船鉾の辻回しです。

船鉾は船型で縦に長いので、慎重に微調整をして新町通に入っていきます。

                  

放下鉾の待機は続いていますが、後の祭の巡行列やってきました。

本来の巡行ルートとは違ったコースをたどるので、先頭の北観音山は、一番最後に辻回しをします。

先に橋弁慶山、八幡山、鯉山、役行者山、鈴鹿山と新町通に入っていきます。

黒主山、浄妙山は待機して放下鉾の辻回しを待ちます。

                   

放下鉾の辻回しです。

            

黒主山、浄妙山と続きます。

         

籤取らずでしんがりの南観音山ですが、北観音山の南側に帰るため、先に新町御池にやってきます。

           

南観音山の辻回しです。

          

一番最後、北観音山の辻回しです。

外国人の方が車方を務めています。

                                  

北観音山が新町通に入ったのが14時10分、11時15分に長刀鉾が来てから、実に2時間55分が経っていました。

新町御池の辻回しは、他の場所よりも比較的すいており、新町通が狭い分、近くで見ることができます。

御池通の風通しがいいので比較的涼しいこともあり、おすすめですが、傘鉾の棒振り踊りが披露されないことや、他の交差点のように一回で辻回しを決めるようなことがないということがあります。

実際にどこで巡行を見られるかは、御自分でよくご検討ください。


7月24日 花傘巡行 source movie

かつて後の祭が行われていた7月24日に、花傘巡行が行われます。

巡行する花傘は10基ほどで、約千人が参加する行列になります。

行列は10時に八坂神社を出発し、四条通、河原町通、寺町通から四条通を経て12時に八坂神社に帰り、神社の舞台で芸能や舞踊が奉納されます。

巡行開始前の石段下の風景です。

参加する子ども神輿の子どもや花傘娘が神社に入っていきます。

                 

10時前に巡行が始まりました。

子ども神輿

           

花傘巡行旗、神饌列

           

祇園太鼓、獅子舞、幌武者、児武者

      

馬長稚児(うまおさちご)

     

八坂神社婦人会馬長

  

久世六斎

       

京都織物卸商業組合花傘、花傘娘

     

先斗町お茶屋組合歌舞伎踊

花街の踊り列は近辺4花街が交代で務めます。

    

祇園東お茶屋組合小町踊

   

祇園萬燈会鷺踊、萬燈踊

        

放下鉾祇園囃子

祇園囃子は交代で参加です。

   

行列は四条通を進みます。

 

帰り道、マンホールの蓋が京都市では一番古いタイプだったので、家の近くにある後継タイプと合わせて撮影しました。

   



July 17, 2010 瀧山幸伸 

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source movie

A camera

山鉾巡航

Yamahoko Junko

  

準備風景

                                                       

錦市場

      

山鉾巡航

                                          

神幸祭

                                                             

四条、三条、鴨川の風景

               

B camera

準備

                                                                                                                                  

山鉾巡航

                                                                                                                                                                                                                                                                                 

神幸祭

                                                                       

      



July 2006 瀧山幸伸

宵山 No.1

Yoiyama eve No.1 

July 2006  source movie

宵山 No.2

Yoiyama eve No.2

July 2006  source movie

宵山 No.3

Yoiyama eve No.3

July 2006  source movie

山鉾巡行 No.1

Yamahoko Junkou parade No.1

July 2006  source movie

山鉾巡行 No.2

Yamahoko Junkou parade No.2

July 2006  source movie

山鉾巡行 No.3

Yamahoko Junkou parade No.3

July 2006  source movie

山鉾巡行 No.4

Yamahoko Junkou parade No.4

July 2006  source movie

 

祇園祭の楽しみ方

 

鉾建て(21 長刀鉾)

Hokotate

  

宵山

Yoiyama

16 鈴鹿山

Suzukayama

       

     

7 役行者山

Ennogyoujayama

  

         

      

    

                    

12 黒主山

Kuronushiyama

        

  

 

32 山伏山

Yamabushiyama

      

10 菊水鉾

Kikusuihoko

      

    

18 月鉾

Tsukihoko

 

          

     

29 放下鉾

Houkahoko

 

        

  

  

30 南観音山

Minami Kannonyama

 

        

 

11 北観音山

Kita Kannnonyama

          

        

26 八幡山

Hachimanyama

 

  

  

御池 ホテル杉長

     

御池、三条通り付近

    

旧日本銀行京都支店 (京都文化博物館)

15 浄妙山

Jomyoyama

         

26 橋弁慶山

Hashibenkeiyama

 

        

6 占出山

Uradeyama

 

31 孟宗山

Mousouyama

 

          

21 長刀鉾

Naginatahoko

        

    

    

   

山鉾巡行

平成18年度山鉾巡行順

(平成18年7月2日 くじ取り式による) 太字はくじ取らず

一番 長刀鉾
二番 郭巨山
三番 霰天神山
四番 蟷螂山
五番 函谷鉾
六番 油天神山
七番 四条傘鉾
八番 占出山
九番 鶏鉾
十番 太子山
十一番 白楽天山
十二番 木賊山
十三番 月鉾
十四番 孟宗山
十五番 綾傘鉾
十六番 山伏山
十七番 菊水鉾
十八番 伯牙山
十九番 芦刈山
二十番 保昌山
二十一番 放下鉾
二十二番 岩戸山
二十三番 船鉾
二十四番 北観音山
二十五番 橋弁慶山
二十六番 黒主山
二十七番 八幡山
二十八番 浄妙山
二十九番 鈴鹿山
三十番 鯉山
三十一番 役行者山
三十二番 南観音山

長刀鉾

 

     

郭巨山

 

  

霰天神山

 

 

蟷螂山

 

 

函谷鉾

 

 

油天神山

 

  

四条傘鉾

 

 

占出山

 

 

鶏鉾

 

    

太子山

 

 

白楽天山

 

  

木賊山

 

  

月鉾

 

   

孟宗山

 

  

綾傘鉾

 

   

山伏山

 

  

菊水鉾

 

   

伯牙山

 

  

芦刈山

 

 

保昌山

 

    

放下鉾

 

   

岩戸山

 

   

船鉾

 

     

北観音山

 

    

橋弁慶山

 

 

黒主山

 

  

八幡山

 

 

浄妙山

 

  

鈴鹿山

 

  

鯉山

 

  

役行者山

 

  

南観音山

 

   

百足屋付近の解体風景

 

  

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