京都 祇園祭り
Kyoto Gion Matsuri
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京都の町家
中京区山鉾町めぐり−1
孟宗山〜占出山〜橋弁慶山〜浄妙山〜鈴鹿山
烏丸通りを上ル。夏の整いが見られる。
【孟宗山会所】(笋町会所)
烏丸通四条上ル笋町686
市指定文化財
町会所は、烏丸通りに面して建つ、市指定文化財の町家である。
間口は狭いが奥行きのある京都特有の構造。
南側の路地を入った北側に会所家と地蔵堂、西側に土蔵がある。庭には孟宗山に因んだ竹が植えつけられる
会所開きは14日
南側の路地を入った北側に会所家と地蔵堂、西側に土蔵がある。会所家はお飾り場で釣床には御神体が安置される。
室境上には竹をあしらった数奇屋風の欄間とし、西と南の開口部の上は格子欄間としている。地蔵堂は、前面に向拝を設ける。
懸魚木鼻の彫刻は小さいながらも良くまとまっている。廻りはビルに囲まれているが、それを感じさせない奥行である。
17日巡行
中国に史話から、病身の母のために、雪の中から奇跡的に掘り当てた筍を喜々として持ち帰る孟宗の姿をあらわす。
欄縁の彫金群鳥図は幸野楳嶺(1844〜95)の下絵、胴懸は平山郁夫筆、見送は日本画家竹内栖鳳が喜寿の折に描いた墨絵の竹林図。
【占出山会所】(うらで)
錦小路通室町東入ル
15日は朝から人出も多くなってきた。
「此附近木下順庵邸跡」と刻まれた石標の立つ入口から奥の会所に向かう。町屋の会所は広々としており余裕がある。
町屋奥には、平屋と土蔵がある「奥棟形式会所」であり旧い会所の姿を残している。
会所通路には、三十六歌仙図や日本三景の前懸・胴懸、さらに国宝の三条小鍛治宗近作の大刀などが展示される。
17日巡行
神功皇后がアユを釣り、戦勝の兆しを得たという故事に由来する。
御神体は烏帽子帽子を被かぶり右手に釣り竿左手に吊り上げた鮎を持つ。見送は西陣の名工・林瀬平が寛政6年(1794)に織りあげた。
巡行は復元新調品使用。安産のお守りと腹帯が授与される。
安産のお礼に奉納される衣装が多く、「占出さんは衣装持ち」と評判。
【橋弁慶山会所】
蛸薬師烏丸西入ル橋弁慶町
会所は町家を使っており、この通り一帯は、ビルと町家風商店が交互に並ぶ感じである。
町家は、1階で展示を、2階は注連縄をはって2体人形が置かれる。2階には上がれない。
15日の午前中には山も出来上がり、1・2階の準備も出来つつある。
17日巡行
山鉾は弁慶と牛若丸が五条橋の上で戦う姿を表わす。
黒塗りの橋上を舞台に弁慶は鎧姿に長刀、牛若丸は擬宝珠の上に立って刀を構える。
2体の人形は永禄6年(1563)大仏師・康運作と銘がある。
胴懸の「加茂葵祭行列図」は、円山応挙の下絵によるものと伝えられ、葵祭りの様子が描かれている。
今年は140年振りに後祭の先頭で巡行。
【浄妙山会所】
六角通烏丸西入ル骨屋町154
今年、そのご神体や装飾品を展示する飾り席が、町内のマンション1階のロビーに開かれた。
戦後、会所を失った浄妙山は、近年は町内のビルで会所飾りを行っていた。しかし、ビルの倒産で一時は保存会の持ち回り宅で開かれていたが、今年からは跡地に建ったマンションのロビーを借りて開かれた。
マンションの新住民も祇園祭に参加し、これまで祭を守ってきた旧住民と一緒に祭を盛り上げる。
また、浄妙山の近くでは、松村家、伴市、木村屋で屏風飾りを見ることが出来る。
大店の町家が目立つ町内である。
ビル内での会所
15日には山や展示の準備が終わっていた。
会所飾りには、宇治橋合戦の屏風を背景にした2体の人形と、矢が突き刺さった橋の欄干、宇治川の急流を彫った縁が並ぶ。
浄妙山の近くでは、松村家、伴市、木村屋で屏風飾りを見ることが出来る。
17日巡行
「平家物語」の宇治橋合戦をテーマにする。三井寺の僧兵、筒井浄妙の頭上を一来法師が飛び越えて先陣争いをする瞬間を再現している。橋げたに突き刺さる矢まで生々しい。胴懸は長谷川等伯の原画を基にした「柳橋水車図」
【鈴鹿山会所】
烏丸通三条上ル場之町
町家で独立している。奥行きが長い。
山は烏丸通りに面して立てられる。15日午前は準備中である。
会所の中での水引や見送の展示は遅くなってから始まる。
牛頭天王が祀られている。天王は疫病の神様で、祇園祭は「天然痘除け」のお祭りであったことの名残である。
黒漆塗りの欄縁は、正面で大きく切り込まれている。表面の金具は山鹿清華の下絵による四季花鳥紋である。
17日巡行
鈴鹿権現「瀬織津姫」を御神体とする。伊勢国鈴鹿山で往来の人々を苦しめた鬼を退治する。金烏帽子は能面、太刀姿のモデルは、巴御前といわれる。前懸は、近年新調された2頭のラクダの絵柄「黄砂の道」。見送は皆川月華の下絵による「ハワイの蘭花図」
真松に山鉾で唯一絵馬がつけられ、盗難除けの護符として珍重される。
無事戻って来ました。すぐに解体です。組立式のため作業は早く進む。
≪参考≫
祇園祭の成り立ちと変遷
参考資料≪祇園祭、京都祇園祭、各所パンフレット、他≫
京都の町屋
中京区山鉾町めぐり−2
役行者山〜黒主山〜鯉山〜山伏山〜菊水鉾〜霰天神山
祭りを楽しむ
【役行者山会所】
室町通三条上ル役行者町
町会所は、築後150年は経過している専用の町家。さすがの建物である。
15日には山も出来上がり、会所の展覧も始まっていた。
会所は「うさぎの寝床」と表される通り、細い路地の奥で、かなりのスペースである。
豪華な懸装品で、山鉾に取り付けるものが多く展示されていた。
蔵の中には役行者・一言主神・葛城神の3体の御神体人形が祀られている。
「役行者の腰かけ石」脇においてある。触れると御利益があるとされる。
護摩焚き
16日の14時からは、室町の通りで、聖護院の山伏による護摩焚き供養が行われる。見ものである。
17日巡行
役行者が一言主神(ひとことぬしのかみ)を使って、葛城と大峰の間に橋を架けたという故事にちなむ。
見送は、中国製の2枚の龍図を向かい合わせて縫い、金襴で縁取ったもの。
巡行を終えた山鉾は、それぞれの会所へ戻り解体される。
姉小路から室町通の「カド」を廻る際に「辻廻し」が見られた。
解体
直ちに懸装品の取り外しを行い、胴組の解体は一休み(食後)した後に行われる。
室町通・新町通は山鉾が集中して建ち、祇園祭の期間は、普段とは全く異なった町風景が展開される。
【黒主山会所】
室町通三条下ル鳥帽子屋町497
マンション建築場所が、祇園鉾の保存場所であったため、エントランスを黒主山「お会所飾り」のスペースとすることになった。
山や会所飾り
お供の人たちの裃(かみしも)や袴、黒ずくめ。町内で山を囲む「埒(らち)」が黒塗りで新調された。
平安時代の「六歌仙」の一人・大伴黒主が桜を仰ぎ見る姿が御身体。
会所飾り 山に飾る懸装品が展示されている。
17日巡行
謡曲「志賀」にちなみ大伴黒主が桜の花をあおぎながめている姿を表わしている。御身体人形は寛政元年(1789)の銘を持つ。
前懸は五爪龍文様錦、胴懸は草花胡蝶模様の綴織、見送は牡丹鳳凰文様。人形着用の古衣装には、江戸時代初期在銘が残る貴重なもの。
粽に桜を添え、欄縁の金具に桜・椿・もみじ・菊が彫られるなど、装飾品は花との縁が深い。
町並の賑わいを日常と比べてみる。通り両側のお店や町家は趣向を凝らして祭りを盛り上げている。
永楽堂 「永楽通宝」のカンバンがある手拭屋や布製カバンの専門店。家宝を(美術品)を展示している。
與田屋弥兵衛(帯屋)さん 祝! 創業274年
【鯉山会所】
室町通六角下ル
会所は通りに面して建つ町家である。
15日には山も建ちあがっている。見物客も増える一方である。
会所へ入る長い列が出来る。ここの会所は人気があって毎年多くの人が訪れると聞く。
参道途中にある庭
会所は、祇園祭が始まると懸装品が飾られ、蝋燭を売る子どもたちの唄声が聴かれる場所で、まさに地域の生活習慣そのものが歴史文化となっている場所といえる。 繰広げられた豪華な懸装品は山に飾られる。
約1m半ある鯉の彫刻は、左甚五郎作といわれ会所では近くで見られる。立身出世を象徴する。
山蔵と祭壇
17日巡行
龍門の滝を登った鯉は、龍になるという中国の故事「登龍門」に基づいた山で、激流を飛沫を上げて登る鯉の木彫りが、鳥居越に見える。
見送はホメロスの叙事詩「イリアス」の一場面で、16世紀ベルギーで織られたもの。国重要文化財である。巡行は復元新調品を使用。
同じ町内のお店もタイアップして売上げアップ
【山伏山会所】
室町蛸薬師下ル山伏山町544
会所は通りに面する2階建ての町家である。
祇園祭になるとガラリと様相が変わる。この会所の「大茅の輪くぐり」が有名である。清祓いと祈祷がともに行われる神仏一体の山
山も人込みに埋まる感じである。
宵山の会所飾りは、間近で懸装品などを見る絶好の機会である。巡行で山を飾る数々の水引や織物が並ぶ。
会所の奥に大茅の輪くぐりと庭がある。
通りでの可愛い女の子たちの"厄除けちまき“売り
17日巡行
山に飾る御神体が(人形)が山伏の姿をしているのでこのように呼ばれる。
昔八坂の法勝寺の塔が傾いたとき法力によってそれを直したという浄蔵貴所の大峰入りの姿を表わしている。
胴懸は花卉胡蝶文様の刺繍。他の山では四隅のみの飾房が、周囲の水引や胴懸などにも下がっているのが特長
通りの賑わい
巡行を終え、会所前に戻ると解体が始まる。
【菊水鉾会所】
室町通四条上ル
会所はマンションの2階に設けられ、室町通りから会所へ上がれるように外階段が取り付けられる。
マンションは「大黒庵武野紹鴎邸跡」に建っており石碑が残る。会所では13日から16日の4日間御茶会が開催さ、行列が出来る。
山鉾は15日には出来上がっている。
会所のあるビルの場所は「菊水井」や、わび茶を利休に伝えた武野紹鴎ゆかりの土地で、表千家・裏千家・遠州流の3流派
の奉仕による茶会が行われる。唐破風の屋根が特長、極彩色の鳳凰、ランの花を球形にデザインした房掛などがみもの。
山車の部分
17日巡行
町内に古くからあった「菊水井」にちなんで名付けられた鉾で、鉾頭には金色の透かし彫の菊花をつけている。
蛤御門の変で焼失した後、88年ぶりの昭和27年(1952)再興を果たした。
稚児人形は、菊の露を飲んで長寿を保ったという中国の故事に因む、能「枕慈童」の姿である。
山鉾の解体
巡行が終わると、すぐに解体作業に取り掛かる。先ずは貴重な懸装品を取り外す。最長3日間かけて建てられた山鉾は次々と解かれる。釘1本も使わない、豪壮な「縄絡み」の様子が見えて満足であった。
【霞天神会所】(あられ)
中京区錦小路通室町西入ル
京都市登録有形文化財
町会所は町屋で、会所家と大日堂、土蔵からなる。会所家は明治19年(1886)頃の建物で「町席」と称する10畳の座敷に釣床を設け玄関には式台を備えて格式を整えている。土蔵は江戸時代後期の造営で中に天神祠を安置している。
日常の通り
会所の町家
山周辺
路地を入ったところで「屏風祭」を行っている。
「町会所」の「屏風祭」には、唐破風春日造の檜皮葺きの社殿が祀られます。
京都に大火があった時、霰(あられ)が降ってきて、猛火がおさまったとされる。この時、霰と一緒に降りてこられた天神様を「火除けの神様」として祀っている。天明や元治の大火の時もこの山だけは残ったとことから霊験あらたかとされる。
お飾り場 懸装品が並ぶ
前懸は16世紀ニベルギーで製作された「イーリアス物語」を描いた毛綴や中国刺繍の太湖岩鳳凰図もある。左右の胴懸は上村松篁・上村淳之親子の原画花鳥綴織。
17日巡行
山のなかでは唯一、真松の変わりに若松12本を社殿の両側に植え並べ、最前部に「天神」額を掲げた朱塗り鳥居を建て、朱塗り極彩色の廻廊をめぐらし、中央に唐破風春日造の神殿を安置する。紙垂(しで)付き榊を一対立てて、 大きな紅梅が飾られる。
≪参考≫
祇園祭の山と鉾 山鉾の構造
参考資料≪祇園祭、京都祇園祭、各所パンフレット、他≫
京都の町家
中京区山鉾町めぐり−3
放下鉾〜南観音山〜北観音山〜八幡山〜
祇園祭は町衆の力があって今日につながっている。従い町家とは切り離せない。町家は6月に入ると“夏の佇まい”を整える。
夏に涼を求める“ととのい”をする。これが、祇園祭の数日間はガラリと趣をかえる。まことに華やかな祭典が各町内で繰広げられる。
祇園祭で燃える新町通りの宵山に、山鉾を中心に町会所として使われる町家を中心に巡る。
【放下鉾会所(小結棚町会所)】(ほうか)
新町通錦小路下ル小結棚町432
京都市指定文化財
小結棚町は祇園祭のとき、放下鉾を出す町である。町会所は新町通の東側、四条通と錦小路通のほぼ中間に所在する。
会所家は、表通りに面して、1階に町内の詰所、2階に見物席や囃子方の席を設ける。1階天井には、二階から直接渡るための廊下が収納されている。
鉾の道具を運び出すために、長大な木製の渡り廊下が仮設される。
会所:慶應3年(1867)再建 桁裄6.5m、梁間12.8m、2階建、桟瓦葺、土蔵:嘉永2年(1849)築造
1階には車輪や鉾の部材、2階には御神体や懸装品を収納する。
13日には山鉾建ては終わり曳き初めが行われる。懸装品は展示中で、山鉾への飾り付けはまだである。山鉾へ登る桟橋が準備されている。
「曳き初め」に多くの人が集まってくる。
「曳き初め」、山鉾が大揺れし、電柱やビル壁に当らないように舵取りするのが腕の見せ所。
女性を含めた多くの人々、特に子ども達が参加した。鉾頭のユレにヒャ−とした歓声を上げながら引張った。
15日の町中
山鉾横にある玄関よりより会所の中へ入る。
会所の二階へ上がる。懸装品が展示されている。 17日の巡礼の際には、殆ど全部が鉾に取り付けられる。
山鉾の中へ入る。沢山の装飾品が手に取るように見える。天井幕も豪華である。
山鉾から見た鉾廻りや新町通り
粽売りも忙しい!
17日巡行
「放下」とは禅の言葉で(ほうげ)と読み、無心の境地となって執着しないことをいう。
この鉾が創建された当時は、曲芸をして仏法を説く放下僧が人気を博していたとされる。
鉾頭の日・月・星の三光が下界を照らし、その形が洲浜に似ていることから、別名「洲浜鉾」と呼ばれる。かつては生稚児が乗っていた。
胴懸はインド製の中東蓮花葉紋絨毯で復元新調。見送は皆川泰蔵作、紺色ろうけつ染の[バグダット]モスクを背景に、大きく羽を広げたフクロウ。
【南観音山会所】
新町通錦小路上ル百足屋町388の1
百足屋町は、古くから京都の商業の中心地として、また、祇園祭に南観音山を立てる山鉾町として、京都の伝統と文化を担ってきた。
伝統的京町家が軒を並べるこの界隈も多くの町家が取り壊され、町並の崩壊が進み、マンションへの建て替えが計画されていた場所であった。
しかし住民の反対運動と建築主の交代で伝統的町並景観を再生する方向が取られ、京町家の代表的形態である表屋造形式を採用した商業的建築物が建てられることになり、その代表が「くろちく百千足館」である。
当建築は伝統的町並の保存・再生の新たな試みとして注目されている。
表屋:木造一部RC造、母屋及び土蔵:S造一部RC造5階
この界隈の再生町家の並び
山鉾・南観音山の町会所の一階は(株)おたべのお店。(ここで販売されるアイスキャンデーは、祇園祭の風物詩として人気がある)
会所の奥には山の部材や、装飾品、本尊が収納されている土蔵があり、祭期間中は渡り廊下が敷設される。奥行きは長い。
山鉾建ても終えた13日の午前中は、準備を終えた曳き初めが行われた。
13日の町中の様子、曳き初め目当ての人が多い。
会所2階の展示。祀られる楊柳観音と善財童子。祭りの期間中、粽や餅などが供えられ、神式のお祓い、仏式の読経が行われる。
会所2階から山鉾へ登れる。
山鉾の中から見た新町通り
普段とは様変りの町並み
町家の風情、屏風祭・・「おたべ」のお隣の町家
17日巡行
山鉾巡行のしんがりを務める曳山で、楊柳(ようりゅう)観音と脇侍の善財童子を祀る。前懸はメダリオン中東蓮華紋のペルシャ製絨毯。
四隅の房掛は、梅・菊・蘭・竹の四君子を深彫した木製の薬玉。
この下にダイナミックな金糸組紐を下げている。龍紋の天水引、最後の見送は、新調された加山又造による[龍王渡海図」。
龍王の目には宝石が光る。柳の大枝は南北両観音山の目印。
【北観音山会所】
新町通六角下ル六角町358−1
江戸時代から現在も、この界隈は呉服・和装関連商品の問屋、商社が多い。
町内に三井家や伊藤家などの豪商が住んでいたため、豪華な懸装品が多い。
町会所は木造二階建の町家である。土蔵の二階に懸装品が保管されている。土蔵は三井本家の米蔵であったものを使用している。
会所1階には、鏡を抱えた楊柳観音座像(中央)と脇侍の韋駄天立像が安置され、お参りが出来る。
13日午前中には山鉾建ても終わり、「曳き初(ぞ)め」の準備中だった。お目当てが[曳き初め]の人出が時間を追って増える。
13日 曳き初め
三日ほどかけて組み上げた山鉾を、囃子方や音頭取りらも乗り込んで、本番さながら試し曳きする行事である。
保存会世話役の人たちも一緒に歩く。この時だけは、女性も飛び入りで曳綱を握ることができる。近所の子どもも勇んで綱を握る。
会所2階から山鉾へ登る桟橋がつながれる。取り外しが簡単に出来る造りである。
この伝統ある町内には、有力な町家があり、各家が趣向を凝らして祭りを盛り上げている。
京都生活工藝館・無名舎 (財)祇園祭山鉾連合会、理事長吉田当主宅 インド更紗交流展示
南観音山・旧前懸 障屏山水文様インド更紗(18世紀前半)と北観音山・旧後懸 八ツ星メダリオンインド絨毯・他
無名舎・夏の装い
無名舎・吉田邸と藤井紋さんとはお隣同士である。両家の境目に注目
風情ある光景を盛り上げるのが藤井紋さんの屏風祭。
普段は閉めたままの窓もオープン。窓越しにお飾りを見る。室内からは冷気が外に向かって噴出しており、その心遣いがうれしい!
外から覗かせてもらっただけだが、豪華な屏風がずらりと並んだ様はなかなか壮観。
豪華絢爛な狩野派の金屏風「四季の図」と北観音山のミニチュアに、しばしうっとりである。
17日 巡行
天水引は豪快な青龍一匹の刺繍。全唐革の縁取りに特長がある、下水引は、唐人物の王侯行列風俗の豪華な刺繍。見送の[鳳凰宝散額唐子嬉遊図]は17世紀の中国・明末清初の綴錦。右下に下げられた柳の木枝は楊柳観音のシンボル。
【八幡山会所】
新町通三条上ル
紫織庵のすぐ前に山が建てられる。
「紫織庵」は今年も屏風展を開催されている。二階には「鉾見台」が設けられ、目の前で山鉾が見れる。
保存蔵のある路地に会所がつくられる。会所は1階で、日常お参りが出来る八幡宮が安置されている。
会所には、宵山の期間山を飾る他、町会所にて御神体、懸装品、所蔵品などを展示している。
「八幡山保存会HP引用」
石清水八幡宮を勧請した町内の八幡様を祀る山。鳥居の上には左甚五郎作と伝わる鳩が二羽向き合い夫婦円満のしるしとされる。
17日巡行
八幡宮を山の上に勧請して巡行する。純金箔を貼った豪華な小祠は、天明年間(1781〜89)の製作と伝わる。
前懸は慶寿群仙図で元禄3年(1690)に寄進されたものを昭和62年に復元新調したもの。見送は[婦女嬉遊図]、17世紀中国、明代の綴織である。
≪参考≫
町会所について
町会所は 山鉾町の共有財産である。 四条通りなどではビルの一階、二階が町会所となっているが祇園祭りの魅力は大通りから少し入った所にある町会所である。
烏丸通りの西側、四条通の北側には古い様式の町会所がまだ残っている。
古い町会所には、小さな町内というコミュニティーの数百年の歴史が残り興味深いものがある。
古い様式を遺しているものは霰天神山、月鉾、保昌山、占出山、山伏山、北観音山、南観音山、孟宗山 郭巨山 鈴鹿山 八幡山、橋弁慶山、役行者山、放下鉾、鯉山などがある。
町会所は神事を行い祭のため準備する作業場、会議室、休憩室の役割を持っている。また夜は祇園囃子の練習所にもなっている。
豊臣秀吉が、町屋の間口の幅で税金をかけたので俗にいう「うなぎの寝床」のように奥は長い。
町会所は 懸装品、町有の美術工芸品を展示する。
町会所は無料で自由に入れるところもあるが護符(お守り)、粽(ちまき)、町内の神仏に関連するグッズを買えば入れる。
(北観音山HPより)
例年、7月17日は祇園祭・山鉾巡行が行われる。
今年は連続して35℃を越える大変な猛暑日であったが、スケジュール通り無事終わったようである。
御池通りに設けられた有料観覧席(15,000席)から、全体を写した報告である。
祇園祭ポスター
山鉾の位置と巡行順
有料観覧席(御池通)
今日は平日のためか、観覧の客は年配者が大半である。しかもツアー組が多く見かけられた。(10時半前後)
幸い、最前列に席が確保できた。炎天下であるが日傘の使用はダメである。
17日の朝、懸装品を飾った山鉾が四条烏丸に集結する。午前9時、長刀鉾を先頭に巡行がスタートする。
注連縄切り「引用」
四条麩屋町に渡された注連縄を太刀で切る巡行のハイライト。
稚児の重要な務めである。無事終わると周りから大きな歓声と拍手が沸きあがる。
くじ改め「引用」
山鉾巡行で最も重要な儀式である『くじ改め』が古式にのっとり荘重に行われる。
四条堺町の関所で、大紋烏帽子に差袴帯刀で構える奉行役の京都市長に、クジの入った文箱を持った各山鉾
の町行司が、扇子を使って結び紐を解き、蓋を開けクジ札を差し出す。奉行がクジ札を取り出し順番を読み
あげて誤りの無いことを確認すると、町行司が後ずさりし、山鉾へ向き直り扇子で招くと各山鉾は関所を超
えて東行して行く。今年の町行司には小学生(高学年)も務めた。
各辻毎での「辻回し」など、行事をこなしながら、山鉾は市役所前に至る。
お池の観覧席。大変な暑さである。10:30から13:30まで約三時間の格闘が始まった。
長刀鉾(なぎなたほこ)
所在:四条通東洞院東入る。
毎年巡行の先頭を行き、生稚児を乗せる唯一の鉾。鉾の舞台で披露される稚児舞と、四条麩屋町での注連縄
切りが見もの。鉾先に付けた疫病邪悪をはらう鉾頭の大刀は御所と神社を避けて南を向く。
今年のお稚児さんは小学校4年生、二人の補佐役が大役を支える。心配なお母さんが同道する。
郭巨山(かっきょやま)
所在:四条通西洞院東入
中国史話「二十四孝」の一つ、郭巨が黄金の釜を掘り当て、母に孝養を尽くしたという故事による。
ちまきには金運招福の小判がつく。欄縁(らんふち)下の乳隠しと日覆障子の屋根が特徴。
霰天神山(あられてんじんやま)
所在:錦小路通室町西入)
永正年間の大火の際、霰が降り猛火は消えた。そのとき天神様を祀ったのが起こりである。火除けのお守り授与。
近年、前掛の毛綴織(つづれおり)『イーリアス』トロイア戦争物語(部分)と後掛「紅地雲龍宝尽図」を新調した。
蟷螂山(とうろうやま)
所在:西洞院四条上ル
カマキリと御所車の車輪がうごくなど山鉾として唯一のからくりが施されている。
仕掛けで動くカマキリは愛嬌たっぷり。首をかしげて手斧を振り、羽根を広げる姿は巡行の大スター。1864年から
117年間は巡行されていなかった。
観覧風景
函谷鉾(かんこほこ)
所在:四条通烏丸西入)
函古関と呼ばれる関所を鶏の鳴き声を真似て突破した故事から、鉾頭に函谷関から見た明け方の山稜と
三日月を掲げる。生稚児に代わり人形稚児を乗せた最初の鉾。
油天神山(あぶらてんじんやま)
所在:油小路通綾小路下ル
風早家に祀られていた菅原道真公の天神像がご神体で、町名の由来ともなった。油小路通にある朱塗り
の社殿に天神像が安置されている。
綾傘山(あやかさやま)
所在:綾小路通室町西入ル
山鉾の古い形態を残す二つの大きな傘の形をした風流鉾が特長。鬼形は太鼓に合わせて棒を振り回す「棒
振り囃子」を披露。金烏帽子をかぶった6人の稚児も行列に参加する。
占出山(うらでやま)
所在:錦小路通室町東入ル
神功皇后が、鮎を釣って戦勝の兆しとした故事。前懸と胴懸は日本三景を描いた逸品。
身重の神功皇后をご神体とすることから、安産のお守りと腹帯が授与される。
安産のお礼に奉納された衣装に名品が多く、「占出さんは衣装モチ」と評判。
月鉾(つきほこ)
所在:四条通室町西入ル
「動く美術館」とも称され、重量・高さ共に全山鉾一である。鉾頭に新月をつけ、「天王座」には月読尊を祀る。
前懸は17世紀インド製の優品。軒桁、四本柱などの飾金具はいずれも見事なものばかり。
孟宗山(もうそうやま)
所在:烏丸通四条上ル
病身の母のために、雪の中から母の欲しがる筍を掘り当て、喜々として持ち帰る孟宗の姿を表わす。
近年、胴懸綴織「砂漠らくだ行(日)(月)」(原画 大山郁夫を新調した。
太子山(たいしやま)
所在:油小路通仏光寺下ル
ご神体は16歳の白装束姿の聖徳太子像。四天王寺の建立に関わった杣入りの逸話から、真木には松
に代わってスギを使用する唯一の山。総金地インド刺繍の胴懸と細工の秀麗な錺(かざり)金具が見事。
木賊山(とくさやま)
所在:仏光寺通西洞院西入ル
世阿弥の謡曲「木賊」より採題。ご神体の翁は、わが子と生き別れた悲しみのうちに木賊を刈る。そのもの悲しい
姿は桃山時代の名品といわれる。金具にあしらわれた蝙蝠(こうもり)がユニーク。
菊水鉾(きくすいほこ)
所在:室町通四条上ル
鉾名は菊の露を飲み長寿を保った枕慈童の故事に由来。町中にあった菊水井戸にちなんで名付けられた。
丸みを帯びた唐破風の屋根はこの鉾のみ。鉾頭には金色の菊花をつける。昭和の鉾としての偉容を放つ。
伯牙山(はくがやま)
所在;綾小路通新町西入ル
中国の琴の名手、伯牙が大切な理解者を失い、悲しみから絃を断ち切ろうとする姿を表わす。
水引、胴懸、見送りなどの図柄はすべて中国風で統一されている、
四条傘鉾
所在地:四条通西洞院西入ル
歴史は古く、始まりは応仁の乱以前に遡る。赤幣と若松を載せた傘そのものがご神体。
色鮮やかな衣装をまとった地域の小学生たちが踊り方として巡行に参加、
芦刈山(あしかりやま)
所在地:綾小路西洞院西入ル
妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁がやがて妻と再会を果たす夫婦和合の姿を表わす。
ご神体の古衣装が天正銘の小袖で国重要文化財指定である。
鶏鉾(にわとりほこ)
所在地:室町通四条下ル
尭(ぎょう)の時代、訴訟に用いる太鼓は苔むし、鶏が巣をつくるほど天下泰平の世が続いたという故事
にちなむ。稚児人形は鶏の王冠を戴く。16世紀ベルギー製の見送りは国重要文化財
白楽天山(はくらくてんやま)
所在地:室町通綾小路下ル
唐の詩人、白楽天と道林禅師が仏法の大意を巡り問答する姿を再現。
見ものは各国の織物で、前掛は16世紀ベルギー製、見送は18世紀フランス製のゴブラ織り。
山伏山(やまふすやま)
所在地:室町通蛸薬師下ル)
ご神体の浄蔵貴所は山伏とよばれる修験僧のお姿。傾いていた八坂の塔を祈祷で元に戻すほどの法力を
もっていたという。清祓いと祈祷がともに行われる神仏一体の山
保昌山(ほうしょうやま)
所在地:東洞院通松原上ル
後に妻となる和泉式部のために、紫宸殿に忍び入り紅梅を手に入れようと危険を冒す武将平井保昌の姿
を表わす。ご神体(人形)は緋縅の鎧に太刀を付け、梨地蒔絵の台に紅梅を一杯持ってこれに捧げている。
町内で出される縁結びのお守りが人気。
放下鉾(ほうかほこ)
所在地:新町通四条上ル
町角で芸を披露しながら仏法を説く「放下僧」を祭る。三人の人形方によって滑らかな稚児舞を披露する。
日、月、星三光が下界を照らす形をしている。
岩戸山(いわとやま)
所在地:新町通仏光寺下ル
天照大神の岩戸隠れの神話で、天照大神、手力雄尊など三体のご神体を祀るが、伊弊諾尊は屋根上に安置
している。鉾とおなじく祇園囃子を奏する曳山である。
船鉾(ふねほこ)
所在地:新町通綾小路下ル
鉾全体を船の形にしている。舳先には金色の鷁(げき)、船尾には螺鈿細工の舵を飾る。鉾の上には神功皇后
と三神像を祀る。安産のお守り授与。
これより後祭の巡行列
橋弁慶山(はしべんけいやま)
所在地:蛸薬師通室町東入ル
弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う姿を表わしている。これら人形は永禄6年(1563)の古い銘があり貴重である。
北観音山(きたかんのんやま)
所在地:新町通六角下ル
揚柳観音像と韋駄天像を安置する曳山。見送の紅地百子喜遊図は17世紀中国明朝の優品。飾金具はいずれも豪華
鈴鹿山(すずかやま)
所在地:烏丸通三条上ル
伊勢の国鈴鹿山で、人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現を女人の姿で表わしている。胴懸は18世紀中国清朝のもの。
真松には山鉾で唯一絵馬が付けられ、盗難除けの護符として珍重される。
浄妙山(じょうみょうやま)
所在地:六角通烏丸西入ル
平家物語の宇治橋合戦がテーマ。三井寺の僧兵筒井浄妙の頭上を一来法師が飛び越えて先陣争いをする瞬間を再現。
自然木でつくった人形2体組で表現されている。橋桁に刺さった矢まで生々しい。鎧は国重要文化財である。
黒主山(くろぬしやま)
所在地:室町通三条下ル
謡曲「志賀」にちなむ。大伴黒主が大きく反って桜の花をながめている姿を表わす。ちまきに桜を添え、欄縁の
錺金具には桜、椿、モミジ、菊が彫られるなど、装飾品は花との縁が深い。
南観音山(みなみかんのんやま)
所在地:新町通錦小路上ル
山鉾巡行のしんがりを務める曳山で、揚柳観音と脇侍の善財童子を祀る。柳枝を付ける。前懸はメダリオン中東
蓮華紋のペルシャ製絨毯。天水引は、玄武・朱雀・白虎・青龍を盛上刺繍で描いた復元新調品。下水引は加山又造
の下絵による「飛天奏楽図」
鯉山(こいやま)
所在地:室町通六角下ル
中国の龍門の滝を登ったコイは、龍になるという中国の「登龍門」に基づいた山で、激流を飛沫を上げて登る
鯉の木彫が、朱塗りの鳥居越しに見える。
前懸・胴懸・水引・見送等は16世紀の毛織で国重要文化財である。
八幡山(はちまんやま)
所在地:新町通三条下ル
町内に祀られていた八幡宮を山の上に勧請したもので、常には町会所の庭にお宮を祀っている。
山の上の小祠は総金箔の美麗なもので天明年間(1781〜88)の製作とされる。
役行者山(えんのぎょうじゃやま)
所在地:室町通三条上ル
山のご神体(人形)として役行者と一言主神と葛城神の三体を安置し、この組合せは、役行者が一言主神を
使って葛城と大峰の間に、橋をかけたという伝承を想起させる。
大船鉾
所在地:新町通四条下ル
神功皇后が凱旋した船に由来する舟形の鉾。幕末に焼失し休み鉾だったが、現在2014年に鉾での巡行復帰を目指す。
今年は142年ぶりにご神面を納めた唐櫃(からひつ)で巡行に参加。
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