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京都府木津川市 海住山寺

Kaijusenji,Kizugawa city,Kyoto

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木津川市加茂町例幣海住山20 海住山寺五重塔 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 建保2(1214) 三間五重塔婆、本瓦葺、初重もこし付、もこし銅板葺 18981228 19520329

木津川市加茂町例幣海住山20 海住山寺文殊堂 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 鎌倉前期 桁行三間、梁間二間、一重、寄棟造、銅板葺 19010327


October 16,2021 大野木康夫 source movie


本堂
  


文殊堂(重要文化財)
          


部分撮影
       


五重塔(国宝)
                                          


部分撮影
                           


February 21,2015 大野木康夫 source movie 

参拝入口

 

文殊堂(重要文化財)

最近修復されました。

                  

本堂

 

五重塔(国宝)

                                                       


Sep.29. 2013 中山辰夫

宗派:真言宗 本尊:十一面観音立像(国重要文化財)

恭仁京跡に立ち寄った後、歩いて海住山寺に向かう。ルートは加茂神社越えもあるが、茶畑を通り車道を登る。坂が続き結構きつかった。

■■海住山寺は、恭仁京造営に先立つ735(天平7年)に創建された。聖武天皇の勅願により東大寺の良弁僧正が建立し、本尊十一面観音菩薩像安置し藤尾山観音寺と号したとされる。その後焼失し、奈良興福寺の解脱上人貞慶が復興、補陀洛山海住山寺と改称した。

補陀洛山とは、南方に存在するとされた観音浄土のこと。平安時代から江戸にかけて、はるかな海の彼方をめざし小船で死出の旅をする渡海上人が多くいた。

三上山の中腹に建立された海住山寺は、瓶原と木津川の広がり、その向こうの山並みを海に見立てて建立されている。

■歩き始め 細い川沿いの道を行く。この川は大井出用水であろうか? 前方の山は三上山(473.3m)

    

■案内看板が目当て

     

■集落

石積をしている所が目立つ。時折見える遠景が素晴らしい。

     

■車道にたどり着く。ここから800mの表示がある。かなりきつい坂・車道である。景色は抜群。生駒の山々や瓶原の広がりが一望できる。

     

■朱門

          

ここから山門まではちょっとした距離である。

■境内案内図

 

■山門

          

■鐘楼と修行大師像

    

■本坊

庭園の苔が美しいとされる、が見逃した。

    

■文殊堂 国重要文化財

改修中である。

   

■本堂

               

■薬師堂「開山堂」

    

■五重塔 国宝

                               

■三社

   

■土蔵・ぼけ止め地蔵・稲荷社

    

■境内散策

    

■境内には石仏や地蔵、石のつくりものが多い。見つかったものを並べる。一言地蔵、那須の腰掛、鎌倉時代の岩風呂、などである。

                

■納骨堂

境内の最も眺望が開ける場所に隣接して安置されている。みかの原と木津川が見下ろせる。

       

■解脱上人・慈心上人の墓所 やや高台にある。墓所より見る前方の眺望よし。

     

■国指定重要文化財

    

■補陀落渡海図

本尊の両側の壁には、補陀落渡海の図が描かれている。室町中期の作。向かって右の壁には、熊野三山らしい風景を描き、左手の壁には、十一面観音が聖衆を従えて来迎する場面である。下の方は大海の景色で、小舟の中に坊さんが乗っており、次の画面では浄土へ導かれる。

 


June 30, 2013 野崎順次 source movie

京都府木津川市加茂町例幣海住山20

真言宗智山派

補陀洛山 海住山寺

創建は天平7年(735年)聖武天皇が大仏造立平安祈願の為、良弁僧正に命じて建立させ十一面観音菩薩を安置したのが始まりと言われましたが、この寺は保延三年(1137年)に焼失しました。その後、承元二年(1208年)笠置寺にいた解脱上人貞慶がこの観音寺の廃址に移り住み、草庵をいとなんで補陀洛山海住山寺と名づけ中興されました。この後を継いだ慈心上人覚真は先師の遺志をうけていよいよ戒律を厳しくし、寺観の整備に力をつくしました。現存の五重塔(国宝)は、建保2年(1214年)慈心上人によって建てられたもので、心柱が初層で止められている点は建築史上有名です。のち、寺門は大いに栄えて塔頭58ヶ坊をかぞえた時期もありましたが、天正年間には現本堂を中心に整備統一されました。昭和38年(1962) の解体修理にあたり、五重塔初重の軒下に裳階が復元されました。

(木津川市観光ガイドより)

JR加茂駅から4km足らず、車が1台やっと通れるような山麓の細い道をたどり、急坂を中腹まで上るのだが、タクシーで1040円だった。

パンフレット

    

石段を上って山門(四脚門)をくぐる。

            

正面に東面する本堂がある。

                  

国宝 五重塔 鎌倉前期 建保二年(1214)

三間五重塔婆、本瓦葺、初重裳階付、裳階銅板葺

                                

五重塔細部

             

国重文 文殊堂 鎌倉前期(1185 - 1274)

桁行三間、梁間二間、一重、寄棟造、銅板葺

                 

この奥は本坊、奥書院、奥の院で非公開。

  

その他境内

     

鐘楼。梵鐘(室町時代)は京都府文化財。

     

境内には石仏が多い。

                             

三社と薬師堂(開山堂)

        

来た道を少し下ると楼門(通称、赤門)がある。

              

楼門までタクシーに来てもらってJR加茂駅に戻った。970円だった。

     

参考資料

国指定文化財等データベース

ウィキペディア「海住山寺」


Oct.2011 大野木康夫 source movie

所在地 京都府木津川市加茂町例幣海住山20

2011.8.20撮影 

海住山寺は、木津川市の旧加茂町、国道163号線の案内看板から2㎞ほど山を登ったところにあります。

途中に集落の中の狭い道を通るところがあり、離合ができないのですが、そこを越えると充分広い参道になります。

何度か訪れていますが、幸いに離合で困ったことはありません。

本堂

内部の厨子の改修をされていました。

 

五重塔(国宝)

建保2(1214)年の建築

三間五重塔婆、本瓦葺、初重もこし付、もこし銅板葺

五重小塔を除き、現存する五重塔では室生寺に次ぎ2番目に小さな塔です。

初重が9尺四方、高さが58尺(17.7m)です。

あいにく雨の中の撮影となりました。

                              

文殊堂(重要文化財)

鎌倉時代前期の建築

桁行三間、梁間二間、一重、寄棟造、銅板葺

本堂の右手に建っており、正面に木があるため、全景を撮影するのは難しかったです。

             

旧加茂町には浄瑠璃寺等古刹が多いのですが、少し離れた海住山寺は訪れる人も少なく、静かな雰囲気です。

境内に立ち入って撮影する際には、必ず決められた料金を支払う必要があります。


Nov.2008 瀧山幸伸 source movie

                                                                  

                                        


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