京都府木津川市 恭仁宮跡(山城国分寺跡)
Kunikyuseki(Yamashiro kokubunji ato) , Kizugawa city,Kyoto
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Sep.29. 2013 中山辰夫
京都府木津市加茂例幣
国史跡指定
海住山寺を最終目的地としてJR加茂駅より歩く。その途中にある恭仁宮跡(山城国分寺跡)を経由する。
JR加茂駅北口から出て東へ向かって歩く。
■恭仁大橋手前の古民家と大橋
大橋は聖武天皇が恭仁京を造営される際に木津川に架けられた。その後無くなり1901(明治34年)、初代恭仁大橋が架かるまでは渡船で往来していた。
■台風18号のツメ後も残る木津川
■大橋北詰に建つ万葉歌碑
山川の清らかな景色を讃えた大友家持の歌 「今造る 久邇の都は 山川の さやき見れば 知らすらし」
■国道163号線のトンネルをくぐり、田畑と民家の中を巡る細い道を進む。案内板に従って行くと古い校舎を利用している瓶原公民館(みかのはら)の裏に木津川文化財整理保管センターがある。
■管理センター
センターでは大型テレビで恭仁宮跡(山城国分寺跡の詳しい案内ビデオが放映される。また、出土品の展示もある。
■■山城国分寺跡
山城国分寺跡は、奈良時代の741(天平13年)聖武天皇の詔により全国に建立された寺院の一つである。
745(天平17年)、聖武天皇により恭仁宮から難波に都が遷されると、翌746年、宮跡の中心部分は当時進められていた国分寺建立の動きに合わせて「山城国分寺」として生まれ変わった。
国分寺は東西約275m、南北約330mという広い伽藍を持っていた。かつての大極殿は金堂として再利用され、新たに七重塔が造営された。
■七重塔礎石
こうして完成した山城国分寺も鎌倉時代以降は勢力が衰え、寺の規模も徐々に縮小していった。
≪参考≫
■■恭仁宮(くにのみや)
当然のことであるが、山城国分寺と隣り合ってある。古い木造校舎=旧恭仁小学校と接して建つ。
■歴史
740年(天平12年)、聖武天皇が橘諸兄に命じて始められた新都の建設は僅か5年ほどで中止となる。
この時代全国に天然痘が流行し、橘諸兄らに反抗して藤原広嗣が乱を起こすなど、社会不安が全国的にひろまっていた。聖武天皇はこれらの事態を一新するために、平城京からの遷都を決意し恭仁郷を新都と定め遷都した。
僅か5年であったが、この間に諸国に国分寺・国分尼寺建立を命じたり、墾田永年私財法など重要な政策を行った。またこの時期に大仏造営にも取り掛かった。
しかし、その後も都は次々と遷都を行った。
■都の構成
都の計画は、碁盤の目状に道路を設ける「条坊制」が採用された。天皇の住まいと政治を行う中枢区域を「宮」と、宮を含み、人々の生活空間となった都市全域を「京」として構成された。木津川市の加茂地区に「左京」、木津・山城地区に「右京」が設けられたとされる。
■恭仁宮の規模は、東西約560m、南北約750mの長方形で、面積約42haとされる。宮の中心地区の「大極殿院地区」、その背後の東西に並んだ二つの「内裏地区」、大極殿院地区の南側の「朝堂院」、「朝修殿院」によって構成されていた。
■■現在の恭仁宮跡
■全景
■大極殿跡の基壇と礎石及び復元図
恭仁小学校の北に残る。大極殿は平城宮より移築され山城国分寺の金堂となった。
■礎石・その他
■内裏地区
■恭仁宮については、山々に囲まれた丘陵、とうとうと流れる木津川が展開する雄大な景観に、短命すぎた都の追憶を重ねて、多くの歌人がその思いを歌に込めている。
■■恭仁宮跡から細い車道を少し進むと三上山の中腹に座す海住山寺の白い案内看板が見えてくる。
≪参考≫
■■恭仁小学校(くに)
1873(明治6年)創立の恭仁小は、恭仁京の国指定史跡に建つが、現在は閉校になっている。
創立当初の校舎は1934(昭和9年)の室戸台風で倒壊し、1936(昭和11年9に木造平屋一部2階建て校舎に建て替えられた。
恭仁小への地域住民の思い入れは当時から強く、建て替え工事の費用の4割は地域住民らの寄付でまかなわれた。住民らからは「ほとんど節がみられない」良質な木材も寄贈され、廊下の板張りも当時のまま使われているという。
地域住民の寄贈による良質な檜や杉が使われたことで、「柱を補強する筋交いを増やす程度で震度6強に耐えられる」(木津川市)と判断できたため、外観を変えずに耐震補強されて存続することになった。耐震工事の着工は平成26年夏、完工は建築後80年となる2017年(平成28年)3月の予定とされる。
耐震補強や少子化の影響で木造校舎が減少し続けるなか、恭仁小は、建築後100年となる平成24年以降も木の香る学舎としてあり続けるだろう。
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