JAPAN GEOGRAPHIC

京都府京都市左京区 鞍馬寺、由岐神社、貴船

(Kuramadera/Yukijinja/Kibune, Sakyo-ku, Kyoto)

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京都市左京区鞍馬本町1073 由岐神社拝殿 重文 近世以前/神社 桃山 慶長12(1607) 懸造、桁行六間、梁間二間、一重、入母屋造、中央通路唐破風造、檜皮葺 棟札1枚 19070828


July 10,2016 大野木康夫

鞍馬街道を北上

                                             

瀧澤家住宅(匠斎庵)

重要文化財、京町家形式では最古の民家

くらま辻井付近

      

貴船

Kibune

June 10,2016 大野木康夫

川床の季節

                                          


July 2012 中山辰夫

京都トレイル 3

戸寺口から鞍馬・貴船口まで

大原の郷に近い戸寺口から鞍馬・貴船口まで散策する。そして鞍馬寺を参拝する。

京都市右京区大原戸寺町〜左京区鞍馬本町

コース

京都一周トレイル北山コースの続きである。

 

出発地点は戸寺町

京都駅から京都バスを利用して、戸寺町バス停まで来る。この地は大原寂光院にも近い。

    

先ずは江文神社を目指す。今日のコースは平坦部が多く、比較的楽と聞いている。

 

前方の山方向に向かう。両脇の畑にはズッキニ−などの夏野菜が並ぶ。

        

宮川一の橋。大原の里・寂光院への分かれ道である。右が寂光院、左が江文峠である。

    

間も無く、シンプルな木造の鳥居に出合う。

  

その先の案内に沿って右の小道に入ると「小松均美術館左京区大原井出町369」とある。閉店中であった

    

大原の画仙人といわれた文化功労者の日本画家・故小松均の遺邸を美術館として開館した。

大原風景、最上川、富士山の三大シリーズを中心に、初期から晩年までの大作が展示されている。

可憐なツルアジサイを楽しみながら行くと「江文神社」の境内に入る。二つ目の木造の鳥居である。

    

江文(えぶみ) 神社

左京区大原の村町643

金比羅山の麓に鎮座する。大原八郷の産土神である。もと毘沙門堂江文寺と合祀されていた。

本社の祭神は倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)である。

境内の大杉

    

拝殿 今年の3月に建屋が出来上がった。

    

本社社殿

   

本殿と山あじさい 

    

5月4日には江文祭、9月1日は八朔祭がおこなわれる。

祭りで踊る八朔踊りとは、大原に残る伝統芸能で、絣の着物に菅笠を被った宮座の青年たちが輪になり、道念音頭

(楽器を用いない独特の節)で踊る豊作祈願の踊りである。

コース案内

 

江文峠

 

200名余のパーテイとすれ違う。先頭と後尾では90分余の開きがある。

        

この峠は金比羅山(573m)への登山口。江文神社横からも登れる。ロッククライミングが人気である。

今回は逆方向を歩いているが、天狗が棲むと畏れられた鞍馬から隠棲の里大原へ、後白河法皇も越えた

峠で、洛北の重要な横断路だった。

 

静原町集落をめざす

コース案内

 

静原集落まではおよそ1.6km、杉林の道は涼しい。地図にあるトンネルもくぐる。

    

途中、見かけるお花ともおしゃべり。豊かな自然が残る道が続く。

    

卯の花、ウツギ、雪ノ下、シモツキ草≪間違いがあるかも・・・≫

    

雪ノ下、シモツキ草、シダの裏表

静原の集落に入る。

左京区静市静原町

鞍馬と大原の間にある山里の地。

大原へ向かう道(現在の府道40号)は、古来洛北の横断道路として、貴人や隠棲者が往来した古道である。

  

「山賤(やまがつ)の住みぬと見ゆるわたりかな 冬に褪(あ)せ行く静原の里」(山家集)

北面の武士の身を捨て、隠者となり各地を遍歴した歌人、西行もこう詠んだほど、樹木深く山が迫るこの道

は後白河法皇が建礼門院徳子を訪ねた折に通った道でもある。

    

この地は、平治の乱に敗れた源頼朝の兄、源義平が潜伏した地としても知られ、大原や鞍馬とともに落ち

武者の隠れ里であった。

のどかな山間の風景が広がる静原の里。集落内を歩くと、静かで気品さえ感じる。

    

平安時代から上賀茂神社の神領で、里人は賀茂祭(葵祭)に使われる葵を下鴨神社に奉納していた。

現在も里人が、賀茂祭の行列に参加する習慣が残っている。

    

5月3日の静原神社の祭礼には、神輿や「御幸姫」と呼ばれる女子の行列が出る。

 

阿弥陀寺

石垣に沿って奥へ進む。本尊は阿弥陀如来。浄土宗知恩院の末寺であり、延宝3年(1675)の創建。

    

静原神社

  

社伝では4世紀頃の創建となっている。

杉の古木と相まって威厳のある社域に社殿が建つ。

一の鳥居(木造) 二の鳥居と同様腐食が進み近々修復の予定にある。

    

拝殿

    

本殿

    

大杉

    

烏帽子式

この神社には中世の宮座を思わせる元服式(烏帽子着)が伝わる。(4月第二日曜日)

その歴史は鎌倉時代までさかのぼり、元は成人を迎える長男の元服式。

一時途絶えていたが数年前より復活し、現在はその年に18歳になる男子を対象に形を変えて行っている。

 

背後の山には城跡が残る。

この地は、鞍馬街道と敦賀街道を押さえる洛北の要衝で、弘治3年(1557)三好長慶が築城した。

天正元年(1573)、城を守っていた山城国愛宕郡の土豪・山本実尚は将軍足利義昭に属し、織田信長に

背いたため明智光秀の大軍に包囲され落城した。今もわずか石垣が残る。

  

集落の家並

    

集落には石垣が多く見られる。野面積で趣がある。自然石をもちいて排水もいい。

民家は改築されているが、古民家の名残を感じさせてくれるお花を見ながら集落ともお別れだ。

   

いよいよピッチをあげて二尊板碑を目指す

ルート

 

本日一番の登り坂である。ハイキングらしくなってきた。先ずは二尊板碑が目標。

   

やや登りとなってくる。大樹の守られて立つ板碑

    

ついで薬王坂から鞍馬寺を目指す

コース

 

薬王坂(やっこざか)

伝教大師が行を満たして帰る時、鞍馬から静原へでる峠道を登って行った。その後姿が薬王菩薩に見えたので

村人たちは思わず合掌礼拝したとされる。今も薬王坂(やっこざか)と呼ばれる。

 

八幡宮・地蔵寺を過ぎる

   

跡は一気に鞍馬まで。

    

鞍馬への降り口に建つ八幡宮

    

鞍馬寺 

 

鞍馬山に抱かれる鞍馬の町並み

      

鞍馬寺から貴船口

コース案内

 

鞍馬寺を歩いて金堂まで登り、二ノ瀬を目指したが、途中で雨となり貴船口で終わりとした。

鞍馬街道を歩く中で、鞍馬小学校の文字板が雪の下に覆われているのが印象としてのこった。

       

可憐なユキノシタ

   

叡山電車貴船口駅はもみじで有名。それを思わせるに十分なほどの青葉が繁っていた。

  

次回の京都トレイルは貴船口からスタートする。

参考資料≪京都一周トレイルコース公式ガイドマップ、その他≫

鞍馬寺

鞍馬山は、京都御所から真北に約12kmの所にある。叡山電車や車で行くと30分ほどで山麓に着ける。

標高570m、老杉に囲まれた境内は約16万㎡。

5度にわたる火災で古い建物はなく、昭和46年に新本堂・他が再建された。

以前は天台宗に属していたが、昭和24年(1949)鞍馬弘教という新しい宗教を開き総本山となった。

叡山電車「鞍馬駅」で下車すると、鞍馬山(標高約570m)が迫り、駅舎には豪壮・豪僧な行事の案内が並ぶ。

鬼が棲む魔界への入口を思わせる雰囲気がある。

     

街道に出ると落着いた雰囲気、朱塗りの仁王門の姿も仰ぎ見られる。

江戸時代までは街道の要衝で、若狭から海の幸が北山・丹波からは山の幸が運ばれてきた。

    

山門周辺

左側に建つ修養道場が目立つ。

    

配置図(古寺巡礼京都・鞍馬寺より)

  

仁王門(山門)

由緒ある扁額は後水尾天皇宸筆ともいわれる。三間一戸の楼門で木部は朱塗りの型通りの門。

    

明治44年(1914)再建。

中の仁王像は湛慶作とされる。仁王門は俗界から鞍馬山浄域への結界。

    

さわやかな霊気を感じつつ登る。天真爛漫な大地蔵、童形六体地蔵尊、善明館

  

仁王門から本殿金堂まで続く九十九折参道は鞍馬寺の表参道。約1kmの上り坂が続く。昔は誰もが歩いて登った。

清少納言が「近うて遠きもの、くらまのつづらおりといふ道」と表した参道である。

    

石段を上ると、池廻りに江戸時代の石積がのこる放生池。魔王の滝までの一帯を護法境といい

吉鞍稲荷社や鬼一法眼社がある。 

    

由岐神社

仁王門から九十九折参道を約300m登った所に位置する鞍馬の鎮守社。

天慶3年(940)鞍馬寺が御所から鎮守社として勧請した。

矢を入れて背に背負う靫(ゆぎ)を祀り、世の平穏を祈る。天を衝く老杉が社殿を守る。

   

拝殿

国重要文化財 慶長12年(1607) 豊臣秀頼により再建された貴重な桃山建築

桁裄六間、梁間二間、一重、桧皮葺、入母屋造正面と両横に高覧あり。参道の石段で左右に分かれる。

        

擬宝珠をもつ親柱が立ててある。割拝殿であること、前の方は急傾斜のため懸造りである。

      

正背面とも軒唐破風を架ける。柱頭は舟肘木。豊臣秀頼が再建。瀟洒な住宅風である。

蟇股

三本の紅梁が渡され、上に桃山気分の良く出た蟇股を置く。桃山式であるが、脚先や内部の若葉の手法に

室町の名残を留める。

      

神木の大杉

京都市指定天然記念物

本殿石段の東側にあるスギ 割拝殿が建築されたときに植えられたものといわれる

樹高約53m、樹齢約800年 「大杉さん」と称されて、大杉社の御神木とされている

    

本殿

慶長15年(1610)、豊臣秀頼により再建された貴重な桃山建築。

            

狛犬一対

重要文化財

子供を抱いている珍しいもので、子授け祈願・子孫繁栄・安産の神様として信仰されている

    

鞍馬の火祭

10月22日の“鞍馬の火祭”は由岐神社の祭礼。

約250本の松明が仁王門までを往還する。そして鞍馬の山は赤く燃える。

京都三大奇祭の一つ。三大奇祭は、広隆寺の「牛祭」、今宮神宮の「やすらい祭」である。

  

川上地蔵堂と供養塔

この地蔵尊は牛若丸の守り本尊。牛若丸が住まった東光坊跡に建てられた義経供養塔

     

途中で出合った気になったお花(名前は不明)

    

双福橋

福徳の神である玉杉大黒天と玉杉恵比須尊に二社を結ぶ橋でこの一帯を双福苑と呼ぶ。

    

暫らくなだらかな道が続いて中門に出る。

元は仁王門の横にあって、勅使門または四脚門と呼ばれ、朝廷の勅使の通る門だった。

  

ここからは石段と敷石の道となる。途中貞明皇后行啓の際の休憩所もある。

石段を登りきるとケーブル多宝塔駅からのびる新参道と合流し本殿へむかう。仁王門から約20分程度

   

ケーブルのなかった時代は、伝教大師も清少納言も、牛若丸も僧兵もみんなこの道を歩いた。

   

途中の遠景で一息入れる。

   

本殿への155段の石段。高さ6mの石垣は鞍馬石である。

石段の途中にお茶所・洗心亭(信徒休憩所)がある。手水鉢も鞍馬石(石英閃緑石)である。

      

石段を登りきると休憩所(一般)がある

  

本堂前広場全景

      

板石(翔雲台)

遠くに比叡に山並みが見える。

  

本殿金堂

鞍馬山信仰の中心道場で。宇宙エネルギーである尊天のお働きを象徴する千手観世音菩薩、毘沙門天王

護法魔王尊が本尊で、秘仏。60年に一度丙寅の年のみ開扉される。地下は宝殿である。

紋は菊の花をタテに切った模様。金堂は昭和46年(1971)再建された。

        

閼伽井護法善神社 

千年ほど昔、修行中の峯延(ぶえん)上人を襲った大蛇のうち、雄蛇は斃(たお)されて「竹伐り会式」の

由来となり、雌蛇は本尊に捧げるお香水を永遠に絶やさぬと誓いここに祀られた。

水の神様。天井に彫刻がる。

    

竹伐り会式

この大蛇退治から鞍馬寺は有名になり急に朝野の信仰を集め、山内には鐘楼、経蔵、僧坊・新舎が造られ

寺院としての形態が整った。大蛇に見立てた青竹を僧兵姿の法師が山刀で伐り競う。

   

光明心殿

護法魔法尊を祀る。胡麻供を修する場である。

  

本坊・金剛寿命院

鞍馬寺寺務所や本庁

   

八所明神

本坊の奥に見える

  

奥の院道

冬(2月)の奥の院道〜貴船神社

   

奥の院道に入って暫らくは石段道が続く。鐘楼・霊宝殿を過ぎると地道になる。

木の芽道も雪の下である。岩盤が固いため地中に入り込めない木の根が露出した。義経が天狗から

兵法と剣術を学んだとされる伝説がのこる。

 

大杉権現社あたり

大杉は千年余の樹齢で、「魔王尊影向(ようごう)の杉」と呼ばれ、多くの人の信仰を集めている。

    

義経堂

義経を護法魔王尊の脇侍(わきじ)「遮那王尊」として祀る。

 

不動堂

奥の院の僧正ガ谷にある。方三間、一重、宝形造、本瓦葺、正面一間向拝付の仏堂。

   

魔王殿

魔王尊を祀る小堂。方一間、宝形造。累々たる奇岩の上にある。この一帯が磐座(いわくら)である。

    

貴船川

  

貴船神社

石段に沿って朱塗りの灯籠が並ぶ参道。貴船神社は平安時代から京都の水の神として崇められてきた。

    

参考・引用資料≪パンフレット、鞍馬寺、古都巡礼鞍馬寺、他≫


Aug.2011 大野木康夫

source movie

鞍馬寺と由岐神社

2011.7.10撮影 

夏の暑い日、鞍馬に涼みに行きました。

気温は京都市内よりも3〜5℃低いです。

鞍馬寺の山門

10月22日の火祭当日は、おそらく京都市内で行われるイベントでもっとも混雑する場所になります。

混雑しすぎるので、警備上の規制がかかり、一般の人が火祭を撮影するのは、スナップショット的なものを除いてほぼ不可能です。

普段はそんなことは想像もできないくらい静かですが。

        

登りは無理をせずケーブルカーを使いました。

   

多宝塔から本堂を目指します。

青もみじが美しかったです。

           

本堂に着きました。

パワースポットとして近年人気があります。

      

由岐神社に寄りたかったので、帰りは歩いて下ります。

           

由岐神社

天慶3(940)年に御所から遷宮されたそうです。

例祭は京都三大奇祭の一つ、鞍馬の火祭です。

     

境内の神木は鞍馬の大杉として信仰を集めています。

    

拝殿(重要文化財)

慶長12(1607)年の建築

懸造、桁行六間、梁間二間、一重、入母屋造、中央通路唐破風造、檜皮葺

豊臣秀頼の命で建造されたものです。

全体を撮影できる場所がなかなかありません。

                   


Apr. 2010 撮影/文:野崎順次

京都府京都市左京区鞍馬本町

鞍馬弘教総本山

鞍馬山鞍馬寺

撮影日: 2010年4月25日

京都盆地の北に位置し、豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置する。

鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として著名であり、大佛次郎の『鞍馬天狗』でも知られる。

新西国十九番札所である。本尊は寺では「尊天」と称している。「尊天」とは、毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるという。

ご本尊は全宇宙を治める尊天とされています今から650万年前に金星からこの地に神が降り立ったと言う伝説が伝わる不思議な雰囲気の有る寺です。

また、鞍馬山は山岳信仰、山伏による密教も盛んであった。

そのため山の精霊である天狗もまた鞍馬に住むと言われる。

鞍馬に住む大天狗は僧正坊と呼ばれる最高位のものでありまた鞍馬山は天狗にとって最高位の山のひとつであるとされる。

鑑真(がんじん)和上の高弟である鑑禎(がんてい)上人が宝亀元年(770年)にこの地に草庵を造り、毘沙門天を安置したのが鞍馬寺の創始であると伝えられている。

その後、延暦15年(796年)、官寺である東寺の建設主任であった藤原伊勢人は、自分の個人的に信仰する観音を祀る寺を建てたいと考えていた。

伊勢人は、ある夜見た霊夢のお告げにしたがい、白馬の後を追って鞍馬山に着くと、そこには毘沙門天を祀る小堂があった。

「自分は観音を信仰しているのに、ここに祀られているのは毘沙門天ではないか」と伊勢人はいぶかしがった。

ところが、その晩の夢に1人の童子が現われ、「観音も毘沙門天も名前が違うだけで、実はもともと1つのものなのだ」と告げた。

こうして伊勢人は千手観音の像をつくって、毘沙門天とともに安置したという。

9世紀末の寛平年間(889−897年)東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺したころから、鞍馬寺は真言宗寺院となるが、12世紀には天台宗に改宗し、以後の鞍馬寺は長く青蓮院の支配下にあった。

寛治5年(1091年)には白河上皇が参詣、承徳3年(1099年)には関白藤原師通が参詣するなど、平安時代後期には広く信仰を集めていたようである。

『枕草子』は「近うて遠きもの」の例として鞍馬寺の九十九(つづら)折りの参道を挙げている。

鞍馬寺は大治元年(1126年)の火災をはじめとして、たびたび焼失している。江戸時代の文化9年(1812年)には一山炎上する大火災があり、近代に入って1945年(昭和20年)にも本殿などが焼失している。

このため、堂宇はいずれも新しいものだが、仏像などの文化財は豊富に伝えられている。

昭和期の住職・信楽香雲(しがらきこううん)は、1947年に鞍馬弘教を開宗。1949年には天台宗から独立して鞍馬弘教総本山となっている。

叡山電鉄出町柳駅から鞍馬線で鞍馬駅に向かう。新緑がまぶしい。

                            

鞍馬寺関係のパンフレットや看板。

         

仁王門−1891年(明治24年)焼失し、1911年(明治44年)再建された。

                

山門駅から多宝塔駅までのケーブルカーは1957年(昭和32年)に開通している。

なお、鞍馬寺への輸送機関としてケーブルカー(鞍馬山鋼索鉄道)を運営しており、宗教法人としては唯一の鉄道事業者ともなっている。

               

多宝塔−1959年(昭和34年)再建。 本殿金堂−1971年再建 寝殿−1924年(大正13年)の建築。

          

多宝塔から本殿金堂へ向かう。

                    

京都の北に位置する鞍馬寺は、もともと毘沙門天(四天王のうち北方を守護する)を本尊とする寺院であったと思われる。

しかし、現在の鞍馬寺の信仰形態は独特のもので、本尊についても若干の説明を要する。鞍馬寺本殿金堂(1971年再建)の本尊は「尊天」である。

堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらを合わせて「尊天」と称している。

寺の説明によると、「魔王尊」とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという。

また、毘沙門天・千手観世音・魔王尊はそれぞれが「太陽・月・地球」および「光・愛・力」を象徴するという。本殿金堂の毘沙門天・千手観世音・魔王尊はいずれも秘仏であるが、秘仏厨子の前に「お前立ち」と称する代わりの像が安置されている。

お前立ちの魔王尊像は、背中に羽根をもち、長いひげをたくわえた仙人のような姿で、光背は木の葉でできている。多宝塔に安置の魔王尊像も同じような姿をしている。

                     

本殿金堂から霊宝殿へあがる。

       

霊宝殿−本殿裏にある。1階は鞍馬山自然博物苑で、鞍馬山の動植物に関する展示がある。

2階は寺宝展示室と与謝野鉄幹・与謝野晶子の遺品等を展示した、与謝野記念室がある(鞍馬弘教を開宗した信楽香雲は与謝野門下の歌人であった)。

3階は仏像奉安室で、国宝の木造毘沙門天立像、木造吉祥天立像、木造善膩師童子(ぜんにしどうじ)立像の三尊像をはじめとする文化財が展示されている。

鞍馬寺の本尊はこの毘沙門天の三尊像であったとする説や、同じく霊宝館に安置されている平安時代後期の重要文化財兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)の姿と近いものでなかったかとする説もある。

平安時代中期以降の末法思想から生み出された経塚遺跡からの発掘品も見ることができる。

なお、霊宝殿前には与謝野晶子の書斎「冬柏亭」が移築されている。

         

義経公息次ぎの水、背比べ石を経由して僧正が谷不動堂に至る。

                               

木の根道

      

奥の院魔王殿−本殿から西の貴船神社へ抜ける山道の途中、奇岩の上にある小堂。

650万年前に金星から地球に降り立ったという魔王尊を祀っている。現在の建物は1945年(昭和20年)の焼失後の再建。

         

どんどん下って、貴船の西門に出る。

           

引用資料: 本寺HP

 


Feb.2005 撮影:瀧山幸伸 HD(1280x720)

  

鞍馬寺門前

Kuramaji monzen

  

多宝塔

Tahoutou

 

   

義経供養塔

 

由岐神社

Yuki jinja

 

由岐神社拝殿 重要文化財

 

鞍馬の街並

Kurama townscape

  


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