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京都府京都市右京区 愛宕神社
Atagojinja,Ukyoku,Kyoto city,Kyoto

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Oct.2, 2016  中山辰夫

京都府京都市右京区嵯峨愛宕町1

愛宕山は、愛宕修験によって阿当護神と本尊の勝軍地蔵が習合した火防せの神・愛宕権現として、日本全国に信仰が広まり、「伊勢へ七たび 熊野へ三たび 愛宕まいりは月まいり」と親しまれてきた。
また、亀岡の亀山城から愛宕山への登山道は光秀が通ったことから「明智越」と呼ばれ、本能寺の変の直前に光秀が愛宕神社を参詣し、「時は今 天が下知る 五月哉」し愛宕百韻を詠んだことでも知られている。

創建:大宝年間(701-704) 別名:阿多古神社・愛宕さん 加賀白山ゆかりの役小角と雲遍上人が朝日峰に神廟を建てたのにはじまるとされる
祭神:(本殿)伊弉冉尊・埴山姫神・天熊人命・稚産霊神・豊受姫命 (若宮)雷神・迦遇槌命・破无神

愛宕山遠景 ≪芦生、保津川(亀岡)、嵐山≫
    
愛宕神社は、京都山城・丹波国境の愛宕山(標高924m)山頂に鎮座し、全国900社ある愛宕神社の総本山である。
艮(うしとら)の方角の平安京の鬼門を法城とする比叡山とともに、乾(いぬい)の方角の火災から王城を守る愛宕山−この二峰は京都人に安堵感を与えてきた。
愛宕は古くより比叡山と共に信仰を集め、神仏習合時代は愛宕権現を祀る白雲寺として知られた。

 
火伏防火に霊験のある神社として知られ、「火迺要慎 ひのようじん」と書かれた愛宕神社の火伏札は京都の多くの家庭の台所や飲食店の厨房や会社の茶室などに貼られている。また、「愛宕の三つ参り」として、3歳までに参拝すると一生火事に遭わないといわれ、千日通夜祭(通称 千日詣り)は有名で、7月31日夜〜8月1日早朝)にかけて多くの参詣登山者が登る。

主な参詣道は、清滝からの表参道、清滝から月輪寺経由の道、水尾集落からの道、越畑・樒原集落からの道などがある。
 

清滝 〜- 五合目小屋〜水尾岐れ〜 黒門〜 愛宕神社・山頂 表参道である。山頂まで約4km 2.5時間(往)〜2.0時間(複)前後要する
ただ往路はひたすら登るのみ、視界なし、 帰路はただ転がるように下るのみ、歩きにくい。 かって歩いた時の木の根道の印象が残っている。
  

清滝〜空也の滝〜 月輪寺〜愛宕神社・山頂 
JR保津峡駅〜 水尾〜 黒門〜愛宕神社・山頂
JR保津峡駅〜越畑・樒原(しぎみのはら)〜地蔵山〜愛宕神社・山頂
ほかに、亀岡の亀山城から愛宕山への登山道もある。このルートは光秀が通ったことから「明智越」と呼ばれ、本能寺の変の直前に光秀が愛宕神社を参詣し、「時は今 天が下知る 五月哉」し愛宕百韻を詠んだことでも知られている。

今回は「奥愛宕にある地蔵山から愛宕山に縦走し、JR保津峡駅に下山する」コースを辿った。距離:約13km 
 

スタート地点の「越畑」から愛宕神社の登りと、愛宕神社から水尾までの下りの行程は後回しにして、愛宕神社とその周辺を先に掲載する。

どのコースから来ても通る黒門周辺 黒門は京口惣門 とも呼ばれ、白雲寺時代の京側の惣門
    
44丁目のがんばり坂を登ると黒門。銅板葺の高麗門 神社に注連縄(しめなわ)が張ってあったり、寺院門があるのは珍しいが、昔の白雲寺の遺構である。

本殿までは約400m、真直ぐ伸びる大木の杉木立が参道に厳粛な雰囲気を醸し出す。石段の連続が結構キツイ!
      

厳しい石段が続いて歩きずらい。脚力の低下を感じる
       

最後の石段を上りきると並び立つ石灯籠が見え、右側は休憩所でベンチもある。残念ながら景色は曇天でダメ。
      

社務所
      
愛宕五坊の一つである西坊威徳院跡

鳥居までの石段 これでお終い、最後と言い聞かせながらのぼる。
      

青銅の鳥居
       
左右の柱には神使の猪の浮き彫りが施されている。この猪を舐めると、たちどころに足の疲れが癒されるという。
愛宕神社の神使は、神社の創建者である和気清麻呂が猪に助けられたとの故事に因んで「猪」とされる

上の亀石
 
青銅鳥居の傍らにある。石柵で囲って注連縄が張られている。本社前の礼拝石が上の亀石、鳥居本にあるのを下の亀石。役行者が置いたと伝えられる名石。
下の亀石と同様、何のために置かれたのかは分からない。社では、「神石」には間違いないが、名は特にないという。下の亀石と地中で繋がっているともいう。

山門
     

社殿連絡路−猪の彫刻
               
神の使いとされる猪の彫刻が目立つ。

拝殿・本殿の周辺
 
本殿
    

愛宕太郎坊天狗
 
愛宕山は天狗信仰の拠点で,全国各地の天狗の惣領格とされ、太郎坊天狗と呼ばれ毘沙門天の化身といわれ、次郎坊は比良山、また鞍馬山の大天狗は僧正坊といわれ、九郎判官義経に兵法を伝授したとされる

若宮社・奥宮社
       

本殿は標高924mの地点にある。愛宕山の三角点(標高:890.01m)は三等三角点で、山頂から34m低い地点にある。
ここまで来る途中の登り道を少し外れた地点にあったが今回はカットした。


愛宕神社までの往路

越畑と樒原は愛宕山の陰にあるため宕陰(とういん)地区と呼ばれる。
現在、宕陰は字や町の名称には使用されていないが、宕陰小中学校、右京区役所宕陰出張所など公的機関が「宕陰」の名を使用している。
  
標高400mの越畑・樒原それぞれに美しい棚田が広がっており、越畑のみで約800枚ある棚田は「にほんの里100選」に選出されている。
万灯山と呼ばれる対面の丘の上から棚田を眺めることができる。
   
現在ではコメやソバなどの穀物、菊菜などの野菜、オミナエシやホオズキなどの盆花、ブドウなどの果樹を生産している。
昼夜の温度差が大きいため高原野菜の栽培に適しており、この他にはワサビや柚子なども少量ながら生産している。
平安時代初期の814(弘仁5)年、愛宕山白雲寺の僧侶が丹波国を訪れた際、道中に人家がなく往来に不便だと感じ、愛宕山参詣者の交通の便を良くするために当地に移住して越畑を開拓した。愛宕山の腰部に位置していたことから当初は腰畑村と呼ばれていたが、後に越畑村に改められた。やがて都人が次々と越畑に定住しはじめ、鎌倉時代から室町時代が越畑の最盛期であり、多数の寺社が建立された。
元禄年間(1688〜1704には砥石、アユの名産地として名を成し、愛宕山の裏参道として、参拝者相手の茶屋・旅籠・酒屋ができ、門前町として栄えた。(樒原)
越畑集落の氏神として鎌倉時代創建の八坂神社があり、スサノオノミコトを祭神とする。平安時代中期開山の阿弥陀寺もある。

                     

標高560m、峠はフラットになった杉と赤松林の中にある。南には地蔵山に行く尾根道がのびている。約20分で到着
    

地蔵山を目指す 
    
少し上りとなる。杉・雑木の林が続く。

栗の木が多いのか。小粒のシバクリが沢山落ちている。予定外の行動であるが、地元の子ども会向けに拾う。ナマで食べてもうまい。
  

雑木林を過ぎると「アセビ」の群生地となる。低木体の中、若干アップダウンする道を進む。
    

西向き地蔵とフェンス
  
小さなお地蔵さんが鎮座している。「西向き地蔵」と呼ばれ、「西向き宝庫地蔵尊」と彫られている。杉の若木をまもるためのフェンス?が続く。

地蔵山(標高948m)到着 風格のある一等三角点 愛宕山よりは少し高い。芦見峠より約90分かかる。眺望はないが静か。昼食を取る。
    
京都府には8ケ所一等三角点があるが、地蔵山は最高峰である。

いよいよ愛宕山を目指して歩く。尾根歩きとなり足が前に進む。
      

少し進むと視界が開け地蔵山全景が見える。
   

電波反射板(標高917m)
  

         

現在の嵐山駅から清滝駅までの普通鉄道路線(平坦線)と、清滝川駅から愛宕駅までのケーブルカー(鋼索鉄道)を第二次世界大戦前に運営していた愛宕山鉄道が、愛宕山にホテルや飛行塔のある愛宕山遊園地、スキー場、テント村などを設置し、夏は避暑地、冬はスキー客で賑わっていた。
1930(昭和5)年頃が最も賑わったとある。しかし世界恐慌の影響と戦争による金属資源不足から1944(昭和19)年に廃線となった。その頃の施設が廃墟群として残る。

                



愛宕神社からの復路

ハイキング:愛宕神社〜JR嵯峨野線保津峡駅〜京都駅

コース
愛宕神社黒門〜水尾分かれ〜嵯峨水尾〜JR保津峡駅 水尾から保津峡駅までは水尾自治会バスを利用

スタートは愛宕神社黒門からとする
コース地図
 

表参道は緩やかなさ下り坂の連続である。林間をひたすら下りるのみ。
         

丁石の代わりとなる案内板が100m毎に立つ。1番から44番まで
 

水尾山稜参道石柱
 
清和天皇(850〜880年)は陽成天皇に譲位された後、仏道修行で訪れた水尾の里が大変気に入られ「この里を終焉の地としたい」と大瀬になり、その遺詔に従い水尾山に葬られたのが現在の水尾山陵(みづのをやまのみささぎ)で、その参道である。

下りは早い−水尾の分かれ付近 黒門から約20分
    

表参道から分かれるも、下り坂ばかりである。愛宕神社へ登るとなると大変! 案内板
    

もう一息である。
        

到着 黒門より約1時間かかった。 水尾から愛宕山までは約3.5qの距離
    

水尾集落

案内 (画像は一部水尾保勝会HPより引用)
    
水尾は、昔は山城と丹波の両国を結ぶ要所に当り、早くから開けていた。東の八瀬・大原に対して、西の清浄幽すい境として、大宮人にもよく知られていた。
水尾は果実が豊富で、特に「柚子(ゆず)の里」として知られている。12月ごろには各家の軒先で、柚子が箱にあふれんばかりに収穫される。
香り豊かな柚子茶、煮柚子、柚子味噌など、近くの加工場で地域の人たちの手によって作られた商品が店先にたくさん並ぶ。

バス乗り場までのわずかな範囲の集落の画像である。
            

フジバカマ
水尾では、秋の七草の一つであるフジバカマを、原種にこだわり、地域の方々と有志のボランティアの皆さんで大切に育てている。
毎年9月下旬には、地域主催でフジバカマ鑑賞会が行われ、晩秋の「水尾柚子」と並ぶ新たな風物詩として定着した。
例年、満開のフジバカマにたくさんのアサギマダラ(長距離を移動する渡り蝶)が飛来し、自然豊かな水尾に幻想的な風景が広がる。
      

清和天皇陵
清和天皇ゆかりの地として、清和天皇陵がある。水尾集落から少し離れた山の中腹にひっそりとたたずんでおり、学問・文芸にいそしんでいたといわれる清和天皇にふさわしい地となっている。毎年5月3日には清和天皇社例大祭が古式ゆかしく執り行われる。





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