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京都府京都市東山区 知恩院

(Chion-in Temple, Higashiyamaku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

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Dec.2010 撮影:大野木康夫 source movie

除夜の鐘試し撞き

知恩院の除夜の鐘は、17人の僧侶により撞かれます。

特殊な撞き方をするため、毎年12月27日に試し撞きが行われます。

新門前から三門に向かいます。

四脚門(京都府指定文化財)

寛永年間(1624-1643年)の建築

四脚門、切妻造、本瓦葺

通称は「新門」で、「総門」とも呼ばれています。

参拝の観光バスもくぐれる大きな門です。

三門前の参道では、2011年3月から4月にかけて営まれる「法然上人八百年大遠忌法要」に向け、整備工事が行われていました。

       

三門(国宝)

元和7(1621)年の建築

五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付山廊 各桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺

三門には、三つ葉葵の紋が染め抜かれた紫の幔幕が張られていました。

         

本堂(御影堂)(国宝)

寛永16(1639)年の建築

桁行十一間、梁間九間、一重、入母屋造、正面向拝五間、背面向拝三間、本瓦葺

大遠忌法要終了後、大修理がおこなわれる予定で、北側には足場の基礎が組まれています。

阿弥陀堂

明治時代に再建された建物です。勅額(御奈良天皇の御宸筆)には「大谷寺」とありますが、これは、知恩院の正式名称が「華頂山知恩教院大谷寺」であるためです。

経蔵(重要文化財)

元和7(1621)年の建築

桁行三間、梁間三間、一重もこし付、宝形造、本瓦葺

                       

試し撞きは午後2時からですが、午後1時過ぎに大鐘楼に向かいました。

大鐘楼は人の背丈ほどの鉄柵に囲まれていますが、撞くところを見通せる場所は、すでに人が貼りついていました。

柵内では、試し撞きの準備が行われていました。

     

午後1時45分頃にテレビ局、新聞社、知恩院のカメラマンが柵内に入り、撮影の準備をした後、2時前に試し撞きをする僧侶が入場しました。

    

僧侶は、大鐘楼の中に入り、梵鐘を囲んで円陣を作り、御念仏(十念)を唱えて礼拝します。

その後、法衣をからげて撞く準備をします。

   

試し撞きが始まりますが、しばらくは柵内のカメラマンが撮影をされるので、その隙間から、撞くところを見ました。

知恩院の除夜の鐘は、17人の僧侶で撞きます。

16人が小綱を持って撞木を揺らし、1人が親綱を握ってタイミングを計ります。

親綱を持った僧侶が「えーい ひとーつ」と掛け声を掛け、16人が復唱し、「そーれ」の掛け声を掛けるとともに、親綱に体を預け、仰向けにぶらさがって全身で鐘を撞きます。

その間約1分、梵鐘の北東隅にしゃがんでいる進行役の指示のもと、入れ替わり立ち替わり鐘を撞いていきます。

                   

僧侶の中に、一人だけ尼僧がおられました。

       

しばらくすると、カメラマンの数が減り、見通しが良くなってきました。

       

私が陣取っていた、大鐘楼の北側だと、梵鐘へのインパクトの瞬間、撞いている僧侶が進行役の僧侶の陰に隠れてしまうので、東側の石垣の上から見ることにしました。

                  

また場所を変えて、大鐘楼の西側から梵鐘越しに、撞くところを見ました。

                  

そのうち、大鐘楼南側に座っていた高僧が退出されたので、南側から見ました。ただし、この場所は一番人気があるらしく、撮影する人の頭越しに手を伸ばして写真を撮ることになりました。

  

ゆっくり見ることだけを考えれば、開始20分後ぐらいに柵内のカメラマンの数が減り、督励される高僧が退出されてから行けばいいと思いました。

試し撞きを見た後、大遠忌法要に向け修理中の集會堂の覆いが外されていたので、覆いに隠れていた大庫裏も併せて見に行きました。

集會堂(重要文化財)

寛永12(1635)年の建築

桁行42.9m、梁間23.7m、一重、入母屋造、本瓦葺

附指定:玄関

大庫裏(重要文化財)

寛永18(1641)年の建築

桁行31.5m、梁間25.6m、一重、入母屋造、北面張出附属、本瓦葺

附指定:歩廊及び玄関

              

黒門から、古門前に下りて東山通に出ました。

総門(京都府指定文化財)

寛永年間(1624-1643年)の建築

一間薬医門、切妻造、本瓦葺、脇門付属

通称は「古門」、すぐ前を白川が流れています。

  

東山通を南に下がり、新門前に戻りました。

  


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