京都府京都市東山区 知恩院
(Chion-in Temple, Higashiyamaku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
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知恩院三門
知恩院は浄土宗の総本山。
浄土宗は徳川家の宗旨であったことから江戸時代以降、大伽藍が造営され、三門は二代目将軍秀忠が寄進した。三門は木造の門として世界最大級。
1621(元和7)年建立以来、京を見おろし続けてきたこの三門は、高さ約24m、全幅約27mの巨大な構造物である。
この迫力は、京都の朝廷に対して幕府の威光を示す効果があったとされる。
重層、入母屋蔵、本瓦葺の重厚な屋根、左右に切り妻造の山廊が付属している、
本堂へ向かう急勾配の石段の途中に西面して建つ。構造は五間三戸の二重門である。
「五間三戸」は正面柱間が5つで、うち中央3間が通路になっているもの。
柱で五つに間仕切りされたなかに、三つの扉口があり、2階建てで屋根が二つある門のことである。
「二重門」は2階建てで、1階・2階の両方に軒の張りだしがあるものをいう。
組物(軒の出を支える構造材)が軒下にびっしり並び、屋根の隅がピンと反りあがる典型的な禅宗様式である。
三門は、空、無相門、無作門という三つの解脱の境地に達する門とされる。
中央、左右と三つに開いている扉口のどれが空門、無相門、無作門かはわからない。
知恩院は、法然が草庵を結んだのが始まりであるが、1603(慶長8)年に徳川家康が永代菩提所とし、家康、秀忠がここに大規模な伽藍を配したのは、二条城に次ぐ、第ニの城を想定して造らせたともいわれる。本堂に向かう石段にも大石で出来た石垣がある。
三門からの京都一望は、景色を楽しむ以外に見張りの目的もあったとされ、いざという時、徳川を守るためのお寺であった。
両脇の山廊の内から突き出た急な階段が上層に届いている。上層は非公開であるが、春秋の特別拝観時などには上がれる。
白木の棺
三門楼上に二つの白木の棺が安置され、中には将軍家より三門造営の命をうけた大工の棟梁、五味金右衛門夫婦の自作の木像が納められている。
金右衛門は立派なものを造ることを心に決め、自分たちの像をきざみ命がけで三門を造った。
やがて、三門は完成したが、工事の予算が超過し、夫妻はその責任をとって自刃したと伝えられる。
この夫婦の菩提を弔うため白木の棺に納めて現在の場所に置かれる。白木の棺は三門の床下から発見された。
以下は、「知恩院山門修理工事報告書」よりの引用である。
三門鬼瓦
二階鬼瓦
二階鬼瓦
一階鬼瓦
南山廊・北山廊鬼瓦
一階内部の斗きょう、二階内部の斗きょう内部紅梁上の板蟇股
二階内部
二階独立柱廻り彩色
二階側柱廻り彩色
二階内部東北隅斗きょう廻り彩色
参考資料≪パンフレット、知恩院HP,京の門、他≫
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