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京都府京都市東山区 知恩院

(Chion-in Temple, Higashiyamaku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

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March 29, 2020 野崎順次 source movie

知恩院の桜

新型コロナウィルス感染で中国人観光客の姿が消え、しばらく閑散としていた京都の東山であるが、春が来て桜が咲き始めると、土日には日本人と欧米人が集まってきた。知恩院もお花見の季節である。

アプローチ、青蓮院から黒門

        

石段を上り、御影堂の方へ進む。御影堂は9年にわたる大修理が終わり、今年の4月に落慶法要の予定であったが、コロナ感染のため、中止となった。

        

勢至堂への石段のあたり

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納骨堂のあたり

  

御影堂、阿弥陀堂、泰平亭

    

阿弥陀堂周辺

    

男坂を下る。

      

三門周囲

                 


March 14, 2020 野崎順次 source movie

新型コロナウィルスの影響と小雨の天気のせいで、ごく人出の少ない京都に出かけ、知恩院の五輪塔を見に行った。現地の境内案内図には阿弥陀堂の回廊の北にその五輪塔がきちんと書かれている。

    

土曜日なのに人影少ない御影堂あたり

     

知恩院五輪塔 

鎌倉時代後期 高269cm 花崗岩
洛東知恩院の境内、阿弥陀堂の回廊の北側に立つ大きい五輪塔である。参道から離れているためか、知恩院に参詣する人は多いが、ほとんど気付かれていない、知恩院の地はもと山腹の勢至堂の辺りだけであったのを、慶長年間に今の御影堂を中心とする場所に拡張造営したもので、五輪塔のあたりには速成就院という寺がもとあったという。石塔はその旧寺時代のものであろう。忌明塔の俗信もあるので取りのけもせず旧地に残ったのかも知れない。すこしの損傷もなく、割合に背の低い地輪に、張りのある水輪、軒反りの力強い火輪、大きな風輪は完好な形の空輪を受ける。塔は鎌倉時代後期の様式を示す重量感のある名品である。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典」1998年より)

             

隣の句碑、表は「東山西山こめて花の京」、裏は「昭和三十二年五月村田橙重建立」とある。調べてみると、高浜虚子の句で、句誌「東山」創刊の折に贈られた。

  

御影堂前の子供たち

    


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