京都府京都市伏見区 醍醐寺
Daigoji,Fushimiku,Kyoto city,Kyoto
May 2011 野崎順次 source movie
京都府京都市伏見区醍醐醍醐山
深雪山 上醍醐寺
(Kamidaigoji Temple, Fushimi-ku, Kyoto City)
撮影日: 2011年5月8日
下醍醐から約1時間、山道を登っていくと、醍醐寺開創の地である上醍醐に至る。上醍醐には、西国三十三観音霊場第十一番札所の准胝堂(じゅんていどう)を中心に五大堂(不動堂)、薬師堂(国宝)、開山堂(重文)、如意輪堂(重文)、清瀧宮(せいりゅうぐう)拝殿(国宝)など、国宝、重要文化財に指定されている数々の堂宇が点在する。上醍醐の中心である准胝堂は、貞観18年の創建と伝えられるが、昭和43年再建、2008年8月24日未明の落雷による火災により焼失した。現在、復興工事中。
下醍醐から急坂を上る。徒歩約1時間とあるが、標高差は約400mあるのできつい登りである。
15分位で秀吉が花見を催した場所に着く。さらに行くと不動の滝である。
階段を登りつめて、広い道を進むと上醍醐社務所の門に着き、説明板がある。
国宝 清瀧宮拝殿(室町中期)
懸造、桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝三間、軒唐破風付、檜皮葺。 寝殿造りの手法を生かした気品ある風格を備えており、山腹をわずかに切り開いて前面が崖にさしかかる懸造(かけづくり)の構造になっている。
清瀧宮本殿(昭和再建)
醍醐水
ここがまさしく聖宝・理源大師が山上に立てた隠遁場所で、大師は霊感によってこの泉を発見された。時々枯れているが、運がいいとこの霊水を飲むことができる。この日はたっぷり飲めた。この背後の上に復興工事中の准胝堂がある。
社務所沿いに登ると薬師堂の下に経蔵跡がある。
国宝 薬師堂(平安後期)
桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、檜皮葺。 上醍醐伽藍の中央に位置し、850年以上の風雪を耐え抜いてきた。全体に水平感を強調した落ち着いた建物で平安後期の気風をよく伝えている。
薬師堂からの展望、石仏、醍醐山略史説明板
五大堂(昭和再建)
現在の五大堂は昭和焼失以後の新建築だが、山上に聳えるその偉容は、鎮護国家を託された往時の山上密教寺院の雰囲気を今に伝えている。また、五大堂の本堂には、本尊として不動明王像を始め五大明王像が奉られており、いずれも重要文化財である。毎年2月23日に五大力さんとして下伽藍金堂で授与される”御影(みえい)”は、この五大堂で一週間に亘って祈願されたものである。
五大堂の下でヤマカガシに出会った。おとなしい性質の蛇であるが、近年、猛毒を持つことが判明した。進路を邪魔するようにカメラを向けると迷惑そうにしていた。
上醍醐伽藍の最高所に如意輪堂と開山堂がある。
重文 如意輪堂(桃山時代)
懸造、桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、妻正面、こけら葺。
奥にひっそりと白山大権現
重文 開山堂(桃山時代)
桁行八間、梁間五間、一重、入母屋造、妻入、向拝三間、軒唐破風付、前部檜皮葺、後部こけら葺。 醍醐寺の開山、聖宝・理源大師を奉安したお堂。現在のお堂は、慶長11年(1606)に豊臣秀頼によって再建されたもの。雄大な桃山時代の特徴をよく表した山上最大のお堂である。
山頂近くでくつろぐ人々。
参考資料
醍醐寺HP
国指定文化財等データベースHP
京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
真言宗醍醐派総本山 醍醐寺
(Daigoji Temple, Fushimi-ku, Kyoto)
撮影日: 5月5日、15日
パンフレットと現地説明板
三宝院のパンフレットと入り口付近。大半の建物内外と庭園は撮影禁止。
国宝 三宝院唐門(桃山)
唐門が開いていたので待っていると、ホラ貝の音と共に、准胝観世音菩薩ご開帳法要のご一行が戻ってこられた。
仁王門と仁王像(重文)
新緑の参道
重文 清瀧宮本殿(桃山)
清瀧宮拝殿
国宝 五重塔(平安)
国宝 金堂 (平安後期建立、桃山移築改築)
不動堂・護摩道場
真如三昧耶堂
祖師堂
旧伝法学院
さらに奥への門
鐘楼堂
大講堂 - 昭和5年(1930年)建立
林泉と弁天堂
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