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京都府京都市伏見区 醍醐寺

Daigoji,Fushimiku,Kyoto city,Kyoto


Dec.2011 大軒康夫 source movie

2011.12.24撮影 

総門付近

    

三宝院唐門(国宝)

桃山時代の建築

三間一戸平唐門、檜皮葺

               

三宝院

玄関から先は殿堂、庭園ともに撮影禁止

 

玄関(重要文化財)

慶長3(1598)年の建築

桁行11.8m、梁間16.9m、一重、切妻造、妻入、本瓦葺

車寄 桁行4.8m、梁間5.8m、一重、唐破風造、檜皮葺

        

塀越しに屋根を撮影

手前の急勾配の瓦屋根は勅使の間、秋草の間及び葵の間

その奥に少し勾配が緩やかな破風が見えるのは表書院

表書院の棟の上にわずかに見える茅葺の屋根は純浄観

勅使の間、秋草の間及び葵の間(重要文化財)

慶長3(1598)年の建築

勅使の間十畳(附書院付)、秋草の間十五畳、広縁、車寄より成る、一重、入母屋造、妻正面、桟瓦葺、車寄唐破風造、檜皮葺

葵の間二十畳、一重、両下造、両端秋草の間及び繋の間に接続、桟瓦葺

表書院(国宝)

慶長3(1598)年の建築

上段十五畳(床及び棚付)、十八畳、次の間二十七畳、四面入側、泉殿、車寄より成る、

一重、入母屋造、泉殿切妻造、桟瓦葺、西面車寄唐破風造、檜皮葺

純浄観(重要文化財)

慶長3(1598)年の建築

桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、茅葺、庇こけら葺

純浄観は、もともと秀吉の醍醐の花見の際に花見茶屋として建てられたものを移築したものです。

     

殿堂のうち護摩堂(本堂)、宸殿、庫裏(いずれも重要文化財)は玄関より先でないと見えないので撮影できません。

また、三宝院宝篋印塔(重要文化財)は、醍醐寺南の醍醐下端山町にある旧菩提寺跡の墓地にあり、非公開です。

西大門(京都府指定有形文化財)

慶長11(1606)年の建築

三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺

木造金剛力士立像(所在西大門)(重要文化財)

長承3(1134)年の製作

もと本寺南大門にあった仁王像で、長承三年(一一三四)に大仏師勢増、仁僧によってつくられたことが醍醐雑事記などによってわかり、下って豊臣氏による再興事業の際に修理され、慶長十年(一六〇五)に現在の西大門に移された。

檜材、寄木造り、大きめの頭部に比べて体部はやや細身、小柄にまとめられ、肉身のモデリングもさほど厚手でなく、しかもこまやかで、翻転する裳裾もその衣褶を流動的に刻みながら動勢は至って少なく、忿怒形像【ふんぬぎようぞう】としては隠健な作風を示している。数少ない平安後期の仁王像中、造像年次のわかるものは本像と京都峰定寺像(一一六三、重文)の二例のみで、本像はこの期の仁王像の一典型となる貴重な作例である。

(国指定文化財等データベースより)

私の祖母の実家は醍醐寺のすぐ南ですが、祖母は小さい頃、ちり紙を口でしがんで金剛力士立像に向かって投げ、くっつけて遊んでいたと話していました。

    

西大門から南に廻り、下伽藍の南を通って女人堂に向かい、そこから上醍醐に上ります。

  

女人堂は上醍醐への登山口になっており、入山料600円を払って山道を登り始めます。

女人堂(京都府指定有形文化財)

江戸時代初期の建築(明治時代に移築)

桁行三間、梁行三間、背面庇付、入母屋造、向拝一間、桟瓦葺

     

上り始めは9時53分、初めは急な未舗装道ですが、秀吉の花見が行われた槍山(9時58分)くらいから一旦平坦になり、しばらく行くと石段が続きます。(10時2分)

     

石段を少し上ると、不動の滝(10時4分)があり、そこからしばら石段が続きます。

            

10時19分に石段の上に着きました。そこから少し下ると、上醍醐の寺務所です。(10時23分)

       

寺務所の山側は清瀧宮拝殿です。

清瀧宮拝殿(国宝)

永享6(1434)年の建築

懸造、桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝三間、軒唐破風付、檜皮葺

大きな懸造の建物です。

最近、正面側の庇の檜皮が葺き替えられました。

その庇の形状が複雑です。

                                              

隣には醍醐水があります。

醍醐水の上には、最近落雷で焼失した准胝観音堂がありました。

    

寺務所から少し上ると、薬師堂の下に着きます。(10時39分)

鎌倉時代の経蔵があったところです。

そこから薬師堂に上がります。

薬師堂(国宝)

保安2(1121)年の建築

桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、檜皮葺

薬師堂は醍醐寺山上伽藍の主要堂宇で、保安二年(一一二一)に再建されたのが現在の堂である。

簡素な意匠であるが、蟇股や組物など平安時代の特色をあらわす。

この時代の数少ない遺構の一として貴重なものである。

(国指定文化財等データベースより)

                  

薬師堂から又少し上ると、分かれ道になっており、左が五大堂、右が如意輪堂、開山堂へと続きます。

 

如意輪堂(重要文化財)

慶長11(1606)年の建築

懸造、桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、妻正面、こけら葺

懸造の大きなお堂です。

入口に近寄ることはできません。

                     

白山堂(京都府指定有形文化財)

桃山時代の建築

一間社流造、こけら葺

  

開山堂(重要文化財)

慶長13(1608)年の建築

桁行八間、梁間五間、一重、入母屋造、妻入、向拝三間、軒唐破風付、前部檜皮葺、後部こけら葺

八間の大きな建物で、全景を撮影するには少しスペースが狭いです。

                   

如意輪堂付近から、空気が澄んだ晴れの日には大阪の高層ビル街が見えます。

来た道を半ば駆け下りて下伽藍に行きました。

女人堂に着いたのは11時24分でした。

清瀧宮本殿(重要文化財)

永正14(1517)年の建築

三間社流造、檜皮葺

五重塔の西側にひっそりと建っています。

紅葉の少し残っていました。

               

五重塔(国宝)

天暦6(952)年の建築

三間五重塔婆、本瓦葺

京都市内最古の建築物です。

                        

金堂(国宝)

平安時代後期の建築

桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺

元は紀州の湯浅にあった満願寺の本堂(後白河法皇が建立)を、豊臣秀吉の命により移築したものです。

                

醍醐寺は境内が広く見どころも多いので、充分に時間をとらないと廻りきれません。

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