京都市左京区 南禅院
Nanzen in Sakyoku,Kyoto city,Kyoto
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January 8, 2023 野崎順次 source movie
京都府京都市左京区南禅寺福地町86
臨済宗南禅寺派 南禅寺塔頭
南禅院
亀山天皇は、正応2年(1289)離宮で出家して法皇となられ、離宮を寄進して禅寺とし大明国師を開山とされました。ここは離宮の遺跡であり、また南禅寺発祥の地です。
庭園は当時のおもかげを残し、鎌倉時代末の代表的池泉回遊式で、周囲を深い樹林で包まれた幽玄閑寂の趣は格別である。作庭は亀山法皇ともいわれ、早くから、京都の三名勝史跡庭園の一つに指定されています。
向かって左の奥に滝口の石組みが組まれ、上池は曹源池と呼ばれ竜の形に作られ中央に蓬莱島があり、下池には心字島が設けられています。記録によれば築庭当初には、吉野の桜、難波の葦、竜田の楓等が移植され、井手の蛙も放たれたと記されています。心静かに鑑賞する庭園です。
(南禅寺ウェブサイトより)
西の参道から、勅使門、方丈、庫裡
境内に入って、方丈
南禅院方丈は、元禄16年(1703)徳川綱吉の母、桂昌院の寄進によって再建され、総桧の入母屋造こけら葺きです。内陣中央には亀山法皇御木造(重文)が安置され、襖絵は狩野養朴とその子如川隋川の筆になる水墨画です。
(南禅寺ウェブサイトより)
国史跡名勝 南禅院庭園
龜山天皇當院ニ在アセシ時ニ於テ作造セラルト傳フ爾來長年月ノ變遷ニ依リ舊態改廢セラレ頽廢甚シク當時ノ宏大ナル規模ヲ窺フニ足ラサルモ今仍ホ池面緩カニ清水ヲ湛ヘ池畔ハ常緑樹點綴シテ草苔深ク一面ニ岩磐ノ聳立アリ嶼橋等ノ配置ニ依リ幽邃ナル雅趣ヲ添ヘ古代庭園ノ景致歴然タルアリ蓋シ本邦屈指ノ古園ナリ
(国指定文化財等データベース)
西池(下池、竜池)、心字島
南池(上池、曹源池)
南池には鶴島(左)、亀島(右)が配される。鶴島は山形の石により蓬莱山を表現している。蓬莱山を表現している鶴島。山形の巨石で、不老不死の仙人が住む山「蓬莱山」を表現しており、また鶴島の鶴羽石も兼ねている。鶴島の左手には滝石組も確認でき、苔むした石と合わさり侘びを感じさせます。
(庭園ガイド)
茶室「龍淵窟」、一山国師霊塔
滝から南池の南を回る。
南禅寺開基亀山法皇七百年御忌記念
南禅寺参道彫刻
(彫刻・徳林庵住職政義昌文師)
亀山法皇の離宮であり南禅寺発祥の地、南禅院の参道には仏教の教えである万物を形成する五つの元素、地(堅性)水(湿性)火(暖性)風(動性)空(円性)のシンボルが彫刻されています。
亀山法皇は落飾(出家)の後、「利生の悲願」(優しさと思いやりを持って悩める人々と共に)の願いをもって南禅寺を創建されました。
法皇の願いを今の世に実現し、自分自身の存在を顧みる礎として五つの元素を参道に記しました。
平成十五年三月吉日 大本山 南禅寺
(現地説明板)
刷毛塚
水路閣あたり
November 24,2020 大野木康夫
source movie
紅葉の南禅院
境内の紅葉は一斉に赤くなることはなく、赤、オレンジ、黄色、緑が混在している状態でした。
京都府京都市左京区南禅寺福地町86
臨済宗南禅寺派
南禅院
亀山天皇は、正応2年(1289)離宮で出家して法皇となられ、離宮を寄進して禅寺とし大明国師を開山とされました。ここは離宮の遺跡であり、また南禅寺発祥の地です。
庭園は当時のおもかげを残し、鎌倉時代末の代表的池泉回遊式で、周囲を深い樹林で包まれた幽玄閑寂の趣は格別である。作庭は亀山法皇ともいわれ、早くから、京都の三名勝史跡庭園の一つに指定されています。
向かって左の奥に滝口の石組みが組まれ、上池は曹源池と呼ばれ竜の形に作られ中央に蓬莱島があり、下池には心字島が設けられています。記録によれば築庭当初には、吉野の桜、難波の葦、竜田の楓等が移植され、井手の蛙も放たれたと記されています。心静かに鑑賞する庭園です。
南禅院方丈は、元禄16年(1703)徳川綱吉の母、桂昌院の寄進によって再建され、総桧の入母屋造こけら葺きです。内陣中央には亀山法皇御木造(重文)が安置され、襖絵は狩野養朴とその子如川隋川の筆になる水墨画です。庭園の東南隅には亀山法皇のご遺言により御分骨を埋葬した御廟があります。
(南禅寺ウェブサイトより)
入山券、アプローチ(水路閣の背後の石段の上)
方丈
亀山天皇分骨所
一山國師塔
本庭は書院の南庭と西庭の二つが矩手に折れて地割されており(中略)鎌倉末期の作庭であることが考えられる。
さらにまた本庭の南には現状で南に大きく出島があるが、その出島は上部の山畔が崩れて土砂で埋まって出島となったたもので、実は蓬莱式の中島であり、その西に小島一島がある。さらに西池庭には三島あって、全体では五島となり、一種の多島式である。西池の中島と出島とが、心字形の配置になっていることから、これを心字島といっているが、実は西池の中島は岩盤のために残った中島であるから、心字島という意味ではない。元来この池庭に対して「天下南禅寺記」には竜池と記している。
(中略)
そして本庭には南東上部に当たって滝が組まれ、その水が北へ流下して池庭に入っている。この滝石組のところが竜頭であるこというまでもない。
この滝石組は従来甚だしく荒廃していたが、それでも水落石と添石二石と三尊石組は、よく鎌倉期の手法を語り、米子市の深田氏庭園と同一手法を示していたが、近年悪改修のために
原形が崩されてしまったことが惜しまれる。しかし幸いに南池出島の蓬莱石組などがよく保存されていて、その護岸石組とともに、当代庭園としての価値を保存している。
(重森三玲「日本庭園歴覧図鑑」南禅院庭園より)
三玲さんのいう土砂で埋まった出島は、蓬莱石の立つ鶴島に復元されたようだ。その隣の小島は亀島。
東部の山畔
下池(心字島)
京都市左京区南禅寺福地町
臨済宗:南禅寺派。南禅寺別院。
南禅院 (なんぜんいん)は、南禅寺境内、琵琶湖疏水分線が流れる水路閣近くに建つ。この地は南禅寺発祥の地になった。
南禅寺の境内に構える琵琶湖疏水・水路閣
南禅院外観
入口と出口は同じである。進むと左側に方丈、右側は庭園である。
方丈
1703年(元禄16)年、桂昌院により現在の方丈が再建された。総檜、入母屋造、こけら葺、亀山法皇木像(重文)が安置されている。
庭園から見る方丈
亀山天皇分骨所
庭園説明
庭園から見る方丈
庭園
京都の三根意匠史跡庭園「他には、天龍寺庭園、苔寺庭園」の一つに数えられる。
南禅院は山陰に位置しており、日があまり射さないので紅葉が残っていました。
2011.11.27撮影
A camera
B camera
Mar. 2006 source movie
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