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京都府京都市左京区 和中庵

Wachuan,Sakyoku,Kyoto city

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Oct.13,2015 中山辰夫

京都市左京区鹿ケ谷桜谷町

和中庵は、ノートルダム栗本校長の熱い思いが通じて保存が決まり、改修を終え、本年9月から見学が許されるようになった。和洋折衷に昭和初期の邸宅である。

哲学の道を横切り進むと突き当たりにある霊鑑寺と道を隔てて並び建っている。

     

和中庵は近江五個荘出身の近江商人を祖にもつ藤井彦四郎が本邸として建築したもので、鹿ケ谷の山裾の林を開拓した広大な庭園を有する邸宅で、「何事も公平に」という意味をこめて彦四郎氏が名付けた。

近隣一帯も藤井家が開発したもので、国登録有形文化財の旧藤井繁次郎邸が傍に現存する。

1949(昭和24)年にノートルダム教育修道女会が布教拠点を探していることを知った彦四郎氏が、和中庵を安く譲り、改造後修道女たちが新たな住人となった。

多いときは40人もの修道女たちが暮らした時もあったが、修道女たちの高齢化に伴い、2007年(平成19)年「ノートルダム女学院」の所有となった。

和中庵の活用を巡り、最初は解体となったが、伝統工法を活かした耐震改修の目途がつき、保存の道が開かれた。

彦四郎氏が主に生活の場としていた母屋は解体やむなくなったが、その部材は他の建物の改修に使われた。

平面図

 

建物は、傾斜地に2階建主屋、2階建洋館、1階建客殿が並列され、渡廊下で結ばれていた。いずれも1926(大正15)年上棟で、1928(昭和3)年竣工である。

解体・全面改修・部分改修・補修、などを経て、現在はユ−ジニアハウス・茶室・蔵・2階建洋館・平屋が見学対象で、他に学校関連の教室、などが含まれる。

主のこだわりが各所に散見できる邸宅である。

ユージニアハウス

礼拝堂・事務室用に全面改修され、用途変更された。ステンドグラスや周りのガラスにこだわりが残されている。

     

3階の多目的用の和室

       

母屋の欄間などの古材がうまく使われ残されている

3階から見た全景

    

茶室 一重 入母屋造 桟瓦葺 建築時期:昭和初年

広間と小間の意味合いを持つ10畳と6畳を4畳半の水屋が矩折りにつないでいる。6畳には格天井の上段が設けられ、その奥に仏壇が隠されている。

          

細かな意匠が施されている。 仏壇は引き戸で隠すようになっている。

庭園

     

敷地に並行して桜谷川が流れており、渓谷となっている。 庭園には小川を引きこんでいた。

撞球室(どうきゅうしつ)

  

階段の右側から地下に通じており、そこに撞球室が設けてあった。当時の社交場である。

蔵と洋館2階から見た前庭

  

洋館 木造2階建 S字瓦葺 外壁はモルタル吹付大壁 スパニッシュを基調

改修後と前の外観

          

妻を庭園に向け張り出された半円の玄関ポーチ

    

1階洋間 

      

2階への階段

     

2階洋間 1室のホール 南半分を袖壁とし小壁で緩やかに分節する。内装は漆喰仕上げ大壁で、腰高の板張りとし、天井には漆喰飾り、暖炉も備えている。

        

庭に植わって板エドヒガンサクラの名を取って桜ホールと命名

奥座敷(客殿)へつながる渡廊下 半太鼓状に反らせてある

   

奥座敷(客殿) 木造 建築面積:165㎡ 1階建 桁行:6間半 梁間:3間 入母屋造 桟瓦葺 建築時期:1926(大正15年)

庭園の斜面上の一段高いと場所に建つ。

          

主要材に良質のマツが使われている。1間幅の縁が廻る。

琵琶床天井はスズメを描いた貼り付け天井

  

もとは出窓だった。 5個の節がある床材

    

鞍馬石と貴船石の長大な沓脱石

  

その他

  

庭園

    

通りから

  

大正末期から昭和初期にかけての南禅寺周辺は、昭和天皇の即位大礼にあわせて、別荘建築・造庭が続々と営まれた。住友の有芳園、小川睦之輔邸宅、碧雲荘、對龍山荘などが7代目小川治兵衛の手で同時期に作庭された。

時期を同じくする和中庵の建築は、斜面上に主棟である客殿を置いて庭園を見下ろすという、明治大正期の別荘群とは異なる配置計画が典型的にみられる。

同時代の先端の流行に必ずしもとらわれない独特の施主の好みを反映したものといえる。

京都の近代化に多大な足跡を残した藤井家による開発地に、邸宅の建築が残される歴史的意義も大きい。

≪参考≫

旧藤井繁次郎邸—彦四郎次男 (国登録有形文化財) 向い合って建っている。

     

藤井彦四郎 【1876(明治9年)〜1956(昭和31年)】

近江商人の三代目藤井善助の次男として生まれた。後に分家して藤井糸店を創業。人造絹糸や「小町糸」の発売、「スキー毛糸」の製造販売など時代を敏感にとらえて一代で成功した。出身地である滋賀県東近江市五個荘にある邸宅は、歴史民俗資料館として、五個荘商人の歴史的資料や生活文化資料・民俗資料を展示している。琵琶湖を模し多雄大な庭園を有する邸宅は、国登録有形文化財に指定されている。

    

彦四郎の兄である四代目・藤井善助

家業の織物絹糸販売に従事した後、政財界に進出し活躍した。

善助氏は、美術の人心に及ぼす影響が大きいことを考え、収集家の深蔵の慣習を改め、公開して人心を美化し、 学術研究にも役立ちたいと願い、心から中国文化を愛したコレクターである。

京都市左京区岡崎にある、中国の古美術が中心の私立美術館・藤井斉成会有鄰館(ふじいさいせいかいゆうりんかん)を建設した。(国登録有形文化財)

  

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