京都府八幡市 石清水八幡宮
Iwashimizu Hachimangu,Yawata city,Kyoto
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八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮本社 本殿 国宝 近世以前/神社 江戸前期 寛永11(1634) "内殿 桁行十一間、梁間二間、一重、切妻造、檜皮葺 外殿 桁行十一間、梁間二間、向拝三所、一重、流造、檜皮葺 相の間を含む" 18971228 20160209
八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮本社 摂社武内社本殿 国宝 近世以前/神社 江戸前期 寛永11(1634) 一間社切妻造、檜皮葺 20160209 20160209
八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮本社 瑞籬 国宝 近世以前/神社 江戸前期 寛永11(1634) 一周延長四十七間、銅板葺、門ニ所及び閼伽棚附属 20160209 20160209
八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮本社 幣殿及び舞殿 国宝 近世以前/神社 江戸前期 寛永11(1634) "幣殿 桁行正面一間、背面三間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺 舞殿 桁行三間、梁間一間、一重、切妻造、背面幣殿に接続、檜皮葺" 18971228 20160209
八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮 楼門 国宝 近世以前/神社 江戸前期 寛永11(1634) 一間一戸楼門、入母屋造、正面拝所、桁行二間、梁間一間、一重、向唐破風造、檜皮葺 18971228 20160209
八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮 東門 国宝 近世以前/神社 江戸前期 寛永11(1634) 一間一戸門、梁間二間、切妻造、東面庇葺きおろし、本瓦葺 18971228 20160209
八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮 西門 国宝 近世以前/神社 江戸前期 寛永11(1634) 一間一戸門、梁間二間、切妻造、西面庇葺きおろし、本瓦葺 18971228 20160209
八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮 廻廊 国宝 近世以前/神社 江戸前期 寛永11(1634) "楼門東門間、楼門西門間、背面の三棟よりなる 楼門東門間 桁行十三間、梁間二間、外面一間通り庇付、一重、入母屋造、本瓦葺 楼門西門間 桁行十三間、梁間二間、外面一間通り庇付、一重、入母屋造、本瓦葺 背面 桁行二十八間、梁間二間、外面一間通り庇付、一重、入母屋造、本瓦葺、神庫 桁行三間、梁間三間、高屋根、入母屋造、本瓦葺" 棟札3枚:寛永一一年八月二二日、延享二年五月二三日、文化九年一一月 18971228 20160209
八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮 摂社若宮社本殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永年間(1624-1643) 桁行五間、梁間四間、日吉造、向拝一間、檜皮葺、左右瑞垣附属、銅板葺、東面玉垣附属 20081202
八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮 摂社若宮殿社本殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永年間(1624-1643)頃 桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝三間、檜皮葺、左右瑞垣附属、銅板葺、東面玉垣附属 20081202
八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮 摂社水若宮社本殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永年間(1624-1643)頃 一間社流造、檜皮葺 20081202
八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮 摂社住吉社本殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永年間(1624-1643)頃 一間社流造、檜皮葺 20081202
八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮 東総門 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永年間(1624-1643)頃 四脚門、本瓦葺 20081202
八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮 西総門 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永年間(1624-1643)頃 四脚門、本瓦葺 20081202
八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮 北総門 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永年間(1624-1643)頃 四脚門、本瓦葺 20081202
八幡市橋本狩尾1 石清水八幡宮 摂社狩尾社本殿 重文 近世以前/神社 桃山 慶長6(1601) 三間社流造、檜皮葺、周囲玉垣附属 20081202
八幡市八幡高坊30 石清水八幡宮五輪塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 鎌倉後期 石造五輪塔 19570219
October 1 and 7, 2023 野崎順次
source move
重森三玲作の二つの庭、摂社・末社の装飾、展望台からの眺望などを重点に置いた。
パンフレット
ケーブル八幡宮山上駅から三之鳥居まで
鳩峯寮の庭 重森三玲作
この石庭は、昭和を代表する作庭家である重森三玲翁により、昭和三十六年九月十八日に当地方を襲った第二室戸台風で倒壊した三之鳥居(正保二(1645)年建立)の石材を用いて、昭和四十一年五月十一日に作庭されました。
参道の石畳を含めた東西にわたり一貫する直線と斜線の繊細な組み合わせと、力強い石組との対比によって構成された珍しい石庭で、生涯にわたって月参りを続けられた翁王の深い敬神崇祖の心が大変見事に表現されています。
石清水八幡宮
(現地説明板)
倒れた鳥居の石を利用して、三玲は参道の両側に庭をつくった。一つは、石を寝かせて幾何学的に配置し、もう一つは円柱状に立てて植え込みとの調和をはかっている。作庭当時と違って周囲の構造物が朽ちたり、植え込みが成長するなどして、三玲の構図のねらいを理解・推察するのは困難な状況にある。
(シリーズ京の庭の巨匠たち「重森三玲」2007/9/1 京都通信社)
参道を行く。
社務所の庭
1947年の火災で焼失して再建したばかりの社務所に、三玲が庭をつくることになる。重要文化財である石燈籠一基を軸に、山中に散在していた小ぶりの石を控えめに配置。青石を使用せず、石を立てることもしない枯山水の庭は、もう一人の三玲を見るようだ。三玲は1937年7月の日記に、「27日の八幡宮の恩恵ある因縁」とだけ記述しているが、翌年春からは毎月27日に参詣にここを訪ねている。
(シリーズ京の庭の巨匠たち「重森三玲」2007/9/1 京都通信社)
国重文 石燈籠 鎌倉時代 永仁三年(1295)
国宝 御本殿
楠木正成の楠
信長塀
御本殿周囲の総門・摂社・末社など(多くが国重文)
ケーブル駅へ来た時とは反対の東の道をたどる。
細橋(ささやきばし)
石清水の源流が通るために渡らずとなっている橋
展望台と眺望
谷崎文学碑
帰途のケーブル
April 2,2022 大野木康夫
source
movie
駐車場周辺の桜
社殿へ
本殿前の桜
社殿
帰路
Mar.25,2022 瀧山幸伸
A camera
B camera
October 3, 2021 大野木康夫
source movie
京阪橋本駅から栗ケ谷を越えて狩尾社へ
狩尾社は元々は橋本の総鎮守社として独立した神社でしたが、明治期に石清水八幡宮に合併されました。
参道からの眺め
拝殿
本殿(重要文化財)
部分撮影
京都府八幡市八幡高坊30
全域が国指定史跡である。
石清水八幡宮は、本年2月9日に「本社10棟と棟札3枚計、13棟」が一括国宝に指定された。国宝指定の歴史において13棟の一括は初めてのことである。
重要文化財として指定されていたのは8棟であったが、国宝指定に当たり、本殿部分が3棟に区切りされて2棟増え、棟札3棟も加わったことによる。
国宝指定は
1−石清水八幡宮の本殿が国内の同形式本殿の中で現存最古で最大規模であること
2−本殿などを廻廊で囲み一体化するという古代に成立した荘厳な社殿形式−八幡造の複合形式−を保持していることの二点による。
これで京都府は奈良県を抜いて最多の国宝所有府県となった。石清水八幡宮境内からは国宝指定の慶びが感じられた。
国内には約8万の神社が存在し、その中で八幡社系統は約4万社とか。石清水八幡社は宇佐神宮と共にその筆頭で、鶴岡八幡宮が続く。
石清水八幡宮の建造物は大きく上院(じょういん 山上)と下院(げいん 山麓)とにわけられる。
上院は男山の山上に建っている本殿をはじめとする諸殿舎をいい、下院とは北山麓の頓宮殿をはじめとする諸殿舎の総称である。
境内図
山麓の頓宮と山上の本社とはつづら折りの七筋「東谷道・西谷道・南谷道・北谷道・中谷道・湯ノ谷道・祓谷道(はらいだにみち)の参道で結ばれていた。
江戸時代までは、これらの谷筋道の両側に四十八坊の宿坊が存在していたとされる。
京阪電車八幡市駅から一の鳥居を目指す。さらに二の鳥居まで進む。
安居(あんこ)橋から見る男山(標高143m)
一の鳥居
表参道の入口に立つ。石造の明神鳥居は高さ8.8m。額束は紺地に金で「八幡宮」と書いた扁額が掛かる。「八」の字は、使いの鳩が向い合った形である。
扁額の文字は三蹟の一人藤原行成の筆跡を松花堂昭乗がそっくり書き写したという謂われがある。
放生池
池の枠内で、準絶滅危惧種のアサザが移植され、保護生育されている。
泉殿と筒井 (男山五山の一つ)
頓宮北門の左手前にある。両開きの菱格子の中に四方石組で囲まれ、現在まで厳寒にも涸れることがない。
当宮にて斎行される年間100余の祭典には、「石清水」が必ず御神前に献供される。傍らに筒井と彫った石標が立つ。
北門
左右の門扉に菊の御紋を置いた格調の高い檜皮葺の四脚門
南門
南門は、もと山上の南総門で、1939(昭和14)年に移築したもので、あり、頓宮殿と同様に桧皮葺屋根から銅板葺屋根に葺き替えられた
頓宮殿
やや東寄りに南面して建つ。飾り気のない御殿であるが威風堂々とした姿であり、重儀が斎行される重要な社殿。毎年9月15日の石清水祭ではお旅所になる。
幕末の鳥羽伏見の戦いで焼失の後、男山四十八坊の一つ「岩本坊」の神殿を移築し、仮宮としていたが、現在の社殿は1915(大正4)年に造営され、平成22〜23年にかけて修復工事が行われ、実に62年ぶりの屋根の葺替えとなり、桧皮葺からより耐久性のある銅板葺に替わった。
頓宮殿の西側に頓宮神饌所、北側に頓宮参集所(池の間)があり、渡り廊下で結ばれている。この場所に極楽寺があったが、鳥羽伏見の戦いで焼失した。
高良神社
当宮の摂社。石造の鳥居に「高良神社」と金文字で書いた扁額が掛かる。旧八幡町の氏神であり、当宮の摂社の中で一番篤い崇敬を受けている。
創建は、860(貞観2)年とも869(同11)年ともいわれ行教が建立。
吉田兼好の「徒然草」には、八幡宮参詣に来た京都仁和寺の和尚が、まちがって高良神社に参詣したエピソ−ドが記されている。地域の産土神となっている。
二ノ鳥居へ行く前に、立ち寄りをする。
五輪塔 航海記念塔
頓宮殿から西側200m行ったところに日本最大級、超ド級と称される石造りの「五輪塔」が建つ。高さ6m、下部の方形の一辺2.4mの石塔で国の重要文化財。
頓宮南門から二ノ鳥居までは約120m、ここで下院が終わる。
二ノ鳥居
ここまで歩いてきた場所の概略のマップである。
この先の二ノ鳥居から三ノ鳥居までは、上院と下院の中間にあって両者を結ぶ表参道の坂で、古くは大坂と称された。ちなみに裏参道の坂は太子坂(奉行坂供)呼ばれた。
二の鳥居から三の鳥居を目指す
この先の三ノ鳥居までは上院と下院の中間にあって両者を結ぶ表参道の坂で、古くは大坂と称された。ちなみに裏参道の坂は太子坂(奉行坂供)呼ばれた。
七曲り
二の鳥居をくぐり、しばらく進むと石段の坂道となる。ここが七曲り参道である。
相槌神社と景清塚に出合う
景清塚側の小道を進むと泉坊跡
松花堂跡 国史跡
「松花堂弁当」の名の由来となった当宮の社僧・松花堂昭乗の晩年の住居・草庵跡地
現在松花堂庭園内にある草庵「松花堂」はかつて泉坊内のこの地にあった。茶室周辺の発掘調査で絵図通りの露地の遺構が発見された。
石清水社と石清水井
松花堂跡をさらに進むとかなり急な石段があらわれる。その上に鎮座する
石清水社
男山中腹に位置する石清水社は、霊泉「石清水」を核とした摂社で、当宮の名の由来となった本宮鎮座以前の起源に遡り、鎮座以前は傍に石清水寺が建立されており、本宮創建と同時に石清水寺は「護国寺」となったとされる。
写っていないが、石造りの神明鳥居の石柱刻銘には、1636(寛永13)年、当時の京都所司代・板倉重宗の寄進により建てられたとあり、境内に完全な形で残る鳥居としては最古のもの。また、その銘文は松花堂昭乗の書であるということも判明している。
石清水井
石清水は、厳冬にも凍らず大旱にも涸れない霊泉として、男山五水の中でも特に尊ばれ、往古より皇室および将軍家の祈祷にあたっては、この霊水を山上の本宮に献供するのを例としていた。その際、神前に供された石清水を「御香水」といわれた。
現在でも、当宮にて斎行される年間100余の祭典には、当日早朝に汲み上げられた「石清水」が必ず御神前に献供される。
もとの表参道まで戻る。参道の右側には宿坊跡の大きな石垣が並ぶ。明治の廃仏毀釈で48の宿坊が破壊された。仏像や宝物類は全国に逃し残った。
竹林モデルの掲示がある。竹の拡大を防ぎつつ、美しい竹林をめざして整備するボランテイアの活動で街中が見える。
休憩所「鳩茶屋」
宿坊・豊蔵坊
豊蔵坊は表参道の休憩所「鳩茶屋」の少し下にあった。豊蔵坊は徳川家康が三河の国にいるときからの祈祷所で、戦場にあっても自身の加護を祈ったとみられ、再々訪れたとされる。家康の側室・「お亀の方」をその時に知る。お亀は石清水八幡宮の祀官家・田中氏の分家である京都正法寺・志水 宗清の娘で、尾張徳川家初代義直の生母である。
茶店の前を過ぎ、石段をのぼりきる。神馬舎(じんめしゃ)の前方に三の鳥居が立つ。
歩いた場所の概略のマップ
三ノ鳥居から上院へのぼる
三ノ鳥居
石畳の参道が南総門へ続いている。
鳩峯寮の庭
一つ石
馬場先と呼ばれる石敷の参道に自然石が露出している部分がある。この石については種々の謂れがある。
駐車場周辺 石翆亭(休憩所)、第三駐車場、シンボルマーク(涌峯塔)、エジソン記念碑などがある
再度参道へ戻る 不揃いの石灯籠が多数並ぶ。対面して御鳳輩舎・御羽車舎が建つ。
書院 社務所の隣である
石庭
作庭家・重森三玲作 1952(昭和27)年 南北約27m、東西約6mの方形の中に白砂を敷き海洋を表わす。14個の石を島に見立てて配し、三尊石も組む
六角形石灯籠
国重要文化財 15個目の石として、鎌倉期の石灯籠を配す。当宮に450基石灯籠がある中で最古のものである。
社務所周辺
手水舎
供御所 ・竃神殿
茅の輪くぐり
『水無月(みなつき)の夏越(なごし)の祓へ(はらえ)する人は千歳(ちとせ)の命延(の)ぶというなり』と唱えながら左・右・左と茅の輪をくぐってから御本殿に参拝するのが作法といわれる。
歩いた場所の概略のマップ
いよいよ上院である
案内マップ
上院は周囲を築地塀に囲まれており、南総門・西総門・東総門・北総門が設けられている。これらの総門は全て国重要文化財に指定されている。
総門の構造・形式は同じで、寛永年間(1624〜43)頃の建立で、一間一戸の四脚門、本瓦葺の唐門であるが、南総門だけは唐破風である。
ここでは総門から巡る。
上院の全周を取り囲む築地塀は信長塀と称され信長の寄進と伝わる。瓦と土を幾重にも交互に重ねることで、銃撃に供え、耐火性・耐久性に優れるとされる。
西総門 国重要文化財指定
東総門 国重要文化財指定
東総門の外側には石段が設置してある。築地塀で固められている。現在は通行禁止である。
北総門 国重要文化財指定 摂社・末社が並ぶ中にある。
南総門 国重要文化財指定
外観
細部
左右に廻廊 (国重要文化財」 が延びて、その東側に守札授与所、西側に神楽殿がある。
廻廊全体
左右に幅広い廻廊がひろがり諸殿を取囲んでいる。廻廊の外周一間は庇の間になっており、一周の全長は約97mである。
左右両側の廻廊にはそれぞれ四脚門が付設してある。
いよいよ国宝が連なる神域に入る。周辺部より巡る。
参考資料 「引用 HP」
楼門 国宝 1634(寛永11)年建立 高さ約3.5m×幅約11.6m
全体
楼門の周囲を長さ180mの廻廊が結んでいるのは圧巻である。
外観
唐門に「八幡造」の流麗な檜皮葺の建物が重なる。屋根の両側に灯籠が並ぶ。
細部
蟇股彫刻
楼門の正面の蟇股部分に一対の向かい合う鳩の錺金具(かざりかなぐ)があり、よく見ると向かって右側の鳩は少し口を開けている。
神使である鳩が社殿の正面にて狛犬と同様に阿吽の呼吸で御神前をお守りしている。 また、その双鳩の少し上には極彩色の壮麗な龍虎の欄間彫刻が施されているが、東に虎、西に龍の彫刻配置は四神(神獣)の関係から考えると逆のようで、これについては諸説の謂れがあるようだ。
細部
楼門正面入口より写した内部。僅かであるが欄間彫刻も見える。
西門周辺
西門 国宝
細部の画像はお掃除タイムの時に見つけた僅かな隙間から瑞籬(みずがき)の彫刻見えました。
この門の蟇股には左甚五郎作と伝えられる「目貫き猿」の彫刻が掛かっている。勿論中からしか見えません。
東側には、東総門に対面して東門がある。
東門周辺
東門 国宝 特別拝観時の入口に利用される。ここからも隙間から瑞籬(みずがき)の彫刻がほんの僅か見える。
隙間部分より写しました。
鬼門封じ
牛の皮を持ち、虎の皮を身にまとった鬼が来るといわれる丑虎の方角「鬼門」(東北)を封じるために、社殿の石垣を切り取った造りになっている。
本社配置・断面 「引用:石清水八幡宮本社調査報告書」
本殿は前後二棟からなり、前殿を礼殿と呼ばれ流造の檜皮葺の屋根である。これに対し、奥の本殿すなわち正殿は切妻造の檜皮葺である。
入母屋造の楼門に次いで、切妻造・妻入りの舞殿があり、これに接続して切妻造・檜皮葺の幣殿がある。幣殿の左右には瑞牆が延び神殿を囲む。
三殿連立の八幡造本殿は側面と正面から出入りでき、正面には幅広い階段が設けられている。そして、本殿を囲む廻廊は庇が付いた大型のもので、廻廊の正面にある楼門から舞殿・幣殿・本殿までが一体化しており、これらの複合建築物が高い基壇上に建っている、というのが他の神社にはない特徴である
本殿、摂社武内社本殿、瑞牆、東門、西門、幣殿及び舞殿、楼門、廻廊3棟、附棟札3棟、以上13棟の国宝が固まって存在している姿は他に例を見ない。
国宝指定の調査で、幣殿・舞殿は安土・桃山時代の造営、その両殿の軒の接する所に信長寄進の「黄金の樋」が現存しており、輝きは今も変わらない。
他の本殿・その他は江戸時代の造営と判断された。
特別拝観でも入れるのは幣殿・舞殿までで、ここでお祓いを受ける。撮影は禁止である。
本殿は、周りを瑞籬(みずがき)が囲み、欄間彫刻をはじめ随所に当時の名工の極彩色彫刻が施された極めて壮麗な社殿である。
その数は欄間彫刻だけでも150点以上あるともいわれ、動植物・他が彫られている。
特別拝観で中へ入らなくても、楼門正面や西門、東門の隙間から窺える彫刻から推測できる。
上院内に多くの摂社がある。しかも重要文化財の指定を受けている。
上院内には多くの摂・末社が所在する。重要文化財の指定を受けている本殿もある。
東総門に近い側より巡る
摂社・水若宮社本殿 国重要文化財指定 一間社流造 朱漆塗り仕様で869(貞観11)年鎮座 宇治稚郎子宮を祀る
末社・気比社 本殿北側 一間社流見世棚造 朱塗 1505(永世2)年鎮座 気比大神を祀る
摂社・若宮殿社本殿 国重要文化財指定 三間社流造 朱塗 869(貞観11)年鎮座 応神天皇の皇女を祀る
摂社・若宮社本殿 国重要文化財指定 三間社流造 朱塗 869(貞観11)年鎮座 仁徳天皇を祀る
末社・貴船社・龍田社 二間社流見世棚造 朱塗 1191(建久2)年鎮座 貴船社は高?神(たかおかみのかみ)、龍田社は級津彦命・級津媛命を祀る
高?社
末社・一童社(いどうしゃ) 一間社流見世棚造 朱塗 鎮座年月不詳 磯良神を祀る
摂社・住吉社本殿 国重要文化財指定 一間社流造 朱塗 869(貞観11)年鎮座 底筒男命を祀る
近くに校倉造の倉が建つ。 京都府指定文化財
末社・広田社・生田社・長田社 三間社流造 1055(天貴)年鎮座 広田社は天照大御神、生田社は稚日女命、長田社は事代主命を祀る
水分社(みくまりしゃ)は東総門の下にあるがカットする
少し離れて、南総門を出て、供御所を下りた所にある
末社・三女(さんじょ)神社 一間社流見世棚造 朱塗 1339(歴応2)年の鎮座 宗像三女神を祀る
直ぐ近くにある「供御井」 「供御所」に近い。
裏参道
案内マップ
南参道を出て、上院の築地塀に沿って展望台に向かって歩き、途中から裏参道に至る。
この界隈は樹木や竹林が多い。男山には樹齢600^700年ともいわれるクスノキも大木が数本あり、その内の一本が子お附近にある。
始めて歩くルート。予備知識もなく歩き始めたが石段、石段の連続で厳しかった。合わせて300段前後あったろうか。宿坊跡と樹林のみである。
やっとの思いで石段の下りが終わった。高良社の横に出た。
これにて上院・下院の散策は終わりです。
展望台とその関連
八幡市駅から八幡宮までは徒歩でも行けるが、男山ケーブルに乗って終点の山上駅で降りるとすぐである。ケーブルの乗車時間は2分間、200円である。
直ぐ近くに展望台がある。ここへは南総門から歩き、裏参道との分岐点を直進しても行ける。
略図
展望台周辺 谷崎純一郎文学碑がある
展望
NPO法人・八幡たけくらぶ
展望台の入口近くの「展望の館」をベースとするボランティア団体である。 現在の会員は約150名 遠くは千葉や埼玉の会員さんもおられるとか。
八幡はエジソンとの係わりもある竹の産地で竹林が多い。その中で、特に石清水八幡宮がある男山の散策ルートなどにある放置竹林の整備活動を目的と
されている団体である。展望台の景観は、この団体の伐採作業の結果得られたものである。
活動は、竹の伐採・整備維持に始まり、伐採竹の粉砕、竹炭焼きや竹細工の活動もされており、特に子供たちへの竹細工の指導は好評とか。
取組んだ竹細工作品が展示・販売されている。
男山ケーブルは、大正年間に民間の所有者が山頂に遊園地を造る計画を立て、男山索道(㈱)として人を運ぶケーブルの建設を行った。
が、その計画が途中でポシャリ、京阪電鉄が後を引継いだが、急坂に設置された大型の鉄橋が戦時中に供出となった。
戦後、1957(昭和32)年京阪電車が再興し現在に至っている。京阪電鉄と石清水八幡宮は切離せない関係にある。
参考資料≪田中恒清氏(第58代目宮司−田中家35代目)講演内容、石清水八幡宮HP,その他≫
石清水八幡宮の樹木
八幡市八幡高坊
石清水八幡宮のある男山は、淀川を挟んで北側にある天王山と対峙して、古くは大阪から京都へ通じる要衝であった。
859(貞観元)年に山上に石清水八幡宮が創建されるとともに、この男山も八幡宮と一体となって山自体が神域となり、広く尊崇の対象とされてきた。
現在は、八幡宮の森として立派な天然林に育ち、男山京都府歴史自然環境保全地域に指定され守られている。
林はアラカシなどの照葉林が中心となって、多くの植物種が生育しているが、なかでも裏参道周辺の植生は、極相林に近い状態になっている。
この男山には樹齢約600年〜700年と推定されるクスノキの巨樹が数本ある。御文庫裏のクスノキは男山に現存する最大のものとされる。
タブノキ 御神木 京都の自然200選に選定されている
八幡宮の摂社・高良神社横にある
樹齢700年、根回り7.5m、樹高約24m、樹冠周囲約30m、京都の自然200選に選定されています。
古来「厄除の木」として信仰されてきたタブの木。樹齢約700年を誇る巨木で、摂社・高良神社の御神木として地元の人々から大切にされている。
御文庫のクスノキ
エジソン記念碑の近くに生えている
樹齢700年 幹周り6.97m、樹高26m、樹冠周囲40m。 京都府天然記念物に指定。
参道の奉納酒樽横にあるクスノキ。
南総門前のカヤ
樹齢700年以上、根周7m、樹高約20m、樹冠30m
現在このカヤの実は当宮の重儀である石清水祭の神饌として使われおり、また茶道・裏千家の初釜式において「蓬莱山飾り」という新春のお飾りに用いられている
本殿境内に入ると左手の土塀の外に大きなクスノキが見える。
こちらも楠木正成が奉納したと伝えられる樹齢約700年のクスノキ。 京都府天然記念物に指定。
本殿の後ろを回り、東門近くの鬼門封じの角を曲がると、オガタマの木がありました。「一円硬貨の表面に描かれている」との説明もあるが・・・。
その近辺
北総門横にある
不明
樹木の維持管理は十分。老木も再生できる
極相林
コケ→一年生の草→多年生の草→低木(アオキ等)→高木(タブノキ等)というように,植生は自然のまま放置しておくと,群落として生活のパターンをつぎつぎに発達させます。そして最後は,適度の湿り気をもった豊かな土壌の上の木の群落(森林)に落ち着きます。このように生活パターンを変えていく,いわゆる「遷移」(サクセッション)の最終段階のことを,極相(クライマックス)といい,この段階に到達した森林は一応自然の完成した姿といえ,極相林と呼ばれます。(引用)
竹林
NPO法人「八幡たけくらぶ」の皆さんで維持管理されている。モデル竹林では、樹木林と竹林とがバランスよく育つように整備されている。
新緑、快晴の石清水八幡宮
駐車場〜本社〜石清水社〜松花堂跡〜高良社〜頓宮〜一の鳥居〜ロープウェイ
狩尾社
摂社狩尾社本殿(重要文化財)
南総門
本殿回り、回廊を含めた社殿は文化審議会で国宝指定の答申が出され、告示を待っている状況となっています。
楼門
新年準備で大きな神矢が取り付けられていました。
楼門からわずかに、幣殿及び舞殿が覗いています。
廻廊(楼門〜西門間)
西門
有名な「目抜き猫」は本殿特別参拝時には見ることができますが、撮影できません。
廻廊(西門〜東門間、神庫を含む)
東門
廻廊(東門〜楼門間)
西総門(重要文化財)
校倉
摂社住吉社本殿(重要文化財)
北総門(重要文化財)
若宮各社
摂社若宮社本殿(重要文化財)
摂社若宮殿社本殿(重要文化財)
摂社水若宮社本殿(重要文化財)
東総門(重要文化財)
大クスノキ
竹林
京都府八幡市八幡高坊30
石清水八幡宮
(Iwashimizu-Hachimangu Shrine, Yawata City, Kyoto Pref.)
平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請された神社で、京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上に鎮座する。天皇家からは遠国の宇佐神宮に代わり二所宗廟の1つとして崇敬されるとともに、京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視された。武家からは特に源氏が武神として信仰し、源氏の広がりとともに壺井八幡宮・鶴岡八幡宮など、当社から各地に八幡宮が勧請された。
創建以来、当社は境内の護国寺と一体になる宮寺形式をとった。往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、その様子は山麓社殿を八幡宮と勘違いしたという『徒然草』の話で知られる。その後、明治維新の神仏分離において仏式は排除された。仏式で行われていた放生会もまたその際に「石清水祭」と名を変えたが、現在も同祭は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。
(ウィキペディア「石清水八幡宮」より)
文化審議会は16日、現存する八幡造(はちまんづくり)の本殿の中で、最古で最大規模を誇る石清水(いわしみず)八幡宮本社(京都府八幡市〈やわたし〉)を新たに国宝に指定するよう文部科学相に答申した。
(中略)
石清水八幡宮は860年の創建以来、公家や武家の信仰を集めてきた。現在の社殿は1634年、江戸幕府により建てられた。本殿は、間口約18メートルの内殿と外殿(げでん)を前後に並べ、内部を一体化させた八幡造と呼ばれる建築様式。平安時代後期からの社殿形式を保ちつつ、極彩色の彫刻を施した欄間や飾り金具など、華やかな装飾を備えた完成度の高い神社建築として評価された。創建後、たびたび焼失したが、1580年には織田信長が社殿を修復、1598年には豊臣秀頼が境内を再興している。
(朝日新聞デジタル2015年10月17日10時27分より)
電車(JR在来および新幹線、阪急、京阪)から見慣れた男山の上にあることは知っていたが、何故かこれまでお参りしたことがなかった。京都府にあって比較的新しい重要文化財建造物だったからかも知れない。本殿本社が国宝見込みとなったがきっかけで、拝観させていただくことにした。
京阪電車八幡市駅で降りて、男山ケーブルで山上に行く。
ひっそりとした山道を進むと南側の参道の途中に出るので、三ノ鳥居まで戻る。
三ノ鳥居とその横の「鳩峯寮の庭(重森三玲作)」
一ツ石
山上の直線の参道を進む。
国重文 石燈籠 鎌倉 永仁三年(1295年)銘と
重森三玲作「書斎石庭」
さらに
現地説明板
国重文 南総門
国宝見込み 八幡宮本社
本殿及び外殿 (附 摂社武内社本殿、瑞籬)、幣殿及び舞殿、楼門、東門、西門、廻廊(楼門東門間)、廻廊(楼門西門間)、)廻廊(背面)
南正面と七五三お参りの人々
本社を右回りに見ていく。西の回廊、西門、背面回廊
石垣北東隅の鬼門封じ、おがたまの木、東門
東門から見えた本殿・幣殿の華麗な彫刻の一部
本社を取り巻く境内社などを右回りに広く見る。
個々に見ていく。
国重文 西総門
廣田社・生田社・長田社
府文 校倉造
国重文 住吉社
一童社
国重文 北総門
貴船社・龍田社
国重文 若宮社
国重文 若宮殿社
気比社
国重文 水若宮社
国重文 東総門
参道から裏参道へ
裏参道から見た東総門と反対側の伊勢遥拝所
展望台と眺め
2011.7.3撮影
所在地 京都府八幡市八幡高坊30
石清水八幡宮は、寛永11年(1634)建築の本殿などを含めた中心社殿が、すでに重要文化財に指定されている。
周囲の摂社若宮社、若宮殿社、水若宮社、住吉社の各本殿や、東総門、西総門、北総門も、中心社殿と同時期の建築であり、飛地境内に所在する摂社狩尾社本殿は、慶長6年(1601)に建てられた、境内最古の社殿である。
摂社若宮社、若宮殿社、狩尾社の各本殿は、石清水八幡宮の社殿形式の展開を知る上で重要な社殿である。
同時期に建立された摂社水若宮社、住吉社本殿、東総門、西総門、北総門も、これらとともに近世初頭の境内構成を伝えており、価値が高い。
(国指定文化財等データベースより)
夏の早朝、石清水八幡宮に行きました。
南総門の開門が5時30分だったので、先に麓の頓宮などを見に行きました。
一の鳥居の扁額は、一条天皇の命により三蹟の一人藤原行成が書いたものを、松花堂昭乗が書き写し、銅板で打ち出したものです。
八幡市の市章の鳩型の八の字は、この扁額から取ったものです。
頓宮殿
毎年9月15日に行われる石清水祭の際に使われる御旅所のようなものです。
五輪塔(航海記念塔、重要文化財)
鎌倉後期の建立で、高さ6mと日本最大級の五輪塔です。
頓宮の山側、神応寺の南隣りに建っています。
圧倒的な存在感があります。
高良社
頓宮の南の山裾に建っています。
旧八幡町の氏神として多くの人の崇敬を集めています。
高良社の南から、本殿の方へ向かいます。
石清水社
鳥居(京都府指定文化財)
石造明神鳥居 柱に寛永十三年丙子八月の刻銘がある
神水舎(京都府指定文化財)
下部 寛永15(1638)年の建築
上部 文化12(1815)年の建築
桁行一間、梁間一間、切妻造、妻入、本瓦葺
本殿(京都府指定文化財)
江戸前期の建築
寛文5(1665)年修復
一間社流造、檜皮葺
附指定:瑞籬 1棟 折れ曲がり延長六間、うち門一所、目板瓦葺
平安時代の初めに宇佐八幡を勧請するまでは、石清水社に残る泉を神として祀っていたようです。
最近、近くの木が倒れて本殿にあたり、かなり損傷したそうです。
さらに上って展望台に行きました。
展望台から南総門を目指します。
途中、石段(通行止)の上に東総門(重要文化財)が見え、その反対側には伊勢遥拝所があります。
南総門
昭和13(1938)年の建築
本殿の南側にあります。
昭和に建てなおされる前の門は、頓宮の南門として移築されました。
社殿(重要文化財)
寛永11(1634)年の建築
楼門
一間一戸楼門、入母屋造、正面拝所 桁行二間、梁間一間、一重、向唐破風造、檜皮葺
幣殿及び舞殿
幣殿 桁行正面一間、背面三間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺
舞殿 桁行三間、梁間一間、一重、切妻造、背面幣殿に接続、檜皮葺
本殿及び外殿
本殿 桁行十一間、梁間二間、一重、切妻造、檜皮葺
外殿 桁行十一間、梁間二間、向拝三所、一重、流造、檜皮葺
相の間を含む
附指定:摂社武内社本殿 1棟
瑞籬 1棟
廻廊
桁行十三間、梁間二間、外面一間通り庇付、一重、入母屋造、本瓦葺
廻廊
桁行十三間、梁間二間、外面一間通り庇付、一重、入母屋造、本瓦葺
廻廊
桁行二十八間、梁間二間、外面一間通り庇付、一重、入母屋造、本瓦葺、
神庫 桁行三間、梁間三間、高屋根、入母屋造、本瓦葺
四方を廻廊に囲まれ、東側に神庫があります。
南側に楼門があり、幣殿及び舞殿が続いています。
廻廊の向こう側にわずかに本殿及び外殿が覗いています。
織田信長が寄進したとされる相の間の黄金の樋も少しですが見えます。
西総門(重要文化財)
寛永年間(1624-1643)の建築
四脚門、本瓦葺
北側に廣田社、生田社、長田社があります。
西門(重要文化財)
寛永11(1634)年の建築
一間一戸門、梁間三間、拝所一間、流造、本瓦葺
校倉(京都府指定文化財)
江戸時代中期の建築
桁行三間、梁間二間、校倉、入母屋造、本瓦葺
社殿の北側に文化財指定の摂社が並んでいます。
摂社住吉社本殿(重要文化財)
寛永年間(1624-1643)の建築
一間社流造、檜皮葺
校倉のすぐ東にある小さな社殿です。
隣には一童社が並んでいます。
北総門(重要文化財)
寛永年間(1624-1643)の建築
四脚門、本瓦葺
東側に貴船社、龍田社があります。
社殿の北東に若宮社の社殿があります。
摂社若宮社本殿(重要文化財)
寛永年間(1624-1643)の建築
桁行五間、梁間四間、日吉造、向拝一間、檜皮葺、左右瑞垣附属、銅板葺、東面玉垣附属
摂社若宮殿社本殿(重要文化財)
寛永年間(1624-1643)の建築
桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝三間、檜皮葺、左右瑞垣附属、銅板葺、東面玉垣附属
摂社水若宮社本殿(重要文化財)
寛永年間(1624-1643)の建築
一間社流造、檜皮葺
北側は気比社です。
東門(重要文化財)
寛永11(1634)年の建築
一間一戸門、梁間三間、拝所一間、流造、本瓦葺
東総門(重要文化財)
寛永年間(1624-1643)の建築
四脚門、本瓦葺
飛地境内狩尾社
所在地 京都府八幡市橋本狩尾1
本殿地区から1㎞ほど北西の橋本地区にあります。
摂社狩尾社本殿(重要文化財)
慶長6(1601)年の建築
三間社流造、檜皮葺、周囲玉垣附属
石清水八幡宮最古の建物です。
急階段からは淀川や男山を見ることができます。
May 2009 瀧山幸伸 source movie
南総門
手水舎
御供舎
楼門
若宮社 若宮殿社 水若宮社 気比社
貴船社 龍田社
住吉社 一童社 校倉
三女神社
エジソン記念碑
男山
石清水社
松花堂跡
狩尾神社
車塚古墳
松花堂庭園
八角堂
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