京都府京都市下京区 西本願寺
Nishi Honganji ,Shimogyoku,Kyoto
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京都市下京区油小路通正面下る玉本町199 旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院) 重文 近代/商業・業務 明治 明治44(1911) "煉瓦造、建築面積627.70㎡、二階建一部三階建、一部地下一階、銅板葺、南西隅門及び煉瓦塀附属、煉瓦造、延長7.6m" "棟札1枚 明治四四年四月四日 石柵柱22基 石柱、頂部彫刻付" 20140918
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺玄関、浪之間、虎之間、太鼓之間 重文 近世以前/住宅 江戸前期 江戸前期 玄関、波之間、桁行六間、梁間五間、虎之間、太鼓之間、桁行五間、梁間九間、一重、入母屋造、檜皮葺 19040218
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺黒書院及び伝廊 黒書院 国宝 近世以前/住宅 江戸前期 明暦3(1657) 桁行正面六間、背面七間、梁間左側面四間、右側面六間、二重、寄棟造、こけら葺 19130414 19560628
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺黒書院及び伝廊 伝廊 国宝 近世以前/住宅 江戸前期 明暦3(1657) 桁行四間、梁間二間、一重、両下造、こけら葺 19130414 19560628
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺書院(対面所及び白書院) 国宝 近世以前/住宅 江戸前期 元和4(1618) 桁行38.5m、梁間29.5m、一重、入母屋造、妻入、庇及び濡縁付、本瓦葺 18981228 19521122
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺 経蔵 重文 近世以前/寺院 江戸中期 延宝6(1678) 桁行一間、梁間一間、一重もこし付、宝形造、本瓦葺、八角輪蔵付 "棟札二枚:宝永八年二月、宝永八年三月 御成門一棟:一間高麗門、切妻造、南北袖塀付、本瓦葺 目隠塀一棟:桁行五間、切妻造、本瓦葺 築地塀三棟:御影堂門南方延長108.7m、御影堂門阿弥陀堂門間延長55.8m、御影堂門北方延長80.3m、各本瓦葺" 20140918
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺 鐘楼 重文 近世以前/寺院 江戸前期 元和4(1618) 桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺 19100829
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺 手水所 重文 近世以前/寺院 江戸中期 文化7(1758) 桁行二間、梁間一間、一重、入母屋造、本瓦葺、石水盤及び井戸付 20140918
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺 鼓楼 重文 近世以前/寺院 江戸後期 寛政元(1789) 桁行四間、梁間四間、二重、入母屋造、本瓦葺 20140918
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺 御影堂門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 正保2(1645) 四脚門、入母屋造、本瓦葺 20140918
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺 阿弥陀堂門 重文 近世以前/寺院 江戸後期 享和2(1802) 四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、檜皮葺 20140918
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺 総門 重文 近世以前/寺院 江戸末期 19世紀前期 一間高麗門、切妻造、南北袖塀付、本瓦葺 20140918
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺御影堂 国宝 近世以前/寺院 江戸前期 寛永13(1636) 桁行62.1m、梁間53.8m、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺 19130414 20140918
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺唐門 国宝 近世以前/寺院 桃山 桃山 四脚門、前後唐破風造側面入母屋、檜皮葺 18981228 19530331
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺能舞台(附橋掛) 重文 近世以前/その他 桃山 桃山 桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、妻正面、檜皮葺 橋掛1棟 19100829
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺飛雲閣 国宝 近世以前/住宅 桃山 桃山 "一階、招賢殿、八景之間、船入之間、入側、縁、茶室、二階、歌仙之間、階段、廻縁、中二階階段室、三階、摘星楼、階段室より成る 南面及び北面25.8m、東面11.8m、西面12.5m、三重、こけら葺" 18971228 19510609
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺北能舞台 国宝 近世以前/その他 桃山 天正9(1581) "舞台 桁行一間、梁間一間、一重、正面入母屋造、背面切妻造
脇座 庇造、葺きおろし、檜皮葺、後座、桁行一間、梁間一間、片流、こけら葺 橋掛 桁行三間、梁間一間、一重、両下造、檜皮葺" 19080801 19530331
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺本堂(阿弥陀堂) 国宝 近世以前/寺院 江戸後期 宝暦10(1760) 桁行45.2m、梁間42.1m、一重、入母屋造、、背面すがる破風付葺きおろし、向拝三間、本瓦葺 "渡廊下1棟 桁行24.2m、梁間5.4m、唐破風造、本瓦葺 喚鐘廊下1棟 桁行26.4m、梁間2.8m、招造、本瓦葺" 19130414 20140918
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町60 本願寺浴室(黄鶴台)附廻廊 重文 近世以前/住宅 桃山 桃山 桁行十一間、梁間四間、一重、寄棟造、こけら葺 廻廊1棟 19080801
October 6,2024 大野木康夫
source movie
世界遺産登録30周年・立教開宗800年記念 NAKED光の西本願寺2024 秋の特別公開
御影堂門
御影堂
4
手水舎
大銀杏
April 22,2023 大野木康夫
source movie
飛雲閣特別公開へ
七条通
若宮通
正面通
総門(重要文化財)
御影堂門(重要文化財)
手水屋(重要文化財)
阿弥陀堂門(重要文化財)
イチョウ、経蔵(重要文化財)
阿弥陀堂(国宝)
渡廊下
御影堂(国宝)
イチョウ
鐘楼(重要文化財)
御影堂から見た飛雲閣
木が切り払われて見やすくなっています。
10時開門を待つ列
10時10分には行列は解消しています。
飛雲閣(国宝)
桃山期の建築
初重、招賢殿、八景之間、船入之間、入側、縁、茶室
二重、歌仙之間、階段、廻縁、中二階階段室
三重、摘星楼、階段室等より成る
南面及び北面25.8m、東面11.8m、西面12.5m、三重、こけら葺
浴室(黄鶴台)附廻廊(重要文化財)
桃山期の建築
桁行十一間、梁間四間、一重、寄棟造、こけら葺
附:廻廊1棟
桁行四間、梁間一間、屋根兩流造、杮葺
December 5,11 and 18, 2021 大野木康夫
source movie
阿弥陀堂前の大イチョウ
御影堂前の水吹きイチョウ
御影堂門南側の大イチョウ
滴翠園付近の紅葉
伽藍
境外
鐘楼
飛雲閣
書院
北小路門から唐門へ
唐門(外側)
細部
黄石公の靴を拾う張良
瑞獣
唐門内側
細部
耳を洗う許由とその水を牛に飲ませまいとする巣父
装飾彫刻
江戸時代では虎の雌が豹であると考えられていた模様
伽藍に戻る
阿弥陀堂廊下
渡り廊下
御影堂廊下
廊下の埋め木
修理した大工の遊び心
阿弥陀堂細部
内部
内陣は修理中だが鳳凰図と孔雀図は見ることができた。
欄間彫刻
蟇股彫刻は神仙図であるが具体的に何かはわからない。
内陣の蟇股彫刻は迦陵頻伽
御影堂前の雨樋受けを支える天邪鬼
御影堂向拝及び破風の装飾
内部
円山派の吉村孝敬作の雪松図
右余間は阿弥陀堂修理で須弥壇脇から移された浄土信仰の祖師の絵像を安置
障壁画は徳力善宗・善雪父子の蓮池図
蟇股彫刻は動物
中央
厨子
阿弥陀堂修理のため阿弥陀仏立像が安置されていました。
普段厨子に安置されている親鸞聖人の影像(骨肉の御影)は右側の脇に移動
左脇の厨子
左余間
吉村孝敬作の雪竹梅図
内陣障壁画、欄間彫刻
蟇股彫刻は二十四孝図
田氏兄弟、黄香、董永
唐夫人、王祥、閔子騫
漢文帝、大舜、孟宗
曾参、老莱子、楊香
郭巨、郯子、張兄弟
内陣の蟇股彫刻は楽器と迦陵頻伽
January 9,2021 大野木康夫
早朝、ほぼ無人の訪問
境内
阿弥陀堂と御影堂
阿弥陀堂
渡廊下
御影堂
手水所
石板の水に氷が張っていました。
阿弥陀堂門
経蔵
御影堂門
鐘楼と滴翠園
鐘楼
飛雲閣
玄関、浪之間、虎之間、太鼓之間
能舞台、白書院
大玄関
唐門は再び修復工事中
目隠塀
総門
築地塀
御成門
鼓楼
May 6,2018 大野木康夫
イチョウの紅葉を見に行きました。
阿弥陀堂前の大イチョウは今年10月23日の台風21号の影響で6本の大枝が折れ、東側の姿が大きく変わっています。
御影堂前の水噴きイチョウは変わりありません。
鐘楼
御影堂付近
御影堂廊下、内部
唐門方面へ
書院群
唐門
今年塗り直しがありましたが、大気汚染の影響か汚れが目立ちます。
滴翠園付近の紅葉
御影堂門脇のイチョウ
再び御影堂廊下
唐門正面へ
龍谷大学大宮学舎
書院遠望
唐門正面
帰路、御影堂門付近から太鼓楼
《飛雲閣》
本願寺(西本願寺)境内の滴翠園にある滄浪池に臨んで、北面して建つ。
聚楽第の中にあった建造物を移築したとと伝えられれている。
鹿苑寺舎利殿(金閣)、慈照寺観音殿(銀閣)とともに京の三閣と称され、楼閣建築の代表作として国宝に指定されている。(金閣は昭和25年焼失のため国宝解除)
通常の特別公開時には撮影厳禁だが、今回「西本願寺花灯明 〜夜の参拝・特別拝観〜」では撮影が可能となり、ライトアップされた飛雲閣の撮影を試みた。
滄浪池に映る『逆飛雲閣』
《唐門》
《鐘楼》
鐘楼<中備彫刻(虎)>
《浴室(黄鶴台)附廻廊》
興正寺境内から見た飛雲閣、御影堂
北門
最近は通行禁止
堀川通から見た鐘楼
総門
御影堂門
目隠し塀
御影堂
鐘楼
飛雲閣
書院群
唐門
手水所
渡廊下
阿弥陀堂と御影堂
阿弥陀堂
阿弥陀堂門
経蔵
太鼓楼
御成門
帰路のJR車内から
May 18,2014 大野木康夫 source movie
5月に重文、国宝の指定答申があった西本願寺を早朝に訪れました。
西本願寺の開門は早朝6時です。
総門(重文答申)
御影堂門の東正面、正面通の仏具屋街に建っています。
鼓楼(重文答申)
境内の北東隅、堀川通花屋町の交差点に建っています。
御成門(附指定と推定される)
鼓楼の隣にあります。
阿弥陀堂門(重文答申)
境内北東に建つ大きな唐門形式の門です。
御影堂門(重文答申)
境内南東に建つ大きな瓦葺の門です。
土塀(附指定と推定される)
目隠塀(附指定と推定される)
経蔵(重文答申)
境内北東、阿弥陀堂前の大イチョウの北側に位置しています。
手水所(重文答申)
鐘楼(重文)
飛雲閣(国宝)
唐門(国宝)
晴天だったので、彫刻を撮影してみました。
阿弥陀堂(重文→国宝答申)
御影堂(重文→国宝答申)
国宝の答申の中に、阿弥陀堂と御影堂を結ぶ渡廊下と喚鐘廊下の記述があったので、その2棟が附指定とされる可能性が高いです。
西本願寺境内には大きな銀杏の木が数本あり、見事に色づいていました。
伽藍の黒にイチョウの黄色がよく映えます。
特別拝観 2012年3月
建造物を中心とする文化財は以下の通りである。
・飛雲閣<国宝:桃山時代> ・北能舞台<国宝:桃山時代> ・唐門<国宝:桃山時代>
・書院(対面所及び白書院)<国宝:江戸時代> ・黒書院及び伝廊<国宝:江戸時代>
・玄関、浪の間、虎の間、太鼓の間<重文:桃山時代> ・鐘楼<重文:江戸時代>
・浴室(黄鶴台)<重文:桃山時代> ・大師堂(御影堂)<重文:江戸時代>
・ 本堂(阿弥陀堂)<重文:江戸時代>・能舞台(南能舞台)<重文:江戸時代)
・ 書院前庭<特別名勝>・滴水園<名勝>・太鼓楼<京都市指定文化財>
・ イチョウ(逆さ銀杏)<京都市指定天然記念物>
これらの建造物の多くは特別拝観の際でないと拝観できない。但し写真撮影は禁止である。
それらの素晴しい内容について、文献等の情報をまとめた。記憶の持続に役立てばと思う。
飛雲閣
金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つに数えられる。
本願寺境内の南東隅にある滴水園(てきすいえん)にある3階建の建造物である。
滄浪池(そうろうち)と名付けられた池に面して建っている。
豊臣秀吉が築いた聚楽第の遺構とも伝えられる。
構造
屋根や破風のオンパレード
初層は左に唐破風、右に入母屋破風を持ち左右非対称、二層は寄棟造を中心に軒唐破風
とし三層は宝形造と実に変化に富む。
窓の形もいろいろで、花頭窓をはじめ個性的な窓の形がアクセントになっている。
一層の主室・招賢殿(引用)
一階は「招賢殿」と称し、障子張りで明るく開放感のある造りで、主室の「招賢殿」と八雲の間
舟入りの間、茶室などがあり、渡り廊下を隔てた西南には黄鶴台(おうかくだい 蒸し風呂)がある。
舟入りの間は船着き場になっていて、当時は池を小舟で渡り、客はここから出入りしていた。
茶室・惜昔(引用)
舟入りの間(引用)
黄鶴台の浴室(引用)
二階の歌仙の間(引用)
二階は「歌仙の間」と呼ばれ、戸や扉の内外に三十六歌仙の図が描かれている。
三階は「摘星楼」と称し、招いた客が洛中の景色を楽しむための望楼(展望室)として造られた。
星を掴めるほど高いという意味で命名された。
また、建物全体は見る角度により表情が異なる。正面から見ると不等辺三角形、向かって右斜め
前から見ると正三角形をしている。これは上座の上に部屋をつくらない配慮とされる。
いずれも客人をとことん楽しませる造りとなっており究極のもてなしといえる。
鐘楼(撮影禁止) 境内より写す
外観
大型で総ケヤキ造りの質の高い鐘楼
唐門<撮影可>
前部
後部
本願寺の南にある。入母屋造りの前後に大唐破風を配した黒漆塗に彩色彫刻を施した豪華な四脚門
日暮門とも呼ばれている。
北側両袖壁には中国の古伝説上の隠士の典型である許由(きょうゆ 西側)と巣父(そうほ 東側)の
故事を彫刻している。彫刻は極彩色で飾られ、彫りが深く、厚みがあって精緻な飾金物と共に貴重
書院
桃山時代に発達した豪壮豪華な書院造の様式の代表的なもの。
正面外観
側面の外観にも魅せられる。
いよいよ書院の中を巡る。撮影は禁止である。
浪の間から虎の間の構成は、本願寺の中でも古風なもので、夫々の間に描かれている障壁画や
天井画から名前が付いている。
浪の間
浪の間の襖に描かれた波涛図(引用)
浪の間には格天井と障壁に波涛図が描かれている。
天井画(引用)
浪の間と太鼓の間の欄間に彫られた葡萄と栗鼠(引用)
太鼓の間(引用)
正面に高い床が設けられ格天井に種々の形の太鼓が描かれている。
虎の間(引用)
平成23年(2011)、創建当初の障壁画を保存するため、復元模写画が制作された。
書院
座敷飾(床、違棚、帳台構、付書院)を完備し、金碧障壁画や彫刻で飾られている。
書院は、対面所と白書院に大別できる。
対面所・鴻の間(引用)
対面所は寛永年間(1624〜44)の造立で、白書院より古い。
書院では一番規模の大きい広間。ご門主との対面に使われる。上段と下段に分かれる。
上段左の帳台構(引用)
対面所上段正面の欄間(引用)
雲間を飛ぶ鴻(こうのとり)の透かし彫りがあることから鴻の間と呼ばれる。
上々段右の付書院と違棚(引用)
上々段の手前にある軍配形の火灯窓(引用)
対面所上段正面床の張良引四皓図(引用)
対面所下段左側の巨松と花鳥を描いた金碧松鶴図(引用)
雀の間
対面所の西側にあって、金地著色の竹雀図の障壁画が描かれ、格天井には金碧様式の
美しい花卉図が描かれている。
雀の間の障壁画(引用)
襖絵に描かれた雀(引用)
花車図(引用)
西狭屋の間の杉戸図。
牡丹や桜などの花と籠を巧みな配色と意匠で現わした江戸初期の代表的装飾画。
蘇鉄に麝香猫図(じゃこうねこ)(引用)
西狭屋の間杉戸絵
雁の間
障壁に金碧の群雁図が描かれている。
天井画は、格子天井を棚に見立てた満開の鉄線が金地に描かれている。(引用)
雁の間欄間(引用)
菊の間との境にある欄間。飛雁の透かし彫りである。
菊の間(引用)
障壁画は、金碧の白菊を中心に桔梗、竜胆(りんどう)、朝顔などの秋の草花が、竹垣や網代垣などの
意匠を凝らした垣と共に華麗に描かれている。
天井には金地に扇面散らしが描かれ、各格間に全開や半開の扇が四面、五面と美しく散りばめてある。
白書院
白書院は、対面所の大広間に対して小広間とも呼ばれ、ご門主の対面の儀式や賓客の接待などに使われる。
一の間(紫明の間)、を主室とし、二の間、三の間が一列に並ぶ。
一の間(紫明の間)と一の間上段右の帳台構(引用)
二十四畳敷きの主室 十畳の折回り上段に、付書院、床、違棚、帳台構を定型的に配し、意匠を凝らした
折上格天井を張っている。主室と二の間には極彩色で描かれた帝鑑図が配されている。
一の間と二の間の仕切り欄間(引用)
三の間(孔雀の間)(引用)
樹木と孔雀を中心とした金碧花鳥図。室内能舞台にもなる。
三の間から一の間を望む(引用)
狭屋の間
対面所東狭屋の間(引用)
八方睨みの間(引用)
対面所東狭屋の間天井画
白書院北狭屋の間(引用)
長押上小壁は武蔵野秋草図、天井は花卉図
虎渓の庭(特別名勝)(引用)
桃山時代の様式を伝える枯山水。虎渓は中国江西省の廬山にある渓谷のことで、御影堂の屋根を
名山・廬山に見立てて借景とし、北側の巨岩で表わされた枯滝から砂礫の川の流れが大海に注ぐ
様が表わされている。
能舞台
書院の南北に二つある。室内能舞台も白書院と対面所にある。
北舞台(引用)
懸魚に天正9年(1581)の銘があり、現存する最古の能舞台である。
白書院を見所とし正面が入母屋造りの簡素な能舞台で古式を感じさせる。
南能舞台(引用)
切妻造りで江戸時代前期に整備され、対面所が見所となる。
黒書院
白書院一の間の東北隅から板敷と畳敷の複廊でつながっている重層?葺寄棟造りの瀟洒な建物。
白書院が公の対面の場に対し、黒書院は内向きの対面や接客、または門主が寺務を行う場である。
部屋は数奇屋風に造られ、主室の一の間、二の間を中心に茶室、鎖の間、広敷などからなる。
黒書院に至る伝廊の透かし彫り扉(引用)
一の間(引用)
二の間(引用)
茶室(引用)
釘隠(引用)
すべての間で使われている。
出展: 「本願寺グラフ」
2012.1.6 撮影
阿弥陀堂,御影堂,阿弥陀堂門,経蔵
唐門
書院・大玄関
大玄関門
鐘楼,飛雲閣
2011.11.12撮影
平成23年4月から平成24年1月まで行われている親鸞聖人七百五十回大遠忌法要に一般参加しました。
当日でも参加できますが、インターネットで事前参加申込をして行きました。
朝7時40分頃に家を出て、西本願寺前に着いたのは8時10分、受付開始の8時30分まで時間があったので、門前を少し歩きました。
御影堂門から境内に入ると、菊の展示会があったり、法要会場のテントが設置されたりしています。
御影堂には、より多くの人が法要に参加できるよう、前面に白いテントで覆いをかぶせてあります。
阿弥陀堂前では団体参拝の方が御影堂への入堂を待っておられました。
阿弥陀堂では法要終了後に帰敬式が行われます。
境内風景
一般参拝者の受付は御影堂南側に新設された龍虎殿で行われます。
受付後、記念品や参拝証を受け取り、まとまって御影堂に入ります。
この日、団体参拝は45団体で、本来の御影堂の縁側も含めて満員になるので、一般参拝者は白テントの増設部分の席に着きます。
すべての席が椅子席になっており、非常に楽に法要に参加できるようになっています。
法要開始までまだ時間があるので、カメラやビデオを持っている人は、内陣中央の法要祭壇付近で記念撮影をしています。
私も、会場内を撮影して廻りました。
増設部分の窓が開いていたので、外を撮影しました。
法要の準備が進み、厨子に置かれている50年に一度の大遠忌でしか使われない燭台に火がともされたので、また撮影に行きました。
私の席の前には石川県から来られた団体参拝の方が座っておられます。
法要の前の総長の御言葉や、布教使の方の御説法が始まりましたが、後方でもスクリーンに生中継映像が映し出されるので、遠さを感じません。
法要が始まりました。雅楽が奏せられ、法要を行われる方が入堂されます。
法要はフラッシュを使わなければ撮影してもよいのですが、写真撮影は控えました
法要が終わったのは11時頃、約1時間でした。
外に出ると、境内は多くの人で賑わっていました。
白書院と飛雲閣が公開されていたので見に行きました。
両方とも撮影はできません。
撮影できるのは唐門や大玄関、書院の屋根くらいです。
御影堂門から門前町に出ました。
門前町ではキャラクターも出て催しを行っています。
門前町を抜けて西洞院通を下ると、本願寺ゆかりの茶道家元藪内家があります。
屋敷内の茶室燕庵は重要文化財ですが、非公開です。
西洞院通から七条通を東に行くと、七条新町の西南角に旧富士ラビットがあります。
富士ラビット(国登録有形文化財)
大正14(1925)年頃の建築
鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建,建築面積119㎡
京都で自動車販売の草分けといわれる日光社の社屋として建てた3階建の商業ビル。社名の日光を象ったといわれる塔屋の意匠や古典的な柱のオーナメント、1階正面の自動車の描かれたステンドグラスなど様々な要素が混じり合った建物として知られている。
現在は牛丼チェーン店が入っています。
2011.1.18撮影
大遠忌の準備がおこなわれていた1月18日に撮影したものです。
鐘楼(重要文化財)
元和4(1618)年の建築
桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺
飛雲閣と同じ一角の高台にあります。
堀川通からも屋根が覗いています。
飛雲閣(国宝)
桃山時代の建築
一階、招賢殿、八景之間、船入之間、入側、縁、茶室、
二階、歌仙之間、階段、廻縁、
中二階階段室、
三階、摘星楼、階段室より成る
南面及び北面25.8m、東面11.8m、西面12.5m、三重、こけら葺
鐘楼を撮影していたら、隣に覗いていました。
堀川通からは背面が見えます。
玄関、浪之間、虎之間、太鼓之間(重要文化財)
江戸時代前期の建築
玄関、波之間、桁行六間、梁間五間、
虎之間、太鼓之間、桁行五間、
梁間九間、一重、入母屋造、檜皮葺
書院群の公開の際の入口です。
南側が浪之間になっています。
対面所及び白書院(国宝)
元和4(1618)年の建築
桁行38.5m、梁間29.5m、一重、入母屋造、妻入、庇及び濡縁付、本瓦葺
能舞台(附橋掛)(重要文化財)
桃山時代の建築
桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、妻正面、檜皮葺
唐門前から屋根だけが見えます。
手前の檜皮葺の屋根が能舞台、奥の本瓦葺の屋根が白書院です。橋掛の屋根も少し見えます。
書院群、飛雲閣は公開時には庭園も含めて全面撮影禁止になります。
外から見えない黒書院及び伝廊(国宝)、北能舞台(国宝)、飛雲閣の隣の黄鶴台(重要文化財)は撮影できません。
唐門(国宝)は常時公開されています。
御影堂(大師堂)(国宝)は修理直後でしたが、すでに増設部分の工事が始まっていました。
阿弥陀堂(重要文化財)は静かでした。
撮影日: 2011年11月13日
親鸞聖人750回大遠忌法要の年である。全国からの大勢の参拝者でにぎあう。
阿弥陀堂門から入る。
重文 阿弥陀堂(本堂)の中へ
重文 御影堂の内部
京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル
浄土真宗本願寺派
本願寺(西本願寺)
撮影日: 2011年11月3日
本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山。親鸞聖人の廟堂(墓地)が京都東山に創建されたのが始まりで、各地に寺基を移転した後、1591(天正19)年に七条堀川の地を豊臣秀吉より寄進され、1633(寛永10)年には、ほぼ今日に近い姿となった。境内には阿弥陀堂・御影堂をはじめ、桃山文化を代表する建造物や庭園が今日まで大切に受け継がれており、1994(平成6)年UNESCO(ユネスコ:国際連合教育科学文化機関)により世界文化遺産に登録された。
重文 阿弥陀堂(本堂) 宝暦10年(1760)再建
東西42メートル、南北45メートル、高さ25メートル。
大銀杏
菊
重文 御影堂 寛永13年(1636)建立
東西48メートル、南北62メートル、高さ29メートル。
本願寺のイチョウ
書院の外観
国宝 唐門
桃山時代の豪華な装飾彫刻を充満した檜皮葺き(ひわだぶき)・唐破風(からはふ)の四脚門(しきゃくもん)で、伏見城の遺構。彫刻の見事さに日の暮れるのを忘れることから"日暮らし門"とも呼ばれる。
唐門外部側
大玄関門
参考資料
本願寺HP
Aug. 2006 瀧山幸伸 source movie
太鼓楼
阿弥陀堂
御影堂
唐門
大玄関、書院
大玄関門
飛雲閣
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