京都府京都市南区 教王護国寺(東寺)
Kyoo Gokokuji(Toji),Minamiku,Kyoto city,Kyoto
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京都市南区九条町403 観智院客殿 国宝 近世以前/住宅 桃山 慶長10(1605) "桁行12.7m、梁間13.7m、一重、入母屋造、妻入、正面軒唐破風付 中門 桁行一間、梁間一間、一重、切妻造 総銅板葺" 棟札1枚 19140417 19590627
京都市南区九条町1 教王護国寺金堂 国宝 近世以前/寺院 桃山 慶長8(1603) 桁行五間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺 棟札1枚 18971228 19530331
京都市南区九条町1 教王護国寺慶賀門 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 鎌倉前期 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 19070828
京都市南区九条町1 教王護国寺五重小塔 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 延応2(1240)頃 三間五重塔婆、本瓦形板葺 19550622
京都市南区九条町1 教王護国寺五重塔 国宝 近世以前/寺院 江戸前期 寛永20(1643) 三間五重塔婆、本瓦葺 18971228 19521122
京都市南区九条町1 教王護国寺講堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 延徳3(1491) 桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺 19401014
京都市南区九条町1 教王護国寺大師堂(西院御影堂) 国宝 近世以前/寺院 室町前期 康暦2(1380) "後堂、前堂及び中門より成る 後堂 桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、北面西端端二間庇、すがる破風造、東向向拝一間 前堂 桁行四間、梁間五間、一重、北面入母屋造、南面後堂に接続 中門 桁行二間、梁間一間、一重、西面切妻造、東面前堂に接続、総檜皮葺" 厨子1基、棟札3枚、 18981228 19580208
京都市南区九条町1 教王護国寺東大門 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長10(1605) 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 19100829
京都市南区九条町1 教王護国寺南大門 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長6(1601) 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 19100829
京都市南区九条町1 教王護国寺宝蔵 重文 近世以前/寺院 平安後期 平安後期 桁行三間、梁間三間、校倉、寄棟造、本瓦葺 19250424
京都市南区九条町1 教王護国寺北総門 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 鎌倉前期 四脚門、切妻造、本瓦葺 19100829
京都市南区九条町1 教王護国寺北大門 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長6(1601)頃 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 19070828
京都市南区九条町1 教王護国寺蓮花門 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 鎌倉前期 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 19020417 19521122
京都市南区九条町1 教王護国寺灌頂院 灌頂院 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永6(1629) 桁行七間、梁間七間、一重、寄棟造、本瓦葺 19401014
京都市南区九条町1 教王護国寺灌頂院 北門 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 鎌倉前期 四脚門、切妻造、本瓦葺 19550622
京都市南区九条町1 教王護国寺灌頂院 東門 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 鎌倉前期 四脚門、切妻造、本瓦葺 19550622
February 4, 2023 野崎順次
「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 東寺 五重塔
真言宗総本山で世界文化遺産。平安京造営時に創建、のちに弘法大師空海に下賜され、これをもって真言宗が「立教・開宗」されてから2023年で1200年の節目を迎える。江戸時代再建の五重塔(国宝)は、高さ約55mの日本一高い木造塔。特別公開の初層内部は極彩色の文様で彩られ、大日如来に見立てた心柱を囲んで金剛界四仏が安置されている。金堂(国宝)や、21体の仏像が立体曼荼羅を形成する講堂(重文)など密教美術の宝庫といわれる諸堂も拝観できる。
(京都観光Naviウェブサイト)
パンフレットと現地説明板
五重塔遠景
講堂、金堂
食堂
本坊
毘沙門堂
大師堂
その他
0
Nov.12,2022 川村由幸
July 10 and 16, 2022 野崎順次 source movie(July 10) source movie(July 16)
京都府京都市南区八条大宮西入る九条町403
真言宗総本山 東寺 別格本山
観智院
観智院は、真言宗の勧学院。いわば、大学の研究室のようなところです。
東寺の三宝といわれる頼宝(らいほう)と杲宝(ごうほう)や賢宝(けんぽう)。杲宝は観智院を創建し、賢宝は五大虚空蔵菩薩を本尊としてお祀りしました。
食堂の北側にある北大門から北総門までの参道は、櫛笥小路(くしげこうじ)といい、平安時代以来そのままの幅で残っている京都市内ただひとつの小路です。その小路の東側に建つのが、観智院です。鎌倉時代、後宇多法皇によって東寺の寺僧の住房が計画され、南北朝時代の延文4年、1359年頃に杲宝(ごうほう)が創建しました。杲宝の弟子、賢宝(けんぽう)は、本尊の五大虚空蔵菩薩を安置しました。ここで杲宝や賢宝は、東寺に伝わる数多くの文書類を編纂。杲宝や賢宝が集めた密教の聖教類は1万5千件以上あり、その数もさることながら質的水準も高く、わが国における貴重な文化遺産となっています。江戸時代には、徳川家康の黒印状にあるように真言宗一宗の勧学院と呼ばれました。
(東寺公式ウェブサイトより)
パンフレットと現地説明板
塀越しに国宝客殿の屋根が見える。西門から入って、百日紅を愛でて、庫裏の受付で拝観料を払う。それ以降、室内撮影禁止、撮影できるのは庭だけとなる。
客殿に向かう。ガラス越しに広いほうの坪庭を見る。
客殿西の庭
涅槃禄 - 長者の庭
庭園客殿南に、2017年に「涅槃禄 -
長者の庭」が新たに作庭された。真言宗立教開宗1200年慶讃事業になる。真言密教の無限の宇宙観、涅槃寂静の境地を表すという。白川砂が敷かれた海の中央に岩礁の島が浮かんでいる。苔地、岩上に3本のアカマツが立ち、潮風は西(右手)から東へ吹く。2つの護岸石は東方向へ鋭く鈎爪のように張り出している。島の西には、低い石橋が渡され、その先の円石に繋がる。西端には巨大な平石が据えられ、苔地があり遠方の島を表している。
(京都風光ウェブサイト「観智院(京都市南区)」より)
四方正面の庭
客殿東の中庭に、枯山水式庭園の「四方正面の庭」がある。安土・桃山時代から伝わるという。植栽、護岸石にその特徴が残されている。南北に長い庭面になっている。東寺創建時の礎石が置かれ、様々な植物が植えられている。北東の渡廊下先に滝口が組まれ、玉石の流れはやがて南西の海「涅槃禄
- 長者の庭」に滔滔と注いでいる。
(京都風光ウェブサイト「観智院(京都市南区)」より)
本堂の北側、茶室「楓泉観」へと繋がる廊下から見る枯山水
茶室「楓泉観」露地
小さいほうの坪庭
帰途
国重文 教王護国寺北大門 桃山 慶長6(1601)頃
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
東寺の蓮池
Mar.29/30, 2022 瀧山幸伸
夜と朝の撮影
A camera
B camera
Nov.19,2020 瀧山幸伸
August 15,2020 大野木康夫
source movie
お盆の早朝風景
北総門
参道
観智院
観智院客殿
北大門
慶賀門
新型コロナウイルス対応
五重塔
南大門
金堂
講堂
灌頂院東門
灌頂院北門
灌頂院
西院御影堂
蓮花門
講堂、金堂、食堂
宝蔵
帰路
December 31, 2019 野崎順次 source movie
京都府京都市南区九条町1
真言宗総本山
教王護国寺 東寺
パンフレット、アプローチ
国宝 五重塔、いろいろな角度から撮ってみた。
国重文 講堂
国宝 金堂
国重文 南大門
December 1,2019 大野木康夫 source movie
五重塔、南大門
1日はガラクタ市
有料拝観区域
紅葉風景
ひょうたん池周辺
金堂から五重塔周辺へ
紅葉の透過光撮影
再度ひょうたん池付近で撮影
帰路
慶賀門付近
教王護国寺
April 13,2017 大野木康夫 source movie
九条通から見た五重塔
夜桜ライトアップ時は慶賀門(東門)から有料区間で南大門、西門は閉鎖。
講堂前から見た不二桜と五重塔
不二桜手前から
瓢箪池へ
瓢箪池付近
五重塔付近
金堂付近から
五重塔へ
再び瓢箪池
不二桜
帰路
Dec.21,2016 中山辰夫
終い弘法
弘法大師の命日である21日に東寺の境内で催される「弘法市」。年内最後の市が終い弘法とよばれ、一年を通じて最も賑わう縁日である。
骨董品や古着のほか、お花の苗や植木、翌年の干支の置物など、正月用品を売る多数の露店がずらりと並び、大変な数の人々のお参りで賑わう。
朝10時頃、境内はもう一杯の人でごった返している。お店は門外にも並ぶ。
やはりお参りが先である。
今日ばかりは主役を譲った各殿の様子−金堂・五重塔−を並べる。
売る人
買う人
July 27,2016 大野木康夫
国宝 五重塔
国宝 金堂
国重文 講堂
その他
食堂
国宝 西院御影堂
北総門
観智院客殿の屋根が銅板葺から檜皮葺に葺き替えられました。
不二桜と五重塔
少し不二桜のボリュームが少ないのはまだ咲ききってないからでしょうか。
ソメイヨシノと五重塔
金堂付近
池付近
池の東岸を南下
有料拝観区域の出口へ
食堂や駐車場からの眺め
京都府京都市南区九条町1番地
20年ぶりとされる東寺紅葉ライトアップです。
紅葉は多くはありませんが紅葉に浮かぶ五重塔は幻想的でもあります。
南大門の西にある京阪国道口の陸橋から。照明柱がいささか邪魔するが、有名なアングルらしい。
国重文 南大門 桃山 慶長六年(1601)
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
八島社殿
祭神は東寺の地主神とも、大己貴神(おおなむちのかみ)とも言われる。八島社というのはわが国を大八洲瑞穂国と言うところから起こった社号である。それゆえこの社は東寺以前より鎮座されており、弘法大師はこの神の夢想を被ってここに伽藍建立に先立ち、この神へ寺門造立成就、方位安全、法堂繁栄の祈願をされ、地主神とあがめられたと伝えられる。(現地説明板)
八幡社殿
796年創建、平安京と東寺を守護するためまつられたが、明治元年(1868年)焼失、平成3年に123年ぶりに再建。本尊は檜材の一木造で一本の巨木から弘法大師作と伝えられる。僧形八幡神坐像と女神坐像二躯の三躯が安置されている。足利尊氏が東寺を本陣としていた時、鎮守八幡宮の社殿から鏑矢が新田勢に向かって飛び、勝利を納めた故事は余りにも有名である。(現地説明板)
国宝 金堂 桃山 慶長八年(1603)
桁行五間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺
国重文 講堂 室町後期 延徳3(1491)
桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺
国宝 五重塔 江戸前期 寛永20(1643)
三間五重塔婆、本瓦葺
新婚さんの記念撮影、この日京都は気温36℃だったから、花嫁さんはさぞ暑かったろうが、幸せいっぱいの笑顔だった。
国重文 宝蔵 平安後期
桁行三間、梁間三間、校倉、寄棟造、本瓦葺
食堂
夜叉神堂 桃山
東 雄夜叉 本地文殊菩薩
西 雌夜叉 本地虚空蔵菩薩
最初は南大門の左右に安置されていたが、旅人が拝まないで通ると忽ちその罰にあたったとされ、中門(現在の金堂前燈籠周辺)の左右に移された。慶長元年(1596年)中門倒壊の後、現在の小堂を建立して安置した。夜叉神像は弘法大師の御作とされ霊験甚だあらたかで、仏法守護を本誓となすとあり、歯痛を治して下さると親しまれている。(現地説明板)
国重文 灌頂院 江戸前期 寛永六年(1629)
桁行七間、梁間七間、一重、寄棟造、本瓦葺
国重文 灌頂院 東門 鎌倉前期
四脚門、切妻造、本瓦葺
国重文 灌頂院 北門 鎌倉前期
四脚門、切妻造、本瓦葺
参考資料
国指定文化財等データベース
現地説明板
元旦に雪が降り、二日の早朝に東寺に行きました。
近鉄の車窓から
近鉄東寺駅から
九条大宮交差点
南大門正面
灌頂院
京阪国道口の陸橋から
蓮花門
西院御影堂
食堂
講堂と金堂
講堂
金堂
灌頂院
東門
北門
金堂前からの五重塔
南大門
五重塔
東大門
慶賀門
宝蔵
駐車場付近からの五重塔
北大門
観智院
北総門
京都府京都市南区
東寺(教王護国寺)
撮影日: May 19, 2013
曇り、時々小雨の日、特別公開の五重塔初層を拝観に来た。また、久しぶりに講堂、金堂の諸仏にもお目にかかりたい。
パンフレット
東寺南門前というバス停で降りたら、九条通りを西に通り過ぎたあたりで、いつもの慶賀門とは正反対だった。西側の壬生通りを北上したら、国宝蓮華門があった。
西門から大日堂と大師堂の間を通って、有料境内に着いた。
雨がかなり降ってきた。塔も花もしっとりしている。
修学旅行のシーズンである。最近は生徒を少人数に分けてタクシーで回るようである。格安の料金の上に京都観光の知識が必要なので、タクシーの運転手さんは大変だと云う話を聞いた。でも、生徒たちは屈託がない。
その他境内風景
撮影 Mar 30,2013
不二桜と五重塔
不二桜は岩手県盛岡市の旧家の桜でしたが、縁あって東寺に移植されたものです。
五重塔と桜
東大門は修理が終わりましたが、引き続き土塀の修理が始まりました。
金堂
講堂
その他境内風景
西院
所在地 京都府京都市南区九条町1
2012.11.3撮影
慶賀門(重要文化財)
鎌倉前期の建築
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
大宮通東寺道にあり、現在の東寺の玄関口ともいえる門です。
北大門(重要文化財)
慶長6(1601)年頃の建築
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
食堂の北、観智院の南にあります。
北総門(重要文化財)
鎌倉前期の建築
四脚門、切妻造、本瓦葺
観智院の北、八条通に面しています。
観智院客殿(国宝)
慶長10(1605)年の建築
桁行12.7m、梁間13.7m、一重、入母屋造、妻入、正面軒唐破風付
中門 桁行一間、梁間一間、一重、切妻造
総銅板葺
春秋に特別公開されますが、建物に上がったら撮影は禁止になっています。
門を入ったところや周辺から屋根付近を撮影しました。
大師堂(西院御影堂)(国宝)
康暦2(1380)年の建築
後堂、前堂及び中門より成る
後堂 桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、北面西端端二間庇、すがる破風造、東向向拝一間、
前堂 桁行四間、梁間五間、一重、北面入母屋造、南面後堂に接続
中門 桁行二間、梁間一間、一重、西面切妻造、東面前堂に接続
総檜皮葺
伽藍の西端に位置し、常時無料公開されています。
蓮花門(国宝)
鎌倉前期の建築
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
東寺西側の壬生通に面しています。
境内からは見えず、通りから見ることになります。
国宝ですが、この門を鑑賞している人を見たことがありません。
九条通に出て、歩道橋から灌頂院を眺めました。
歩道橋から南大門、五重塔方向の眺め
南大門(重要文化財)
慶長6(1601)年の建築
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
東寺最大の門で、南側の九条通に面しています。
金堂(国宝)
慶長8(1603)年の建築
桁行五間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺
南大門を入ったところに建っています。
少し枯れたような木の色が美しいです。
灌頂院(重要文化財)
寛永6(1629)年の建築
桁行七間、梁間七間、一重、寄棟造、本瓦葺
南大門の左手(右)にあり、塀に囲まれています。
非公開になっています。
灌頂院東門(重要文化財)
鎌倉前期の建築
四脚門、切妻造、本瓦葺
灌頂院北門(重要文化財)
鎌倉前期の建築
四脚門、切妻造、本瓦葺
講堂(重要文化財)
延徳3(1491)年の建築
桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺
内部の東寺曼荼羅で知られています。
朱塗りの鮮やかな大きな仏堂です。
五重塔(国宝)
寛永20(1643)年の建築
三間五重塔婆、本瓦葺
東寺の、いや、京都のシンボルです。
五重塔としては日本で最大です。
黒塗りで撮影しにくい塔でもあります。
東大門(重要文化財)
慶長10(1605)年の建築
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
修理中ですが、覆いが外れていました。
開かずの門として知られています。
宝蔵(重要文化財)
平安後期の建築
桁行三間、梁間三間、校倉、寄棟造、本瓦葺
慶賀門のすぐ南に堀に囲まれて建っています。
境内各所
小子房
小子房(しょうしぼう)は、金堂西側に位置し、天皇を迎える特別な所で、通常は非公開である。
毎年正月(8日〜14日)には後七日御修法(ごしちにちみしほ)の秘儀が行われる。
後宇多法皇が住まわれた所で、ここで3年間修行されたとある。
さらに、その後、南北時代、足利尊氏が光厳上皇を奉じて都に入った際、洛中の戦いが治まるまでの間、上皇はここを御所とされた。
勅使門(外側と内側
透かしの入った優美で美しい門。ここから入ると小子房の正面となる。
本坊(特別拝観時はここから入る)
小子房
現在の小子房は、昭和9年(1934)、弘法大師空海の1100年御遠忌(ごおんき)に再建された。総木曽ヒノキ造である。
襖絵や壁画は堂本印象、庭園の「澄心苑(ちょうしんえん)」は7代目小川治兵衛の作である。(室内撮影は不可である)
小子房」内部は、「勅使の間」「牡丹の間」「瓜の間」「枇杷の間」「鷲の間」「雛鶏の間」の6部屋からなり、それぞれの部屋にはその名のもととなった襖絵が描かれている。
「勅使の間」は、金泥を惜しげもなく使った極彩色の障壁画、それ以外の5室はしっとりとやわらかいタッチの水墨画が描かれている。
水墨画の障壁画すべてが、堂本印象42歳の作品で、繊細な優しい表現と、全部に描かれている小さな昆虫に目を奪われる。
「勅使の間」に描かれる「渓流に鶴」 (パンフレトより)
蓮花門
国宝:切妻造、本瓦葺、鎌倉時代
西側の築地にあって、壬生大路と信濃小路の交わるとことに建つ。
今の建物は、鎌倉時代の初期に文覚上人が伽藍を復興したときに再建されたもの。
空海が東寺や神護寺を弟子たちに託して高野山に隠棲するとき、この門から旅立ったとされる。
門を出る際、ハスの花が咲いたという故事から名づけられた。
庭園
7代目小川治兵衛晩年の回遊式庭園。
イチョウの大木
「櫨(はぜ)」の木が共生していて、イチョウの黄色とはぜの赤色が折重なる秋は絶景とか。
江戸時代の古瓦
東寺の建物修理の際に新しく取り替えたため、古い瓦が庭に展示してあった。
夕照の東寺
五重塔
講堂
金堂
食堂(じきどう)
南大門と周辺
境内描写
早暁の御影堂と食堂
国宝(パンフレットより)
講堂
金堂
五重塔
大師堂
東寺終い弘法
毎月21日、当時の境内では弘法市が開かれます。
なかでも、12月の弘法市は「終い弘法」と呼ばれ、1月の「初弘法」とともに、とりわけ多くの人で賑わいます。
京都駅八条口から八条通を西に向かい、大宮通を過ぎてすぐの北総門(重要文化財)から露店の建ち並ぶ境内に入りました。
2010年の終い弘法は平日ということで、御年輩の方が多く来られていました。
北総門から北大門(重要文化財)までの間、特に洛南高校の北側の通りには骨董の露店が多く集まっています。
書道で色紙を書いて売る女性や、タペストリーを売る中東出身の方も出店されていました。
北大門をくぐり、慶賀門(重要文化財)から大師堂(国宝)に向かう通路は、食べ物の露店が多く集まっており、お昼時には、一層混雑します。
西院の門前には高野槇を売る露店もありました。
大師堂では、前堂の弘法大師坐像(国宝)の厨子が開けられ、多くの人が参拝しておられました。
また、南側の不動明王坐像の前では護摩が焚かれるようで、護摩木に願い事を書く人で賑わっていました。
西院から講堂西側に出ると、そこも露店がびっしりと並んでいました。
境内南側は、古着の露店が多く集まっています。
水塔婆を売る大師講の露店や、刃物の実演販売の露店もありました。
南側に露店が並ぶ金堂(国宝)は、正面の扉が開けられ、本尊の薬師如来及び両脇侍像(重要文化財)を外側から拝むことができるようになっています。
南大門(重要文化財)の下にも露店が出ていました。
南大門を出て、九条通の陸橋から、南大門、五重塔(国宝)、潅頂院(重要文化財)を撮影しました。
西側の土塀(重要文化財)、蓮花門(国宝)を撮影しました。通る人も少なく、ひっそりとしていました。
京都府京都市南区九条町1番地
世界遺産
真言宗総本山
東寺 (教王護国寺)
重文 南大門 桃山時代 慶長6年(1601)
重文 東大門(不開門) 鎌倉時代 建久9年(1198)
重文 土塀
重文 慶賀門 鎌倉時代前期
重文 宝蔵(校倉)平安時代
食堂 現代(昭和8年/1933年)入母屋造 本瓦葺
国宝 五重塔 江戸時代(寛永21年/1644年)木造 本瓦葺
国宝 金堂 桃山時代 (慶長8年/1603年)入母屋造 本瓦葺
重文 講堂 室町時代(延徳3年/1491年)入母屋造 本瓦葺
重文 灌頂院東門および北門 鎌倉時代前期 および 小子坊
国宝 太子堂(御影堂) 南北朝時代 入母屋造(中門は切妻造)檜皮葺
重文 北大門 鎌倉時代前期
国宝 観智院客殿 桃山時代 (慶長10年/1605年) 入母屋造 銅板葺
慶賀門
五重塔
宝蔵
食堂
講堂
金堂
東大門
南大門
夜叉神
北大門
大師堂
灌頂院、北門、東門
蓮花門
観智院
北総門
境内
金堂
Kondo
講堂
Kodo
五重塔(国宝)
Gojunotou
五重塔基壇(特別公開)
Gojunotou Kidan
北大門
Kita daimon
慶賀門
keigamon
観智院(特別公開)
Kanchiin
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