三重県伊賀市 伊賀上野城
Iga Ueno Castle, Iga City, Mie Pref
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Apr.3,2023 瀧山幸伸
俳聖殿
忍者屋敷
西側から
空撮
Apr.3,2017 中山辰夫
三重県伊賀市上野丸之内
1585 (天正13)年、大和より移った筒井定次が築城。1608(慶長13)年には、豊臣氏包囲の一環として藤堂高虎が伊勢・伊賀に入城し、城の改修をおこなった。
本丸西側の石垣は大坂の陣以前のものとしては最も高い。
案内
現在の天守は昭和10年に新築されたもので、城の建物としては武具蔵が残されている。
城下には藩校崇廣堂(すうこうどう)の建物が現存する。
筒井古城本丸跡
台所門跡周辺
天守
手前が小天守、奥が大天守で模造天守、木造である
天守へは、石段を上り薬医門より入る(有料)
天守外観
高石垣
石垣の上に置かれた、築城時に切り出された石、矢穴が付いたものもある
高さ30mを誇る石垣の上から見下ろす−勾配の鋭さが重文に見えない
場所を変えるも樹木が邪魔して見づらい
漸く見つけた一カ所
国史跡上野城跡・城代屋敷跡
伊賀上野城は、上野盆地のほぼ中央にある上野台地の北部にある標高184mほどの丘に建てられた平山城である。北には服部川と柘植川、南には久米川、西側には木津川の本流が流れ、城と城下町を取り巻く要害の地にある。
かつて上野城の場所には要塞としても利用された平楽寺や仁木氏館があった。織田信雄(北畠信雄)の家臣である滝川雄利は平楽寺の跡に砦を築いたが、小牧・長久手の戦いの際に脇坂安治によって落城させられた。その後天正13年(1585年) に筒井定次によって改修を受け、慶長16年(1611年)に徳川家康の命を負って藤堂高虎が拡張したが、大坂の陣によって、当時高虎が従属する家康に対立していた豊臣氏が滅んだため築城が中止され、本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のまま江戸時代を過ごした。
昭和42年(1967年)旧城域一帯が国の史跡に指定されている。城を含めた近隣一帯は上野公園として整備されており、松尾芭蕉を祀る俳聖殿や芭蕉翁記念館があるほか、伊賀流忍者博物館があり、伊賀上野の観光地として利用され、各種イベントなどが行われている。長年日本一といわれてきた藤堂高虎の高さ約30mの石垣[注釈 1]や三重県立上野高等学校敷地内に武庫蔵が現存し、米倉は博物館の一部として上野公園敷地内に移築現存する。現在、天守台にある3層3階の天守は昭和初期築の模擬天守で、正式には伊賀文化産業城という。(wikipedia)
伊賀市教育委員会資料(PDF)
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