三重県伊勢市 旧賓日館
Kyu Hinjitsukan,Ise city,Mie
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伊勢市二見町茶屋566-2 旧賓日館 本館 重文 近代/商業・業務 明治 明治20(1887) 木造、建築面積525.51㎡、二階建、入母屋造、桟瓦葺及び銅板葺 20100629
伊勢市二見町茶屋566-2 旧賓日館 大広間棟 重文 近代/商業・業務 昭和 昭和10(1935) 木造、建築面積437.47㎡、二階建、入母屋造、桟瓦葺及び銅板葺 20100629
伊勢市二見町茶屋566-2 旧賓日館 土蔵 重文 近代/商業・業務 明治 明治20(1887) 土蔵造、建築面積26.50㎡、二階建、切妻造、桟瓦葺 20100629
October 31, 2020 野崎順次
三重県伊勢市二見町茶屋566?2
賓日館
賓日館は明治20年、伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として、神宮の崇敬団体・神苑会によって建設される。明治天皇の母にあたる英照皇太后のご宿泊に間に合うようにと、明治19年12月に着工、翌年2月19日に竣工。これほどの短期間で格調高い建物が完成したのは驚異といえる。その後、明治末期から大正初期にかけてと昭和初期の2回の大増改築を重ね、現在の状態となった。
明治24年7月29日から3週間余り、ご幼少時の大正天皇(明宮嘉仁親王)が避暑や療養、水泳訓練などを兼ねて滞在されたのをはじめ、歴代諸皇族、各界要人が数多く宿泊された。そして明治44年2月には隣接する二見館(三重県初の政府登録国際観光ホテル)に払い下げられ、二見館の別館として平成11年まで宿泊所とされてきた。
二見館の廃業後、平成15年に二見町に寄贈。
賓日館では、建物だけでなく庭園も含めて、当時一流の建築家による品格のある洗練されたデザイン、選び抜かれた材料やそれに応える職人たちの技など、日本の伝統建築の粋を目の当たりにすることができる。
建築学的見地からだけでなく、明治から大正、昭和、平成、令和へと二見町の近代史を語り伝える国指定重要文化財である。
(賓日館ウェブサイトより)
パンフレットと現地説明板
海側正面からのアプローチ
庭園とそこからの建物外部
玄関から2階へ
2階から中庭を見下ろす。
翁の間
廊下伝いに大広間の方へ、裏庭を見下ろす。
大広間
庭園を見下ろす。
御殿の間
千鳥の間
大広間棟を見る。そして,1階へ戻る。
中庭
大広間棟の1階では、志摩のイラストレーター、シャンティーの30年の軌跡、イラストレーション展(10月24日から11月22日)
2012.3.18撮影
所在地 三重県伊勢市二見町茶屋566-2
旧賓日館は、伊勢神宮の崇敬団体の神苑会(しんえんかい)によって、景勝地二見浦に、賓客の休泊のために建設され、昭和前期に造神宮技師の鹽野庄四郎の指導監督により改修及び増築が行われ、ほぼ現在の規模となった。
本館の御殿の間は、凝った意匠をもつ座敷で、創建時の姿を残している。
昭和前期の大広間棟2階の大広間は120畳敷で、折上格天井を張り、良材を用いて華やかな意匠で設えられている。
旧賓日館は、明治期から昭和前期にかけての建築技術や意匠の進展をよく示している大規模な近代和風建築として高い価値がある。
(国指定文化財等データベースより)
旧賓日館は伊勢市の資料館となっており、NPO法人が指定管理者として管理しています。
私が修学旅行で泊まった松新館が斜め向かいにありました。
本館(重要文化財)
明治20(1887)年の建築
木造、建築面積525.51平方メートル、二階建、入母屋造、桟瓦葺及び銅板葺
大広間棟(重要文化財)
昭和10(1935)年の建築
木造、建築面積437.47平方メートル、二階建、入母屋造、桟瓦葺及び銅板葺
土蔵(重要文化財)
明治20(1887)年の建築
土蔵造、建築面積26.50平方メートル、二階建、切妻造、桟瓦葺
内部も撮影できました。
本館1階玄関
さつきの間
ことぶきの間
本館階段
本館2階千鳥の間
本館2階通路
翁の間
御殿の間
大広間棟1階各間
2階大広間
本館中庭周辺
土蔵入口
土蔵内部は美術品が展示してあるため撮影禁止になっています。
3分ほど歩けば夫婦岩です。
July 2011 瀧山幸伸
A camera
西隣の閉鎖した旅館
B camera
Dec.2009 撮影/文:高橋久美子
明治20年(1887)竣工。 国指定登録有形文化財
塩野庄四郞 設計。 大江新太郎 改築。
木造2階建
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