三重県伊勢市 伊勢神宮
Isejingu,Ise city,Mie
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伊勢市宇治浦田1-1-29 神宮祭主職舎本館(旧慶光院客殿) 重文 近世以前/住宅 江戸前期 17世紀初期 桁行23.3m、梁間18.5m、一重、入母屋造、妻入、中門及び車寄附属、中門切妻造、庇附属、車寄唐破風造、本瓦、檜皮及び銅板葺 20021226
Feb.18,2021 瀧山幸伸 source movie
October 31, 2020 野崎順次 source movie
三重県伊勢市
伊勢神宮内宮
アプローチ、早起きしてJR大阪駅に午前5時30分、鶴橋で近鉄急行に乗り換え、8時30分頃五十鈴川駅着、バスで内宮についたのは午前9時。
パンフレットと現地説明板
宇治橋
神苑
小さな橋を渡って
五十鈴川御手洗(いすずがわみたらし)
巨木の残る森の路を進む。
正宮(しょうぐう)の下
巨木と籾だね石
御稲御倉(みしねのみくら)、忌火屋殿(いみびやでん)、外幣殿(げへいでん)
荒祭宮(あらまつりのみや)
由貴御倉(ゆきのみくら)、御酒殿(みさかどの)、五丈殿
神楽殿(かぐらでん)
橋を渡って、風日祈宮(かざひのみのみや)
神楽殿に戻って、御厩(みうまや)
橋を渡って、もう一つの御厩
石と池の庭園
神苑に戻ってきた。
大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)、子安神社
宇治橋
October 31, 2020 野崎順次 source movie
三重県伊勢市宇治今在家町・宇治中之切町
おはらい町
内宮宇治橋前から五十鈴川に沿って続く「おはらい町」は内宮の鳥居前町として発達してきました。伊勢特有の切妻・入母屋・妻入り様式の土産物店や銘菓の老舗、旅館が軒を連ね、神宮道場や祭主職舎などの歴史的建造物もあります。
(「観光三重」サイトより)
内宮側から歩き始める。すごい人出である。
おかげ横丁への分岐あたり。大半の人々がおかげ横丁に曲がるが、今回はパスする。
おかげ横丁を過ぎると人出がぐっと減る。
酒屋の立ち飲みで辛口のお酒としょうゆ漬けチーズをいただいた。コスパ悪し。そろそろ、おはらい町の終点である。
October 18, 2020 野崎順次
source movie
三重県伊勢市豊川町
伊勢神宮外宮
説明は伊勢神宮公式ウェブサイトから引用させていただきました。
まず、伊勢市駅に近い月夜見宮に参拝しました。
外宮別宮 月夜見宮(つきよみのみや)
御祭神 月夜見尊(つきよみのみこと)
月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)
ご祭神は月夜見尊。天照大御神の弟神で内宮別宮
月読宮のご祭神と同じです。月読宮は月読尊と荒御魂をそれぞれ別の社殿にお祀りしていますが、月夜見宮は、月夜見尊と月夜見尊荒御魂を一つの社殿に合わせてお祀りしています。月夜見宮は、外宮北御門から西へ伸びる「神路通り」の先にあり。樹齢数百年の楠を始め、たくさんの木々に囲まれた神域は、市街地と思えない静かで穏やかな佇まいです。
神路通り、古いコンクリート電柱(昭和3年)
北御門口
御厩(みうまや)
神様の乗り物とされる神馬がいる場所。神馬は、毎月1日、11日、21日の8時頃に正宮にお参りします。但し、雨天時や神馬の体調によってはお参りがない場合もあります。
北御門参道を進む。
五丈殿、九丈殿
神宮の祭典は天候に関わらず行われ、雨天の際、祓所に代わってここでは神饌などが祓い清められます。その他にも式年遷宮のお祭りにおける饗膳の儀が行われます。
四至神
外宮神域の守り神、四至とは神域の四方を意味します。社殿や御垣はなく、榊が立つ石畳の上に祀られます。
古殿地
正宮と同じ広さの敷地を持ち、前回の遷宮まで御殿が立っていた場所。中央には「心御柱(しんのみはしら)」を納めお守りするための覆屋があります。「心の御柱」は正宮中央の床下の柱で、古くから神聖なものとされ大切にされています。古殿地は次の遷宮まで静かにその時を待ちます。
外宮正宮 豊受大神宮(とようけだいじんぐう)
伊勢市の中心部、高倉山の麓に鎮座する豊受大神宮は、衣食住、広く産業の守護神である豊受大御神をお祀りし、古くから内宮に対して外宮と並び称されています。今から約1500年前、天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)として丹波国から現在の地にお迎えされました。内宮の御鎮座から約500年後のことです。以来、外宮御垣内の東北に位置する御饌殿(みけでん)では朝と夕の二度、天照大御神を始め相殿(あいどの)及び別宮の神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)が続けられています。敷地内は撮影禁止。
三ツ石
古殿地の南側にある三個の石を重ねた石積みで、この前では御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)」や奉仕員を祓い清める式年遷宮の川原大祓(かわらおおはらい)」が行われます。近年、手をかざす方がいますが、祭典に用いる場所なのでご遠慮ください。
亀石あたり
外宮別宮 土宮(つちのみや)
御祭神 大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)
ご祭神は、大土乃御祖神。古くから山田原
の鎮守の神でしたが、外宮の鎮座以後は宮域の地主神、宮川堤防の守護神とされ、平安時代末期に別宮に昇格しました。土宮の前は式年遷宮山口祭、御船代祭(みふなしろさい)の祭場でもあります。
下御井神社(しものみいのじんじゃ)
外宮の所管社で、内部には井戸があります。
日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)を始め、お祭りにお供えする御水をいただく上御井神社で不都合があった場合は、下御井神社でいただいた御水をお供えします。
尚、上御井神社へ立ち入り参拝することはできません。
外宮別宮 多賀宮(たかのみや)
御祭神 豊受大御神荒御魂(とようけのおおみかみのあらみたま)
多賀宮は、外宮に所属する四別宮のうち、第一に位しています。殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、正宮に次ぐ大きさです。ご祭神は、豊受大御神の荒御魂(あらみたま)。神様の御魂のおだやかな働きを、「和御魂(にぎみたま)」と申し上げるのに対して、荒々しく格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを、「荒御魂」とたたえます。
外宮別宮 風宮(かぜのみや)
御祭神 級長津彦命(しなつひこのみこと)
級長戸辺命(しなとべのみこと)
ご祭神は、風雨を司る級長津彦命、級長戸辺命で、内宮別宮の風日祈宮(かざひのみのみや)のご祭神と同じです。雨風は農作物に大きな影響を与えますので、神宮では古より正宮に準じて丁重にお祀りしています。
表参道から帰る。
勾玉池とせんぐう館
清盛楠
表参道手水舎の向かいに立つ楠。平清盛が勅使として参向した時、冠にふれた枝を切らせたという伝承があります。平清盛は勅使として三度、神宮に参向しています。
表参道入口あたり
伊勢神宮 内宮
内宮門前のおはらい町とおかげ横丁
外宮
内宮
伊勢神宮 外宮
トイレ休憩を兼ねた僅かな時間のお参りでした
近鉄伊勢市駅から表参道口までは徒歩で約10分
表参道口〜豊受第神宮(正宮)まで
正宮〜別宮土宮・別宮風宮・別宮多賀宮
勾玉池(まがたまいけ)−せんぐう館
菖蒲の名所。休憩所もあり、初夏には花菖蒲が咲き乱れ、中秋の名月(旧暦8月15日)には神宮観月会が舞台で催される。
平成24年4月に式年遷宮記念せんぐう館が池畔に建設された。
20年に一度の遷宮の年で、平日でも大変賑わっていました。伊勢市駅前から外宮へ
外宮
Geku
外宮から内宮へ
参道入り口付近
慶光院客殿
参道
おかげ横丁
再び参道
内宮
Naiku
帰りの参道、おかげ横丁
帰りのバス乗り場は長い列
A camera
B camera
伊勢神宮 2012.3.18撮影 豊受大神宮(外宮)伊勢神宮の二つの御正宮の一つです。
伊勢参りでは外宮から先にお参りします。
外宮は近鉄・JR伊勢市駅から徒歩5分くらいです。
自家用車で行くと、正面ではなく北御門参道から火除橋を渡って御正宮に向かうことになります。
御厩
御正殿の東を通って神楽殿に向かいました。
早朝で、霧が立ち込めていました。
五丈殿、九丈殿
神楽殿で表参道と合流します。
すぐ右が御正宮正面です。
三ツ石
御正宮現在は東の御敷地に鎮座されていますが、来年の式年遷宮で西の御敷地に御移りになります。
新しい御正殿は現在造営中です。
正面鳥居の内側は御聖域で撮影禁止です。
橋を渡って三つある別宮にお参りしました。
土宮
多賀宮
風宮
帰りは、表参道に回って帰りました。
次は内宮に向かいました。おかげ横丁早朝でお店が開いていませんでした。
小学校の修学旅行で昼食を食べた榊原さんも健在でした。
神宮祭主職舎本館(旧慶光院客殿)(重要文化財) 17世紀初期の建築
桁行23.3m、梁間18.5m、一重、入母屋造、妻入、中門及び車寄附属、中門切妻造、庇附属、車寄唐破風造、本瓦、檜皮及び銅板葺神宮祭主職舎は,五十鈴川沿いの内宮門前町に所在する神宮祭主のための施設である。
神宮祭主職舎本館は,明治初期に廃寺となった旧慶光院の客殿で,様式的に江戸前期の建築とみられる。
入母屋造,本瓦葺で,南面東端に中門を設けた,いわゆる主殿の様式を残す数少ない遺構である。
大規模で木太く,本瓦葺で大きな破風を正面に見せる,重厚なつくりで,対面の場として完成された空間構成をもっている。
近世初期に遡る正統かつ本格的な客殿として,貴重である。
(国指定文化財等データベースより)五十鈴川郵便局の北、神宮道場の前です。
普段は公開されませんが、年に1度公開されます。
ただし門内は撮影禁止だそうです。
皇大神宮(内宮)こちらは天照大神を御祀りしています。
御神域も広大です。
宇治橋と両側の鳥居宇治橋も20年に一度掛け替えられます。
両側の鳥居の柱は、旧御正殿の棟持柱だそうです。
宇治橋を渡り、広い表参道を御正宮に向かいます。
五十鈴川御手洗場手水舎もありますが、やはり、ここで身を清めてお参りした方が心が引き締まる感じがします。
さらに進むと、神楽殿です。
神楽殿から五十鈴川に向かえば別宮風日祈宮です。
神楽殿の奥、五丈殿、由貴御倉、御酒殿、忌火屋殿
別宮遥拝所から、西御敷地に建築中の社殿、その奥に現在の御正宮の屋根が覗いています。
この付近、巨木が生い茂り、神々しい感じがします。
西御敷地
御贄調舎
御正宮現在は東御敷地に鎮座されています。
撮影は石段下からのみ許されています。
遷宮後の御贄調舎が建築されるところ
御稲御倉
外幣殿
別宮荒祭宮
参道に戻り、神楽殿から右手参道を戻りました。
御厩実際に馬がいますが、暗くて撮影できませんでした。
参集殿周辺には鶏がいました。
境内の花
大山祇神社、子安神社
神宮司庁
May 2004 瀧山幸伸
伊勢おはらい町
Ise Oharaimachi
伊勢神宮内宮の門前町として発達した「おはらい町」。
約800メートルの街並は、近代化の 進展に伴い破壊され、1980年代には内宮門前町への往来者は年間20万人と、信じられないほどさびれて しまっていた。
後述する「おかげ横丁」の成功に伴い、平成14年には年間約300万人を集め、地域活性化の成功事例となっている。
「おかげ横丁」の成功にあわせ、伝統的な門前町の街並を再生する運動も盛り上がり、大きな経済効果が現れている。
街並に関しては、個々の建物はそれほど古いものではないが、全体的に和風の街並が良く再生されている。
建物は切妻、妻入りが多い。「神様のお住まいと同じ平入りでは恐れ多い」と、妻の部分に玄関を設けたそうだが、真相は知らない。
その美しい街並の中央付近に「おかげ横丁」が作られている。
おはらい町とおかげ横丁は、無料の和風テーマパークだ。
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されていないし、文化財建築もないが、ここまでの街並を整備できたのは、地元の危機意識と伊勢商人の進取の遺伝子のなせるところであろうか。
おはらい町の風景
通りからは見苦しい電柱や照明灯が撤去されているので、スカイラインが整然としている。
歩行者天国なので、無愛想で殺風景な車が街並と人の心を脅かすこともなく、のんびり安心して街歩きでき
銀行店舗も和風
どうせならキャッシュコーナーやシャッターも和風のデザインにして欲しかった。
伊勢名物の赤福 まちおこしの震源地
水菓子の演出
おはらい町を関東で比較すべきは、川越の街並、そして成田の「房総の村」の街並だ。
川越に比べて、おはらい町には通過交通が無いので安心して散策できる。
また、看板と電柱がコントロールされているのが良い。
房総の村では、考証を経て忠実な建物による街並が再現されており、道も舗装されていない。いかんせん入場料が必要なテーマパークであり、模擬店での客引きの掛け声は伊勢商人のリアルな呼び込みの掛け声に比肩すべくもなく、活気も少ない。
買い物のゲーム性は薄いが、ここでの体験型サービスは多い。
奥野家
老舗料理店。井戸など、店構えの演出が興味深い。
おかげ横町
伊勢名物、菓子舗の「赤福」が、内宮の門前町「おはらい町」の中ほどに作った 無料テーマパーク。
約300年間商いを続けてこられたのもお伊勢さんの「おかげ」という意味と、 「おかげ参り」の意味を持たせて命名し、平成5年にオープンさせた。
鉄筋4階建の本社屋を取り壊し、周辺の用地を買収し、約2700坪の敷地に 「日本の暮らしと文化、癒しと憩い」をテーマとして、江戸から明治にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築再現されている。
当時売上高130億円の赤福が140億円の投資をするという、社運を賭けた街づくりだった。
おかげ横丁は計画的に作られた町なので、おはらい町に比べ、デザインと演出に優れている。
赤福オーナーの濱田氏は、コペンハーゲンのチボリをヒントにしたそうである。
テーマパークが追求する「遊び」の要素の「競争、偶然、模擬、眩暈」などの興奮系要素ではなく、チボリ公園のようにのんびりとくつろぐことのできる場所、ストレスを癒す場所でなければならないと考えた。
そのためには、なつかしさ、(既視感:デジャブ)を醸す伝統的な街並が一番良い。
ディテールとして、伊勢独特の切妻、妻入りの建築、伊勢玩具、伊勢型紙といった工芸品、てこね寿し、伊勢うどんといった郷土料理などに代表される「日本のくらしと文化」を導入した。
伊勢参りの歴史や社会風俗の薀蓄は語ればきりがない。
脱線するので割愛するが、現代の旅行にも寺社仏閣参詣をたてまえにした「旅」の楽しみの本質がみてとれる。
芝居小屋と浮世絵風看板
よしず張りの棚が和風情緒を誘う。つる植物を上手に使っている。
ゴミ箱と空調機のお化粧
見苦しいものを上手に隠している
手水鉢が爽やかさと潤いを演出する
おかげ横丁では全て石張りの舗装となっている。
昔風ということであれば、砂地のほうが良いのだが。
伊勢おかげ横町での大太鼓演奏 source movie
中央イベント広場での大太鼓演奏パフォーマンス
伊勢神宮内宮
Isejingu Naiku
日本書紀には、天照大神を祭る内宮は垂仁天皇により五十鈴川上に、農業の守護神豊受大御神を祭る外宮は雄略天皇により高倉山の麓に奉斎されたと書かれている。
神話の世界の話とはいえ、その歴史は古い。
さらに興味を引くのは、元伊勢神宮からの遷宮。丹後大江山に元伊勢神宮があり、丹後から伊勢に移ったエピソード。
あるいは、国東半島の宇佐神宮と出雲大社と伊勢神宮との対比などだが、書き出せばきりがない。
伊勢は熊野とともに日本文化に深く関わる地であり、自然、文化ともに豊か。
黒潮と共にその文化の一部は三浦半島、安房に伝えられた。
南方からの文化ルートに関しては、佐倉の国立歴史民俗博物館で気軽に楽しく学ぶことができる。この施設は、日本の街並に関心ある人には大変興味深い情報を提供してくれる。
内宮訪問者には、五感を通じて素晴らしい環境が体験される。
目に五十鈴川の清流、境内林のうっそうとした緑。
耳に 玉砂利の音と鳥の声と手水舎の水音。
世俗世界の雑音を消し、異空間の体験ができることは、寺院も寺社も同様な環境演出だ。
もちろん、五感刺激要素に関して比較すれば、寺院のほうが、線香・仏香などの香り要素、仏像の視覚要素、木魚、銅鑼などの聴覚要素が大きい。
神社にしろ寺院にしろ、都会に立地し、道路交通やカラスの騒音に悩まされるような所では癒し効果が減殺されるが、ここにはほんとうに森閑とした環境が保たれている。
五十鈴川と周囲の森林と五十鈴川へのみそぎの石段
伊勢神宮は、ブルーノタウトが 「日本美の再発見」(岩波書店、昭和14年)の中で、「最大の単純のなかに、最大の芸術がある」と絶賛している。
伊勢神宮の建築様式はシンプルで、流れ造り神社の曲線美の流麗さは無いが、このシンプルさがまた良い。
彼は、華美な装飾の日光などは好みでなく、伊勢神宮や桂離宮を絶賛したので、少し割り引いてみる必要がある。
荘厳な森林と神秘的な池
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