JAPAN GEOGRAPHIC

埼玉県川越市 川越市街 

Kawagoe Downtown,Kawagoe City,Saitama

 
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 General
 
関東三大祭、楽しい囃子
 Nature
 
 Water
 
 
 Flower
 
 Culture
 
小江戸 蔵造りの街並 時の鐘
 Facility
 
 Food
 
いも製品と伝統的特産物 地ビール 駄菓子


川越市元町1-15-2 大沢家住宅(埼玉県川越市元町) 重文 近世以前/民家 江戸後期 寛政4(1792) 土蔵造、桁行10.9m、梁間8.5m、二階建、切妻造、正面庇付、桟瓦葺 19710622

重要伝統的建造物群保存地区・商家町


February 3, 2024  野崎順次 source movie

埼玉県川越市元町2丁目・幸町
川越の街並み


川越重伝建の街並みと個々の建物をシフトレンズと三脚を使用して綿密に撮影したいという願望はあるが、今回は15-36mm広角ズームで偵察撮影といったところ。

パンフレット

   

本町通り(元町2丁目)

    

勢〆本店、創業150年の老舗酒屋
「角打ちできます」と店頭にある通り、店内でもお酒が楽しめる。常連客と店主との楽しい会話も日常の風景となっている。

   

札の辻あたり

       

一番街商店街(蔵造りの街並み)

                                         

時の鐘と鐘つき通り

     

一番街商店街をさらに南へ、りそなコエドテラス(工事中)まで

               


Oct.15,2016 瀧山幸伸

Edited Movie Download YouTube  Daytime 

Edited Movie Download YouTube  宵まつり evening

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川越まつり

Kawagoe matsuri

                                       

大沢家住宅

                  

宵まつり

                                                            


Sep.26,2016 瀧山幸伸 source movie

                                                          


April 29,2016 松田浩志

                                                                                        


Nov.19, 2013 柚原君子

蓮馨寺界隈

                                           

蔵造り家並み

                    

       

                                                                     

菓子屋横丁

         

服部家

Hattorike

                 

広済寺

      

養寿院

                           


Oct.2012 柴田由紀江

                                          


May 2012 川村由幸

訪問日:2012.05.10関東でも名高い重要伝統的建造物群保存地区。

魅力的な建造物が数多く存在しています。

しかし、車が多いのです。撮影しようとすると必ず車が入ってしまいます。

車の数が多く、撮影していて危険を感じるほどでした。

幹線道路で道幅が狭い旧街道ですから仕方ありませんが。

歴史的な町並をゆっくりと散策して楽しむというわけには行かない川越です。

                                                                    


July 2009 撮影:高橋久美子

川越の街並

松江町〜仲町

                                                    

連雀町

                   


Feb.2009 撮影:高橋明紀代

蔵造りの町並み

     

旧第八十国立銀行 埼玉りそな銀行川越支店としていまも使われている

 

「蔵造り資料館」

煙草を運んだ運搬機 消火器 川越に蔵造りが奨励された説明書き

   


Oct. 2007 川越祭り 撮影:瀧山幸伸

Kawagoe matsuri source movie

  

  

    

     

  

  

    

 

            

     

    

   

       

           


June 2004 川越の街並1 瀧山幸伸 Kawagoe townscape  source movie 

June 2004 川越の街並2

Kawagoe townscape  source movie 


Oct.2003 川越まつり 瀧山幸伸

Kawagoe matsuri 

 1日目夜 first day source movie

 1日目夜引廻し car parade source movie

 2日目昼 second day daytime source movie

 2日目昼 菓子屋横丁 dagashi alley  source movie

 2日目夜クライマックスその1 second day climax 1 source movie

 2日目夜クライマックスその2 second day climax 2 source movie

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【観光案内図】

 

 川越は武蔵野台地の縁辺、新河岸川に沿った良い環境に位置し、縄文の古代から人々の生活が営まれていた。

川越の地名は平安時代末期1150年代の河越氏の荘園に由来する。川越城は1457年上杉氏が太田道灌に命じ築城したのが起こりで、その後松平信綱、柳沢吉保など有力大名により統治された城下町である。

 城の本丸御殿やとおりゃんせで有名な三芳野神社が所在する川越城地区、蔵造り商家の並ぶ蔵の街地区、喜多院地区がそれぞれ離れて所在しており、周遊路、遊歩道などによる有機的なつながりが見られないのは残念だ。

【蔵造りの街並】

 商人町は松平信綱の時代に形成されたが、現在の蔵造りではなかった。蔵造りの街並は明治26年(1893)の川越大火以後に形成されたものだ。それ以前に建築された大沢家(寛政4、1792建築)など土蔵建築が焼け残ったのを見た商人がこぞって江戸の土蔵建築を推進した結果、黒漆喰の土蔵が連続する街並が形成された。関東で最も美しい土蔵の街並だ。

 文明開花の当時、あえて江戸の街づくりを目指したことは注目に値する。その時にどのような合意形成がなされたのかはわからない。小江戸の気風として、川越祭りがそうであったように江戸にあこがれそれを真似る土壌はあったものの、商人は実利を追う。洋風建築の耐火評価が定まっていない当時、耐火性能が目の前で実証された蔵造りを選んだのは当然のことであろう。

当時流行り始めていたレンガを塀や袖壁に利用した建物も多いが、なぜか土蔵と調和し美しい街並を形成している。

 メインストリートは祭り時以外にはバス路線となるため、観光客は激しい交通に威圧感を感じながら歩くこととなる。東京からわずか40キロで1時間足らず。この道が常時遊歩道となれば巣鴨地蔵通り並に多くの観光客を招くことができるだろうに。観光経済よりも地域住民の生活便のほうが大切なのだろうが、観光客には残念だ。せめて土日は歩行者天国にしてほしい。仲町交差点から札の辻付近は国の伝統的建造物群保存地区に指定されており、電柱が埋設されているので美しい街並が連続するが、日常の交通がその美しさをかなり阻害している。祭りの時は歩行者天国なのだが、食べ物屋台、紅白幕、人通りが邪魔をして、やはり街並を堪能できないのだ。

【仲町交差点】

  

【まめ屋】

  

【川越城御用達亀屋】

  

【幸町】屋根と軒線が揃い美しいシーケンスを形成している

  

【建物前面に置かれた陶器が美しい】

      

 

【蔵造り資料館】 二階から街並を眺めることができる。

  

【川越まつり会館】レンガと黒漆喰がよく似合う

   

【重要文化財大沢家】 寛政4(1792)

【裏通り 和風デザインの店舗】

  

【裏通り 和食店舗の周囲にしつらえた小さな堀】 小型の橋を渡って店舗に入る光景は非日常的で楽しい。

【裏通り 洋風喫茶店に寝そべる猫】 祭りの喧騒が嘘のように客の目の前で居眠りをする。客も猫のリズムに感化されてのんびりくつろいでいる。

    

【時の鐘】

 寛永年間に城主酒井忠勝が多賀町 (幸町)に建てたものが最初といわれている。現在の鐘楼は大火の翌年に再建されたものである。 3層構造の塔で、高さ約16メートル。この地区のランドマークであるとともに、小江戸川越のシンボルとなっている。1日に4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)鐘の音を響かせており、環境庁主催の「残したい日本の音風景百選」に選ばれている。

   

【 新河岸川】

 日本の大都市では人々が川を利用したり川で遊んだりしなくなり、水を身近に感じなくなったからであろうか、水が汚れ川底にゴミが沈んでいる街を見るのは悲しいことだ。次世代を担う子供たちはそのような汚れた光景があたりまえと思って育つのだろうか。 

 川越は新河岸川の水運で江戸を結び発展してきた歴史的な経緯があり、潜在的魅力があるにもかかわらず現在では観光にも生活にも組み入れられていないのが残念だ。市街地は、喜多院付近を除けば水も緑も花も少なく乾いた印象だ。それを補うためにも新河岸川の活用が必要ではないだろうか。

 この川の最上流から、流れ込む水を徹底的に調査し、水の浄化を行い、河川を清掃する。水辺にたたずむことができるように、水際の遊歩道も整備する。さらに河川一帯の植栽修景を徹底的に行う。照明も見直し、夜の逍遙ルートとしてプロモーションする。これらができたら川下りの屋形船など和船を備える。そうすれば川越を巡る素晴らしい周遊コースになるであろう。江戸浅草や日本橋とを結ぶ船旅コースを復活すれば完璧だ。

 

 江戸の文化は川の文化だ。 川越が小江戸を目指すとするならば、ぜひ水のある暮らしを再現してほしい。水を愛し活かすことに成功すれば、はるかに潤いのある街に変貌するだろう。

  

本丸御殿付近

この付近は高台になっており、周囲を緩やかな崖に囲まれているが、残念ながら城跡一帯は学校、博物館などの公共施設となっており、中世平城の景観は見られない。

  

【とおりゃんせの三芳野神社】

わらべうた「とおりゃんせ」発祥の地といわれている。川越城内にある神社なので一般の人の参詣はなかなか難しく、その様子が歌われていると伝えられている。子連れの親と番人とのやり取りの情景を思い浮かべながら静かな参道を通ってみよう。

  

喜多院エリア

【成田山別院】

地元では「お不動様」として親しまれている。目の病を不動明王に祈願して全治した千葉の石川照温が嘉永3年(1850)に創建したもの。

毎月28日にはアンチックバザール「蚤の市」が開かれている。

    

【喜多院】

喜多院は、五百羅漢やダルマ市(1月3日)で知られている。天長7年(830)に慈覚大師が無量寿寺を開いたのが始まりと伝えられている。永仁4年(1296)、尊海が慈恵大師を勧請して無量寿寺を再興し、北院・中院・南院となる各房が建てられた。喜多院となったのは慶長17年(1612)、徳川家康の信任を得る天海僧正が住職となってから。寛永15年(1638)、大火によって喜多院のほとんどを焼失。 3代将軍家光が江戸城内・紅葉山から客殿、書院などを移築した。それが結果的には江戸の大火による焼失を免れることになり、江戸城唯一の遺構として残されることになった。客殿や書院には「家光誕生の間」「春日局化粧の間」と伝えられている部屋があり、これらは、慈眼堂・山門などとともに重要文化財に指定されている。

 参道は雑然としているが、ぽつぽつと古い木造の建物が良い雰囲気を出している。

本堂裏手に回ると、森閑とした境内林と空掘りの遺構が見られる。

街のオアシスには寺社仏閣と城跡などがふさわしい。東京の寺社仏閣も宗教法人の恩恵を享受しているのだから、準公共的施設として活用させてもらうべきであろう。

       

【菓子屋横丁】

 狭い路地に駄菓子屋がひしめく。明治以降菓子製造が盛んになり首都圏へ出荷してきたが、最盛期は70件以上あったという。子供たちにはもちろん天国だが、大人には子供時分の懐かしさをよみがえらせてくれる。昔懐かしいニッキやハッカの香りが漂い、環境省の「かおり風景百選」に選定されている。

             

【川越名物考 さつま芋と漬物、地ビール】

 川越が多くのリピーターに支持される理由の一つに名物作りが挙げられる。菓子屋横丁の地盤が有利に働いたこともその理由かどうか、とにかく「さつまいも」がフィーチャーされている。芋と栗は女性のみならずオムニバスに好まれる食材で、お土産にも好都合だ。漬物も名物だ。芋の甘さの後には口中をさわやかにすることができる。甘辛交互に口に運ぶといくらでも食べられる。左党には地ビール、さつまいもビール、日本酒も楽しみだ。

 この街は五感の重要な要素、食感を楽しませることに大成功している。B級グルメと揶揄されることもあろうが、首都圏では他の追随を許さないとの矜持を持って創意工夫を続けて欲しい。

        

【飯能の造り酒屋が】 

川越地元の鏡山は廃業してしまった。これからが評価される時代だろうに残念だ。廃業した造り酒屋には復活して欲しい。祭りには飯能の造り酒屋が出張ってきている。

  

【氷川神社 川越祭りの神社】

江戸時代には川越城下の総鎮守となり、歴代の城主をはじめ城下の人々の厚い信仰を得てきた。

嘉永3年(1850)に建てられた本殿は、川越まつりの山車の人形を主題にした彫刻がほどこされており、川越まつりは、同神社の神幸祭が起源とされている。

神社横、会館に続く渡り廊下は素晴らしい。柱のシンメトリーと連続照明、さらに水がなられ落ちる滝により別世界へと導かれる。

寺社仏閣は、眼(壮大な建築や朱、緑の美しさ)、耳(鐘、太鼓、水の音の美しさ)、鼻(佛香の心地良さ)の演出が考え抜かれている。

現代の都市環境を考えるヒントになるのではなかろうか。

       

【川越まつり】

 関東三大祭りの一つ川越まつりは、囃子も舞いもおっとりとしてユーモラスであり女性的に感じる。佐原の祭りも同様である。対する秩父の夜祭はアップビートで攻撃的であり、三社祭をしのぎ最も男性的な印象を与える。祭りもそれぞれの風土を反映するのだろうが、同じ埼玉でも川越と秩父とでは随分と異なるものだ。街の生い立ちが違うからであろうか、はたまた川越は収穫の時期の10月、秩父は12月3日の夜寒い時期に行われるからであろうか。

 大通り以外では電柱や交通標識、街路灯が山車の邪魔をする。山車の進行に支障があるし、風情も失われる。山車ルートの電柱撤去は当然として、標識も最低限とし、街灯も和風の意匠で作り変えて欲しい。洋風建築とは馴染まない山車だが、和風の蔵とは大変良く馴染む。夜祭り時、提灯を飾った山車が引き回される背後に黒塗りの蔵がくっきりと浮かび上がる。その姿は身震いするほど美しい。願わくば夜祭の時には街灯の照明が眩しいので消して欲しい。出店が多すぎるので制限してほしい。紅白の幕はやめてほしい。そうすればさらに美しい幻想的な光景を見ることができるだろう。祭りに参加する人は皆衣装を揃え活気にあふれており、人自体もその発する声も老若男女皆美しい風景となって脳裏に焼きつく。川越祭りはカイヨワが言うところの遊びの重要な要素を全て備えている。(「遊びと人間」岩波書店)

ちなみに遊びの4分類とは

競争:アゴン:運動競技、ボクシング、チェス

偶然:アレア:じゃんけん、くじ

模擬:ミミクリ:子供の物真似、人形、仮面、演劇

眩暈:イリンクス:メリーゴーランド、ブランコ、スキー、登山

であり、街おこしの参考となる。

【川越祭りの街並】

【銀行の建物と山車】 山車と洋風建築は贔屓目に見ても馴染むとは言い難い。

【幕と仮設店舗】 雑然とした印象を与える

【祭り時、2階手摺に設置される人形】 祭り風情を演出する。

   

【電線が空を覆う】

   

【祭りに映える土蔵造りの建物】

    

【人が祭りの景観を作る】

    

【まとめ】【城下町川越の復元は三区域と川の有機的結合から】

 城下町は貴重な資源だ。今の霞ヶ関や新宿の都庁も千年後には歴史が評価するかもしれない。

心ある町では、城跡に設置した公共施設を城跡区域から移転させ、元の景観を再現させようと努力している。

 川越は首都圏に近い観光地なので城下町復元の価値は高いと考える。川越城周辺と武家町、商家町、喜多院をつなぎ、城下町の姿を再現させ、さらに新河岸川を整備して全体を一つにまとめることは大いに意味があると思う。それぞれの区域を結ぶ遊歩道、例えば城と喜多院を結ぶ区間には、とおりゃんせなどの「童謡のこみち」等々、特別に景観演出した小道を整備することも必要だ。これら三区域を移動するのは興ざめだ。文字通り遊びながら歩く道が欲しい。各所に休憩施設を整備し、水と緑と花を配することも重要だ。

まずは標識、小さいモニュメント、植栽など、公共空間だけでは不可能な修景は各建物所有者への委託設置で達成するなど、できるところからはじめよう。ぜひそのような方策を推進して欲しい。

 川越を大きな江戸テーマパークと考えて、毎日1万人の訪問者を呼べるようになれば、どのような経済効果があるであろうか。一人あたり交通費も含め5千円消費すると仮定すれば、年間180億円だ。地域経済に大いに貢献すると思われる。テーマパークと違い、今そこにある資源を活用できるのであるから、投資効果を真剣に議論したい。中高年者向けの時間消費型施設が少ない中、川越は非常に大きなポテンシャルを持っている。

【喜多院と蔵の街を結ぶ路地】

【休憩スペース】 蔵造り資料館の裏手にある。全域でこのような施設整備が求められる。

   

【大正ロマン通り】喜多院と蔵の街を結ぶ途中にある

【市役所付近の旧花街】蔵の街と氷川神社を結ぶ途中にある。当時の人間模様を偲ぶ独特の印象が興味深い。

  

【食べ物はリピーター確保の目玉】

 誰しも横浜中華街に行けば心躍る。川越にはたくさんの食べ物があり訪問者を喜ばせる。しかもほとんどの品が和風で古い街並に調和している。お土産は家族や友人に喜ばれる。このような「懐かしい味」の街はどこにでもあるようで意外と無い。

眼と耳と口、鼻で川越を楽しめるかどうか検証してみよう。

眼は街並や祭りの情景に喜ぶ。ただし祭りの光景は普段は見られず、街並の良さが殺風景な通過交通で阻害される。

耳は祭囃子を喜ぶが、普段は聴くことができない。水音も楽しめない。蔵の街並では道路の騒音があるのみだ。喜多院付近では年中鳥のさえずりが楽しめるのが嬉しい。

ただし口と鼻だけは毎回川越の名物を楽しむことができる。しかも懐かしさを伴って。 だから川越は中華街と同様老若男女のリピーターを魅了しているのではないだろうか。その趣旨からして、どこの祭りにも見られる安易な仮設店舗は見直すべきだ。【百選を考える】

 環境省の「音百選、かおり百選」と文化庁の「伝統的建造物群保存地区」指定が連携しているとは思えない。が、同じ川越の街でお互いの省庁の領分を侵食しあうことは、競争原理が働いて大いに好ましいことだ。さらに国土交通省が選定する「日本の道百選、渚百選」も省庁間連携や地域振興を考慮していない。地方自治の総務省や地方が地盤の農水省も何らかの百選を作っているのかも知れないし、マスコミ新聞の「なんとか百選、かんとか百景」もビデオや書籍の販売まで考えている割には選定基準に偏りがあるように思われる。

 一方、 深田久弥の日本百名山などは個人の心魂をかけており、選定の背景を知るほどに感動が湧いて来る。

 そこで当方にて一定の評価基準に沿った「日本の街並百選」を選定することとした。この件については別途じっくりと議論したい。

この街へは小さい子供を連れて訪れよう。または子供時分に帰って楽しもう。そして、時には朝一番の電車で訪れ、最終電車で帰宅し、静寂の城下町川越を堪能しよう。【詳細アセスメント】

新河岸川の演出 -2

川越祭り +2

祭りの出店 -1

川越城 +1

喜多院 +1

蔵の街並 +2

交通と騒音 -2

菓子屋横丁 +2

飲食 芋フィーチャリング +2

休憩、トイレ、案内、散策路 -2

全体スケール +2

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合計 +9

撮影

川越祭り当日 2003年10月第三土曜、日曜

2004年6月 


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