三重県松阪市 松浦武四郎
Matuura Takeshiro,Matsusaka City,Mie
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Jan.24,2026 瀧山幸伸 source movie
今回は松浦武四郎誕生地のみ訪問
松浦武四郎誕生地
松阪市指定史跡
松阪市小野江町にある松浦武四郎誕生地は松浦武四郎の実家にあたり、昭和37年(1962)に、当時の三雲村が史跡に指定した場所です。
武四郎の父・時春には末っ子の武四郎のほかに、三人の子どもがおり、実家は武四郎の兄・佐七が跡を継ぎました。
武四郎の父母や、兄の家族が代々住んだため、武四郎にとってはふるさとの実家であり、現在は松阪市の所有となっています。主屋
生活の場として使用されていました。武四郎の記録では、元は松島屋善兵衛の家でしたが、天保12年(1841)頃に武四郎の家族が移り住んだようです。
幕末の家相図に基づき、かまどを再現しています。
離れ
お客さんが来た時にもてなす場所でした。慶応3年(1867)頃に完成し、武四郎がお祝いとして当時の著名な画家や書道家が寄せ書きをした襖絵を贈っています。離れの庭には、武四郎の建てた灯篭があります。
A camera
B camera
次回の訪問予定は松浦武四郎記念館
県文化財 松浦武四郎関係資料 223点
松浦武四郎(1818~1888)は、旧一志郡三雲町に生まれ、幕末から明治維新の激動期に蝦夷地・アイヌ民族の調査・研究に大きな業績を残すと共に、行政官・文化人・収集家として多彩な活躍をした。武四郎の資料は、主に生家である三雲の松浦家、並びに武四郎の子孫である東京の松浦家に伝来してきた。このうち、三雲松浦家伝来資料は、平成4年に県指定有形文化財(歴史資料)に指定され、平成18年には東京松浦家に伝来(国文学研究資料館寄託と東京松浦家保管)し、平成16・17年に松阪市に寄贈された資料群、及び姻戚・関係者からの寄贈資料などが追加指定された。
これらは、蝦夷地・アイヌ民族の研究、また、その調査研究者・行政官・探検家・収集家として多彩な活躍をした松浦武四郎の研究にかかる中核的な資料群として極めて価値が高く、さらには、武四郎が生きた幕末から明治期の政治史・文化史を考究する上でも欠くことのできないものである。
なお、平成20年には一部を残し国指定重要文化財に指定された。
(三重県)
国重要文化財 松浦武四郎関係資料 著述稿本類511点、地図・絵図類59点、書籍類287点、文書・記録類374点、書画・器物類274点
江戸時代後期に蝦夷地を6回にわたって探査し、その成果を紀行文や地図として出版した松浦武四郎(1818~88)の足跡を示す資料群である。
武四郎は、伊勢国一志郡須川村(旧三重県一志郡三雲町、現松阪市小野江町)に生まれ、幼名を竹四郎、のち武四郎と称した。諱は弘、字は子重、号に雲津、多気志楼、憂北生、北海道人、馬角斎などを用いている。天保4年(1833)から全国を遊歴し、弘化2年(1845)初めて蝦夷地に渡り、翌3年、嘉永2年(1849)と続いて東西蝦夷地・北蝦夷地(サハリン)・千島の探査をおこなった。安政2年(1855)に幕府から蝦夷地御用御雇を命じられ、安政3年から5年にかけて毎年内陸部におよぶ詳細な探査を実施した。維新後の明治2年(1869)開拓御用掛として、北海道の道名、国名、郡名の撰定に尽力した。翌年官を辞し、以後は市井で過ごし、明治21年、71歳で東京に歿した。
本資料は、武四郎の探検家、地理学者、著述家、画家、収集家としての姿や、幕臣・各藩の藩士・儒家・国学者・文人などとの幅広い交流を物語るもので、著述稿本類、地図・絵図類、書籍類、文書・記録類、書画・器物類に大別される。
著述稿本類には、安政の探査の際に書き留めた「野帳」、探査の詳細をまとめた「初航蝦夷日誌」、「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」などの日誌類、さらにこれらの内容を略述した刊行本の草稿などがある。アイヌの人びとについて記した「近世蝦夷人物志」、安政元年に伊豆下田でペリー、プチャーチン等を取材した「豆遊日誌」も貴重である。
地図・絵図類は、蝦夷地探査の集大成として安政6年に刊行した『東西蝦夷山川地理取調図』2帖・26鋪、北蝦夷地の調査の成果をまとめた「北蝦夷山川図」などがある。武四郎の地図の特色は、それまでの伊能忠敬等の地図よりも内陸部を充実させ、「ケバ」を用いた山の表現や川の流域を詳細に描いた点があげられる。特に『東西蝦夷山川地理取調図』には約1万におよぶアイヌ語の地名が記載されており高く評価される。
書籍類には、武四郎自らが出版を手がけた刊本類と武四郎が筆写ないしは収集した手沢本類がある。前者には蝦夷地の各地域を紀行文風にまとめた『石狩日誌』『知床日誌』などをはじめ、風俗・文化を紹介した『蝦夷漫画』、考古図録ともいえる『撥雲余興』などがある。後者には海防の先覚者林子平に関する「林子平家系」、伊能忠敬等の「日本経緯度実測・地勢提要」などの写本が含まれている。
文書・記録類は、書翰が大半を占める。武四郎が実家へ宛てた書翰および武四郎宛の諸方面からの書翰である。師であった津藩の儒学者平松楽斎、伊勢の国学者足代弘訓、尊王攘夷派の楢林昌建、吉田松陰、頼三樹三郎、藤田東湖など幕末の志士、大久保利通、木戸孝允等維新の英傑、江戸の書家石井潭香、大田垣蓮月、富岡鉄斎といった歌人や画家など広範な交流を示す。北海道の道名案上申の写しである「蝦夷地道名之儀取調候書付」は注目される。
書画・器物類には、アイヌの舞踏を闊達に描いた「蝦夷人鶴の舞図」、大台ヶ原を俯瞰した「大台山頂眺望図」など武四郎の画家としての資質を示す作品、武四郎の姿と収集した古器物を河鍋暁斎に描かせた「武四郎涅槃図」、アイヌの盆、小刀、刺繍文衣などが含まれる。
これらの資料は松浦武四郎の実家にあたる三雲松浦家と子孫にあたる東京松浦家に伝来し、平成17年までに三雲町および松阪市に寄贈され、松浦武四郎記念館において一括保管、公開されるようになった。
武四郎は蝦夷地の探査を通じて、当時の松前藩のアイヌに対する過酷な支配を批判し、アイヌの人々や文化を擁護して幕末に広く世に紹介した。本資料は松浦武四郎の生涯の事績を伝えるもので、特に幕末から明治初年の北海道の歴史、地誌やアイヌ史研究等において貴重である。
(文化財データベース)
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