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三重県津市 津城跡
Tsu Castle,Tsu city,Mie

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Mar.13,2018  中山辰夫

三重県津市丸の内本丸

現在の津城跡は、近年に復興された三重櫓と天守台、本丸、西の丸の石垣、本丸北の内堀が残るのみで、御城公園として使われている。

津城は三重県の中央部、伊勢湾に面した平地部に築かれていた。北の安濃川、南の岩田川を防御範囲として取り入れた要害の地にあった。
津はもともと安濃津と呼ばれ、鎌倉・室町時代には、坊津や博多津と共に【日本三津】の一つとして海外に知られた良港であったが、1498(明応7)年の大地震で港は陥没し、津の街も高潮で壊滅した。
解説
 
津城の築城は織田信長の弟津田信良(信包 のぶかね)に始まる。1568(永禄11)年信長の伊勢侵攻に際して、伊勢の拠点として安津濃に築城を始めた。
これが津城の前身で、城は1580(天正8)年に完成した。5層の天守を上げた壮大なものであったとされるが、関ヶ原の役で焼失した。
 
本能寺の変、関ケ原合戦後、1608(慶弔13)年、藤堂高虎が四国今治から入城し、大掛かりな城の修築に着手、石塁を高く積み直し、両隅に3重の櫓を構えたが、天守閣は再建されなかった。城は簡素なつくりであったが細部に行き届いた城郭であったといわれる。

高虎は、有事の城に伊賀上野城を、平素の城に津城を築城した。
高虎は城下の整備も御子内、北・西・南の3方に武家屋敷を集め、海岸寄りを通っていた伊勢街道を城下に引き入れ、さらに城下の商人への保護政策を行って城下に繁栄をもたらした。「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」とはやされた。
 
藤堂家は「平素の城」津城を居城とし、十二代この地を全うして明治を迎えた。
津城は版籍奉還後三重県庁が置かれ、城の建物は悉く撤去された。現在は本丸の掘りと石垣が残され、昭和33年に三層櫓が復興された。
 

現在の津城のシンボルとなっている三重櫓
城跡で唯一の櫓建築。1958(昭和33)年に復興された。コンクリート製で建つ位置も往時とは異なる。 ここから本丸に入る。
      

往時の三重櫓
 
津城は版籍奉還後三重県庁が置かれ、城の建物は悉く撤去された

藩政時代は勿論、近代の面影もあまり残っていない津の市街地だが、町のあちこちに城下町時代から戦後まで使われていた旧町名とその由来を記した石柱が立っている、周囲は埋め立てられた城域である。
     

大通りから見える石垣と堀
    

天守台石垣
      

本丸跡へ進む
     

入徳門周辺
    

本丸埋門周辺
       

本丸跡
      

藤堂高虎像
      

津駅周辺の史跡
 

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