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長野県白馬村 白馬 

Hakuba,Hakuba village,Nagano

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Jun.29.2015 中山辰夫

梅雨期の僅かな晴れ間−狭い範囲の白馬岳


May 2013 中山辰夫

5月の白馬村 

撮影日:4月30日〜5月2日

4月27日、白馬岳で雪崩が起き、登山者が巻き込まれ犠牲者が出た直後に行く。28日に雨が降り、29日には曇り、少し雪解けが見られた。

スキーも連休の間までで終わり。いよいよ夏山へ突入である。

白馬村は快晴で雲が無いと客が去ると言われる。

だが5月初の今頃は、桜やコブシが至る所に咲き、庭花も咲き誇って大変美しい景色である。

訪問先の桜はやや盛りを越えていたが、満開時の美しさを十分に想像させるとともに、再度の訪問を促すようであった。

■■白馬散策 その一

余り広くない範囲であるが、サイクリングして巡った所を並べる。

コース参考地図

■早朝のJR白馬駅構内と周辺

駅から5〜10分離れた辺りのスポット

■「詩の小径」散歩道

大出公園へ続く明治時代に拓かれた用水「木流川」沿いには山桜、コブシなどが咲く散歩道。かつて山の木を刈った木材を運び、人々の生計を支えた川。

春木場の案内。かつては上流から流してきた材木をここで引き揚げていた。 川に沿ってスモモの木が並ぶ。

■ビニールハウス

ウイング21裏側のビニールハウス 

品種:アキタコマチ 4月20日前後に種米 5月20日前後より田植え 毎日行う朝晩の二重カーテン開閉作業も大変。

■四十九院のコブシ

桜の花が咲く一足前の4月下旬はコブシの花が各所で咲く。ここは地権者の好意で、早めに行なわれた代掻きで、水面にクッキリとコブシが現れる。

■大出公園の桜と周辺

姫川の流れを挟んで桜を始め多くの花木が建ち並ぶ。白馬三山は雲が邪魔したが景色は抜群であった。

大出の吊橋周辺

夏とは違った雰囲気の大出村集落である。民話の残る観音堂やかっぱ亭。大黒天の石碑、庚申塚などがある。

姫川に沿って走ると押込橋に出会う。渡った先はトレッキングコースで階段のある登り坂である。熊注意の警告と熊予防の拍子木が置いてある。

近くの集落の大きな民家

今年は秋に来る予定。その時の調査を兼ねて走った。見たい・行きたいところが一杯残るが今回はここで引き返した。

■国道148号線に戻る。国道を挟んで左右に駅や、学校、役所などが並ぶ。

株式会社 白馬館

駅前通りの郵便局の目に現存する旧山木(屋号 ヤマキ」旅館。「白馬登山御案内所」という。消えそうな字体が残っている木札が往時を偲ばせる。

旧山木旅館の奥には、松沢家の屋敷がある。そこは白馬の峰々が一望できる素晴らしい環境である。

株式会社白馬館は1890(明治28)年頃創業の白馬村<ヤマキ旅館>を前身とする、白馬山荘をはじめとする各山小屋、栂池<鐘の鳴る丘ゲレンデ゙の

オーナー会社である。

ヤマキ旅館の当主、後に白馬岳開山の恩人と言われる松沢貞逸(当時16歳)は1906(明治39)年日本で初めての営業山小(白馬山荘の前身)を創設

その後1916(大正5)年ヤマキ旅館を白馬館に改名、1971(昭和46)年、個人経営から株式会社へ改組、株式会社白馬館として現在に至る。

「白馬山荘」は日本最大の山岳宿舎で、標高2832m、白馬岳頂上直下にある。(パンフレttより引用)

明治〜大正頃のヤマキ(HPより引用)

千国街道を走って貞麟寺を目指す。桜の名所を中心に訪れる。

■■白馬村散策 その二

地域地図

■貞麟寺の枝垂桜

長野県北安曇郡白馬村神城沢渡6482

本堂の前にあって、村の天然記念物に指定されている。樹齢300年以上を越える古木で、樹周5m、樹高16mのシダレザクラである。

江戸彼岸の枝変わり種で、毎年4月下旬から5月上旬に全国でも珍しい白桜と桃色桜が見られる。桜の幹は時の流れを感じさせる。

訪問時は咲き終りであった。今年は開花が早かったようだ。

ほかにオオヤマザクラなども咲き、境内脇は白馬の村花・カタクリ。群生地として知られる。

貞麟寺は弘治2年(1556)に創建された曹洞宗の古刹。本尊は聖観世音菩薩の坐像。

■長谷寺

長野県北安曇郡白馬村大字神城飯森25426

白馬村飯森地区にある長谷寺は塩の道の名刹として知られる。

境内にある枝垂桜が満開になる頃には、多くのカメラマンが風になびき咲き誇る桜の姿を求めやってくると聞く。

参道の老杉群は、中興再建の際に献木したと伝わるもので推定樹齢500年とされ、歴史の風格を漂わせている。

石仏・庭園も見ものである。

長谷寺は、1391(明徳2)年に開かれた。その後一時荒廃したが、1526(大永6)年、当時の領主飯森日向守盛春の内室光姫の尽力で再建され

飯森氏の庇護を受ける。

現在の境内には1682(天和2)年に再建された本堂をはじめ、1799(寛政11年に建てられた庫裏、1820(文政3)年に建てられた

山門などがあり何れも白馬村指定文化財に指定されている。

■八方薬師堂の江戸彼岸桜

長野県北安曇郡白馬村北城八方

八方薬師堂の横に咲き誇る樹齢約300年の江戸彼岸桜は、北安曇郡南部一帯の山野に自生する野生の桜の一種。細野諏訪社の大スギと共に

貫禄ある姿で人々を招く。

エドヒガンは自然林の中に映えているのが普通で、20年もたてば薪炭用材などに使われてきたため、古木として残ったものは信仰と結びついている

場所にあったものだけといえる。幹周囲3.8m、樹高:15m

薬師堂は江戸時代初期より祀られ、山居上人作の木食仏三尊が安置されている。

■細野諏訪神社

北安曇郡白馬村北城切久保大林12327

冬には多くのスキー客が訪れる白馬岩岳スキー場の傍らに建つ切久保地区の諏訪神社。

大スギ

幹回り10m、樹齢1000年余年、神社の神木である。存在感が抜群で、拝殿へ行く石段横にそびえている、

細野諏訪神社は、霧降宮切久保諏訪神社とも呼ばれ、この地域の産土神として祀られており、鎌倉時代の創始とされる。

千国庄と呼ばれていた小谷村周辺の荘園の鎮護の神として諏訪大社から勧請されたと考えられている。

祭神:建御名方命、八坂刀売命、手力雄命、八縣宿祢命、天照皇大神

白馬村には「降宮」と付く諏訪神社が雨降宮・霜降宮と二つあっていずれもスキー場に横にある。

明神鳥居が2ケ所に建ち、参道の途中の橋を渡って社地が広がっている。

神社のすぐ横から、社地を横断するように川が流れ、社殿は石段が続く斜面に建っている。参道は約100m

切妻造の拝殿、横には竈神社と祖霊社、本殿は覆屋の内部に建っている

本殿の建築は金原周防定兼の一門だった横田喜平次。

金原氏は白馬村の隣に位置する大町の宮大工で、長野県内でも中信地方を中心に活躍している。

外側から本殿の様子を見ることはできないが、横田氏による社殿は繊細で優雅なものとされ、白馬村の文化財にも指定されている。

■白馬大橋周辺とさくら

夜明けの景色と温泉

白馬大橋から見る白馬三山の眺望はベストとされるが、快晴で、雲が無いことが条件。今回も粘ったがダメでした。

団栗遊歩道近辺のさくら

■せせらぎの里 新田地区

北安曇郡白馬村新田

「せせらぎの里」は白馬岩岳スキー場の麓にある新田集落の愛称。その名は中央を流れる堰に由来する。白馬の至るとことで見かける道祖神・他が並ぶ。

水車小屋から樹齢約150年の桜が並ぶ旧道の両側はスキー客の旅館街。1651(慶安4)年頃開墾されて以来確保されてきた水がせせらぎとなって街中を巡る。

新田地区はその昔、塩の道(千国街道)の飯森宿と千国宿の間にあって荷継場として栄えたとされる。

■白馬村歴史的古民家 「庄屋まるはち」

北安曇郡白馬村北城11032−1

白馬村新田地区の中にある昔の豪商横澤本衛の家『まるはち』江戸時代嘉永7年(1854)に建設された。

以前は『信濃茶屋』という名の居酒屋で、長野オリンピックの頃には海外からのお客様も多く来た店だったが、その後振るわず廃業したのを白馬村が買い取ってインバウンドのお客様向けに改装した。村では、外国旅行者の文化交流の場として活用を目論む。

横澤本衛は、家業の酒造業と麻問屋を17歳で継ぎ、大黒鉱山を手にした後、北安銀行・小谷貯蓄銀行・安曇電力などを手掛けた。

■新田出口付近

横澤本衛の碑を確認し、新田の旧道をでる。新田地区を出ると千里街道は山道が多くなり、上り下りが多くなって難儀な区間が続く。

■伝行山の徹然桜(てつねんさくら)

徹然桜は秋葉神社と稲荷神社のある伝行山にある枝垂桜。国道148号を岩岳スキー場方面に曲がるとすぐのところ。

伝行山にある枝垂桜 「徹然桜」という名は、植樹者の名前に因んでいる。

■秋葉神社と稲荷神社

横澤本衛師造営の187段の石段を登る。かなりきつい。頂上には稲荷社が建つ。

四ヶ庄平の農村風景と五竜岳を正面にした北アルプスが一望できる。

ここから信州千国(ちくに)街道・塩の道を辿りながら一旦引き返す。

糸魚川から松本城下に至る約120㎞の千国街道。その名は中世以前の時代に遡る。庶民の汗の道として沿線には多くの石仏が安置されている。

■白馬護国神社と平川神社八幡宮

前の道は千国街道。

境内に大きな桜の古木があることで有名。花も終わっていて未確認。

白馬護国神社

平川神社八幡宮

創建は1890(明治23)年とされ、地元集落の産土神として崇拝されている。シズンの前に、スキー場の誘客と安全祈願祭が行われる。

■道祖神

白馬村には、馬頭観音、道祖神、庚申塔、が村中に多く見かける。

馬頭観音は大切な働き者の馬を供養するために、道祖神は村の守り神として村の入口や中心に、庚申塔は集落の出入り口に災難・貧苦の解放や家内安全を願って、それぞれ建てられた。

■千国街道

小谷村から大町に至る白馬の周辺は今もなお江戸時代の面影が残っているといわれる。新田方面と飯森方面

塩の道MAP

塩の道まつり

毎年5月の連休には「塩の道まつり」が開催される。

■白馬交番

■白馬三山

白馬に滞在中、天候は晴れでも雲が発生して、三山の撮影ができなかった。

5月3日の帰路、松川橋上でやっと撮影、だが雲が邪魔した。

■白馬で出合ったお花


May 12, 2013 瀧山幸伸

国道406号線トンネル付近


Dec.2012 中山辰夫

白馬村は長野県の北西部に位置し、面積189.37k㎡、周囲65.5km、南北16.8km、東西15.7kmを擁している。

南は佐野坂峠で大町市と、西は後立山連峰を構成する白馬連峰により富山県と、北は小谷村と、東は長野市・小川村と、それぞれ隣接

している。

地域の中央部を南北にフォッサマグナが走っており、この大断層地帯に白馬連峰から流れ出す河川によって扇状地が形成されている

村の南部から北部へ曲折しながら流れる姫川は、白馬村の南端佐野坂に源を発し、東西山地より流れる支流谷地川・平川・松川・楠川

などと合流し、遠く日本海へ及んでいる。姫川は水質ランキング日本一に何度も輝いている。

詩人・田中冬二「北には青い海がある 姫川は山の憂うつを 日本海へ吐き出している 」

西側白馬連峰一帯は酸性火成岩類で形成されており、急峻な山岳美をみせ登山、ハイキングスキー場など観光資源となっている。

また、東側山地は第三紀層で、やわらかな砂岩・凝灰岩などから成っており、一部観光開発が進んでいるが、豊かな造林地帯となっている。

人口:約9100人 世帯数:約3700戸「白馬村HP」

1998(平成10)年 (第18回冬季オリンピック競技大会 長野オリンピックが開催され、白馬村は感動の発信基地となった。

位置図

町中を巡る

訪問日:Nov.28/29, 2012

28日の早朝は、現地の人も思わずカメラを構える程の稀な快晴。山々には前夜積もった新雪がキラキラ輝いていた。

白馬の町中には雪も少なく、深い降雪に備える準備があちこちで見受けられた。

JR白馬駅

白馬駅は大糸線の拠点駅、中央線松本駅から60Km、日本海の糸魚川駅まで46km。長野新幹線長野駅から特急バスで1時間の位置にある。

営業開始は国鉄時代の1932(昭和7)年。地域の玄関口、白馬岳・八方尾根登山、八方尾根スキー場、‘98年長野オリンピック冬季競技大会

開催地白馬会場の最寄り駅として利用されている。

新宿駅から特急あずさ号が定期で、名古屋から特急しなの号が臨時で直通運転している。普通列車は松本から信濃大町乗換えも含め1日13本

が運転している。

白馬駅は標高697m白馬連峰の麓にあり、白馬エリア観光の拠点駅である。

駅前から八方尾根・栂池高原・白馬岳登山口猿倉行きの路線バスタクシー、送迎バスが連絡している。 開設来80年を数える。

駅前を走るR148号線

ウイング21

第18回冬季オリンピック競技大会 長野オリンピック・1998が開催された。

20世紀最後のオリンピックは、72の地域とオリンピック委員会(NOC)が参加した。

式典では、3世紀前に鋳造された善光寺の厳かな梵鐘の音が会場内に響きわたり、続いて7年ごとに開催される伝統的地方芸能「建御柱」で

競技会場の「お浄め」が行われた。

大会では、清水宏保の金メダル獲得をスタートに、日本人によるメダルラッシュが始まり、日本中が歓喜に包まれた。

メダルは信州の山々の「朝焼け」が日本独特の漆芸技法である蒔絵で表現された。

「ウイング21」はその時の施設の一つである。今も当時の姿のままで、使用されている。雪が無くなると景観が変わる。

8月頃の情景

白馬大橋

松川に架かる白馬大橋。白馬三山を写す有名なスポットである。素晴らしい景観は天候次第である。

松川は姫川の支流の中で最も大きい川で、まるで本流のように思える。北アルプス白馬岳一帯の清らかな冷たい水はすべてこの川に流れ込む。

橋のたもとは松川河川公園として整備されており、そこからも雄大な景色を楽しむことができる。

11月末の一風景である

快晴で、昨夜積もった新雪がまばゆい。

五竜岳

長大な後立山連峰の中核をなす岩峰。巨大な岩塊が寄り集まったような山容は「凄味」さえあって見る者を感動させる。

見るからにゴツゴツした岩稜と豪快でどっしりした山容の山である。

山の雪形「武田菱」

雪形は山国の春の訪れを視覚的に訴える自然界の壮大なサインといわれる。大糸線の山麓に桜が咲き始める季節になると

山の残雪は日増しに少なくなり、山肌には雪の紋様が現れ始める。地形が複雑な山麓ではこの紋様を見て農作業を始めて

いた。まさに雪形は農作業に欠かせない重要な農事暦の役目を果たしてきた。

4月中旬から5月初旬にかけて五竜岳山頂直下には甲斐武田氏の家紋、4つの菱の雪形がくっきり表れる。この「武田菱」

は御菱(ごりょう)ともいわれ、五竜岳の山名由来とする説もある。白馬山麓から誰もがはっきり見ることが出来る。

今見えている「菱」は、これから先は深い雪に覆われ、4月〜5月初めに出す。

雪形は他にもある。

白馬岳の稜線近くには苗代の季節になると、代かき馬の雪形が浮き出るので「代馬岳 しろうまだけ」)と呼ばれるようになり、それが白馬岳に

転じたと言われる。

アルプス全景

白馬三山

白馬鑓ケ岳

見る人が見れば雲形があるとされるが・・・・。

周囲の朝焼け

29日のAm7:00頃の空と周辺 天候は悪くなっていった。

氷の造形

時期的にはまだまだこれからである。

雪よりも、湯けむり〜温泉がいい

白馬村−8月頃の光景。

大出公園周辺

白馬村北城 白馬駅より徒歩15分

姫川の緩やかな清流に架かる吊橋。緩やかな川の流れ、雄大なアルプス、かやぶきの屋根の民家、ここは誰もが描く「心のふるさと」のような風景。

大出の吊橋付近

民家

吊橋をわたりきったところ

北野社

眼下に姫川の清流を望む景勝の地にある。祭神は菅原道真。本殿は見世棚造りの板葺、覆い屋は神明造りとなっている。創建は1429(永享元)年

に京都の北野から観請したとされる。現在の建物は1840(天保11)年に、越後の大工棟梁武石七蔵の手による。

姫川カヤック

お花


Dec.2010 中山辰夫

白馬岳

今年は11月29日に山頂が真っ白になったとのこと。12月1日から2泊3日で「ある作業」のため白馬へ行って来ました。

雪は平地に無かった。部屋のベランダから写した早朝の白馬です。夜明けの移ろいが美しかった。今も余韻が残っています。

写真は、カメラ任せのjpeg(WBオート,ピクチャースタイルスタンダード、露光オート)とrawから現像したもの(WB太陽光、ピクチャースタイル風景、露光調整後)とを比較のために並べています。


Oct.2009 瀧山幸伸 source movie


早朝の白馬

Hakuba mountains

Oct.2008 瀧山幸伸 source movie


Aug.2006 瀧山幸伸 source movie

白馬の山並

塩の道

Shionomichi

大出の吊橋

Oide bridge


白馬の山並 

Hakuba mountains

Oct.2004 瀧山幸伸 HD(1280x720)

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