長野県軽井沢町 軽井沢中心部
Karuizawa,Karuizawa town,Gunma
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December 7, 2016 野崎順次
長野県北佐久郡軽井沢町 軽井沢
仕事で初めて軽井沢に行った。関西人の私には軽井沢のイメージが定かではない。皇室の人がテニスをするところ程度か。後で分かったが、軽井沢は避暑地と駅そば発祥の地であった。
仕事は新築の建物を見るだけである。軽井沢の駅から北にまっすぐ進み、三叉路(実際には十字路)を旧軽井沢銀座方面に進み、橋を渡って、しばらく行ったところ。行きしはタクシーだった。3.5kmくらいか、1200円だった。帰りは風景や町並みを撮影しながら歩いて駅に戻った。
駅に向かって歩き始めた道は旧中山道の様である。ちらほらと別荘がある。敷地は広いようだ。
二手橋で矢ヶ崎川を渡る。
軽井沢ショー記念礼拝堂など。避暑地軽井沢発祥の地とある。
芭蕉句碑など
つるや旅館、やっと賑やかになってきた。
クリーク・ガーデン
旧軽井沢銀座、軽井澤寫眞館、観光会館、郵便局など。
三叉路に近づいてきた。
駅に向かう直線道路に入る。
駅まで0.9km、旧軽井沢から0.6kmの標識、マリリンモンロー像など
それから
軽井沢ニューアートミュージアム
少し単調な町並みになってきた。
交差点を越えてJR軽井沢駅へ
駅から見渡す。
JR軽井沢は駅そば発祥の地だそうだ。昼抜きだったので、天ぷらそばが美味しかったが、この天ぷらで470円は高すぎる。
おいしいソフトクリームのあとに出発です。下りも沢や山肌を見ながら歩く予定でしたが、なんだか味気ないアスファルトの国道18号に出てしまったようです。??やはり何か変?と思ったら右側の山の中の細い道を登山者が歩いています。つるや旅館の方に抜けたいのですが行かれますか?と訊いたら、行かれますよとのこと。早速降りて行きます。
コルクを敷き詰めたような道や唐沢の窪地、崩れそうな法面、林道を横切り、割れた欄干のない板の橋や木の橋を渡りひたすら歩きます。群馬県側の山道にあったたくさんの中山道遺跡がこちら側には何もありません。別荘がちらほらと見えてきた頃、山道からアスファルト道に出ました。カラフルなバスが前方からやってきてああ避暑地なのだと思います。右手の森の中にアレキサンダー・クロフト・ショウの胸像や日本聖公会ショウ記念礼拝堂とその先につるや旅館が見えます。次回きっちり写真を撮ることにして本日はこれで終了。このあとバスで軽井沢駅に出て、軽井沢より横川まで出ているバスに30分ばかり乗車して横川駅に戻ります。
10,軽井沢宿本陣〜雲場池
先回は峠越えで力尽きて、山道を降りたところで帰宅。今日は軽井沢宿に出直しです。今回より新幹線を使います。軽井沢駅に降り立ったら深い霧の中でした。何も見えずに撮影可能かとびびりました。霧が多く薄日なので転化して碓氷になったと宿の概要で書きましたが、まさしくその通りで体験できて良かったです。駅前で自転車をお借りしてショーハウス記念館(ショウ記念礼拝堂)(軽井沢町大字軽井沢57-1)まで戻り撮影を続けます。
軽井沢は元々が寒冷地でさらに火山灰の影響で痩せた土地がひろがり、特に農作物もなく、中山道の往来が盛んな時期は旅人が落としていくお金で栄えましたが、明治に入ると参勤交代もなくなったので中山道の往来は途絶え、寂れた原野の様な軽井沢になっていきます。明治になって、英国聖公会宣教師のアレキサンダー・クロフト・ショウが布教の途中に友人とともにこの地に立ち寄ります。彼は、軽井沢が祖国の気候と似ていたので気に入り、休業状態になっていた『亀屋旅館』を訪れて一夏の間を借ります。亀屋の主人・佐藤万平はこれを好機として、外国人の生活習慣や彼らをもてなす技術を学びます(後に旅館の一部を洋風改築して、万平ホテルとなります)。
アレキサンダー・クロフト・ショーは明治21年に大塚山(だいづかやま)に軽井沢で初となる別荘を建てます。そして宣教師や日本の知識人たちにも季候の良い絶好の保養地であると紹介します。当時の外国人は船便で祖国に帰るしかありませんでしたので、頻繁に帰ることはできず湿度の高い日本の夏に辟易していましたから、軽井沢は避暑地として絶好の場所となります。
1893(明治26)年、碓氷新鉄道の開通で、欧米人が多く滞在する軽井沢は西洋文化の香りが漂う町として発展します。政・財界人や貴族・皇族、作家、芸術家などが次々と別荘を構えて、高級避暑地として変遷します。(ただし、自然に別荘が増えていったわけではなく開発の手がかかっています。大正期に入り野沢源治郎氏が200万坪の土地分譲と別荘経営を行っています。原野を切り開いて道路を敷き、アメリカ式建築設計施工の別荘を建て、東京から一流店を誘致したため、高級避暑地として財界人などが多くの人々が別荘地として求めたという経緯があります)
軽井沢発展のキーマンとなったアレキサンダー・クロフト・ショーの胸像とその教会がひっそりとあります。過ぎてつるや旅館。万平ホテルが旧名亀屋旅館でしたから、由緒ある鶴と亀が現在も軽井沢に健在ということです。つるや旅館は、江戸時代初期に、中山道の宿場町軽井沢宿の休泊茶屋、旅籠鶴屋として開業したのが始まりです。
「つるや」のHPにはこの時代について下記のように記してあります。『参勤交代時代の「つるや」は、休泊茶屋を営む旅籠でした。当時は、現在の「つるや旅館」の位置に、間口七間一尺(約13メートル)の店を構えていたのです。街道の際まで長く出張っていたひさしの下と、中の広い土間には縁台がいくつも並んでいました。上客は奥へ通って鯉料理や「しっぽくそば」で一杯やっていました。 休泊茶屋の飯時は忙しかったようです。峠を上り下りする旅人が、朝昼夕とひっきりなしに立ち寄って、縁台の上のものを立ちながら食べて行きます。縁台の中程にはお賽銭箱のような大きなけやきの銭箱がすえてありました。旅人は食べ終わると、チャリンと銭を投げ込んでいきます。銭箱の中には、銭に混じって必ず石ころや茶碗のかけらなどが入っていたそうです。旅用の乏しい旅人がただで食べて行ったのでしょう。』
裕福な人ばかりが峠越えをしたわけではないのですね。近代では島崎藤村、萩原朔太郎、正宗白鳥、室生犀星、芥川龍之介、堀辰雄、志賀直哉、谷崎潤一郎、山本有三、石坂洋次郎、丹羽文雄などな多くの文士の定宿でもあったそうです。
朝あんなに濃かった霧はきれいに晴れました。つるや旅館の前には東(江戸方面)の枡形がはっきりと見られます。いよいよ現代風の旧軽井沢銀座に入っていきます。
旧軽井沢銀座と呼ばれるこの通りは別荘族御用達の商店街として発展しています。右側に神宮寺。仁王門跡の石造物の説明にあった神宮寺です。昭和初期には川端康成が、神宮寺の境内が見える旧藤屋旅館の部屋で『雪国』を執筆しています。石橋、川、石仏群、季節にはさぞかしきれいだと思えるしだれ桜があります。静かな趣で表通りの雑踏が嘘のようです。
家具店、写真店など昔らしさがところどころ漂う旧軽井沢銀座です。写真店に飾ってある昔の軽井沢は本当に原野のようです。皇室の避暑地でもありましたのでお若い頃の写真も飾ってあります。ちなみに観光会館左手奥には天皇皇后両陛下のロマンスで有名なテニスコートが現在でもあります(この原稿をまとめている今、生前退位のニュースが流れています。齢82歳になられるのですね)。
左側に軽井沢観光会館。この辺りに脇本陣江戸屋があったそうです。反対側の路地を入った左側に「明治天皇軽井澤行在所」記念碑がありますが、ここが佐藤本陣の跡です。軽井沢の一里塚もこの辺りにあったそうですが現存しません。旧軽井沢銀座商店街を終えて西(京方面)の枡形である交差点に出ます。右側は白糸の滝方面、左側は軽井沢駅方面、次ぎの宿「沓掛」に向かうには正面の道を進みます。
晴れた霧がまた湧いてきたようで、六本辻に着いた辺りでカメラ保存のためにレインコートを着用。六本辻を右に折れてしばらく行くと雲場池になります。折しも団体さんと遭遇。静かな池の撮影はあきらめます。ホテル鹿島ノ森の敷地内に湧く御膳水を源とする小川をせき止めて誕生した人口の池です。霧が湧いたり消えたりする中を六本辻に戻り次の沓掛宿を目指します。
軽井沢銀座
Karuizawa ginza
May 2010 撮影:柴田由紀江
June 2005 撮影:瀧山幸伸 HD(1280x720)
軽井沢銀座は中山道の宿場町であったが、今ではその面影は全く無い。
西洋のリゾート風、例えばバンフ、インターラーケン、アスペンのように美しい街並かというと、そうでもない。無秩序に店や看板、旗が立ち並んでおり、花も水も緑も少ない。
軽井沢は現状でもリゾートブランドとして人気があり、訪問客も多く、誰も街並改善の必要性を感じていないようだが、今のままでは世界のリゾートランキングに参加しても上位には入れないだろう。
街並景観の改善、例えば、ここが歴史的な街道風景を取り戻す活動を行えば、外国人も感嘆する「歴史と文化を持つ世界的なリゾート」となるだろうに。
今の軽井沢は文明開化時代の延長だ。つるやだけががんばっているが、街並からは孤立している。
街道景観を取り戻すには、景観条例を強化運用し、現在の洋風の店は街道裏側の別荘地との中間に立地誘導するのが良い。またはプリンス付近に集団移転し、新銀座を作るか。
そもそも「銀座」というネーミングが問題かもしれない。地方都市の「銀座」で美しい街を求めることに無理があるのかもしれないが、歴史的な宿場町であるだけに、中軽井沢(沓掛宿)と同様に残念だ。
早朝の軽井沢銀座 人通りが無くても雑然とした街並
つるや付近
Sep.2008
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