長崎県長崎市 神ノ島教会
Kaminoshima church,Nagasaki City,Nagasaki
Category |
Rating
|
Comment
|
General
|
|
|
Nature
|
|
|
Water |
|
|
Flower | ||
Culture |
|
|
Facility | ||
Food |
世界遺産 長崎の教会群とキリスト教関連遺産 聖地巡礼
May 4,2019 柚原君子
神ノ島教会(長崎市都市景観賞奨励賞受賞)
所在地:長崎県長崎市神ノ島町2-148
キリスト教が伝来して布教の中心となった長崎。一時期は長崎のすべての人々がキリシタンといわれるほどの時代があったそうですが、徳川幕府の禁教令政策により信徒は潜伏して信仰を守ることになります。
長崎駅よりバス便で35分にある神の島教会も人々が隠れて信仰を守った地です。
神の島は長崎港の入口に当たる場所で1960年代に埋め立てられて本土とつながっていますが、それ以前は船でしか行かれなかった周囲わずか1㎞の離れ小島でした。
孤島でしたので江戸時代のキリシタン禁教令発布より隠れキリシタン潜伏の地となり、信徒たちは矢上、諫早、佐賀などから集まってきたそうです。
バスを降りるとすぐ目の前の山の中腹に白い神の島教会が見えます。道路を隔てて海側の岬には航海の安全を祈る聖母像が建ち、左前方には殉教の島(隠れキリシタンの領民が殺された)といわれる高鉾島があります。対岸はちょうど大浦天主堂のあたりになります。
明治時代になって禁教令が解かれると神の島には仮聖堂が置かれます。1876(明治9)年には仮の教会が建ち、その21年後には神ノ島に赴任してきた6代目のデュラン神父が、多額の私財を援助して信徒の協力のもとに現在の教会が建ちます。
教会は大きな切妻屋根と山型の壁を特徴としています。同じ傾向が大浦天主堂・中町教会などにも見られますが、手掛けたのはカトリック信徒の大工である川原家です。
川原家の業績を展示した催しの記事を全文掲載します。
長崎新聞5月28日付・10面(ローカル・長崎近郊)に掲載
『教会堂建築 川原家3代の資料展示
大浦天主堂、神ノ島教会、黒崎教会・・・ 図面、大工道具など50点展示
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つ、大浦天主堂(長崎市南山手町)など、教会堂の建築を親子3代で手掛けた川原家の資料を展示する企画展「大工・川原家と教会堂建設」が、松が枝町のナガサキピースミュージアムで開かれている。6月16日まで。
長崎総合科学大工学部の山田由香里教授(建築史)の研究室が企画。教会堂の写真や計画図のほか、実際に使っていた大工道具など、約50点を展示している。山田教授は「教会の図面はとても貴重。ぜひこの機会に見てほしい」と話した。
川原家は、長崎市黒崎地区出身の大工一族。1800年代半ばから1900年代半ばにかけ、県内外計10件の教会堂を建設した。久米吉(1819~1903年)は大浦天主堂の建設に関わったほか、息子の忠蔵(1861~1939年)は神ノ島教会(神ノ島町2丁目)、孫の正治(1891~1969年)と片山伝次郎(1897~1982年)は忠蔵とともに、黒崎教会(上黒崎町)の建設に関わった。入場無料。開館時間は午前9時半~午後5時半(最終日は午後2時まで)。月曜休館。6月1、15日午後2時からは同館で山田教授による展示解説もある。(手島聡志)』
88段ある石段を折れ曲がりながら登っていくと、ステンドグラスと丸窓とドーム型の屋根がほどよい優しい調和の教会が現れてきます。石段は教会の裏手の山の中腹まで延びていて、途中の木陰には聖母マリア像があります。山肌の岩がくりぬかれてルルドの洞窟に現れたという聖母マリア様の様子が表されているようです。やや伏し目がちで穏やかな美しい表情です。大浦天主堂のマリア様は白一色で慈しみにあふれてなおかつ厳かな感じがしましたが、神ノ島教会のマリア様は着色の分、ちょっと平民に近い気がします。
山肌の道はさらに細くなりもう少し上に行くことができます。教会の十字架を戴くドームと同じ高さの目線になります。どの角度から見ても本当に美しい教会です。
山を下りて教会の中に。ステンドグラスから柔らかい光が差し込んでいました。教会の前には高鉾島で殉教した祈念碑と墓石があります。教会を出て岬に。航海の安全を祈るマリア像が建っています。教会のマリア様とはちょっと違うお顔。厳しいお顔に見えます。海の安全を必死で祈っている感じ。同じ場所に鳥居も洞もあって日本人らしい祀り方と思いました。
海の中にある島は高鉾島。江戸時代には平戸藩が長崎港警備の為に石火矢2および大砲3の砲台がありますが、今では無人島です。土地の人は渡れるかどうか解りませんが、観光的には行かれません。
この島は別名伴天連の島とも呼ばれて、隠れ切支丹の処刑が行われた場所で亡骸は海に放り込まれたという禁教令時代の哀しい歴史が刻まれています。
岬のマリア像から高鉾島に一礼をしてバス便で長崎市内に帰ります。途中釣り人がいて立派なオコゼをダイナミックに釣り上げていました。海の水は透明で泳いでいるオコゼの姿や熱帯魚のようなきれいな魚も群れていました。
Dec.23 2009 撮影:瀧山幸伸
1st camera
2nd camera
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中