長崎県長崎市 中町教会
Nakamachi Church,Nagasaki City,Nagasaki
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世界遺産 長崎の教会群とキリスト教関連遺産 聖地巡礼
May 4,2019 柚原君子
カトリック中町教会(旧 西中町教会堂)
所在地:長崎県長崎市中町ⅰ-13
長崎を離れる前に数時間あったので、駅に近いどこかの教会を訪ねたいと住宅街の中にある大村藩屋敷跡に建てられていた中町教会に行きました。長崎に現存する数少ない被爆建造物のひとつでした。
教会の前には説明版がありましたのでそのまま掲載します。
『爆心地から南南東へ約2,600メートルの距離にある中町教会は、フランス人女性の寄付をもとに、1891年(明治24年)8月から建築に着手、1897年(明治30年)9月8日、26聖人殉教300年祭を兼ねて献堂式を行った。聖堂はレンガ壁にセメント塗りの広壮なロマネスク様式の建物で正門には尖塔がそびえ、尖塔の4面外部壁間に各1個ずつの大時計が設置されていた。1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分、原子爆弾のさく裂により聖堂の窓という窓は壊れ、内部は爆風によって崩壊した。
そして、数時間後の火災のため聖堂の屋根は焼け落ち、残ったのは十字架の立つ尖塔と聖堂の外壁だけであった。長崎市はこの地で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、二度とこのような惨禍が繰り返されないことを願って、この銘板を設置する。1998年(平成10年)10月13日 長崎市』
爆風を受けて天井が崩落して、その後に発生した火災により側壁と尖塔以外が焼失した教会だそうです。その後の経緯は、昭和21年12月に木造の仮聖堂が完成し、昭和25年1月より聖堂復元に着手されています。翌年、残った塔や外壁を利用して聖堂の復元工事が完了しています。
明治時代に長崎の市街地にある教会は大浦天主堂ただ一つで、しかも当初は外国人のための教会でした。そこで日本人信徒のために中町教会が建てられています。
町の中にあるので小さな教会かと思っていましたが、ロマネスク様式の美しい教会で、規模は大きく十字架の立つ塔はかなり離れてみないと全容が解らないくらいです。バラのアーチの下のマリア様は伏し目がちで両手は祈りの形ではなく、人々に手をさしのべているような形です。
教会内部もとても美しいです。ステンドグラスが天井近くまであり、やわらかい光を醸し出しています。また、中央に飾られた祭壇には、キリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが信仰の原点としていた「ほほえみの十字架」(奇跡の十字架とも言われ、ザビエルが亡くなったときにスペインのバスク地方のザビエル城に安置されている十字架から血がしたたり落ちたという言い伝えがある)のレプリカが飾られています。
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