長崎県長崎市 浦上天主堂
Urakami cathedral,Nagasaki city,Nagasaki
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世界遺産 長崎の教会群とキリスト教関連遺産 聖地巡礼
May 2,2019 柚原君子
所在地:長崎県長崎市本尾町1−79
長崎市浦上にあるカトリックの大聖堂。正式名称はカトリック浦上教会。
豊臣秀吉による伴天連追放令は江戸時代にも引き継がれます。さらに明治政府になっても弾圧は続き、隠れキリシタンであった浦上村の人々は取り調べ、密告、捕縛、拷問と、流罪と虐げられます(浦上一番崩から四番崩……崩(れ)とは、検挙事件のこと)。四番崩れの時に明治維新となります。
1868(慶応4・明治元)年の御前会議にて全住民の配流を決定したことが日本に駐在する外交団や特派員に知られ、日本政府は抗議を受け、欧米のキリスト教国の反感を買うこととなります。
明治政府はその対応に苦慮し、1871(明治4)年にはキリシタン禁制の高札の撤去と浦上のキリシタンの釈放と帰還(浦上地区の村人のほとんどに当たる3414人が名古屋以西の21藩に配流されていた。ふるさとに帰ってこられたのはその半数の1930人だった)を行います。そして250年近くにわたった日本のキリスト教禁止政策は終止符を打ちます。浦上村の信徒たちは1880 (明治13) 年、この地にあった旧庄屋を買いとって仮天主堂とします。
1895(明治28) 年、信徒たちによって天主堂の建築が始められますが、フランス人の主任司祭フレノ師の設計、監督による石とレンガ造りのロマネスク様式の壮大な天主堂は、しかし、資金難から工事はとだえがちとなり、1911(明治44) 年フレノ師も過労で倒れてしまいます。
後任のベルギー人のラゲ神父は、完成を急ぐために屋根を木造瓦ぶきに設計変更し、20年の歳月を経て1914(大正3) 年、赤レンガ造りの天主堂が完成します。床面積1,162平方メートル(352坪)の東洋一の大天主堂は、浦上の信徒発見の記念日である、3月17日に献堂式があげられます。その後に双塔ができ、2個のフランス製の鐘(アンジェラスの鐘)がつるされたのは、着工から30年目の1925(大正14) 年。 信徒の喜びは大きなものであったと想像されます。
しかし1945(昭和20) 年8月9日午前11時2分、爆心地から500メートルしか離れていなかった天主堂は原爆による爆風で崩壊。12,000人の信徒のうち、8,500人が爆死。火災で屋根と床の可燃物は焼失。聖堂、司祭館などは堂壁の一部を残して敷地内にあった聖人像などの石像もほとんどが大破。双塔の鐘楼の片方は天主堂内部に倒れ、他方は近くの川へ転げ落ちています(遺壁の一部は原爆落下中心地に移設。長崎原爆資料館に被爆当時の南側入口の再現造型や被爆した像など(実物)が展示)されています。
平和公園から永井隆博士の如己堂の前を通り過ぎると左前方に太陽に輝く明るいオレンジ色の浦上天主堂が見えてきます。原子爆弾が投下されたことなど想像もできないような美しい教会です。
しかし、天主堂に近づき階段を上っていくと、すぐに流れる川の上部に出て異様な建造物が放置されているのが見えてきます。
旧天主堂双塔(レンガ造り)の、ドーム状鐘楼の原爆の爆風で飛ばされ川に転げ落ちた巨大な残骸です。当時は信徒たちが取り除こうとしたのですが、50トンもあるうえに、占領軍の許可が出なければどうにも処理ができずに、川の流れの方を替えて、現在のように土手に半分埋もれたままの原爆遺構となった、と説明板に書かれてあります。
天主堂前の左側の植え込みには、熱線で黒く焦げたり、鼻や腕、頭、指などのない石像があります。
天主堂の外観正面の入口には被爆遺構である「悲しみの聖母」「使徒聖ヨハネ」像が掲げてあります。これらは旧浦上天主堂を設計したフレノ神父が彫刻したもので、旧天主堂の面影を残している部分です。
現在の天主堂は被災する前の天主堂をモデルに、1959(昭和34) 年に鉄骨コンクリートで再建。原爆でも壊れずに残った聖鐘の一つはそのまま新しい天主堂の右側の塔につるされています。さらに今から約40年前の1980(昭和55) 年には、外装を赤レンガ造りに、窓をステンドグラスに改装して、現在の美しい天主堂に至っています。
訪れた当日は17時を過ぎていましたので中に入ることがかなわず、心残りです。
あまりにも青く澄んだ空に映える浦上天主堂はこれ以上に美しい時はないのではないかという五月の中にありました。が……しかし、被爆体験者の方々からは、美しい天主堂でも自分たちの悲惨な体験をフラッシュバックする物体に過ぎないし、観光の対象とされていることに不快感を覚える、という意見があることも、書き添えておきたいと思います。
Dec.23 2009 撮影:瀧山幸伸 source movie
1st camera
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