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奈良県奈良市 興福寺

Kofukuji, Nara City, Nara

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奈良市登大路町48 興福寺五重塔 国宝 近世以前/寺院 室町中期 応永33(1426) 三間五重塔婆、本瓦葺 18971228 19520329

奈良市登大路町48 興福寺三重塔 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 鎌倉前期 三間三重塔婆、本瓦葺 18971228 19520329

奈良市登大路町48 興福寺大湯屋 重文 近世以前/寺院 室町中期 応永(1394-1427)頃 桁行四間、梁間四間、一重、西面入母屋造、東面切妻造、本瓦葺 19530331

奈良市登大路町48 興福寺東金堂 国宝 近世以前/寺院 室町中期 応永22(1415) 桁行七間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺 18971228 19520329

奈良市登大路町48 興福寺南円堂 重文 近世以前/寺院 江戸中期 寛保元(1741) 八角円堂、一重、本瓦葺、正面拝所附属 19861220

奈良市登大路町48 興福寺北円堂 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 承元4(1210) 八角円堂、一重、本瓦葺 旧内陣小壁8組、銘札1枚 18971228 19520329


Oct.17,2023 柚原君子

                                                   


June 18, 2023 野崎順次  source movie

興福寺五重塔保存修理工事が始まった。2023年7月より1年かけて素屋根をかけて、それから屋根瓦の葺き替え修理、軒廻りや造作木部の修理、漆喰壁の塗り直しなどが行われる。また1年かけて素屋根を解体して、今のところ、完工予定は2031年3月だという。とにかく、今のうちに撮影しましょうと興福寺に出かけた。他の建物や礎石配置も含む。

三条通りから南円堂への石段の途中を左に入ると、石仏がある。

       

国宝 三重塔

             

国重文 南円堂

         

国宝 北円堂

      

中金堂

                                    

国宝 五重塔

                           

その他

        


May 28,2023 大野木康夫 source movie

興福寺五重塔の保存修理工事(8年間)が6月半ばから始まるということでしたので、撮影に行きました。

東金堂と五重塔
           


五重塔(国宝)

いろいろな角度から撮影しました。
                                                                                        

東金堂(国宝)
                


南円堂(重要文化財)
              


西金堂前燈籠台石
 


北円堂(国宝)
                   


三重塔(国宝)
                                          


本坊表門
             


大湯屋(重要文化財)
                      


Jan.12,2022 瀧山幸伸 source movie

                                                                     

JR奈良駅

  

南都銀行

  


May 30, June 6 and 14, 2020  野崎順次 source movie

これまで見逃していた石造物(西金堂燈籠台、五重塔前石燈籠基礎)を観察するついでに、主要建物と遺跡を撮影した。
 


国宝 北円堂
    


西金堂跡
         


西金堂燈籠台 鎌倉時代後期 径160cm 花崗岩
北円堂南方にある土壇が西金堂の跡である。その前方、今は興善院北側の塀に近くこの台石が置かれ、上に寛永一七年(1640)の石燈籠が立っているが、下の大きい.六角型の台石は、鎌倉時代に立てた金燈寵の台石として造られたものである。上端の円形の面積が広いのはその故である。六角の側面は壇上積式二区とし、中心飾つきのにぎやかな格狭間を造る。上端反花は二重弁式のもので、曲線に抑揚があって鎌倉後期の様式をよく示す。金燈籠台石中の傑作である。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典、1998年」より)
                        


中金堂
           


国宝 東金堂
            


国宝 五重塔
                   

五重塔前石燈籠基礎 奈良時代後期 径88cm 花崗岩
自然石の上に八葉の蓮花文を彫出したもので、中央に蓮実が竿受けとして円形に作り出され、柄穴がうがってある。円形の囲は溝状に低くし、そこから外へのびる単弁の蓮弁は、簡素ながらも、古典的な美しさを示す。奈良時代後期の梵鐘の撞座や、古瓦の蓮花文と比較すると、共通した時代様式がそこにある。五重塔は天平二年(730)に創建され、その時に塔前の石燈寵が造立されたと考えられる。飛鳥寺石燈寵基礎、当麻寺石燈籠についでの、我が国第三位の石燈籠の部分である。もとこの上には八角型石燈籠の竿以上が立っていたもの
と思われる。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典、1998年」より)
           


本坊
  


国重文 大湯屋
       


南大門跡
           


国重文 南円堂
            


国宝 三重塔
      

石仏群
   


帰途
   


Apr.2020 瀧山幸伸 

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source movie


                                      


July 26,2019 大野木康夫 source movie

北円堂

    

三重塔

      

五重塔と東金堂

   

五重塔

             

東金堂

       

中金堂

基壇が有料エリアになり、登って五重塔や東金堂を撮影できなくなりました。

  

南円堂

   

猿沢池

        

シカ

   

大湯屋

    

春日大社一の鳥居

   

円窓とその付近

       


ecember 2, 2018 野崎順次 source movie

奈良のレストランを予約したので、夕方に近鉄奈良駅に着いた。ぶらぶらと興福寺に行くと中金堂が一般公開されていて、午後4時25分にすべりこみセーフで入場できた。

堂内には仮金堂(現仮講堂)に安置されていた釈迦如来像を本尊として還座。薬王・薬上菩薩像(いずれも重文)が脇侍として安置され、須弥壇の四方は、旧南円堂所在の四天王像がかためます。 内陣には法相の14人の祖師を描いた「法相柱」が現代の日本画家の畠中光享氏によって再現されています。

(興福寺ホームページページより)

中金堂、パンフレットと外観。

       

周囲の夕景

     

三重塔はいつ見てもよい。

     

三重塔の前に摩利支天石という巨石が安置されている。以前から気になっていたので調べてみた。

平成11年5月に、約7トンの大石が現在の場所に遍座されました。現在の国立奈良博物館の位置に江戸時代末まで「宝蔵院(興福寺の子院)」が有りました。この大石は、宝蔵院の庭に有り摩利支天が祀られていたそうです。明治20年に石崎家の庭園に移動され、「お石さん」と呼ばれて120年の間大切にされていました 摩利支天とは梵語Marici(陽炎・かげろう)を神格化した女神で護身・勝利などを司ります。日本では古来より武士の守護神として尊崇されていました。宝蔵院流槍術の祖・宝蔵院覚禅房胤栄が猿沢の池に映る三日月を突いて鎌槍の操法を発明したことは有名です。その胤栄が宝蔵院の庭の大石に摩利支天を祀ったそうです。

(奈良の名所・古跡ウェブサイトより)

     


April 30, 2017 野崎順次 source movie

よく調べもせずに、興福寺回りにあるとされる、非常に珍しく、最後に咲く桜、ナラノヤエザクラを見に行った。それとは別に、国宝館は耐震補強工事のため、1年間休館である。その代わりに仮金堂では阿修羅天平乾漆群像展が開催され、国宝諸像が一堂に並んでいる。また、その隣の北円堂は春の特別開扉である。非常に限られた地域に国宝仏像が26体も集まっていることになる。

パンフレット

     

国宝館裏(北側)の八重桜、ナラノヤエザクラかな?

                      

鹿たちと仮金堂へ

       

仮金堂、天平乾漆群像展

                  

北円堂、春の特別開扉

        

北円堂と南円堂の間の普賢象桜

                                               

五重塔と桜

                       

南円堂と桜

       


Mar.10,2017 瀧山幸伸 source movie

五重塔、東金堂

                           

南円堂

                      

三重塔

          

猿沢池

       


November 26, 2016 野崎順次 source movie

奈良県奈良市

興福寺三重塔

日本聖公会奈良基督教会の庭から国宝三重塔の北面西面の全体が見える。

       


September 19, 2016 野崎順次

国宝特別公開2016 五重塔三重塔 Aug.26 - Oct.10 (内部は撮影禁止)

パンフレット

  

三重塔

        

摩利支天石、サハンド・ヘサミアン作「開花」、石仏群、南円堂

               

五重塔遠望さまざま

               

五重塔・東金堂前の観光客

           

夕食は西寺林町の「キッチンPepita」、美味しかった。

             


Aug.26,2016 瀧山幸伸 source movie

                               

奈良町

Naramachi

  


Mar.16,2016 瀧山幸伸 

Edited Movie Download (YouTube)

source movie

                                                                                                       

         

  


February 7,2015 大野木康夫 source movie

早朝風景

       

五重塔(国宝)

                                    

東金堂(国宝)

        

南円堂(重要文化財)

          

三重塔(国宝)

                     

北円堂(国宝)

         

大湯屋(重要文化財)

北側の木が切られていて、見やすくなっていました。

          

午後の撮影

大湯屋

            

五重塔

               

五重塔と東金堂

 

東金堂

  

南円堂

0132-0134

   

三重塔

                          


Mar.24,2015 川村由幸

                                   


February 8,2014 大野木康夫 source movie

朝から雪が降っていましたが、興福寺に着いたら雨模様でした。

北円堂

   

三重塔

     

南円堂

  

五重塔と東金堂

                                  

本坊

 

大湯屋

    


August 1,2013 大野木康夫

盛夏、雨上りの興福寺です。

大湯屋の撮影は常に困難です。

            

鹿と人々

   

南円堂

 

五重塔と東金堂

 

五重塔

              

東金堂

       


June 2, 2013 野崎順次

奈良県奈良市登大路町48

興福寺

「南円堂創建1200年記念興福寺国宝特別公開 南円堂・北円堂」の最終日にやってきた。円安傾向で外人観光客が増えてきたようだ。南円堂あたり。

               

北円堂。係員の方が、出口から約30m位離れたら、お堂内部が見える写真を撮ってもいいと云うので、望遠レンズで弥勒如来坐像、法苑林菩薩像、無著菩薩立像を撮った。

        

修学旅行の生徒たちなど

        


Oct.2011 大野木康夫

2011.8.31撮影 

北円堂

発掘調査中で近づけませんでした。

       

三重塔

このあたり、平日ということもあり、人が全くいません。

     

南円堂

観音霊場なので、少し人の姿が見えるようになりました。

     

中金堂復興工事

 

東金堂と五重塔

二束三文で売りに出されたという話で有名な五重塔ですが、当時は今では考えられない何かそうしなければならないような雰囲気だったのだと思います。

それでどれだけの文化財が失われたり流出したりしたか計り知れないのですが。

                        

本坊

 

大湯屋

なかなか撮影しにくい場所に建っています。

          

国宝館は薄暗くてなかなかいい雰囲気です。

中高生の頃に行った昔の国宝館(ちょうど元興寺の宝物館のように貴重な仏像がむき出しで並んでいる状態)も懐かしいですが。


Oct.2011 野崎順次

興福寺三重塔

(Three Storied Pagoda of Kofukuji Temple, Nara City, Nara)

撮影日: 2011年10月22日

興福寺三重塔(国宝)は1180年消失後まもなく再建されたもので、軽やかで優美な輪郭が素晴らしい。今年は10月8日(土)〜11月23日(水・祝)まで初層内部が特別公開されている。初層内陣には東に薬師如来像、南に釈迦如来像、西に阿弥陀如来像、北に弥勒如来像を各千躰描き、折上組格子天井には極彩色の文様が描かれている。また、東側には弁才天坐像(江戸初期)を安置する。

入場券裏表

  

建物外部

    

興福寺北円堂

(Hoku-endo of Kofukuji Temple, Nara City, Nara)

撮影日: 2011年10月22日

興福寺北円堂(国宝)は日本に現存する八角円堂最高の中で最も美しいと言われている。元明・元正天皇によって、藤原不比等の一周忌にあたる養老5年(721)に建立された。内陣の仏像は、鎌倉彫刻の最高峰運慶一門による木造弥勒如来坐像、木造無著・世親立像(いずれも国宝)を始め、木心乾漆四天王立像(国宝、平安初期)および木造法苑林菩薩・大妙相菩薩半跏像(弥勒仏の脇侍像、室町)が安置されている。今年は10月8日(土)〜11月23日(水・祝)まで内陣が特別公開されている。

パンフレット

  

建物外部

          

すぐ北側を発掘調査中。

 


Sep.2011 瀧山幸伸 source movie

A camera

                              

B camera

                                   


Aug.2011 野崎順次

奈良県奈良市興福寺三重塔

(Three Storied Pagoda in Kofukuji Temple, Nara City, Nara)

撮影日: 2011年8月12日

鎌倉初期の再建で国宝に指定されている。少し望遠目(70〜100mm)のレンズで素直に撮ってみた。興福寺でここだけは訪れる人も少なく、ホッとする一角である。

      


Aug.2011 野崎順次

奈良県奈良市

興福寺五重塔のライトアップ

(Lit up Five Storied Pagoda of Kofukuji Temple, Nara City, Nara)

撮影日: 2011年7月23日

                     


July 2010 野崎順次

奈良県奈良市登大路町48番地

興福寺 東金堂(とうこんどう)

(Kofukuji Temple Tokondo, Nara, Nara)

撮影日: 2010年7月22日

この日の奈良は35℃を超える猛暑で、平城遷都1300年祭を目指して来日してくれた外人観光客さんはバテ気味でした。

            

興福寺東金堂 建物外部

                        

鹿さん、この季節、角がみずみずしい。

                 

 


Dec.2009 撮影: 瀧山幸伸 source movie

  

1st camera

東金堂と五重塔

                                    

東金堂

                              

南円堂

                                

北円堂

           

三重塔

         

仮金堂

  

本坊

 

大湯屋

            

2nd camera

                                   

                                   

  

                                       

            

      

           

   


June 2009 撮影 高橋久美子

五重塔(国宝)

         


June 2009 撮影/文 野崎順次

奈良県奈良市

法相宗大本山

興福寺

(Kofukuji Temple, Nara)

撮影日: 2009年6月19日および20日

説明は興福寺ホームページより主として建築について要約しました。

法相宗の大本山として知られる興福寺。その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となります さらに、平城遷都の際、和銅3年(710)藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられたのです。 天皇や皇后、また藤原氏の人々の手によって次々に堂塔が建てられ整備が進められ、奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますますさかんになります。 平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになり、また、鎌倉・室町時代には幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たりました。 文禄4年(1595)の検地で春日社興福寺合体の知行として2万1千余石と定められ、徳川政権下においてもその面目は保たれました。

その後、明治時代はじめの神仏分離令、廃仏毀釈、社寺上地令などで興福寺は荒れましたが、その後は寺僧有縁の人々の努力で復興が進展し新たな興福寺としてその歴史を刻み続けています。

  

三重塔 (国宝)

康治2年(1143)に崇徳天皇の中宮が創建されましたが、治承4年(1180)に被災し、間もなく再建されました。 北円堂(ほくえんどう)とともに興福寺最古の建物で、高さ19.1m、初層は方三間で4.8m、本瓦葺き。 鎌倉時代の建物ですが、木割が細く軽やかで優美な線をかもし出し、平安時代の建築様式を伝えます。

                           

北円堂(国宝)

 日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいと賞賛されるこの堂は、興福寺創建者藤原不比等の一周忌にあたる養老5年(721)8月に、元明(げんめい)天皇と元正太上天皇がお建てになりました。 伽藍の中では西隅に位置しますが、ここは平城京を一望の下に見渡すことのできる一等地で、平城京造営の推進者であった不比等の霊をなぐさめる最良の場所です。治承4年(1180)の被災後、承元4年(1210)頃に再建されました。

         

南円堂(重要文化財)

西国三十三所観音霊場の第九番札所です。 弘仁4年(813)に藤原冬嗣が父内麻呂の冥福を願ってお建てになった八角円堂です。基壇(きだん)築造の際に地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝をまきながら築き上げたことが発掘調査であきらかになりました。この儀式には弘法大師空海が深く係わったことが伝えられます。 創建以来4度目の建物で、寛政元年(1789)頃に再建されました。八角の一面は6.4m、対面径は15.5m、本瓦葺きの建物ですが、その手法はきわめて古様です。

                   

仮金堂

中金堂は亨保2年(1717)被災後は、約100年後の文政2年(1819)になって、ようやく奈良の一豪商と奈良町の人々の寄進によって、周囲1間を縮小した仮堂を建てることができました。用いられた部材の多くは松材で、また瓦の焼きも甘く、年月を経るにうちに荒廃がすすみましたので、昭和50年(1975)に講堂跡に仮金堂が建てられました。この建物は不用になった薬師寺旧金堂(室町時代、正面9間(26.7m)、側面6間(15.6m)、寄棟造り、本瓦葺きを移建したものです。

          

中門・回廊の基壇

         

五重塔(国宝)

古都奈良を象徴する塔です。塔は仏教の祖釈迦の舎利(遺骨)をおさめる墓標です。 天平2年(730)に興福寺の創建者藤原不比等の娘光明皇后がお建てになりました。初層の東に薬師浄土変、南に釈迦浄土変、西に阿弥陀浄土変、北に弥勒浄土変を安置し、また各層に水晶の小塔と垢浄光陀羅尼経を安置していたと伝えられます。その後5回の被災・再建をへて、応永33年(1426)頃に再建されました。高さ50.1m、初層は方三間で8.7m、本瓦葺きの塔です。軒の出が深く、奈良時代の特徴を随所に残していますが、中世的で豪快な手法も大胆に取り入れた、大変に力強い塔です。

                         

東金堂(国宝)

中金堂の東にある金堂で、西向きの建物です。神亀3年(726)に聖武天皇が叔母元正太上天皇の病気全快を願ってお建てになりました。 創建当初は床に緑色のタイルが敷かれ、薬師如来の浄瑠璃光世界がこの世にあらわされていました。以来6度の被災、再建を繰り返し、今の建物は応永22年(1415)に再建されました。 正面7間(25.6m)、側面4間(14.1m)、寄棟造り、本瓦葺きの建物で、前面を吹放とし、木割が太く、奈良時代の雰囲気を伝えます。

                

国宝館

僧侶が集団で食事をする食堂が建てられていた場所に、昭和34年(1959)に鉄筋コンクリート造りの耐火式宝物収蔵庫として建てられました。 食堂と細殿(ほそどの)を連結して内部を一堂とした建物で、数多い仏像や寺宝を収蔵し、一般公開するための利便性を考慮して設計された、正面9間(35.3m)、側面8間(31.8m)の、本瓦葺き建物です。 地下には、旧食堂の奈良時代以降の遺構がそのままの形で保存されています。

      

大湯屋(重要文化財)

寺院の風呂場です。奈良時代から設けられていたのですが、文献での初見は平安時代に降ります。その後数回の被災・再建を経て、室町時代に再建されたのが現在の建物で、五重塔再建と同じ時期−すなわち応永33年(1426)頃と考えられます。

 正面4間(11.7m)、側面4間(10.6m)、本瓦葺きの建物で、西面の屋根は入母屋、東面の屋根は切妻ですので、東側になんらかの建物があり、この大湯屋で湯を沸かし、東の建物に湯を送って蒸し風呂にしたり、あるいは入浴したりしたと思われます

      

本坊

興福寺の寺務をとる建物です。 表門は天正年間(1573〜1592)に建立された正面4.5m、側面2.6m、本瓦葺きの四脚門。明治40年(1907)に菩提院北側築地の西方に構えられていた門を移築しました。

    


Mar.2006 瀧山幸伸

   


May 2004 撮影:瀧山幸伸 source movie

  

猿沢池

  

興福寺付近

        

興福寺から東大寺へ

      

  


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