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奈良県奈良市 奈良町

Naramachi,Nara city,Nara

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July 6 and 13, 2024 July 7 and 13, 2024  野崎順次 source movie(July 6)  source movie(July 13)

奈良県奈良市  高畑町

登録有形文化財の説明は文化遺産オンラインによる。

今回のコース(時系列ではなくルートで編集)

 

国登文 粉川家住宅主屋 大正/1923
木造平屋建、瓦葺、建築面積290㎡
奈良市街地東端辺りに所在。敷地中央東半に位置し、北に座敷棟、西に玄関棟、南に台所棟をコ字形に配する。座敷棟は入母屋造桟瓦葺のつし2階建で、軒先に銅板を葺いた下屋庇をまわし、西北の眺望を配慮し雁行形とする。内外とも上質な近代和風住宅の好例。

  

国登文 粉川家住宅石垣 大正/1923
石造、延長52m
敷地の南辺に築造され、表門の前庭東西にまわり込む。東方が折曲り長20m、西方が長32mで、花崗岩の切石を前面道路の傾斜に合わせて高さ2~3m、6~8段に積み、上面に板状笠石を載せる。内側には土を盛り上げ、敷地の造成と一体的に築造される。

   

国登文 粉川家住宅表門 大正/1923
木造、瓦葺、間口2.4m、左右袖塀付
敷地南辺から北へ6m程度退いて東西棟で建つ。門口幅2.4m、切妻造本瓦葺、総欅造の薬医門で、妻は撥束上に大斗肘木、軒は一軒疎垂木とする。東側離れ北西端との間に長1.6m、西側に長2.2mの石積基礎、本瓦葺の袖塀が付き、東袖塀に潜りを設ける。

   

国登文 粉川家住宅離れ 大正/1923
木造平屋建、瓦葺、建築面積51㎡
敷地南辺に位置する表門の東方に東西棟で建つ門長屋。桁行6間半梁間2間、寄棟造桟瓦葺の平屋建で、当初は西側3間半を使用人の住居、東側3間を納屋とした。真壁造で、腰は下見板張、上部は白漆喰塗とし、通りから望見できる西面には格子の出窓を設ける。

    

東へ緩い坂を上る。

    

国登文 中村家住宅(旧足立家住宅)塀 大正/1919
土塀、瓦葺、延長65m、木造門柱一対付
屋敷地の北及び東側を区切る全長約70mの土塀で,北側中央に門を開く。腰は乱石積で,その上はモルタル仕上げとし,屋根には主屋と同じく赤桟瓦を葺く。春日大社の旧社家町にあって洋風の土塀はよく景観になじみ,高畑の文化的な雰囲気をいまに伝えている。

       

国登文 中村家住宅(旧足立家住宅)主屋 大正/1919
木造2階建、瓦葺、建築面積199㎡
志賀直哉旧宅の東隣に位置。洋画家足立源一郎の自邸として建造された。設計も氏の手になる。木造2階建,外壁はモルタル仕上げとし,屋根には赤い桟瓦を葺く。玄関にステンドグラスをあしらい,吹抜のアトリエやサンルームを設えるなど,内部の見所も多い。

   

残念ながら、カフェたかばたけ茶論はお休みで中に入れなかった。

国登文 中村家住宅(旧足立家住宅) 塀 続き

        

細い路地伝いに南へ、柳生街道まで

     

国登文 藤間家住宅表門及び土塀 江戸/1751~1830
表門 木造、瓦葺、間口1.7m 土塀 土塀、瓦葺、総延長48m
敷地北面の街路に開く門と左右に延びる塀からなる。門は切妻造本瓦葺の薬医門で、主に欅材を用い、正面側に鏡天井を張る。塀は基礎乱石積、屋根瓦葺の土塀で、主要部を本瓦で葺く。社家の伝統的な表構えを伝えるとともに社家町の景観の構成要素となっている。

       

国登文 藤間家住宅主屋 江戸/1751~1830
木造平屋一部2階建、瓦葺、建築面積158㎡
春日大社南方の旧社家町にあり、主屋は前庭の奥に北面して建つ。切妻造桟瓦葺の平屋建一部二階建で、正背面に下屋を付す。東が旧土間で、西に2列に室を配し、東列前面に式台を設け、西列には座敷を並べる。江戸後期に遡る社家住宅の貴重な遺構である

     

柳生街道を西へ、奈良町方面へ

                

国登文 藤岡家住宅主屋 昭和中/1948
木造平屋建、瓦葺、建築面積70㎡
奈良旧市街の東部に位置し、道路からやや後退し南面して建つ。木造平屋建、切妻造桟瓦葺で、外壁は中塗仕上で腰に竪板を張り、正面に出格子を建てる。内部は東側をトオリニワ、西側に三室を並べ、オクノマに床を構える。古都の景観を構成する町家の一つ。

     

隣の主屋の方が大きく立派に見えるが、文化財指定ではない。

    

さらに西へ

   

市文 好田家住宅
一列四室の主屋に落棟座敷(おちむねざしき)が付き、一連の丸太格子で統一して独特の外観を形作っています。祈祷札(きとうふだ)には文政11年(1828)とあり、その下がすすけていないので、その直前に建てられたと考えられています。落棟座敷は、書院窓(しょいんまど)の障子に安政3年(1856)の墨書があり、主屋よりやや遅れて建築されたとみられます。
建築年代がほぼ明らかで、町家の編年を考える上での基準となります。また、内装に改造がありますが、当初部材はそのまま残しており、構え・造作・保存も良好です。奈良町における一般型町家として貴重なもので、将来に伝える必要があります。
(奈良市ウェブサイト)

                     

循環バス道を越えて頭塔を右に見て進む。

           

春日山酒造

        

それから

    


市文 青田家住宅
青田家は「横田屋」の屋号で戦前まで代々醤油の製造販売をおこなってきた商家です。
東西通りに南面する主屋と、主屋西側の高塀の奥に建つ落棟座敷が奈良市指定文化財に指定されています。その他、主屋東側には東蔵、敷地奥には内蔵、西蔵、井戸屋形、米蔵があります。以前は醤油作りのための釜屋、室、会所部屋、舟屋、機械場、醤油蔵などの建物が広大な敷地にところせましと建っていました。
主屋は、棟札と鬼瓦銘から安政3年(1856)に建てられたことがわかります。東側をトオリニワとし、西側に部屋を1列に4室並べます。落棟座敷は、主屋完成後に増築したと伝えられていて、2列に5室を配しています。
格子や架構の木柄が太く建物の規模も大きいので豪快な外観と内部空間を形作ります。また、全体の屋敷構えもよく保存されており、当時の豪商の建築を知るうえで価値が大きい建物です。
(奈良市ウェブサイト)

           

隣の町屋も趣がある。

    

 


July 7 and 13, 2024  野崎順次 source movie(July 7)  source movie(July 13)

 

ならまち-その4

登録有形文化財の説明は「文化遺産オンライン」の引用である。

7月7日のコース

 

循環道路とやすらぎの道の交差点から東へ二つ目の信号から北へ歩く。

                                           

ならまち大通りの手前に細川家と森家がある。

県文 細川家住宅 十九世紀初期
昭和四十五年三月二十四日指定
細川家は、江戸時代から昭和三十五年頃まで、和ろうそくを製造していました。この住宅は、文化・文政年間(1804 - 30)の祈祷札があることから、十九世紀初期の建築とみられます。表構えは、出入口を揚戸、その両脇の上半を蔀戸、下半を揚みせ(ばったり床几)とし、北側の落棟部には太格子を入れています。全般に保存は良好で、建具まで残るのは珍しく、座敷廻りの意匠も優れています。奈良の町家の典型として重要です。
奈良市教育委員会
(現地説明板)

               

市文 森家住宅 明治20年頃
桁行5.8m、梁間15.5m、正面庇付、切妻造段違、背面一部入母屋造、桟瓦葺

旧市街である奈良町地区にある町家です。南隣に奈良県指定有形文化財・細川家住宅がありますが、森家住宅はもとは細川家の隠居所であったと伝えられています。形式・手法から、明治20年代(1887-96)頃の建築とみられます。南側を通り土間とし、北側に4つの居室を1列に並べています。通り土間は居室部より奥行が短く、屋根が一段低くなっています。正面の丸太格子は奈良の町家にみられる特色のひとつで、「奈良格子」とも呼ばれます。
平成23年(2011)に半解体修理工事が竣工し、丸太格子や通り土間が復原されるなど、ほぼ建築当初の姿がよみがえりました。
(奈良市ウェブサイト)

              

少し戻って東の路地を行く。

   

からくりおもちゃ館

        

鎮宅霊符神社、南に折れ東に折れ、にぎわいの家の手前を南に入る。

               

豊﨑家住宅主屋 江戸/1830〜1868
木造2階建、瓦葺、建築面積72㎡
桁行三間、梁間七間、切妻造平入で西面する。表側一間半を玄関土間とし、南側に吹抜けの土間を通し、北側に五畳間と6畳間を並べる。二階は表側一間半をつしとし、後方は板間と6畳座敷とする。古式を示す表構えで、地域の歴史的景観に寄与する町家である。

     

それから

   

国登文 松山家住宅主屋北棟 江戸/1829
木造2階建、瓦葺、建築面積97㎡
主屋南棟より後退して建つ、つし二階建、切妻造桟瓦葺の町家。正面に丸太格子をつけ、上部外壁は黒漆喰塗で左右に虫籠窓を穿ち、両端に袖壁を付ける。内部は通土間沿いに三室を並べる。年代が明らかで奈良町の近世町家の基準作ともなり、歴史的景観に寄与する。

             

国登文 松山家住宅主屋南棟 江戸/1751~1830/2000改修
木造平屋建、瓦葺、建築面積97㎡
奈良町中心部で東面して建つ町家。木造平屋建、切妻造桟瓦葺、平入で正背面に下屋を付ける。正面に格子をたて、上部外壁は黒漆喰塗で南寄りに虫籠窓を設ける。建ちが低く、差鴨居で固めた軸部や床などの造作も旧状をとどめ、近世に遡る町家として価値がある。

         

東へ、上街道の次の筋を北へ

  

国登文 正木家住宅主屋 江戸/1751~1830/1898~1912・1926~1945・2008改修
木造平屋一部2階建、瓦葺、建築面積169㎡、高塀付
奈良町の一角に西面して建つ切妻造桟瓦葺平入で、南端に土間を通し、床上部は二列七室で、南列に四室、北列は落棟とし、三室を並べる。北西側には坪庭を設ける。土間は吹き抜けとして架構を見せ、竈も残るなど、往時の町家の姿を良く残す。

             

渡り廊下と庭園

        

国登文 正木家住宅蔵 江戸/1751~1830/1868~1882増築、1926~1945・2010頃改修
土蔵造2階建、瓦葺、建築面積51㎡
主屋背面側に建つ。土蔵造二階建、切妻造本瓦葺の蔵で、軒まで漆喰で塗込める。西面に扉口を開き、主屋に面する西には縁を通して北端物入には丸窓を設ける。南側一間は明治期の増築で、さらに診療所時代に改造されている。主屋とともに中庭を画す建物である。

    

近鉄奈良駅方面に戻る。

                                        

7月13日のコース

 

JR奈良駅から三条通りを東へ、今辻子町の路地に入る。

    

国登文 中川家住宅主屋 大正/1915年/2001年改修
木造2階建、瓦葺、建築面積143㎡
小路に東面する、間口の広いつし二階建町家。南側の通り土間の屋根を落棟とし、北側のミセ前面は平格子と出格子をたて、霧除を付す。上部は出桁で軒を深め、虫籠窓を穿ち、両端に袖壁を設ける。座敷飾や透彫欄間に、大正期らしい洗練さを備える上質な町家。

                   


詳細が見えないが、渡り廊下や離れも国登文である。

   

国登文 中川家住宅蔵 大正/1915年/2001年改修
土蔵造2階建、瓦葺、建築面積84㎡
敷地西奥に南北棟で建つ。土蔵造二階建、桁行一二メートル梁間四・九メートル、切妻造本瓦葺で、東面に桟瓦葺の下屋を設ける。外壁漆喰塗で鉢巻を廻らし上下階に窓を穿つ。戸口廻りに鳥居枠を表し、南面の腰下と西面に竪板を張る。重厚な趣の大型土蔵である。

  

その他周辺

       

帰途

            

 

 


June 30, 2024 野崎順次 source movie

ならまち-その3

奈良県奈良市瓦堂町、鳴川町、中新屋町、勝南院町、今御門町など


この日のコース

 

上街道の一筋西側の道を北進する。瓦堂町から、元興寺小塔院跡の西を過ぎて、東に曲がる。

                                              

上街道が少し折れているあたり

       

奈良町にぎわいの家パンフレットと現地説明板

       

建物外部

       

建物内部

                                                                                                    

上街道を少し北へ

      

国登文 佐埜家住宅主屋(さのけじゅうたくしゅおく) 江戸/1850
木造2階建、瓦葺、建築面積88㎡
奈良町の中心部に位置し、東面する。間口六・二メートル、奥行四六メートルの敷地の街路側に建ち、桁行三間、梁間八間の二階建で、切妻造平入。表屋造の構成を取る。南半を土間とし、北半一列に居室を並べる。奈良町の歴史的景観を今に伝える建物である。

    

上街道をさらに北へ、ネパールの飾窓のある町屋を過ぎて、奈良町大通りを横切る。

                    

勝南院町

             

国登文 田村青芳園茶舗店舗兼主屋 江戸/1751~1830/1946~1965・1966~1989・1989改修
木造2階建、瓦葺、建築面積126㎡
奈良町の通りに東面して建つ平入町家。木造二階建、切妻造桟瓦葺、間口八メートル奥行一四・一メートルで、背面に下屋を付ける。正面は軒を出桁とし、両側に卯建を設け、二階に大きな虫籠窓を設けるなど特徴あるつくりとする。奈良の伝統的町家の一例を示す。

   

ブルーノートやクラシックスポーツカーと遭遇

      

国登文 坂本家住宅主屋 江戸/1830-1867/1926-1988・1989-改修2006改修
木造平屋建、瓦葺、建築面積73㎡
東西敷地の西端で通りに面して建つ平入町家。桁行7.4m梁間9.9m、木造つし2階建、切妻造桟瓦葺である。正面北側に出格子をたて、入口は格子戸引違い、南端に出格子窓を設け、外壁は漆喰塗で腰を竪板張とする。奈良町の伝統的な町家形式を伝える。

柴犬が首輪に紐をつけたまま疾走してきた。その後に飼い主が追いかけてきた。状況を理解した外人が飼い主にエールを送っていた。

       

上街道を進む。猿田彦神社で磐座を見た。そして、街道の起点、猿沢に池に着いた。

                

帰途、近鉄奈良駅からバスでJR奈良駅へ

         



奈良町にぎわいの家からは上街道を直上し、猿沢の池に至る。


June 16, 2024 野崎順次 source movie

ならまち-その2

奈良県奈良市井上町、元興寺町、芝新屋町、鵲町、鶴福院町、東寺林町など


指定文化財の説明は「文化遺産オンライン」からの引用である。

今回のコース

 

循環道路と交差する上街道を北上する。

           

ならまち格子の家
「ならまち格子の家」は、奈良町の伝統的な町家[主屋(三室一列型・通り庭・つし二階)、中庭、離れ、蔵]を再現しており、外だけでなく中からもじっくりと見ていただけます。
間口は狭く、奥行きが深いのが特徴で、奈良独特の格子から差し込む光はどこかあたたかく、ほっと一息つきたくなるような気持ちにさせてくれます。昔の奈良の町家の生活様式に直接ふれていただくとともに、奈良町の情報提供の場、観光客や市民の憩いの場としても自由にご利用いただけます。奈良町散策の休憩にもぜひお越しください♪
(奈良市ウェブサイト)

             

国重文 藤岡家住宅 江戸中期/1661-1750
桁行13.2m、梁間14.7m、前面庇付、一部二階、切妻造段違、桟瓦葺
藤岡家住宅は奈良市内にあり、十八世紀前半の建立と思われる。道路に面した正面表構は商家の細部をよく残している。奈良市内の町屋として古い遺例である。

         

さらに北へ

               

御霊神社

        

国登文 木奥家住宅巽蔵 江戸/1845
土蔵造2階建、瓦葺、建築面積86㎡
元興寺塔跡の西側にある町家の主屋側面に建つ土蔵。土蔵造二階建、切妻造平入で北面し、東西北三面に下屋を廻す。外壁は漆喰塗で鉢巻を廻し、街路に面する東妻の上半は窓庇や螻羽まで塗込めて丁寧に仕上げる。主屋と並び建ち、町家の表構えを構成している。

  

国登文 木奥家住宅主屋 江戸/1792/1820・1858・1868~1912増築
木造2階建、瓦葺、建築面積340㎡
街路に東面し、当初部である古座敷に、中央のつし二階建の表屋、表屋北突出部、北西の二階建座敷を順次増築したため複雑な屋根を呈するが、正面下屋を通して一体感のある表構えとする。正面に出格子四所を設け、壁は黒漆喰塗で虫籠窓を穿つ。風格ある大型町家。

           

それから

   

国登文 吉田家住宅主屋 昭和前/1932/1946~1965・1972・2012改修
木造平屋一部2階建、瓦葺、建築面積105㎡
街路に西面する平屋一部二階建で、切妻造桟瓦葺。正面は瓦葺の庇をつけて出格子をたて、建ちの低い二階は横に長く格子窓を穿つ。戦後の改造により正面南寄りの大戸口奥に内庭を設けた。床上は二列六室とし、八畳奥座敷は付書院を設けるなど丁寧な造作とする。

         

国登文 吉田蚊帳店舗 江戸/1830~1868/1946~1965・1972頃・1998頃改修
木造2階建、瓦葺、建築面積97㎡
主屋の北に並び、切妻造桟瓦葺とする。漆喰大壁造の土蔵風外観で、正面一階は洗出し、北側面は竪板張とする。一階北半は床と間仕切を撤去し、南半はもと土間で、東寄りに床でを張る。二階北東の六畳は裏庭側に縁を設ける。奈良町の歴史的景観に寄与する。

            

北が行き止まりのT 字路。西の町屋を見てから、東へ、続いて直ぐ北へ、元興寺門前の南北路に出る。

              

国登文 近田家住宅主屋 昭和前/1933/2008改修
木造2階建、瓦葺、建築面積87㎡
元興寺東側の街路に東面する町家。切妻造桟瓦葺で南側土間部を落棟とし、正面を下屋とする。一階は、表からミセノマなど三室を並べ、二階の一〇畳はトコ廻りや天井等に銘木を用いるなど上質な造作とする。二階居室の採光に配慮した昭和初期らしい立面を持つ。

     

国登文 岡田家住宅主屋 明治/186で8~1882/1926~1945・2010改修
木造平屋建、瓦葺、建築面積74㎡
元興寺東側の街路に西面して建ち、切妻造桟瓦葺で、正面の下屋に格子を設ける。右土間で、上手に表からミセノマ、ブツマ、ザシキの三室を並べ、ザシキに置ドコと平書院を備える。ミセノマ北半は昭和前期に洋間とした。建ちが低く古式をとどめる奈良町の町家。

      

鵲町と元興寺

     

国登文 小川又兵衛商店店舗兼主屋 大正/1926
木造2階建、瓦葺、建築面積144㎡
元興寺の東向かいの細長い敷地に建つ。間口8.8mの木造2階建、切妻造桟瓦葺。出格子を設ける前方の表屋と後方の主体部、その間を繋ぐゲンカンからなる表屋造。南側に通り土間、表屋にミセノマ、主体部に居室等を配し、奈良町の伝統的な町家の形態をよく留める。

   


帰途

                

 


June 16,22 and 23, 2024 野崎順次 source movie

 

奈良県奈良市南京終町、北京終町、中辻町、西紀寺町、紀寺町
ならまち(南部と東部)

現地説明板と国登録有形文化財地図

    

京終駅舎とカフェ「ハテノミドリ」
復元工事で明治時代の姿によみがえったJR京終(きょうばて)駅(奈良市南京終町)の待合室に、誰でも自由に弾くことができるピアノが設置された。駅を訪れた人たちが思い思いに奏で、楽しんでいる。
京終駅は明治31年に設置された木造平屋建ての無人駅。JR西日本から駅舎の寄贈を受けた市が改修し、今年2月の工事完了後は、地域のまちづくりに取り組むNPO法人「京終」が委託管理している。
(産経WEST2019/6/17 06:43)

            

北京終町

国登文 吉岡家住宅主屋 昭和前/1935
木造2階建、瓦葺、建築面積74㎡
奈良町南端部に位置する町家で、切妻造桟瓦葺、平入、二階建。南正面に格子戸や出格子を構え、二階に虫籠窓を設け、軒は出桁で受ける。東側に通り土間、西側に三室を一列に並べる。ガラス障子を多用するなど昭和前期の奈良町の近代住居の特徴をよく示す。
(文化遺産オンライン)

背後の渡り廊下も国登文です。

               

付近の町並み

                   

飛鳥神社から東へ行くと、南北に伊勢街道(上街道)が通る。

          

循環道路を横切って、西紀寺町へ、まず、塀でほとんど見えない中谷家住宅

国登文 中谷家住宅主屋 明治/1902
木造平屋建、瓦葺、建築面積108㎡
旧奈良町に所在し、通り沿いの門から前庭を挟んで北面する住宅。平屋建切妻造平入桟瓦葺。内部は東に土間を通して上部を吹抜とし、西に二列六室の居室を配する。表側土間境六畳は舞良戸を入れて式台風の構えで、玄関の間とする。旧市街に残る良質な近代住宅。
(文化遺産オンライン)

   

紀寺町へ

国登文 藤岡家住宅主屋 昭和前/1928/1955~1964・1965~1974・2013改修
木造2階建、瓦葺、建築面積99㎡
通りに北面するつし二階建。正面は出格子ほか多種の格子をたて、腰を竪板張とする。内部は東側の二列分を土間として中央に大黒柱を立て、床上部は食違い四間取として西奥を座敷とする。屋根を当初から瓦葺とするなど旧奈良町周縁部の農家建築の近代化を示す。
(文化遺産オンライン)

          

長屋の先に奈良町宿「紀寺の家」

        

国登文 紀寺の家縁側の町家 大正/1919~1926/1946~1965・2010改修
木造平屋建、瓦葺、建築面積71㎡
路地奥に西面して建つ。たちの低い町家風の外観をもち、前面の下屋に出格子窓をたてる。平面は手前一間通りを土間の玄関と台所、奥にトコと違棚を備えた八畳の座敷や食堂など四室を配し、背面の庭に面して縁を通す。奈良町における近代住宅の一形式を示す。
(文化遺産オンライン)

       

それから

        

国登文 内山家貸家 昭和前/1926~1945
木造平屋建、瓦葺一部金属板葺、建築面積69㎡
旧市街南東の通称奈良町の路地に西面して建つ貸家。矩折れの平面で、東西棟の居室部は八畳床付の座敷と六畳などを並べ、庭に面して縁を付し、南の突出を土間とする。外壁は真壁鼠漆喰塗で腰を人造石洗出仕上げとする。戦前の良質な貸家住宅の様相を伝える。
(文化遺産オンライン)

現在は貸しイベントスペース「木屋(きや)」として活用されている。

        

紀寺町の東端の方へ、

   

国登文 教育大学前の町家 昭和前/1940
木造平屋建、瓦葺、建築面積59㎡
奈良町東南部に建てられた貸家群の一つで北面して建つ。東西棟の切妻造、南北二面に下屋を付し、路地に東妻をみせる。東に玄関、玄関の間、茶の間、台所、西に座敷、奥の間の各室を並べる。座敷に釣床や平書院を設けるなど昭和前期の貸家住宅の一形式を示す。
(文化遺産オンライン)

             

近くの通りと町屋

    

 


Oct.17,2023 柚原君子

田村青芳園茶舗

       


Aug 6 and 7,2016 野崎順次

8月6日

近鉄奈良駅を東に出て、ひがしむき商店街を南に行くと三条通に出る。角には南都銀行本店(橋本町)がある。そこから猿沢の池(登大路町)に出て、池之町、鶴福院町を通って、元興寺に向かう。

橋本町

国登文 南都銀行本店 大正(1926)

鉄筋コンクリート造地上4階地下1階建,建築面積516㎡

正面に4本のイオニア式の列柱を並べ細部に装飾を施す外観は、古典様式を簡潔にまとめた好例。昭和28年に背後に増築し、その後窓枠や内装の改修を受けたが、外観はよく保存されている。設計長野宇平治、施工大林組。古都奈良の数少ない様式建築の一つ。

              

高速餅つきで名高い中谷堂、よもぎ餅屋さん

       

もちいどのセンター街

 

登大路町

奈良縣里程元標

   

樽井町

采女神社

 

登大路町

猿沢池あたり

                            

池之町

  

鶴福院町、ここだけ道幅が狭く、拡幅工事でもめている。

       

鵲町

   

8月7日 高畑町

高畑町は広大である。西は猿沢の池の東側、東は柳生街道滝坂道の始点辺りに及び、奈良ホテル、頭塔、奈良教育大、志賀直哉旧居、奈良市写真美術館、新薬師寺などが含まれる。今回は県道80号線破石町(わりいしちょう)バス停の少し南から東に上る旧街道をたどった。特に指定文化財や江戸時代にさかのぼるような民家はないが、好きな道である。柳生街道の一部なんだろうなあと思っている。

                             

式内赤穂神社

   

春日大社宮司職舎

     

それから

                             

お寺かと思ったら、日本基督教団奈良高畑教会第二礼拝堂・牧師館である。

   

土塀、石垣、漆喰壁、坂道

            

坂道を登り切ると、新薬師寺方面に曲がる。

          

不空院

         

明るく元気な中国人観光客

   

不空院から新薬師寺への道も好きである。

       

カフェ「ろくさろん」で一休み

                         

来た道を戻る。

            

喫茶「みにあむ」でいつものカレーライス、御飯は半分にしてもらう。

  


July 18,2016 野崎順次

パンフレット

        

近鉄奈良駅からちょいと西へ、やすらぎの道を南進し、三条通りを東に。

角振新屋町

                   

椿井町の古梅園(国登文)

         

椿井町から東城戸町

          

南風呂町、十念寺

   

南中町、正覚寺

  

南城戸町

市文 森家住宅 明治20年頃

      

県文 細川家住宅 江戸後期 文化・文政(19世紀初頭)

       

西に入ると古びた長屋

          

東に坂道を上ると、陰陽町、そして奈良町からくりおもちゃ館

                           

鎮宅霊符神社

       

高御門町、西光院

        

鳴川町の南北の坂道は風情がある。

    

西新屋町、小塔院を東に抜けて、庚申堂

        

奈良町資料館

                       

中新屋町

   

奈良町にぎわいの家、おもちゃからくり館の人から、ここの仏間の天井絵が良いと云われた。

                                      

芝新屋町、吉田蚊帳店舗と吉田家住宅主屋(共に国登録文)

           

それから

     

木奥家住宅主屋(国登文)

 

元興寺町の通りを南へ

       

国重文 藤岡家住宅 江戸後期

桁行13.2m、梁間14.7m、前面庇付、一部二階、切妻造段違、桟瓦葺

         

ならまち格子の家

              

井上町

    

参考資料

奈良市総合財団ならまち振興事業部門 奈良町散策マップ

国指定文化財等データベース


Mar.2016 野崎順次

                                                    


June 2014 中山辰夫

                                                                                                                                    


Jan,2012  大野木康夫

藤岡家住宅(重要文化財)

所在地 奈良県奈良市元興寺町4

江戸中期の建築

桁行13.2m、梁間14.7m、前面庇付、一部二階、切妻造段違、桟瓦葺

藤岡家住宅は奈良市内にあり、十八世紀前半の建立と思われる。

道路に面した正面表構は商家の細部をよく残している。

奈良市内の町屋として古い遺例である。

(国指定文化財等データベースより)

                  

ならまち格子の家

(元興寺町44)

藤岡家住宅の向かいに、伝統的な町家を再現した観光施設。

            


Sep.2011 瀧山幸伸 source movie

                                                             

                                                        


July 2011 野崎順次

                                                                      


2004 瀧山幸伸

                    

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