奈良県奈良市 法華寺
Hokkeji,Nara City,Nara
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June 6, 2020 野崎順次 source movie
奈良県奈良市
光明宗
法華寺門跡
今回の主目的は名勝庭園である。春(4月1日-6月10日の期間)だけ公開されている。
パンフレットと現地説明板
鐘楼(国重文)から護摩堂にかけてカキツバタが満開であった。
本堂(国重文)と周辺
国名勝 法華寺庭園 江戸時代初期 池泉回遊式
本庭は書院の前庭で、面積約五百二十坪ほどあるが、本庭は後述のように、江戸初期の末年、おそらく元禄期の作庭と考えられる。(中略)延宝元年に書院が建立されて、三十年後に本庭が完成したものと見てよい。
本庭は池泉大回遊式となっているが、前方の築山付近が大きく出島となっていて、すでに江戸中期的な地割の先駆的様式を見せていることを一考すると、元禄末年の作庭と見てよい。
この築山部には、上部に滝の石を組み、流れを導いてまた滝を組み、この時代の典型的なやり方をしている。この上部の滝の石組は三尊手法が示されているが、その手法が実によく元禄期の手法を見せている。
流れには小石を敷き、この時代までの手法が見られるが、本庭の石の大鼓橋や飛石は後補である。しかし滝付近を中心とする豪華な護岸の石組は、これまた元禄期の手法を見せていて美しい。書院前から飛石で土橋の方へ行けるが、土橋は後補である。しかし書院前の飛石など初期の手法が見られて申し分ない。初期の飛石はほとんど他庭園に見られないので、貴重な存在である。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」法華寺庭園より)
本堂の西の入り口から入る。庭園の西南部
庭園の西から東(本堂)側を見る。
客殿(重森三玲さんのいう書院)から太鼓橋への飛石
客殿前の飛石と前庭
前庭(本庭の核心部)
客殿と裏庭
Feb.2015 大野木康夫
Sep.2011 瀧山幸伸 source movie
Feb.2011 大野木康夫
所在地 奈良県奈良市法華寺町882
光明皇后が総国分尼寺として創建した法華滅罪之寺ですが、後世に衰退し、淀君によって再興されたそうです。
訪問した日は珍しい雪景色でした。
南門(重要文化財)
慶長年間頃の建築
四脚門、切妻造、本瓦葺
(国指定文化財等データベースより)
本堂の南正面に建っており、門越しに本堂を見ることができます。
鐘楼(重要文化財)
慶長7(1602)年の建築
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺
(国指定文化財等データベースより)
本体部分は朱塗りで華やかですが、黒い袴腰に覆われ、重厚な感じの建物になっています。
本堂(重要文化財)
慶長6(1601)年の建築
桁行七間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺
七間もある大きな建物ですが、何か優しい雰囲気です。
門前から見えた雪の若草山
June 2009 撮影/文 野崎順次
奈良県奈良市法華寺町
総国分尼寺 光明宗
法華寺門跡
(Hokkeji Temple, Nara)
法華寺は、聖武天皇御願の日本総国分寺である東大寺に対して、光明皇后御願に成る日本総国分尼寺として創められた法華滅罪之寺であります。寺地は平城宮の東北に位し、藤原不比等公の邸宅だったのを皇后が先帝ならびに老妣のおんために改めて伽藍となし給うたもので、以来星霜1250年、おん慈しみ深かった皇后の御精神を伝え、道心堅固に護られてきた女人道場「法華寺御所」であります。
指定文化財目録(*印は写真あり)
国宝 木造十一面観音立像
同 絹本着色阿弥陀三尊及童子像
同 法華寺縁起類5点
重要文化財 法華寺本堂*
同 法華寺南門
同 法華寺鐘楼*
同 乾漆維摩居士坐像 1躰
同 木造仏頭 1躰
同 木造二天頭 2躰
同 からふろ(浴室)*
国史跡名勝 法華寺庭園*
同 法華寺書院
同 光月亭*
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