MONTHLY WEB MAGAZINE Oct. 2013

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■■■■■ 宗像大社で思う 田中康平

秋の大祭が開かれているというので福岡市の北東30kmにある宗像大社を訪れてみた。

10月1日には秋の大祭の初日行事として漁船による沖ノ島からの海上大パレード”みあれ祭”が開かれているのがテレビで流れていた。

これはすごい、見なくてはとの思いがしたが今年はもう海上パレードには間に合わない。まだ何か祭事が続いているはずと、とにかく出かけた。

駐車場から拝殿へ向かって進むと謡曲の調べが流れてくる。拝殿は工事中で そばの仮拝殿で能が舞われている。これがこの日の催しらしい。翁面をつけたしっかりした謡と舞だ。

500年は続く恒例の翁舞という、秋の大祭で年に一度だけ公開されるらしい。その昔この先の鐘崎岬の沖の海面に翁面が海中から浮かび上がったという故事にちなんだものというがその面そのものをつけて舞っているとの話も有る。神がかり的話に残された証拠が現代まで伝わってそれを現実に見るということにちょっとした驚きを感じる。

工事中の本殿やら拝殿をやや遠巻きに見て宝物殿である神宝館を見て回ると驚きが続く。

玄界灘に浮かぶ沖ノ島は宗像神社の一部で沖津宮として古代から海事の平穏を祈ってささげもので満たされていたとは聞いていたが8万点もの出土品がすべて国宝になりここ神宝館で保存されているという。その一部が展示してある。7−8世紀のものという機織機の金属性ミニチュアも展示してある。勿論国宝だ。よくできている。最近作ったといわれてもそうかと思ってしまうようなものだ。朝鮮経由の技術らしい。

宗像大社は古事記、日本書紀にも記述されており、スサノウノミコトの剣から生まれた3女神(宗像大社と厳島神社の主祭神)がこの近くの山に降臨したとも記されている。宗像大社はその起源を神武東征以前に遡るようだ。宗像大社から沖ノ島を結ぶラインは対馬を経て半島に直線的に向かっている。

朝鮮半島と日本は昔から運命共同体となっていたように思える。

最後に日本海海戦を沖ノ島の興津宮にいた神官が目撃した記録が展示されている。

戻って調べてみるとバルチック艦隊が日本の艦隊との間で放火を交えたその地点は確かに沖ノ島のすぐそばだ。「坂の上の雲」のテレビ放映でも神官がロシア艦隊を目撃するシーンが挿入されていたという。なんとはなしに東郷艦隊の神がかり的勝利もこの地であればとの気がしてくる。

見終わってこの先の神湊という沖ノ島へ神官が渡る港に行ってみる。漁港でフェリー乗り場もあり すぐそばに海水浴場があり穏やかな砂浜が続く。目の前の地島、大島で囲まれて波も穏やかでいい港となっているようだ。平和な眺めだ。

目の前に古代から続く半島へ向かう海の道が見えるようだ。現実にこの地に立つと流れる時間のその先に思いが及んでいってしまう。朝鮮半島と日本の緩い共同体という未来が本来の姿のようにも思えてくる。どうなっていくだろうか。

(機織機の図は宗像大社神宝館パンフレット、日本海海戦の図はwikipediaによる)

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