MONTHLY WEB MAGAZINE Dec. 2013

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■■■■■ 湖上から見た白髭神社と他 中山辰夫

11月17日「湖城クルーズ」に参加、大津港を出発し、約6時間かけて琵琶湖を一周しました。近江は1300もの城郭がひしめく「城の国」、琵琶湖からも実に多くの城が遠望できます。今回は、歴史に名を残す50強の城や城址を目にしました。それらの城には今も縄張りや当時の状況がそのまま残っており、合戦の追跡が出来ることも近江の魅力のポイントです。これら城の中には、古墳や寺院跡を利用し築城されたのも多く,渡海人との関わりのもとに開けた古代近江との関連も分かります。

「城」は別の機会に廻して、目にした光景を二つ並べます。

「シジミ採り」

瀬田川のシジミは殊のほか有名でしたが近年は取れなくなったと聞いております。近江大橋の袂で懐かしい、その姿を見かけました。前方は膳所城跡です。

「白髭神社」

白髭神社は、県道558号線(旧国道161号線)を高島に向かって走ると必ず目に入ります。近江最古の神社ともいわれ、全国白髭神社約200社の本社です。

本殿・他は豊臣秀頼が寄進したもので、国重要文化財です。徳川家康が豊臣家の財力を削ぐために社寺への寄進を促したうちの一つです。

社殿背後の三角形の明神山は頂上に磐座があり、渡来人の古墳群や神社の社殿を包み込んだ山で、湖上から仰ぐと山全体が霊山であることが分かります。

琵琶湖に向かって開かれ社殿は、大鳥居によって海とつながります。大鳥居の正面前方は近江八幡沖にある神の島・沖島につながります。

湖上から見るとその関係が明瞭です。湖中に建つ朱塗りの大鳥居は境内にある常夜燈と共に航行する船の目印でもあったようです。

船上から見る大鳥居

この大鳥居、室町時代末期に描かれた屏風「江戸名所図 ・重要文化財」にも見られ、朱色の鳥居がこの頃既に琵琶湖の中に建っていたようです。

その他・資料を参考にして

1937(昭和12)年に、大阪道修町の薬問屋小西久兵衛氏が寄進されて復興されました。

小西氏は明治〜昭和に活躍されました。大阪天王寺にある1907(明治40)年建立の小西朝陽館は、政府の要人や皇族方が来遊、宿泊された別荘(非公開)で今も健在です。また大日本製薬(株)の発足にもタッチされたようです。

天王寺の「一心寺」に、1918〜9(大正8〜9)年に流行したスペイン風邪の慰霊碑も寄進されています。この一心寺、興味事が多いお寺のようです。

「大正八九年流行感冒病死者慰霊」碑

大阪道修町には、国重要文化財の「小西家住宅」がありますが、上記小西氏とは関係なく、小西屋(後に小西儀助商店、現コニシ」の屋敷兼社屋です。

小西家は、1870(明治3)年、初代小西儀助が薬種業を創業したことに始まり、2代目小西儀助の代に大躍進を遂げました。

この木造建築は、1903(明治36)年に建てられもので築後110年になります。現在も社屋として使用されています。

Japan Geographicの存在は、当方にとって日々を過ごす糧となっています。動く範囲、視点は狭くなる一方ですが、引き続きお付き合いさせて頂きたくお願い致します。

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