Monthly Web Magazine Jan. 2016
滋賀県の南部・草津市と守山市の間に、「栗東トレセンタ− JRA」でおなじみの栗東市があり、そこに「ヘソ」と「マガリ」という地名があります。
誰もから「ヘソ」はどう書くのと聞かれ、糸扁に巻くと説明、漢字で書いたヘソ「綣」はどう読むかと聞かれます。
この問いは多分永遠?に続くでしょう。マガリは「鉤」と書きます。
昨年末に入手した藤井耕一郎氏の著書「大国主対物部氏」に、「はるか古代、出雲は近江だった。その近江の大きなクニの中心は「ヘソ」「マガリ」であった」とありました。
およそ1800年前の2世紀終わりから3世紀初めにかけての話で、邪馬台国の「直前から前半あたり」の時代のことです。
書中に登場する「伊勢遺跡」が見つかったときにもざわめきが起こりました。
書には最も苦手とする神話の世界も登場し、いささか難解で読みづらい箇所も多いですが、北海道生まれの著者が隈なく栗東・守山の地を探索され、点を線に結び、持論を展開されています。
狭い土地柄の割に遺物が多く残され、古代から豊饒の地だった様子を伝えています。
滅多にない聞きなれた地元の地名・地形・風景や神社の祭神や遺跡を活字で見ると嬉しくなり、その奥の深さに驚き、登場先をすべて歩いて見たくなりました。
1月9日は勝部神社の「火まつり」でした。勿論書中に登場しますが、この神社は物部氏を祀る物部氏の聖地です。
燃え盛るタイマツの火と物部氏の怨念が一体となって周囲を真っ赤に照らし出します。
「蘇我氏に仏教が因で敗れた物部氏」としか情報を持ち合わせておりませんが、物部一族も「ヘソ・マガリ」には大いに絡んでいるようです。
古い歴史上の1スポットです。今更知っても仕方ありませんが、足元がカラッポでは・・との思いでおります。
この書からも「ものの見方」の多様な切り口を習いました。
辞書に説明のある「ヘソマガリ」とは違った「ヘソ マガリ」に接して新年があけました。