Monthly Web Magazine Jan. 2016
■■■■■ おばちゃんカメラマンが行く 事務局
■おばちゃんカメラマンが行く@東京 権八
先日、親しくさせていただいていたカメラマンの先生から写真集をいただいた。ご自分の故郷遠山郷の霜月祭を20年にわたって撮りためた集大成だ。何気なく開いたページに、炎の周りで奇妙なお面をかぶった神々がとりつかれたように乱舞している。その場にいるような臨場感・・・魂が見えるようだ。
村人や子供たちの素直な笑みや祭りの緊迫した雰囲気、究極の躍動感が感じられ、じわじわと感動がこみあがってくる。
ただただ機能満載のカメラのシャッターを押し「量は質に転ずる」という洗脳言葉を信じていた自分に警鐘を鳴らされたような気がした。
今更言うまでのことではないのだろうが、1枚の写真には、見る人に訴えかける無限の可能性があり、見えないものも切り撮らなければ感動はないのだと反省する。
アートと記録、その境はもはやなく、先生のように純粋に被写体を思う(愛する)撮り手の人柄が反映してこその差別化なのだろう。
これからは、被写体にも見てくださる方にも恥ずかしくない写真を撮ろうと襟を正す思いだ。
久々に人生を変える程素晴らしい写真集に出会い、1年の反省と新年の誓いをこめて哲学した。
■おばちゃんカメラマンが行く@黒島 佐世保市
小さな十字架を握りしめ、ジャングルのような樹林の中、陽の当たらない質素な家でひっそりと祈る当時の信者の姿が想い浮かぶ。
現在人口450人の9割がカトリック信者という島だ。
キリシタン禁止令により転向できない強い信仰を持った信者たちが移り住み、いわゆる「隠れキリシタン」として潜伏していた。
アコウやスダジイなどの常緑広葉樹に囲まれ家の入り口や家屋すら全体を見ることができない。
防風林も兼ねているようだが、当時のキリシタンの人にとっては良い隠れみのだっただろう。
サザンカの実から油を搾り開墾したわずかの畑で根菜を作り、つつましやかに、追手におびえながら、毎日祈りの生活をしていたに違いない。
そんな神様は試練ばかりではなく、おいしい湧水をくださったのだ。今では「天水」と呼ばれるミネラル豊富な水だ。どんなに救われたことだろう。
こんな集落だからこそ、お互いの絆が深く、助け合い許しあい、のちの荘厳な黒島教会が完成したのだろう。
これからも過疎化に負けず愛情いっぱいの人たちが穏やかに過ごせ、私たちを受け入れてくれることを祈るばかりだ。