JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Oct. 2017

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■■■■■ Topics by Reporters


■ 秋の絶景 瀧山幸伸

紅葉は年によって差が大きい。一期一会と心得ているが、今年はとても良いとの声を多く聞いた。

魔女の瞳 

 

絶妙というか、なんとも風変わりなあだ名を付けたものだ。本名の「五色沼」では、「裏磐梯五色沼」と混同されるし、「沼」では、火口湖特有の成分で青く澄んだ水の雰囲気も伝わらない。

魔女の瞳に出会うためには、磐梯吾妻スカイラインの最高地点浄土平に行く。

浄土平からは、修験者ゆかりの一切経山をはじめ、同様な火口を持つ吾妻小富士、樋沼などへの散策や登山が可能だ。

訪問した10月1日は日曜日で、晴天にも恵まれ多くの人で賑わっていた。

魔女の瞳は一切経山の山頂から見下ろすのが良い。山頂までは40分ほどの山登り。

当節は「なんちゃって絶景」が多いが、火口の淵に腰かけて見下ろす姿は真の絶景と言える。

瞳は深いブルーで、浅い周辺部は青白い。その外側では紅葉が緑の中に点在する。

気が付くとかなりの時間が過ぎていた。魔法に魅了されたのだろう。

下山は穏やかな姿の鎌沼と周囲の紅葉を楽しみ、駐車場へ。

4時間以上を費やしたが、念願の魔女に面会を果たせ幸せだった。

東雲湖

 

まさしく秘境と呼べる絶景で、観光客にはお勧めできない。

周囲には自然以外何もない。運が良ければ希少な鳥やナキウサギなどが出迎えてくれる。

大雪高原沼巡り

初夏に訪問した時には残雪と高山植物に癒されたが、紅葉シーズンにはナナカマドをはじめとする派手な衣装に覆われる。

悪路なので山登りの装備は欠かせない。

大雪山赤岳

こちらも、コマクサなどのお花畑で有名な初夏と、紅葉に覆われる秋の風景の差が激しい。

バスで銀泉台まで登り、そこから20分も歩けばこの絶景に出会える。

大雪山系では、十勝岳の紅葉も見ごたえがある。

八幡平

  

秋田県側岩手県側に分かれるが、秋田県側には後生掛、玉川、蒸の湯などのワイルドな温泉があり、湯気と紅葉の景観が美しい。

訪問日は頂上付近の降雪と凍結で、県をまたぐ区間の道路が終日閉鎖となっていた。

することもないので秋田県側を歩き回って時間をつぶしていたが、運よく午後1時に全線開通したので山頂の沼巡りも楽しむこともできた。

観光客はほとんどいなかった。


■大津祭  大野木康夫

物心ついたとき、私の地元の京都・山科の秋祭は10月10日の体育の日、大津祭と伏見御香宮の祭も同じ日だったので、大津祭は見たことがありませんでした。

体育の日が10月の第二土曜となったときに、山科祭と大津祭の日程がずれたのですが、仕事や子供の行事などで多忙で、大津祭はずっと見ていませんでした。

そうこうするうちに、昨年、大津祭は国の重要無形民俗文化財に指定されたので、ぜひとも見物したいと思い、今年、ようやく宵宮と本祭を見ることができました。

宵宮

夕食後に家内と見物しました。

家から天孫神社まではJRを使って20分ほどです。

13の山を全部見ようと欲張って2時間かけて回りました。

提灯の赤い光に照らされた山は幻想的で、素朴で荒々しいような囃子もいい雰囲気でした。

西行桜狸山

神功皇后山

湯立山

猩々山

龍門滝山

西宮蛭子山

殺生石山

西王母山

孔明祈水山

石橋山

月宮殿山

源氏山

郭巨山

からくりも会所などに飾られています。

  

本祭は午前中が比較的空いているということでしたので、朝から行きました。

大津駅前の中央通では、各山が天孫神社前に集合するのが見られました。

山は比較的小型で、辻を曲がるときは、前輪を数人で持ち上げて回ります。

長らく女人禁制でしたが、近年になって引手は女性が参加できるようになったということです。

    

天孫神社前に並ぶ13基の山

   

巡行を見るポイントは、所望(しょうもう)と呼ばれる「からくり」の披露場所になります。

最初の所望の場所である天孫神社の鳥居前で見ることにしました。

この場所は、おそらく最も狭いところを山が通る場所ですが、ロープなどは何も張られておらず、近くで見ることができます。

この近さが大津祭の魅力の一つだと思います。

     

途中で、ちまきを投げるところも見たくなり、元堅田町の所望場所に移動しました。

各山は、辻を曲がってすぐの所望場所で止まってからくりを披露し、ちまきを撒いて西に巡行していきます。

              

昼までで見物を終えましたが、十分堪能できたと思います。

動画を撮っているところにちまきが飛んできてちょっと大変なことになったのもいい思い出です。

来週は山科祭、老骨に鞭打って田舎神輿の巡行に参加します。

(写真は2016年)

 


■サントリーウイスキー・山崎蒸留所 中山辰夫

7月1日から9月5日までの間、日本経済新聞に連載された伊集院静氏の「琥珀の夢」を興味深く読み通しました。

内容はサントリーウイスキーを生み育てた鳥居信治郎氏の丁稚奉公から始まる70年の仕事人としての波乱に満ちた人生を描いたものです。

私の人生で一番長く愛飲してきた「ハイボール」「ロック」−文中に登場するウイスキーの懐かしい名前に出会うごとに、それぞれの時がよみがえってきました。

連載終了後、サントリー山崎蒸留所を訪れました。ここは日本最初のモルトウイスキー誕生の地で、天王山の豊かな森に抱かれた場所にあります。

  

ウイスキーは製麦、糖化、発酵、蒸留、貯蔵、瓶詰という工程をたどります。重要な発酵や貯蔵の工程では「樽」が使われます。

酒を育てるのは木-樽-といわれます。200年以上生き続けてきた木から樽をつくり、その中でさらに数10年寝かせて原酒が出来上がります。

   

サントリ—が保有する樽は100万樽に達するそうです。貯蔵庫で静かな時を過ごしている姿は圧巻です。1923年の第1号樽が保存されていました。

 

蒸留所ではテーブルやいす、床材にもかつて樽だった木材が使われていました。

   

海外出張時のお土産に「オールド」を買い求めたこともありました・・・。愛飲歴は「トリス」から始まり「白」「赤」「角」を経て「だるま」へとかわり、「響」で終わりました。

懐具合に応じて選んで飲んだボトル−それぞれの段階での思い出にしばし耽りました。

 

見学の最後はてテイステイング

僅かに赤みがかった琥珀色の液体が小さなグラス注がれていました。ミズナラの樽で育った原酒(濃度50度)も頂きました。

口に含むと甘味の次に香りが膨らみ、余韻が長く残りました。

我が家には何故かナポレオン「SOARER」が1本未開封で残っています。

今や世界遺産に登録された「シドニーオペラハウス」の竣工(1973年)記念として発売されたものでしょうか。

 

長い保管で味も変わっていると思います。このまま飾りとして残そうか、味わおうかと思案中です。

最近ハイボールのコマーシャルを多く見かけるようになりました。そろそろ焼酎からウイスキ—に戻ろうと、機会あるごとにチビリチビリ嗜みつつ過ごしてます。


■ 白駒池御射鹿池栂池自然園  川村由幸

長野に紅葉を愛でに出かけました。

まず向かったのが、最近JRのテレビコマーシャルで名が知れ渡った白駒の池。

上信越道佐久小諸JCTから中部横断道佐久南I.Cで降りて40km、途中から厳しい登り坂を行くと標高2,100mを超えたところにあるのがこの白駒池。

  

2,000mを超える高地にある湖としては日本最大とのこと。池のまわりぐるり一周木道が設置されています。

赤、黄に染まった葉が水に映り、その美しさに感動しました。

ここは、見どころがもう一つ。

  

池の周囲に広大な苔の森があるのです。

多種多様な苔が群生しています。薄暗い森に深緑色の苔、不思議な雰囲気の美しさです。

私が訪ねたのがちょうど雨上がりの朝で苔がよりしっとりと輝いて見えたのかもしれません。

池を一周している間はほとんど人に会うことがありませんでしたが、出口に近づくと大勢の人と出会いました。

駐車場に戻るとすでに車は満車状態、マスメディアの力に改めて驚きました。

ここから、諏訪の方向に下り、又上り返したところに御射鹿池があります。

  

農業用温水ため池で人工物なのですが、運よく風がないと素晴らしい景観に出会うことができます。

紅葉にはいささか早かったのですが、風のない時に訪れることができ幸運でありました。

今は景観保全のために池に近づくことができません。なまじ木道の遊歩道ができるよりもカメラを抱えるものにとってはこのほうが良いように思えます。

この後、諏訪に下りランチ。もちろん鰻をいただきました。

ここまでさんざん、UPDOWNとつづら折りを繰り返したため、山道はこりごりとの相棒の意見でビーナスラインに行く予定はキャンセル。諏訪大社下社秋宮を参拝して、まっすぐ白馬の今日の宿に向かいました。

翌日は栂池自然園を歩く予定で天候がとても気になります。

朝起きると小雨模様で、雲は低く垂れこめていて標高2,000m前後の栂池自然園へ出かける意味がなさそうでした。

まあ、ともかくここまで来たのだからとゴンドラリフトの駅まで出かけると雲の切れ目に青空が見えだしたのです。

ゴンドラリフトとロープウエーを乗り継いで栂池自然園まで行ってみると、

     

まさに錦秋という景色に巡り合えたのでした。残念ながら北アルブスの山々を望むことは出来ませんでしたが、美しい紅葉を堪能し満足しました。3時間前後の軽トレッキングもほとんど苦とは感じす、楽しい思いで歩き切ってしまいました。

朝の天候から諦めることも考えましたが、相棒と二人諦めずに出かけてきたことは僥倖でありました。

今年は特に紅葉の色がきれいだそうで、黄色が主体の中に鮮やかな赤色のコントラストは本当に美しいものでした。

さて、今回も二日で700km走りました。もうすぐ古希、これがいつまで続けられるでしょうか。


■ 防水カメラに縁がない 田中康平

夏場になると1回は南の島に遊びに行く。海で遊ぶというとまずはシュノ—ケリングということになる。もう10数年位前になるがハワイに初めて遊びに行ってハナウマベイでシュノーケリングをしたのがとても楽で面白かったのに味をしめて毎年夏になるとどこか海へ出かけたくなる。

水中で魚を見ていると何とか写真に撮れないかと思う。勿論水族館で似たような写真は取れるのだがそれでは面白くない。数年前水中撮影可能というカメラを買ってはみたものの魚を狙って写すのはなかなか難しい。水中で数枚写したところで陸でカメラをコンクリートに落としてしまいカバーガラスが割れてとても水中では使えなくしてしまった。

普通のカメラとしては使えるのでカバーガラスの破片を取り除いて使っていたがやはり悔しくてカバーガラスの代わりにアクリル板をカットして耐水の接着剤で貼り付け固めてヨット等で使っていた。一応水を浴びても問題なく使えていて多分水中でも使えそうだった。

去年は渡嘉敷島に行こうとしたが台風で行けず沖縄本島内で軽く水浴びした位に終わった、今年は小笠原に行くということになってやっと水中写真が撮れるかなと思っていた。小笠原での当日イルカと泳ぐドルフィンスイムに持参して水中に入れてみるがうまくシャッターが切れない、船に上がって調べるとバッテリーのところに水が入っている、とても使い物にならない、カメラ自体が完全に壊れてしまった。後で取扱説明書を読み直してみると、購入後1年以上経つと防水が全体に劣化するような書き方をしてある。そもそもがその位のものだったんだ、と諦めるほかない。水中写真にはどうも相性が悪いのかもしれない。

ドルフィンスイムのその後は海中のイルカを潜って目で見るだけだったが、イルカにそばを追い抜かれたり群れになって自分の下を泳いでいるのを見たり、潜りの上手い人がイルカに巧みに絡む有様を水中で見たりするのが圧倒的に面白い。船の上からのイルカウォッチとは比較にならない。

いまや来年の夏までには何とか水中写真の撮れる仕掛けを用意しなくてはと思っている。何でも便利になる世界だから数年もすれば今より数倍も楽に当たり前に水中写真なぞ出来るようになるだろう。スマホが流行りだしたあたりからは便利さの進化の速度に大いに期待が出来るようになってきたように思う。

しかしそもそもボケる前にどこまで泳いだり遊んだり出来るのだろうか、結局はそれが問題のような気がしている。

写真は順に ハワイ・ハナウマベイ、ハワイの水族館にて(こんな風に水中で撮りたい)、西表島の海にて(魚が撮れてない)、修理してもやっぱり壊れたカメラ、イルカの群れ(船上より)

    


■ 弥富そばの花まつり  蒲池眞佐子

山口県萩市弥富というところで「そばの花まつり」が毎年開催された。

今年で十数年目らしい。

 

なぜ「そばの花」なのかというと、もちろんそばの花が咲き誇っているからでもあるが、この地域には蕎麦屋が一軒もないらしいのだ。

テレビにPRで出ていた人が「蕎麦屋を作れるよう頑張ります!」と言われていた。

祭りでは、この祭りのためだけに、地域の方々がそばを打ち、茹でてそばを提供してくれる。

素そばで1杯400円、天ぷらが100円、天ぷらそばにすれば500円だ。

そばはもちろん十割そば、香りがいい。ちょっと不揃いな太さが家庭的な感じだ。

小学生が作ったアンケートを記入すると、お礼に折紙をもらった。

きっと皆で話し合って、せっせと折紙を折ったんだろうな〜とほのぼのとする。

   

初めて見たそばの花、せっせと写真を撮ってみた。

    

ところで、山口県に来て、つくづく思うことがある。

人はどうやって情報を得ているのか?なのだ。

ここ、何の店?と思うほど看板を出している店は少ないのに、人がいっぱい入っている。

たいしてPRされてなかったイベントでも、行ってみると人がいっぱいいるのだ。

よそ者にはわからなさすぎだ。

結局、地域の情報番組に頼るしかなく、録画はかかせなくなっている。

いいものいっぱいあるのに、宣伝下手なのか、もったいないな〜と思うのである。


■ ロンドンの地下鉄に感心する  野崎順次

海外ネタが続いて恐縮だが、今回はロンドンの地下鉄である。最初の区間の運用を開始したのが1863年で世界最古の地下鉄である。当初は地上から掘る開削工法で、埋め戻した地下トンネル内に蒸気機関牽引の列車が通った。その後、地下を掘り進むシールド工法が採用されたが、工費節約のため直径3.6mの小さなトンネルとなった。そのため、そのシールド工法路線の電車は今でも小ぶりである。

   

私は約50年前から何度となくロンドンに出張して、その都度、地下鉄を利用している。ネットなどで調べてみると、事故、火事、テロ、車内暴力などが起こっているのだが、私個人としてはそのような嫌な経験はない。だから、私なりにロンドンの地下鉄を褒め称えたいと思う。

路線は真ん中のサークル線に四方八方から流れ込むように大ロンドンを網羅している。従て、目的地によっては2回も3回も路線を乗り換えなければならない。エスカレーターや階段を登ったり降りたり、くねくねと歩く場合も多いのだが、表示と通路が単純明白で非常に分かりやすい。まるで自分が複雑だが径路がはっきりしている配水管を流れる水になったような気がする。パリの地下鉄で苦労した自分がウソみたい。

   

中心部の各駅に時刻表は見当たらないが、電車は直ぐに来るので不便を感じない。大体、3〜4分間隔だろうか。もともと時刻表はなく、衝突を避けるために前後の電車が近づきすぎないような工夫があるのだろうか。

マナーが非常に良い、というか、高度の社会的モラルが定着している。様々な地位や人種の人々が乗り合わせているのに、譲り合い助け合いの気持ちが常識化している。例えば、駅で、私が重たいスーツケースを持って階段を上りかかると、必ず、若い人が助けようかと声をかけてくれる。よく若い女性からも声をかけられた。今回、目撃したのは、車内で東欧系妊婦に席を譲ったアラブ系中年男の事例である。男は当然のように直ぐに席を立ち、妊婦はお礼も言わず座った。有難う・どう致しましての域にも達していないのだ。ましてや、電車に乗り込むなり、まっしぐらに空席を求めるような中高年の男女は見たことがない。泥酔者は見たことがない。また、疲れきったり、ふてくされた乗客もほとんどいないようだ。

人身事故で遅れた経験は全くない。自殺や不注意による人身事故は皆無ではないそうだが、私自信は経験したことがない。線路には高圧電流が流れており、落ちると必ず即死だと聞いた。それでも防護柵のある駅などない。

英語がネイティブなんだから当然といえば当然だが、表示が簡潔明瞭である。ちなみに、米国や日本で地下鉄は Subwayだが、英国ではUnderground またはthe Tube である。LondonでSubwayの表示があったら、地下道か、サンドイッチ屋である。

 

エスカレーター

Please stand on the right.(右立ちでお願いします。)歩く人は左側という訳。

Hold the handrail keep clear of the edge.(手すりを持ち、端をあけてください。)

Take extra care with children.(お子様には特に気をつけてください。)

Dogs must be carried.(犬は抱いて乗ってください。)

No smoking allowed.(禁煙)

車内

Items trapped in the doors cause delays. Please keep your belongings and clothing clear of the doors.

(ドアにものが挟まると遅延の原因になります。持ち物や衣服をドアから離してください。)

危険とは書かずに遅延を問題にしているのが興味深い。

Priority seat for people who are disabled, pregnant or less able to stand.

(身体障害者、妊婦、立つのが困難な人のための優先座席)

以前の表現で、"Please give up your seat if a handicapped person is present." とかいうのがあって、「席をあきらめて譲りなさい。」というニュアンスに感心したことがあったが、今は上記のとおりである。


■ 看板考 No.58 「東京市小石川区」  柚原君子

『東京都』というと都庁のビル群がイメージされますが、多摩地域、伊豆七島から小笠原諸島まで含んでいます。

父島も郵便番号は100で始まり、住所は東京都小笠原村父島字……となります。

東京都は離島も含めて、余りにも広いので、東京都でも限られた区域に使われる『都下』や『都内』という単語も存在します。

そして江戸から現在の東京都になるまでは3回、4回の変遷を経ています。

昭和7年の東京は『東京府』として東京市(15区……麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区)、南葛飾郡、南安達郡、北豊島郡、豊多摩郡、荏原郡、北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡、八王子市などの分布です。

昭和18年頃には北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡、八王子市、立川市はそのままとして、それ以外の郡は東京市に吸収され、35の区に分けられることになります。

それまであった15区に足された残りの20区は下記の通りです。

江戸川区、向島区、城東区、葛飾区、足立区、王子区、板橋区、杉並区、中野区、淀橋区、豊島区、滝野川区、杉並区、世田谷区、中野区、大森区、蒲田区、品川区、目黒区、荏原区。

現在は東京都内といえば23区を示しますから、上記の35区の中がいくつかで合併して新しい区名、例えば文京区や墨田区、新宿区などになったり、また元々あった豊島区などに吸収されたりして、1947(昭和22)年には現在の東京都23区に落ち着いたということになります。

ちなみに15区であったころの配置順は皇居のある麹町区を起点に『の』の字形を描いて順番とされ、公式文書も必ずこの順番であったといいます。

外国式にかっこよく言えば15区は東京都の旧市街ということになるでしょうか。

さて、看板というか表札ですが、このような貴重な表札を掲げている家も少なくなっていますので、運良く見つけると嬉しい気がします。

表札は『東京市小石川区』とあり、区の字も旧字です。

大塚坂下町は元は小石川という冠称が付いていた(区史によると1911年(明治44)年に冠称を付けなくしたとある)ので、表札にそれがないということは明治44年以降の表札ということになります。

家の形態から見て表札歴70年から80年ということでしょうか。

この表札は坂下町とあります。近くに富士見坂があるのでその坂の下ということでしょうか。

この近辺はビックリするくらいの高低差のある地域で、都内で天城越えですか?と言いたくなるくらい胸突き八丁が多い場所です。

それでもその高低差ゆえに夕日がきれいに見えるので好きな場所でもあります。


■ おばちゃんカメラマンが行く @東雲湖   事務局

紅葉真っ只中であろう東雲湖に再度訪れた。

前回は6年前の夏だったので、秋はさぞかし美しいだろうと想像しながら歩く。

然別湖のヘリをぐるりと回り東雲湖に到着するのだが、気分的には前にもまして単調で、未整備の道をひたすら1時間半ほど歩く。

途中キツネやヤマゲラ風の鳥にも出会うことができ、少しずつ気分は上がるのだが、なんせ遠い。

東雲湖についたころには昼を周り空腹と冷たい風でテンション下がりまくりだ。

昨年の台風のせいか倒木が多いことと自分が年取ったこと以外は、岩の位置や鳥の鳴き声や木のざわめきなどは6年前とほとんど変わらない。

静かで時間が止まった感じがする。ここの紅葉は、ほとんどがカバ系の黄葉だ。赤や黄色のお祭りのような紅葉とは違い、場所柄か神秘的な気がする。

ここでもう一つの目的のナキウサギに再会したいところだが、鳴き声は時々聞こえるのだが、姿は見えない。

前回は、あきらめかけたところでひょっこり出てきたので、期待はしていたのだが、さっぱりだめで、結局4時過ぎまで目や耳を凝らしながらナキウサギとの再会を待っていたのだが、どうもだめらしい。

・・・・とやっぱりこのパターンで最後の最後、出てきてくれました。ほんの一瞬。

お義理で出てきてくれたのか目が合うと一瞬固まって、きびすを返して穴に潜り込んでしまった。

カメラを構えていたのだが、わずかに残っていた反射神経を使い果たしても、シャッターは一回しかきれなかった。

確認してみると、なんじゃこれ?トホホのピンボケ。普通の人なら消去するのだが、ここはおばさん、トータルで8時間かけてやっと撮れた、可愛かっただろうナキウサギの雰囲気を消去する気にはなれず、未練たっぷりに温存している。

釣り人が逃した魚は大きいと言っているが、その気持ちが今回はよーくわかった。

今回

 

前回

 


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Editor Yukinobu Takiyama

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