JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Feb. 2018

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■  金山古墳の今昔とバスケットの後輩 野崎順次

金山古墳は南河内郡河南町にある。富田林駅から東南に数キロである。珍しい双円墳で、北丘に石室が開口しており、羨道と玄室に家形石棺が二つ並んでいる。ちと狭いが無理すれば、石棺の間に入ることができる。石棺には盗掘の穴が開いている。また、よりおおきな南丘には未発掘(未盗掘?)の石室があるそうである。

   

最初に行ったのは、古墳めぐりを始めた1975年くらいかなあ、独りで行った。2回目は、写真のネガが残っていて、1979年2月18日である。私は33歳で、大学バスケット部で一緒だった友人に誘われ、彼の高校OBが中心となる実業団バスケットチームに所属していた。心斎橋の有名宝石店の名前を借りて、中小企業の跡取り息子が集まったようなもので居心地がよかった。その仲間と古代史探索ドライブに出かけたのである。

1979年当時の金山古墳である。広角レンズを持っていなかったので、2−3枚で全体像をカバーしている。墳丘の間に家(あるいは農作業倉庫)が建っていた。その家の裏に石室への狭い入り口があった。

      

石室内で撮影。顔を出しているのは、大学バスケット部の3年後輩である。現在の彼はOB会長である。数年前にOB会で会ったら、「この間、南河内を車で走っていたら、金山古墳の表示がありました。野崎さんが連れて行ってくれた最初の古墳やと思い出しました。」と云っていた。

 

2018年1月13日、39年振りに再々訪した。富田林駅からバスで行き、芹生谷停留所から少し歩くと、美しく整備された墳丘が見えてきた。北丘の石室の入り口に柵ができていたが、充分の隙間があるので、入り込めた。中に入ってフラッシュ撮影をした。

    

すると、かなり寒い日なのに気楽な格好の老人が石室に入ってきた。石棺を見て、「ほんものでっか?あっ、穴が開いてる。盗掘穴でっか。」とかいうので、いろいろ説明していたら、突然「あのう、野崎さんですか?」というではないか。よく見直して、大学バスケットの2年後輩であることが分かった。そういえば、数年前のOB会で古墳回りの話をしたことがあったっけ。彼は長年学校の先生をしていて、今はご隠居さんである。時々、遺跡回りのドライブをするそうで、その日は、車で金剛山の雪を見に行った帰りだそうだ。公開されているとはいえ、あまり人が来ない遺跡公園である。ましてや、寒い日の石室である。何という奇遇であろうか。セルフタイマーで記念撮影をした。

 

帰りは彼の車で富田林駅まで送ってもらった。車で待っていた奥さんに「昔大変お世話になった先輩に石室で出会った。」と紹介された。私は昔を思い出して、「そういえば、こいつを最初にストリップに連れて行きました。」と解説した。

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