JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Jan. 2019

Back number


■ 徳島庭めぐり 野崎順次

年末年始の休暇の最後に、徳島の日本庭園を鑑賞することにした。重森三玲著「日本庭園歴覧辞典(昭和49年)」では、徳島市内の名園として、観音寺、千秋閣(徳島城)、瑞巌寺、阿波十郎兵衛屋敷、阿波国分寺の五つが挙げられている。三玲さんがよく使っていた阿波の青石(緑泥片岩)の本場でもある。

1月5日(土)早朝、倉敷の田舎家を出て、午前8時14分にJR徳島に着いた。駅近くのホテルに撮影機材以外の持ち物を預けてから、タクシーで観音寺に行った。徳島市内には別の有名な観音寺(国分町、四国八十八箇所霊場の第十六番札所)があるが、私が目指すのは徳島駅にもっと近い勢見町の方である。三玲さんいわく「池庭は相当に荒廃しているが、奥の枯滝石組を一覧すると、蓬莱式の豪華を極めて石組が見えを奪うであろう。」、また「桃山期の庭園石組の中でも傑出している。」。玄関で声をかけると、老婦人が出てこられて、「たいした庭じゃありませんよ。」といって、書院に案内していただいた。書院廊下で撮影の準備をしていると、お茶とお菓子が出てきたので恐縮した。

  

次の瑞巌寺までは1kmくらいなので、歩いて行った。直ぐに分かるだろうと高をくくっていたため、変な急坂や石段を登って、お寺のお墓に迷い込んでしまった。結局、もとの道に戻って、グーグルマップを見直して、山門にたどり着いた。まずは庭園を撮影してから、補助的にその他境内を撮影しようと思ったが、アプローチ感を高めるために、山門、大きな切り株、鐘楼を撮ってから、庭園の入り口にたどりついたら、「イノシシに庭園内を荒らされておりますので庭園の観覧は休止させていただきます」とある。玄関に行って、お願いしたが、どうしても駄目だと断られた。

  

後日、瑞巌寺のイノシシ害に関する新聞記事をみつけた。

「徳島市東山手町3の瑞巌寺で23日午前7時ごろ、設置していた鉄製おり(幅約1メートル、奥行き約2メートル、高さ約1メートル)にイノシシ1頭が捕獲されているのを、法輪太猷住職(48)が発見した。イノシシは2歳前後の雌で体長約110センチ、体重約40〜50キロ。連絡を受けた徳島地区猟友会員と市職員によって殺処分された。人への被害はなかった。瑞巌寺でのイノシシ捕獲は今年に入って3頭目。

 法輪住職によると、寺の周辺では2011年ごろからイノシシの出没が確認されていて、15年ごろから現れる個体数が急増。境内のコケを剥がされたり、植物を荒らされたりする被害に悩まされており、昨年11月から庭の一般拝観を中止している。」

(徳島新聞 2018年5月24日より)

それから、15分ばかり歩いて、徳島駅に戻り、タクシーで阿波十郎兵衛屋敷へ行った。タクシー代は1500円くらいだった。予想よりも安い。参考までに、翌日に行く阿波国分寺(徳島駅から約8キロ)までの料金を聞くと、「3000円くらいだが、特別に2000円で行きますよ。」といってくれた。徳島市内はバスの路線が多いが、回数が少ない場合が多く、1時間に1本あればましな方である。その時点では、行きはバスで、帰りはタクシーをお願いしようと思っていた。それで運転手さんと携帯番号を交換した。

阿波十郎兵衛屋敷の庭は「鶴亀の庭」と呼ばれる。三玲さんいわく、やや円形の池に大きな亀島を配するのは元禄期に流行した地割であるが、全体の石組が弱いので、後に改造されたようだ。「ともかくこのような伝説地として有名な庭だけに、一見の価値がある。」

  

徳島駅までバスで戻り、セルフうどん店で昼食を撮ってから、陸橋を越えると徳島城跡である。ここには三玲さん絶賛の旧徳島城表御殿庭園(国名勝)」がある。「本庭は全面積約千五百坪を有し、当代全国庭園中での白眉である。しかも、本庭は前述のように枯山水と池庭との二つを併合している点や、池庭が深く掘られて、何段かの護岸石組を設けることなどは、まったく桃山期の典型的なものであって、しかも全庭の庭石が青石を豊富に用いてあることによって一段とその豪華さを語っている。」

  

午後3時を少し過ぎたので、駅近くのホテルに戻ってチェックインした。もう今日は歩けない。とりあえずチューハイを飲んで風呂に入り、ベッドで昼寝した。

6日(日)午前8時45分徳島駅前発のバスに乗る予定である。その前に昨日のタクシーの運転手さんに午前11時に阿波国分寺まで迎えに来てと電話した。すると、「今日は雨が降っとるけん、あまり仕事にならんやろう。阿波国分寺まで往復3500円にするし、撮影の間待っとくけん、自家用車と思って使ってええよ。」と云ってくれた。雨なのかと驚いたが、運転手さんのサービスに甘えることにした。

阿波国分寺の石組庭園は素晴らしいようだ。かつては荒廃して寺院自体も問題にしてなかったが、昭和15年にその豪快無比な石組が三玲さんによって発見された。日本一の石組だという。

ホテルから外に出ると、小雨が降っている。タクシーのフロントガラスを見ていると、少しきつくなってくるようだ。開園は午前9時であるが、8時40分には現地に着いた。すると、驚いたことに、本堂らしき建物に足場がかかって工事中である。「名勝阿波国分寺庭園本堂修理工事、工期 平成28年10月13日〜平成32年3月31日」とある。庭園も工事の対象であるし、竣工予定は来年の3月である。雨の上に工事中と不運が重なる。とにかく、運転手さんに傘を借り撮影機材をもって納経所へ行った。工事中だが、それでよければ無料で鑑賞できるとのことで、それなりの撮影ができた。

  

阿波国分寺で庭園以外に特筆すべきは、天平年間(729−748)に建立されたと思われる七重塔の心礎で環溝型という珍しい形式である。これも阿波の青石で作られている。

  

というわけで阿波国分寺の撮影は短時間で終わり、運転手さんと相談の上、徳島県立文化の森公園に連れて行ってもらった。ここでタクシーと別れ、三館棟(21世紀館、博物館、美術館)を観覧後、11時30分のバスで徳島駅に着き、12時24分発特急うずしおで徳島を離れた。

 All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中