Monthly Web Magazine Oct. 2019
■ 棚田百選 全選定地の一回目調査を終えて 瀧山幸伸
9月に、最後に一つ残っていた岐阜県高山市のナカイ田の棚田の調査を終え、「棚田百選」の第一回目の調査は終了した。
今、全国の棚田は存亡の危機にある。少子高齢化による過疎化と経済的理由により、毎年かなりの速度で耕作放棄が進んでいるのを実感する。
かつての桑畑のように経済的に成り立たなくなった産業遺産として、おそらく百年後にはほとんど存続していないだろうから、記録にとどめておく必要を痛感している。
そうは言っても、「棚田百選」が棚田の実態を表しているか、棚田の典型的代表であるかというと疑問がある。
選定の歪みの原因は選定方法の不明瞭性で、行政関係者や耕作者の意向などを反映しているからだろう。
ジャパングラフィックが取り上げる棚田は、暫定的に以下のガイドラインとしている。
1.日本の農耕文化と社会を学ぶにあたり、棚田のみを取り上げると農業と文化との関連、たとえば重要文化的景観などが説明できないので、人文地理学的に、棚田・段畑と文化、文化財との関連でリスト化する。
2.文化景観を構成する要素としての棚田や建造物、人の営みを総合的に評価する。
3.棚田百選に選定された棚田134か所のフォトジェニックな光景を羅列するものではなく、四季折々ありのままの光景を取り上げる。
4.棚田百選に指定されていなくても景観的に素晴らしい、耕作放棄や転作されたけれど学術的に意義がある棚田、段畑なども取り上げる。
百年後にはかつての鉱山町のようにほとんどが元の山に戻り、いくつかは産業遺産になっているのだろう。
兵庫県西部の播州地方の秋祭りは、各町内で屋台練りを行います。
屋台は太鼓台になっており、見かけが大きく、太鼓も低く響くものを使っているため、迫力がある屋台練りが各地で行われます。
10月9日、姫路市の飾磨地区で行われた恵美酒宮天満宮と浜の宮天満宮の祭りを見に行きました。
姫路の屋台は宝形造の神輿屋根屋台に伊達綱と呼ばれる大きな飾り綱が四隅についており、周りを竹の棒の先に和紙を花のように付けたシデ棒が取り囲んでいます。
一番有名な秋祭りは松原八幡神社秋季例祭風流、通称灘のけんか祭ですが、飾磨の祭りも、恵美酒宮天満神社の台場練り(24人の練り子が土台だけで練る)、浜の宮天満宮の台場差し(24人の練り子が土台だけで差し上げて時間を競う)が有名です。
午前9時に山陽電鉄飾磨駅を降りたら、駅の北側の道路で屋台練りが行われていました。
狭い交差点での二台練り、腹に響くような太鼓の響きと「ヨーイヤサ」の掛け声など、想像以上に迫力がありました。
しばらく休憩した後、8台の屋台は順番に三井住友銀行前で「台場練り」や差し上げを行います。
舁き棒が空中に浮かんでいる光景は見ごたえがありました。
恵美酒宮天満神社に行くと、宮入が始まっていました。
台場練りや差し上げ、練り場での二台練りが行われていました。特に二台練りは、本気で押し合っているので、観客の方に迫ってくることもあり、大変迫力がありました。
近くの宮公園が浜の宮天満宮の御旅所になっており、台場差しが行われるので、見に行きました。
終結する屋台。
大きい屋台が4台、小さい屋台が3台。
台場差し
帰りに恵美酒宮天満神社に立ち寄ると、四台練りが行われていました。
その頃には人が多くて撮影するのも難しくなっていました。
その他撮影した祭
津島の各地で行われていた秋祭りを、津島神社が県社から国幣小社に昇格したのを記念して合同で行うようになったものです。
山車や石採祭車が繰り出し、山車にはからくり人形が載っています。
最大の見どころは本祭の夜に11台の山車が一斉に長時間「車切り(シャギリ)」という回転運動を行う「一斉車切り」です。
■ 一風変わった奉納 中山辰夫
滋賀県栗東に所在の大宝神社(栗東市綣7丁目)の本殿に、カラフルな折鶴が奉納され、ぶら下がっています。(一束40羽)
大宝神社は701年(大宝元年)鎮座の由緒ある古社で、国・県・市指定の重要建造物や文化財を有しています。祭神は素盞鳴尊と稲田姫命。
積雪の境内(2018 1/27 撮影)
ところで、奉納された折鶴は「宝くじのハズレ券」で作られています。宝クジはカラフルな印刷がされています。そのため奉納時は色鮮やかです。
折鶴の上には、供養と当選祈願を込めて記された祈願カードや絵馬が添えられています。
2年前から始まった奉納は一回に折鶴が約3千羽~7千羽使われています。
奉納するのは県内に多くの売り場を持つ宝くじ販売店です。当選番号が発表されるたびにハズレ券が大量ゴミ箱に捨てられます。
再生利用策の一環として、各販売店が当選祈願の折鶴作りを行うと共に、購入者にも呼びかけ折ってもらって始めたようです。
「大宝という名前が縁起いい」と沢山のハズレ券を持ち帰り折鶴にして持参される宝くじフアンが増えているようです。
約7cmの正方形に切り取ったハズレ券を折るのは大変な作業と思います。当選の願いを込めながら・・・折っておられるのでしょう。
ご利益の程は分かりませんが、ドライヴスルー方式を一番最初に採用された売り場が神社近くにあり、売上は好調とのこと。
宮司さんも「いろんな思いで神社に興味を持ってもらうのは嬉しいこと」と話されています。
蛇足ですが、日本宝くじ協会によると、平成29年度宝くじの売上は7,866億円。当選払い戻しは46.9%の3,690億円、発売元である全国都道府県及び20指定都市への納入が38.1%の2,996億円、印刷・販売経費が1,082億円の13.8%、社会貢献広報費が98億円の1.2%です。
当方には縁の無い話ですが、高額当選者が毎年確実に生まれています。
大宝神社文化財
国重要文化財-追来神社本殿
1284(弘文6)年棟札現存 鎌倉期 一間社流造としては日本最古の意向とされる。
国重要文化財―木造狛犬一対(追来神社 鎌倉初期)と滋賀県指定文化財-木造狛犬一対(1321~3年作)
国重文指定の狛犬は、日本を代表する形の木造狛犬。現在は京都国立博物館に委託。現在各地に現存する石造狛犬のモデルにされました。
明治43年にロンドンで開催の日英博覧会や昭和51年のシアトル・ニューヨーク神道美術展に出品されました。
久しぶりにあけぼの山公園を訪ねました。今年は春の桜・チューリップも夏の向日葵の時も訪ねていませんでした。秋のコスモスが今年初めての訪問です。
柏市民には憩いの公園で、季節毎にたくさんの花が楽しめるのは柏ではここぐらいです。
今回はコスモス、
あけぼの山公園のコスモスはキバナコスモスだけの畑といろんな色のコスモスが見られる畑と両方があります。
見渡すが限りというほど広大なわけではありませんが、早朝から花を愛でておられる方が多く見受けられます。
早朝で曇り、色彩がどうしてもくすみがちです。陽が当たっているともう少し見栄えがしそうです。
昨日まで暑くて僻々としていましたが、今朝は一転して秋、涼しい空気に包まれコスモスもほっとしているように見えました。
布施弁天はここから至近、上の右の画像を撮影した高台から見えます。
ここは本堂と鐘楼・楼門が千葉県指定の文化財になっています。
関東三弁天なんてのがあることも承知していませんでしたが、浅草寺弁天山(浅草寺弁天堂)、江島神社弁天堂とともにそのひとつにかぞえられているようです。
結構早くから参拝者が見受けられ、それなりには名を知られた寺のようです。
あけぼの山公園は我家からは往復7~8km、散歩というにはいささか距離があり過ぎでしょうか。以前から徒歩でと考えてはいます。
今回も車で実現はしていませんが、もう少し寒くなったら今年は必ず実行すべく意気込んでいます。
クジャクサボテンの仲間は美しい花を咲かせるサボテンとして知られているがその中でも月下美人は一夜だけ豪華な大輪の白い花を咲かせる種としてよく知られている。
自宅にある月下美人の鉢は亡くなった母親が育てていたものだが、6年前に引っ越してから咲いたところを見たことがなかった。
それが今年は何ともう2回も花をつけ、今また蕾が伸び始めて3回目の花をつける態勢に入っている。
昨年は花はつけたのだが五島への旅行の日程と重なり見ることができなかった。
旅より戻って咲き終わって閉じていた蕾をこじ開けて水中花状態にしてしばらく眺めてみたくらいだった。
今年は3回も開花となると、どうしたのと思ってしまうが鉢の葉が去年にもまして勢いがいいのがその理由なのだろう、温暖化もあるのだろう。
今年は7月12日に初めて咲いた。この時はその堂々たる咲きっぷりをじっくり見ることができ喜びもひとしおだったが2回目(9月18日)3回目となると、まただね、と感動も薄れていく。勝手なものだ。
月下美人は日本国内ではメキシコ産の原生種のクローンが江戸時代にアジア経由で伝わってきて増やされていったようで、これもその末裔なのだろう、受粉しても実をつけるようにはできないようだ。大きな花が翌朝には萎んでしまって後はむなしいだけだ。
しかし何といっても咲きっぷりの見事さ一夜限りの儚さ、それがいい。
写真は順に 1回目開花2日前、開花日(7月12日)19:25、洞20:42、同20:51、翌朝04:35、2回目開花前日、開花日(9月18日)20:41、同21:47、3回目蕾(10月7日)
毎日今日の試合はどこかな、と楽しみしているラグビーワールドカップ。
予想を上回り、会場はどの試合もたくさんの人たちが入っているようだ。
ラグビーは過去1度見に行ったことがあったが、その時はルールも何も知らなく、面白さが全然わからなかった。
これが、ドラマをみて興味を持ち、ワールドカップではまってしまった。
ルールはまだまだわからないところが多いが、それを解明しながら見るのも一つの楽しみだ。
カナダ代表チームが山口県長門市にキャンプを行っていたので見に行った。
テレビで見ると広いグラウンドも近くで見ると結構狭い。
1時間の見学だったが、それでもグラウンド周りは観客でいっぱいになった。
地元長門市の人々が応援しているのがよくわかる。キャンプ実施だけでなく交流プログラムを様々実施しているようだ。
地方ニュースでも子供たちとの交流などの情報が流れる。
観客席ではどこの旅館に泊まっているらしい、とか、温泉がすっかり気に入っているらしい、とか、浴衣が気に入って、呉服屋を呼んで販売会を行ったとか、母国の彼女のために振袖を買ったなどいろいろ地元ならではの話で盛り上がっていた。
小耳にはさみながらも、おもてなしの素晴らしさ、日本っていいな~と感じさせてくれた。
もちろん、日本の快進撃も楽しみだ。わくわくが止まらないものだ。
帰り道、歩道わきの子供のかかしたちも応援していた。
9月に札幌に出張し、行きは飛行機で、帰りは週末になるので、JRを乗り継いで、青森と弘前に寄った。その折に気がついたり、感じたことである。
9月13日(金)に青森のホテルに泊まったが、部屋が13階の13号室だった。特に縁起の悪いことは起こらなかったが、翌朝、あれほど気をつけていたのに、読みかけの文庫本2冊を忘れた。
JR青森駅は県庁所在都市の主要駅であるのに、エレベーターはなく、プラットフォームとコンコースの間は階段と片道エスカレーター(通常上り)しかない。重い荷物があっても階段を降りなければならない。また、JR青森駅も含めて(ということはあらゆる交通機関で)SUICAやICOCAが使えない。
青森と弘前という北東北の重要都市を結ぶ公共交通機関はJRだけである。1時間での本数は平均的に僅か2本である。バスがありそうなものだが、直行ルートはなく、青森空港経由になる。両都市から空港へのバスはおおむね1時間に1本である。
岩木山はいい山である。青森県で一番高く、円錐形の成層火山で山頂は三つの峰に分かれ、左右対称でないところが味わい深い。太宰治はその山容を「十二単を拡げたようで、透き通るくらいに嬋娟たる美女」と喩えている。青森のホテルから、弘前に向かうJR列車から、弘前のホテルから、遠望した。
屋根の話である。積雪地なので、塗装鉄板の屋根が多く、雪を速やかに地上に落としたり、落とさず屋根に溜めて融かしたり、つららができないように庇や小屋根を省略したり、それぞれに機能に応じていろいろな屋根がある。倉敷や奈良で高台から見る甍の波とは全く違う。白樺の林の中にちらほらとあるとよさそうだが、青森や弘前などで密集しているのを見ると、関西人としては、興ざめであるが、積雪地なのだから、仕方がない。雪に対処するのは命がけであるそうだ。
津軽尾上駅から盛美園に歩く途中で、歩道のすぐ横にリンゴの木があり、半ば赤くなった実がなっていた。柵もないし、ちょうど胸の高さだった。それはさておき、昔、信州上諏訪の町中で、ある施設の生け垣がリンゴだった。取って食べたがなかなかであった。
弘前のタクシーの運転手さんと当地の名物について話した。やっぱりリンゴかなあというと、運転手さんは子供の頃から嫌ほどリンゴを食べてきたので、食べ飽きたそうだ。ミカンくらいが食べやすくていいそうだ。ほなやっぱり弘前城の桜かと聞くと、毎年見てるが、いつも非常にきれいで見飽きないと絶賛していた。
津軽尾上の盛美園のちかくで家の庭の秋明菊が満開だった。関西に比べて半月から1ヶ月くらい早いようだ。秋桜も咲いていた。彼岸花は見なかったが、ひょっとしたら、この三つの花の開花期は同じかもしれないと思った。
所在地:東京都板橋区熊野町交差点近辺
板橋区の南東部にある熊野町は土地の鎮守の熊野神社に由来する地名です。熊野町交差点の上部を高速道路が覆っているせいか排気ガス量が多い事や、右折が複雑で事故の多いことなどでも知られているちょっと有名な交差点で、その近くに看板は存在します。
コトバンクというネットの辞書によると「家畜病院」とは「ウシ、ウマまたはブタなどの大きい動物、とくに産業家畜とよばれる動物を専門に扱う病院」とあります。
どうして、こんなに排気量の多い悪評高い交差点の近くに家畜病院があるのか、と板橋の歴史を調べてみましたら、なんと昭和33年の「石神井側と牧場」と題された写真に牛が写っているのを発見しました。
当該看板の住所に示されている熊野町が成立したのは牧場の写真と同年ですから、牛が当時はまだ板橋区にいて、家畜の診療所も必要であったことが解りました。
看板のある近辺は、川越街道と山手道路が交差するばかりでなく、上部には高速道路が通っていて交通量が甚だしく多いので、こんなところにかつては産業家畜がいた……とは想像しにくいのですが、周辺の道をよく見ると細くクネクネと曲がった道が多く、氷川神社、熊野神社、八幡神社などの小さな社が点在することに気がつきます。細くクネクネと曲がった道は農道で昔の道そのまま。それらにそって田畑が続き、点在する神社の近辺に家々(村)のかたまりがあったことが想像できます。
写真に写っていた石神井側の牧場の牛のほかにどんな動物が家畜病院を必要としたかを知りたくて農業史を拾い読みしてみました。すると、こうぶんしょ館電子展示室71号 「いたばし農業の変遷」の中に下記の文がありました。
「大正期、板橋区は北豊島郡の一部で、土地の8割強は耕地であり、人口の4割強は農業に従事していましたが、東京市の一部に組み込まれつつある中、大正12年(1923)関東大震災被害が比較的軽微だった地域であったために、震災後は都心部からも多くの人々が流入して住居を提供するために、田畑を宅地に転換する農家が増えていきました。
また工場も板橋に多く進出し、その排水により農作物が被害を受けるケースも頻出。さらに工業用水の大規模なくみ上げによる地下水の低下で板橋の農業は衰退し始めます。
このような中、当時、より「高等」な農業とされていた養豚や酪農に挑戦する農業者たちがでてきます。1931昭和(6)年には、北豊島養豚組合が設立されています。設立当時、40人の加入者があったそうです。
養豚は都市と密接な関係があり、都心部に近い板橋は、養豚に適した条件がそろっていたといえます。
殺菌技術が未発達であったこの時代、都心部に牛乳を提供するためには、都市近郊で搾乳する必要があったからです。
それゆえ酪農は、板橋のなかでもより都心部に近い板橋町、上板橋村で盛んだったのです。酪農自体は大正時代からなされていましたが、巣鴨や戸田市などを転々としていた吉川牧場が、昭和3年(1928)ごろ上板橋に移転してきたのを機に大きく発展していきます。
しかし昭和36年頃から、日本住宅公団による公団団地建設の話が赤塚・徳丸田んぼの農民に伝わってくるようになります。現在の高島平団地の建設計画です。発展の見込みの薄い農業を辞めたいという気持ちと、先祖伝来の土地への執着とがせめぎ合うなか、昭和38年1963()には51万坪の田んぼの売却がなされ、44年に着工、47年1月には最初の住民が入居しはじめます。(要約)」
なるほどね。やっぱり病院は豚の疾病も診たようです。
病院は昔の町家の小ささです。牛や豚は連れてくるのは大変なので往診が多かったのでしょうね。
一つの看板から見えてくるものが余りにも多くて、ため息や納得の連続。やはり看板観察趣味は捨てきれない。
年に数回北海道を訪れ大自然に触れたいと思うが、最近は気軽に楽しむことがなかなかできないようだ。
大雪高原沼はヒグマ対策のレクチャーを受ければ、個人で沼巡りをすることができるが、午後3時までにゲートまで戻らなくてはいけない。
時間になると、レンジャーの方が下山するようにと各チェックポイントで登山者に確認する。
知床五湖もフィールドハウスでレクチャーを受けた後5湖をめぐることができるが、コースは決められている。ヒグマ活動期はガイドツアー限定となる。
それもこれもヒグマが頻繁に現れるためだ。
知床には多いのか少ないのかわからないが、550頭のヒグマが確認されている。ナキウサギやクマゲラなど希少な動物には遭ったことがあるが、未だにヒグマだけは舟以外から遭遇したことがなかった。夏に訪れた時は、ヒグマが居そうな山奥の方まで行ったが会うことはできなかった。
しかし今回は、知床五胡で大ループコースを散策中、ヒグマが現れたという情報があり、やむなくコースを引き返したり、岩尾別川の河口でヒグマが鮭の遡上を狙ってハンティングをしているのを目撃したりと、何となくヒグマを感じることはできた。
林道を奥に入って何やら動物を観察しようと思っても容易に遭遇するのは難しいのだが、期待しないところに出没するようだ。
阿寒のオンネトーに訪問した後、夕暮れの帰りがけ、自動車道の横の森の中に何やら薄茶色い丸い物体を発見し、まさかと思って一度通り過ぎたところを引き返すと、ヒグマがいるではないか。
空腹なのかひたすら草むらを物色している。こちらの気配を感じているのだろうが、驚く様子もなく、うろうろしたり木に体をこすったりしている。
しばらく撮影して、ヒグマがこんなに観光客が多いところにいるかと思うと、少し恐ろしくも感じた。
知床のフィールドハウスのレンジャーが厳しく入場規制しているのもわかるような気がした。
北海道には、人を警戒し音を出せば逃げていくヒグマと、里に下り農作物を食べたりゴミをあさったりする人慣れ熊がいるそうだ。
札幌の市街地で連日住宅街に出没するヒグマは後者の熊らしい。
観光客が車を停めて外に出て撮影したりエサを与えたりすると、人間に対する警戒心がなくなり、人慣れしてしまう可能性もある。
結果、人間に危害を加えることにつながるのだ。レンジャーの方は「ヒグマの住処に人間がお邪魔している」と思って共存してほしいと何度も繰り返す。
思わず貴重なヒグマに出会えて、もちろん車内から撮影をしたが、野生動物に対する観光客のマナーについて考えさせられた。
今月のニャンコ
北海道では珍しいカルルス温泉の地域ネコ
つかの間の日向ぼっこ
「 今年も冬がやってくる。憂鬱にゃん。」
Japan Geographic Web Magazine
Editor Yukinobu Takiyama
info at japan-geographic.tv (atを@に入れ替えてください)
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