Monthly Web Magazine Mar. 2020
2月29日(土)はうるう日、天気は曇りのち雨であるが、カメラと三脚をかついで奈良に出かけた。春日山の山畔を北上し、奈良市街地を横切り、最後に佐保山の小円墳に至るコースである。
最初は軟弱にもタクシーに乗って、JR奈良駅から若草山東南麓の春日山遊歩道の入り口に行った。ここから吉城川の上流、水谷川沿いに遊歩道を歩く。太いツタのような枝がのたくりまわる原生林である。昔、この奥で縊首死体を見つけたことがあり、それ以来近づいたことがなかった、と急に思い出した。
少し行った左手の上に六角形の石柱の頂部に如来の東部を丸彫りした「洞の仏頭石」がある。室町中期、花崗岩。他に類がない形式である。その横に倒れたままの板状石に薄肉彫りされた「洞の地蔵石仏」がある。鎌倉中期、安山岩。
若草山山麓に戻る。閉山中で近寄れないが、中の小さな祠の横に大きな自然石に等身大の地蔵菩薩が彫られている。「若草山線刻地蔵石仏」室町後期、安山岩。近世では秀作である。
閉山中に加えて、新型コロナ肺炎の影響で、観光客が異常に少ない。京都よりも影響が大きい感じである。手向山八幡宮を通って、東大寺三月堂、二月堂の前に出た。松明が置かれていたので、お水取りのことを思い出した。明日からである。例年のように盛大になるのだろうか。
正倉院の裏を進み、奈良奥山ドライブウェイの手前を左に上がると、知足院の山門が見える。本堂の裏山に大和最美の定評があるという五輪塔がある。このあたりはまったく人けがない。
ところが、本堂の上は崖崩れと金網のフェンスで行けない。庫裡の方へ戻り、大きく右に回って道なき道を進んで、やっと石塔群らしきものが見えたが、再びフェンスがあって行けない。元に戻り、山門の左側から回り込み、いったん下ってから登るとやっと石塔群にたどり着いた。雨が降ってきた。傾斜地で小石を踏むと滑る。
「知足院五輪塔」室町中期、花崗岩。風・空輪を失っているが、地輪の作りが見事で、温和な五輪塔である。
次に行くのは転害門近くの浄国院だ。「浄国院弥陀石仏」鎌倉中期、花崗岩。正面いっぱいに二重光背形を深くほりくぼめ、来迎相の弥陀立像を厚肉彫する。
境内には石仏が多数まとめられている。
次が最後の謎のねずみ男である。ここで疲れが頂点に達し、足がすっすっと前に出ない。仕方なく、タクシーを捕まえ、法蓮佐保山三丁目のバス停で降りた。少し北へ歩くと左手に小径があり、頂上に那富山墓がある。現状は径11
x 7.8m、高さ1.5mの小円墳で大黒ヶ芝古墳とも呼ばれている。
この周囲に隼人石という石彫が4個あって、それぞれに頭部は動物、体部は人身といった奇妙な像が線彫りしてあるそうだ。外から何とか見えるのは1個だけだ。頭はネズミで、体はふんどし姿である。古墳末期の作という。
参考文献
清水俊明「大和の石仏」1974年、春近書店
川勝政太郎「新装版 日本石造美術辞典」1998年、東京堂出版
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