JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Webmagazine Apr.2020


■ 蟇股あちこち  1 中山辰夫

これまで社寺を多く訪れました。その中で一番わかりやすく、目につく「蟇股」を何時からか追っていた気がします。探訪がままならぬ年齢に達した今、過去の記録を見直して整理することにしました。

有名な蟇股-日光東照宮 左甚五郎作 ねむり猫
 

飛鳥時代の6世紀中期に仏教が伝来、仏像を安置する広大な寺院を設ける仏殿建築の技術も同時に伝わり、飛鳥寺、四天王寺、法隆寺が建立されました。
その中に蟇股の原形となった、人字形割束(にんじけいわりずか)という構造支持材が含まれており、これが「原始蟇股」と呼ばれ、その後変化発達して行きます。
 

「原始蟇股」は奈良時代の素朴な姿から平安末期の「板蟇股」、と進み、鎌倉、室町、桃山期と発展していきました。そして蟇股は社寺建造物の建築時期を判断する手段にも使われるようにもなりました。。
変遷を繰り返すうちに使用目的も構造材から装飾材にかわり、その存在が目立つことから宮大工の腕自慢?の代物となり、有名な左甚五郎のような専任プロが誕生するに至ったようです。
 

整理は法隆寺から始まりますが、その前に原始蟇股を模した装飾が残る近世の建造物を紹介します。

旧奈良県物産陳列所(奈良市 国重要有形文化財」1902年建立) 現在は「仏教美術資料研究センター」 
内部は洋風、外観は飛鳥時代から鎌倉時代の和風建築様式です。設計した関野 貞氏は宇治平等院鳳凰堂の研究者であることから全体を平等院に似せた造りになっています。そして原始蟇股や板蟇股を模したデザインを形にしています。
       

西本願寺伝道堂(京都市 国重要有形文化財・1912年建立)と東京都慰霊堂(1930年建立)
   

1892(明治25)年法隆寺を訪れた「伊藤忠太」は数カ月を掛けて伽藍を実測し保存事業に尽力、法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示し、日本建築史を創始しました。伊藤氏はそれまでの「造家」という言葉を「建築」に改めたとされます。二つの建造物に人字形割束を模したもの、他が採用されています。

整理はスムーズに進みません。蟇股を探すにも時間がかかります。投稿した積りでいた社寺が思い違いで無かったり、撮った筈の蟇股が無かったり、あっても望遠しか撮れずピンボケだったり・・・でも急ぎません。ゆっくりと進めます。一番の楽しみは皆さんの投稿内容が見られることです。

 


 

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