JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Oct. 2020

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■■■■■ Topics by Reporters


■ 一向宗と一揆  瀧山幸伸

 

先月、北陸の一向宗ゆかりの地を二箇所訪問した。

一つは富山県南砺市の井波で、一向宗瑞泉寺の寺内町。

 

 

瑞泉寺は越中一向一揆の中核だった。越中一向一揆は、文明11年(1479年)頃から天正4年(1576年)にかけて、瑞泉寺と土山御坊門徒らが中心となった一揆である。

明徳元年(1390年)、本願寺第5世法主綽如が瑞泉寺を創建し、越中の拠点を築いた。嘉吉2年(1442年)第6世法主巧如の次男如乗が加賀本泉寺を創建し加賀にも本願寺が進出していった。文明13年(1481年)、加賀守護富樫政親に弾圧された一揆衆は瑞泉寺に逃げ込む。越中福光城主石黒光義が瑞泉寺を襲撃しようとしたが逆に討たれ、これを契機に瑞泉寺の勢力が拡大する。長享2年(1488年)に富樫政親も加賀一向一揆に討ち取られ、加賀は第8世法主蓮如の3人の息子が実質統治することになった。

その後内紛があったものの、瑞泉寺は長年にわたって強大な勢力を維持し、能登の畠山、越後の長尾、越中の遊佐と敵対した。戦国末期は上杉謙信と激しく係争したが、元亀3年(1572年)加賀・越中一向一揆は大敗壊滅し、瑞泉寺は佐々成政に焼き払われてしまった。これに勝っていれば日本の歴史は大きく変わっていただろう。

 

 

もう一つは石川県白山市の鳥越で、一向一揆の里として知られる。

 

詳しい解説や悲しい物語は各ページなどで調べていただくとして、一向一揆宗が天下を取っていたら、日本の今はどうなっていたのだろう。

ベストシナリオで、宗教の理念に忠実に平和な国になっていたのだろうか。いやワーストシナリオで、権力を持ったがために腐敗した宗教として終わっていたのだろうか。どちらのシナリオも島原の一揆と同様に興味深い。

 

 

 


■ 2015年秋 - 明日香村の彼岸花 野崎順次



今年は彼岸花を見に行く機会がなかった。お彼岸の連休は、倉敷でコロナ禍で行けなかったお墓まいり、帰りに津山の庭園を拝見したので、畦道に咲く彼岸花を車窓からちらりと見たくらいである。そこで、5年前に明日香村で撮影したものをまとめてみた。赤、黄、白と3色あり、自分としては珍しく色彩がビビッド調である。

その前に彼岸花の基礎知識を調べた。

ヒガンバナ(彼岸花、学名 : Lycoris radiata)は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草である。クロンキスト体系ではユリ科。リコリス、曼珠沙華(マンジュシャゲ、またはマンジュシャカ サンスクリット語 manjusaka の音写)とも呼ばれる。学名の種小名 radiata は「放射状」の意味。学名のLycoris(リコリス)とはギリシャ神話の女神、海の精:ネレイドの一人、Lycoriasの名前からとられたもの。

異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では忌み嫌われることが多いが、反対に「赤い花・天上の花」の意味で、めでたい兆しとされることもある。

ヒガンバナの球根の中にはリコリン、ガランタミン、セキサニン、ホモリコリンというアルカロイド系毒素が含まれている。リコリンの場合、球根一つに15mg含まれ、ネズミだと1500匹の致死量に相当する。ヒガンバナは、動物や虫から球根を守るため有毒成分を持つようになったといわれている。畦道や堤防によく植えられているのは、ネズミやモグラ除けになるからだ。

しかし、これらの毒素の人間に対する致死量は10gである。球根1個に含まれるのは0.015g程度らしいので、人間が死ぬ可能性はほとんどない。また、毒素は水溶性なので、丹念に水にさらして食用に加工することも可能である。まあよっぽどの場合(昔の飢饉)の非常食材だろう。

稲渕棚田の歴史は古く、中世(平安~室町時代)に開墾された。現在、300枚あまりの水田と畑があり、明日香村の美しい歴史的景観の一部として農村の原風景を強く残している。日本の棚田百選にも選ばれ、秋に畔や土手に咲く彼岸花の県下有数の自生地でもあり、この季節には多くの観光客が訪れる。黄色い彼岸花はショウキズイセンと呼ばれ近縁種である。

        

多武峰に向かう細川谷の棚田は規模は小さいが、上に行くほど傾斜がきつく、眺望の変化も面白い。谷奥の上(かむら)地区から細川地区に下る。

              

蓮花寺。鎌倉後期の十三重石塔がある細川地区のお寺。ここで一輪だけ撮った写真が気に入っている。

 

橘寺の白い花の彼岸花。赤い彼岸花とは別に白花曼珠沙華(シロバナマンジュシャゲ)と呼ばれ、赤色の彼岸花と黄色のショウキズイセンの自然交雑種といわれている。

    

飛鳥寺横の田んぼにて。

 

高松塚周辺

   

 


■ スガー 酒井英樹


先日、出先での仕事の合間に「スガー」を訪ねてみた。
 ちなみに、○○第99代内閣総理大臣や◇◇第50代内閣官房長官でないので・・念のため・・。

沖縄県本島北部の本部町。
 東シナ海の海岸沿いを走る一般国道449号の道路脇にスガーはあった。
 片道2車線の信号がほとんどない直線が続く法定速度(最高速度の制限標識のない)の一般国道・・で標識がなければ見過ごしてしまう。

 スガーとは幹川流路延長(いわゆる川の長さ)がわずか0.3㎞、最大川幅数メートという・・一見すると取るに足りない小川のこと。
 しかし、昭和47年(1972)5月15日、沖縄が日本に復帰したその日に文部省(現文部科学省)で天然記念物に指定された唯一無二(少なくとも当時は・・)の河川。

 指定名称は「天然記念物塩川」。文字通り塩水の流れる川で、塩川を現地ではスガーと呼ばれている。
 


 塩分を含んだ水の流れる川は全国にあまた存在する。国が管理する一級河川の本川の場合、河口から十数キロの地点まで塩水が遡る。上流から流れてきた淡水と混ざり汽水として流れる。塩分濃度は河口から数㎞地点で30‰(1リットル中30g塩が存在、因みに外洋の海水は平均35‰)に達する。
 また、島根県の宍道湖など汽水湖も存在する。法律上ほとんどの湖は河川の一部と見なされています。(宍道湖は揖斐川水系揖斐川本川宍道湖が正式名称)
 つまり、塩分を含んだ水が流れる川は全国あまた存在する。
    


 では、塩川がなぜ特別なのかというと、源流から河口まで一貫して流水が塩水であること。
 源流の石灰岩の割れ目からの湧き水自体が塩水であり、他の川と違って海水が河川を遡って出来る塩水の川ではないこと。
 このような河川は、近年発見された米領プエルトリコにある某川だけ・・。地球上で現時点で2つしか発見されていない。

 <源流>

   


 試しに源流の湧き水を口に含んだ。海水のように咽せることはなく、ほんのわずかに塩味を感じる程度・・感覚的には多く見積もっても数‰程度に思える。
 前日の大雨が影響したのだろう・・。降水量によって3~15‰の間で塩分濃度が変化するとの調査結果があった。
 また、潮位によって湧き水量が変動することも判っており、塩水が湧く原因は浸透した海水と地下水が混じりサイフォンの原理で湧くという説が有力だが、原因は判明していない。
       

 干潮のためか水位が低いこともあり・・以前に訪れた時に比べ赤土の堆積が顕著に思える。
 日本の重要湿地500に選定されていて、塩川の固有種の藻「シオカワモッカ」が生息するのだが、ほとんど見当たらない。
 川の環境が変わってきている。
 日当たりが良くなった。
 その主な原因が横を走る一般国道449号の拡張だと地元の人に聞かされた。

 河川行政・道路行政の双方を担う者の端くれとして胃が痛むのを感じつつ、いつまでもこのまま変わらない川であってほしいと切に願うしかできなかった。


 
 


■ 福井で息抜き 大野木康夫



先日、久しぶりに夫婦で日帰り旅行を楽しみました。
目的地は福井の一乗谷、人が少ない方がいいと思ったので水曜日に休みを取って行きました。
一乗谷は南北2kmほどの細長い谷に遺跡が点在していますが、ハイキングを兼ねて徒歩で回りました。

上の城戸
  


米津
  


諏訪館跡
  


物見台
  


中の御殿址
   


朝倉館跡
   


湯殿跡
  

南陽寺跡
  


瓜割清水
 

朝倉景鏡館跡
 


下の城戸
  


瓢町地区
 


平面復原地区
  
雲正寺地区
  


復原町並
   

2時間半ほど歩き回りましたが、遺跡を見て回っているのであまり疲れませんでした。

ついでに付近の観光名所を回りました。

永平寺

修学旅行生の姿も見られました。
新しく買った広角レンズでの撮影を楽しみました。
    

坪川家住宅

内部撮影もできるようになっていました。
  


平泉寺白山神社

以前立ち寄った時に家内が苔の見事さに感動したので寄りました。
苔は期待どおりでしたが、発掘された石畳などは熊が出没したため立ち入り禁止となっていました。
     


平日ということもあり、観光客はあまり多くなかったですが、休日はもう少し人出が多くなるかと思います。
秋の観光シーズンを迎えたとき、全国的に人出がどうなるのか、いろいろな意味で気になるところです。

 

 


■ 蟇股あちこちー6 中山辰夫

 

鎌倉時代に入ります。この時代は、中国から新形式の様式の建築様式が伝来し、今までの「和様」と新形式を「大仏様」「禅宗様」と称し区分されました。後期には入り混じった「折衷様」がその後の蟇股の進化に大きなインパクトを与えました。


■  福岡の小山、鴻巣山を散策  田中康平


コロナは自粛生活が遍く染み渡ったせいか勢いは収まりつつあるようだが、依然として遠出しない生活が続いている。近所を散歩の毎日だが、それなりに面白いところもあり結構飽きない。
直ぐ近くに鴻巣山という標高100m位の小山がありここを散歩すると山歩きの雰囲気があって、それに歴史を感じたりしてちょっといい。
住宅地に寸断されつつ鴻巣山の尾根は東に延びて高宮八幡宮がその東端にあたる。西暦660年頃百済が滅びこれを救援するために斉明天皇が那の津(博多と比定される)の磐瀬行宮(いわせのかりみや)にとどまったと日本書紀にあり、社伝ではその時同行していた中大兄皇子によって近くに作られたのがこの高宮八幡宮とされている。相当に古い神社だ。
高宮八幡宮から鴻巣山の尾根を西へ辿ると高宮浄水場がある。1960年に建設された市内最大の浄水場だが建設後60年を経過し、老朽化したこともあって4年後に廃止されるらしい。
続いて尾根の南麓には穴観音(6世紀の古墳)がある。その北側の山地には百塚と呼ばれる場所があっていわば古い時代の墓地だったようだが、福岡城築城の際に多くが壊され石が城に使われたという。現在では石室に観音像が刻まれている穴観音のみが残っている。
北側斜面には現在も福岡市営の霊園である平尾霊園が設けられていて、墓場にちょうどいいという思いが伝わっているようだ。
遊歩道は浄水場のそばから始まる。ここには展望塔も建てられていて、登ると見晴らしがよく福岡空港へ発着する航空機が良く見える。時には飛行機写真撮影の人がいたりもする。
遊歩道は霊園の上端を抜けてマテバシイの林に入る。マテバシイはあくが少なく食用に適するようで食用を目的として植えられたのではないかという話も残っている。散策路には近年作られたとみられる地蔵もある。
頂上部のテレビ塔を経て西側の展望塔に至る。登るとクスノキ林の上に出てここも眺めがいい。野鳥は多いともいえないがフクロウが出没することもあり、また日暮れにはカラスが集まって塒としている。渡りの時期には思わぬ鳥がここを利用しているようで最近ではエゾビタキを目撃した。サンコウチョウが出ることもあるらしい。
このあと遊歩道は山道のような小道を下って中学校の裏の道に降りてくる。

頂上部にあるテレビ塔はアナログテレビの放送に使われていたがデジタルテレビ時代になりこれを機に殆どの局が福岡タワーへ移動して今はFM1局だけが残っているという。便利なところにある小山なので古くから現代に至るまで色々と利用されてきたが移り変わりが激しいようだ。
古代には博多湾の入江は今よりずっと深く南に延びていたとされておりここらは海にも近かったようだ。恐らく丹念に探せば縄文時代の痕跡が現れるとも思われるがこれまではそのような発見はない。また戦国時代の築城にも便利そうな位置にあるがその記録や痕跡も見出されてはいない。何故なのか、まだまだ鴻巣山には謎がありそうな気がしている。

写真は順に 

1.鴻巣山の位置・地形図 2.地図 3.高宮八幡宮 4.高宮浄水場 5.穴観音内部 6.平尾霊園 7.展望塔からの眺め 8.マテバシイの林を縫う散策路 9.散策路の地蔵 10.エゾビタキ 11.麓から見たテレビ塔

           

 

 


■久しぶりに県外へ撮影に出ました  川村由幸


新型コロナウイルス感染拡大で緊急事態宣言が出た4/7以降、仕事以外では県外への移動は自粛していました。3/11に茨城県古河市の古河公方公園に撮影に出かけたのが最後でした。
Go To キャンペーンでwithコロナが浸透しつつあるように思え、そろそろ気持ちの切り替えが必要かなと考え始めています。
そんな思いから、隣県茨城に撮影にでました。でかけたのは、時代劇の撮影でもなじみのある常総市の「坂野家住宅」です。
   
上の画像の薬医門と母屋が重要文化財に指定されています。
おぼろげな記憶ですが、前回の訪問時より門も母屋も茅葺屋根の痛みが進行しているようで、そろそろ修繕の時期に差し掛かっているようです。
   
平日の10時ごろに訪問したのですが、見学者は私一人のみ。見学・撮影が終了しても他の見学者は来場しませんでした。
Go Toで観光地は賑わっても、地味な文化財には目が向かないのでしょうか。確かに文化財は経済回復に貢献しづらいだけでなく逆に維持管理で金食い虫となり、足を引っ張る存在なのかもしれません。
(もちろん、観光の目玉となり経済効果の大きい文化財も多く存在していることは承知しております。)
痛んできた茅葺屋根も簡単には修繕してもらえないのかなと少し哀しい気持ちになりました。
   
入口には手の消毒液も用意されており、他に見学者もいないため、三密もなし安心して撮影ができた久しぶりの県外取材でした。
今のところGo Toが原因の感染拡大も認められておらず、このままの感染状況が続けば、他県・他地域への移動に
障害はなくなりそうです。注意しつつ、ソロっと元の生活に戻して行きましょう。

 


■ 看板考 No.92 「お多福産業株式会社」 柚原君子

 

 


所在地:埼玉県鴻巣市吹上宿内にて

崩れた家の脇にあった錆びた看板なので、相当古いかとドキドキしましたが、それほど古くもなく今から60年前の昭和49年創業、徳島県に本社を置く会社でした。
「お多福産業株式会社」は医療用具の認可を受けている靴やサンダルの会社で、現在は通販にも多くの品物がでていて商売が盛んに行われています。

看板の錆び具合は魅力的ですが取り立てて深く追求する事柄もないので、商標になっている「お多福」さんについて少し掘り下げてみたいと思います。

「お多福」さんは、目が小さく細く、鼻が低く、頬がふっくらとして下ぶくれ……現代的には決して美人の類に入らない女性像ですが、福々しく、人に幸せをもたらすような好意的な意味合いで使われるお多福さんです。

他方、よく似た顔に「おかめ」さんがあります。こちらはどちらかというと容姿の点で女性蔑視に使われることも多いようですが、夫を支えてなおかつ夫の職の名誉を守るために自害までした女性で、京都の千本釈迦堂 大報恩寺(せんぼんしゃかどう だいほうおんじ)に祀られています。

時代に先に登場するのは「おかめ」さんです。
鎌倉時代のこと。京都の名大工である長井飛騨守高次に千本釈迦堂の建設が依頼されます。彼は支柱四本のうちの1本を間違えて短く切ってしまうという失敗をします。他に大きな木で代わりになるものは無く、塞ぐ夫に妻の阿亀は、その短くなった柱を利用しながら枡組という技法を提案します。夫は阿亀の助言で窮地を抜けて千本釈迦堂は完成します。
しかし、阿亀は夫の大事な仕事に妻が出しゃばったことが後に知れたら、夫の名誉が傷つくと棟上式前日に自害をしてしまいます。
夫のために尽くしたのに自害をしてしまうとは、今の時代では想像できないお話ですが、当時の男社会の有り様をみれば想像できないこともありません。

棟梁である夫の高次は、本堂の上棟式に妻の冥福と工事の無事を祈って、また永久にこの本堂が守られる事を願い、亡き阿亀に因んだお面を扇御幣(おうぎごへい)に付けて飾ったそうです。その後の幾たびかの大火でも大報恩寺は焼けなかったことから、頑丈な建物、繁栄という意味で現在でも上棟式でおかめ御幣が飾られるところもあるそうです。

「お多福」さんが登場するのは江戸時代になってからです。
矢張り舞台は京都ですが、貧しい家に育っていたお福は偶然にすれ違った呉服屋を営んでいた裕福な福助(頭の大きな小男)に声を掛けられます。いわゆるナンパされてお福は裕福に暮らす身分になります。多くの福を拾ったということで「お多福」と呼ばれ、それにあやかって文化年間には福助とお多福の面を付けた門付けが家々をまわるようになり、やがて人形としても売られたり、商売繁盛として店舗の窓口に福助・お多福のセットで置かれたりするようになります。

阿亀もお多福も下ぶくれの目の細い頬の出ている顔が共通していたことから、時代を経て混同されることになります。現在でも巷で発売されている「おかめ納豆」や「おたふくソース」などはどちらも同じような顔です。

おかめやおたふくがどうして、ある意味女性蔑視の言葉になったかの経緯はよくわかりませんが、ちょっと私なりの想像を。
人は尖った顔よりも丸顔を好むと思います。丸い物を気に入るのは、ほ乳類がおっぱいを探して生き延びるための、脳に刻まれた太古からの記憶によるもので、現在でもアンパンマンが幼児に根強い人気があるのは、おっぱいの形をしているからといわれています。

平安時代、ふくよかで髪が長く艶々している女性は持てたと源氏物語に出てきますが、たくさん食べることができてお太りになり、髪も手入れ良く長く留め置ける(切って売って生活の足しにする必要もなく)その暮らし向きに、平安男性陣が羨望を覚えたと考えることもできます。
そして多少、顔のパーツがバラバラでも、とりあえず、丸形ふくよかで安心ができるし、良い生活もできそう……だからおブスでもがまんをしよう、と。

時は移り、栄養が行き届いている豊かな長い黒髪や肥満をよしとする価値観は廃れて行き、頬はすっきり、鼻高く、目はパッチリの西洋文化に親しむようになった日本人は、そのまるで正反対であるオカメ顔を女性蔑視に向けていったような気がします。

ちなみに私はオカメ寄りです(笑)。昔に生まれていれば私もお福になれたやもしれずと思いつつ、今月の看板考を締めます。<(_ _)>

 

 


■ おばちゃんカメラマンが行く  事務局


★今月のニャンコ 

僕がモデルです。酒屋の三吉。

富山県南砺市井波

   



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Editor Yukinobu Takiyama

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