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Monthly Web Magazine May 2021


■ 蟇股あちこち -13 中山辰夫

鎌倉後期の1300年代に入ります。1275年から1400年にかけては地方寺院の勃興期とされ、天台宗、真言宗寺院が中心となった密教本堂が発展を遂げ、構造や意匠に工夫を凝らした建築が建てられました。この時期は地方の中四国、大阪府、滋賀県に目立った寺社が見られ、地域性も出てきます。蟇股の内部彫刻も、簡単なものから複雑化して行きます。
今月は石上神宮摂社の出雲健雄神社拝殿・本山寺本堂・太山寺本堂・長保寺本堂・多宝堂・浄妙寺本堂・他を紹介します。

1300年 石上神宮摂社 出雲建雄神社拝殿
奈良県天理市布留町384

石上神宮摂社出雲建雄神社は石上神宮境内に建っています。元来は内山永久寺の鎮守の住吉神社の拝殿でしたが1914年に現在地に移築されました。
内山永久寺は1113年頃創建された大寺院でしたが、明治の廃仏毀釈の際に一切が破壊されて廃寺となりました。
残されていた永久寺の鎮守・住吉神社の本殿は放火で焼失、荒廃したまま残されていた拝殿が、出雲建雄神社拝殿です。

摂社出雲建雄神社 拝殿 国宝 改修:鎌倉時代(1300年) 桁行五間 梁間一間 一重 切妻造 中央通路から破風造 檜皮葺 割拝殿
写真01~04    
横長で中央一間を馬道とする割拝殿で、最も古く、かつ最も優れた遺構とされています。全て角柱で、両妻は板扉、正背面は引違の格格子となっています。
土間の上の屋根を唐棟とし、虹梁上に優美で繊細な蟇股を配してます。度々の改造を経て現在の形となりました。馬道とその両端の部屋では、蟇股・組物の形式を整えており、蟇股の装飾が目立っています。

馬道にかかる蟇股
写真05~10      
南北両端にある蟇股は創建当時の様式のままです。蟇股は、両脇二間の中央に架けられた虹梁上に用いられています。
前身建物のもので、両妻及び中央間両脇の虹梁上に2材を組み合わせ、上部に斗・肘木を受けており、扠首組と全く同じ機能を持たせています。

拝殿回廊の蟇股
写真11~14    
回廊は神事のための着座の場、礼拝の場です。板床が張られ、建具が装置され、ある程度の居住性が確保されています。
組物は舟肘木で、虹梁を渡し、中央に蟇股を飾り、化粧棟木を支えています。蟇股は1300年の改修時に捕捉され、前身建物とは異なっています。

蟇股は、輪郭の上部や足元には華やかな繰形が施されていますが、上部の繰形は円成寺春日堂の蟇股のような輪郭内部の茅と、輪郭から造出された繰形とを一体的に表したもので、他に類例を見ないものです。 肩の曲線はなだらかで、平等院鳳凰堂の板蟇股の肩の形に近いとされています。

旧タイプと1300年補足タイプ(1300年の改修時に、桁行を三間から五間に改築した際に補足されました。別途保管されています)
写真15~16  

石上神宮 (いそのかみ)
奈良県天理市布留町

老杉の森の奥にひっそりとたたずむ古社です。
石上神宮は1913年までは本殿はありませんでした。江戸時代までは背後の聳える布留山を御神体としていました。現在は神剣が御神体です。
拝殿の後方にある禁足地が祭祀の場所でした。国宝の現在の拝殿は鎌倉時代に宮中の神嘉殿を移築したものです。
境内には「神鶏」と呼ばれる数多くのニワトリが飼われ、神の使いとされています。
写真17 

板蟇股が国宝の楼門に用いられています。楼門に付いては「蟇股あちこちー6 2010-10月」に記載してあります。
石上神宮では、拝殿と社務所、手水舎に用いられています

楼門 国重文 建立:1318年 桁行二間二尺 梁間一間五尺 重層 入母屋造 檜皮葺 上層:和様三手先 下層:二手先
写真18 
柱は円柱で、全体の恰好も美しいです。柱頭の天竺様の鼻の繰形に優れたものがあります。

拝殿 国宝 建立:鎌倉時代中期 桁行五間 梁間二間 入母屋造 桧皮葺 木部は丹塗り 総体に仏堂風
写真19~22    
南面する堂々とした外観は、神社の拝殿というより仏堂を彷彿させます。
白河天皇が皇居の神嘉殿を拝殿として寄進したとの伝承が残ります。

蟇股
写真23 
向拝は江戸時代末期に付け足されました。その向拝の正面に蟇股が配されています。

本坊
写真24~25  

手水舎
写真
26~31      

 

本山寺 本堂 (もとやまでら) 西国88ケ寺第70番札所
香川県三豊郡豊中町本山甲1445

香川県には国宝建築が多くあります。鎌倉時代初期の流造の典型とされる国宝の神谷神社(かんだに)はわが国三間社流造の最古です。本山寺本堂も鎌倉時代の作で、小振りながらも美しい諧調をていしています。他に屋島寺本堂、国分寺本堂、室町に入っての観音寺金堂などがあります。
倭冠は瀬戸内海で生まれた海賊ですが、彼らの有した造船技術は建築技術にも及び塩飽大工の発生につながり、江戸時代の建築にも足跡が残されています。

本山寺は、度重なる兵火にも遭遇し、さらに1854年の火災で方丈、庫裏を全焼しましたが、現在の堂宇・什物はこれらの難をのがれたものです。
本堂は国宝、仁王門は国重文です。
写真01~02  

1300年 本堂 国宝 建立:1300年 桁行五間 梁間五間 一重 寄棟造 向拝三間 本瓦葺 本堂は和様を基調としています。
写真03~07     
正面に三間の向拝が取りつく五間堂。正面の建具を全て蔀戸とする点や柱上の組物と組物の間(中備)に、水平に通る通肘木を挟んで上下に蟇股と間斗束を重ねるところが特徴です。蟇股と間斗束を重ねる手法は奈良の元興寺極楽坊本堂(1224年改築 国宝)にも見られます。

中備の間斗束や組物の三斗の上には板蟇股
写真08~10   

向拝の虹梁におかれている蟇股 (表・裏)
写真11~15     

本堂内陣
写真16~17  
天井は格天井、その周りは化粧屋根裏。厨子は鎌倉時代初期の優品。

本堂は奈良の霊山寺本堂(国宝・1283年 既報)や薬師寺東院堂(国宝・1283年)を造った南都の工匠です。
南都の先進的な建築技術が地方へ伝播する様子がうかがえます。
参考 霊山寺本堂(国宝)と 薬師寺 東院堂 国宝 (撮影:大野木義夫氏) 
写真18~19  
本山寺本堂は、四国地方に現存する数少ない鎌倉時代後期建立の本格的な仏堂建築の一つで貴重とされます。

本山寺
寺伝では、807年、平城天皇の勅願寺として、空海が自ら刻んだ馬頭観音菩薩像を本尊として開創したとされます。
この時、本堂はわずか一夜で出来たという「一夜建立」の伝説が残っています。中世には寺領2000石、24坊を有する大寺で栄えたとされます。
天平年間(1573~93年)、讃岐国の大半の主要寺院は兵火を受けましたが、当寺の本堂と仁王門は焼けずに残りました。
江戸時代に領主の生駒氏と京極氏により再興され、その後本山寺と改称されました。

大門 登録有形文化財 1913年に宝光寺(岡山県瀬戸内市牛窓町)より移設 建立:江戸時代(1751~1830年) 八脚門  入母屋造 本瓦葺
写真20~23    
軒は二軒繁垂木 石製礎盤に円柱を立てて貫と虹梁、台輪で固める。整った構造細部で、境内東面南方の構えをかたちづくっています。

蟇股
写真24~29      
組物は実肘木擧鼻付三斗、中備は正面各間とも背面中央間が蟇股、ほかは撥束です。

二王門  国重文 建立:室町時代中期 三間一戸八脚門 切妻像 本瓦葺 和様・大仏様・禅宗様の折衷様式は全国的に例を見ない貴重な遺構
写真30~35      
主柱、前後の控柱ともに円柱 建築様式は和様を基調とするが、柱の下に礎盤を設けるなど、細部に禅宗様を取入れています。
組物は和様三斗で、肘木の禅宗様の象鼻に似た絵様繰形、唐様の蓑束、木鼻の上の天竺様の特色の四斗など様々な手法を採り入れた貴重な建築とされます。

本堂 (既報)

大師堂 国登録文化財 建立:1795年 三間堂 入母屋造
写真36~39    

五重塔 再建:1910年 礎石から相輪先端まで31.75m 本山寺のシンボルです。
写真40~43    
建立年代は明治ですが、江戸時代の延長戦上に位置づけられる塔としての価値が認められるとされます。棟梁は平間美能介勝範と多田寅市 

蟇股は初層中備に並ぶ
写真44~48     

大日堂(赤堂) 建立:江戸時代中期 室町期に遡る古材を用いたとされる小社で、古刹の由緒を伝えるとされます
写真49~50  

鎮守堂 県指定文化財 建立:1547年 三間社流造 桧皮葺 
写真51~55     
室町時代末期の当初材を残す小規模ながらも中世以来の伝統様式を踏まえた建築物とされます。

十王堂(護摩堂) 国登録文化財 建立:1759年 五間堂 奥が護摩堂で1996年建立  向拝の架橋や細部が充実しています
写真56~69    

鐘楼 釣鐘は戦争供出で昭和24年再鋳造
写真60~62   

宝蔵と焼香立 宝蔵は建立:1833年
写真63~66    
手水舎
写真67~69    

本坊 客殿 庫裏 他 1852年焼失後再建
写真71~73   
玄関
写真74~80       
中門
写真81~83   

冠木門
写真84 

 

太山寺(たいさんじ) 本堂  西国88ケ寺 臺7番札所
愛媛県松山市太山寺町

松山市には大宝寺本堂や道後温泉の石手寺の堂塔、それに太山寺と優秀な古建築が残っていす。それぞれに蟇股と出会えます。

古くより、瀬戸内における海上交通の重要拠点であった、松山市西部の松山港。その港を見下ろす位置にそびえる経ヶ森(きょうがもり)の中腹に位置するのが、四国八十八箇所霊場の第52番札所として知られる古社、太山寺です。
587年、伊予高浜沖で嵐に会い、日ごろ信仰している観音様の導きで難を逃れることが出来た、豊後臼杵の真野長者が一夜で建立したという「一夜建立の御堂」の伝説を持ちます。衰退の時期を経て、鎌倉時代の当地の豪族河野氏の外護を受け、本堂などが再建されました。

一の門から始まる境内は広く、約600mの参道を進むと堂宇が姿を現わします。
写真01~05     
参道は、山麓に構えられた一の門から始まり、鎌倉時代に建造された二の門(二王門)を抜け、さらに石段を登ったその先の三の門(楼門)をくぐると、極めて堂々とした佇まいの本堂が現れます。
鎌倉時代の後期に建てられた本堂は、桁行七間、梁間九間という巨大な規模を持ち、またその建物を覆う屋根も目を見張る程の高さです。

1305年 本堂 国宝 建立:1305年 桁行七間 梁間九間 一重 入母屋造 銅版葺 外陣と内陣を結界(格子戸)で分ける中世密教仏堂の典型
写真06-08   
総円柱、軒は二軒繁棰、斗栱は出組に間斗束を備え、妻は二重虹梁、木割太く、外観素朴。内部架橋や彫刻装飾になどに種々の意匠が凝らしてあります。

蟇股 本堂の建立年は蟇股の墨書から判明しました。
外陣境に並ぶ蟇股 (図とは一致しません)
写真09-18          
内外陣境と厨子に種々の彫刻を入れた蟇股が置かれ、それには牡丹唐草、蓮唐草、飛天、宝珠などが彫られています。
平面図案的刳抜式の彫刻で、初期蟇股彫刻の特色を伝えています。中備に用いられた蟇股は名工の腕の冴えた作品と云われます。

内陣の蟇股 (撮影禁止です)格子から写しました
写真19~20  

文献に見る内陣と厨子
妻部 「向かって右側と左側」
写真21~24-    

妻飾り
写真25~28    
県下最大の国宝建造物だけに雄雄しい反りの屋根が豪壮な本堂です。桁行より梁間が広いので破風も大きくなり、その妻飾りが見事です。
装飾部材をじっくり見たいものです。

ここからは境内の堂宇を順に並べます 蟇股が多く使われています。

一の門は1955年再建 冠木門に切妻屋根を架けた簡単な門。
写真29 

二の門(二王門) 国重文 建立:1305年 三脚一戸 入母屋造 八脚門 軒一軒 本瓦葺 仁王像安置
写真30~33    
当初は重層 1485年の改修で変更 和様で円柱は上下に丸味をもたせる。鎌倉期の特徴を残す遺構です。

本坊への中門 本坊 客殿 不動堂 庫裏 納供所
写真34~46             

四天王門  再建:1683年 入母屋造楼門 初層の四面に彫刻された蟇股が並んでいます。。
写真47~61               

鐘楼堂   再建:1655年 中に地獄極楽図があり、梵鐘は県指定有形文化財 板蟇股が用いられています。
写真62~66     

名称不明-お線香立て?  四方周りに板蟇股が用いられ、夫々に違った彫刻が施され、各虹梁にもそれぞれの彫刻が見られます。
写真67~79             

聖徳太子堂 再建:1971年 聖徳太子像が拝観できます。
写真80~83    

稲荷堂
写真84~87    

護摩堂
写真88~92     

長者堂 真野長者を祀る。
写真93~94  

大師堂
写真95~103         

石手寺 西国88ケ寺 第51番札所
松山市石手2-9-21
写真
88ヵ所大51番札所で、728年聖武天皇の勅願で創建されたと伝えられる古刹です。
国宝の二王門(1318年再建)や国重文の本堂(1318年再建)・三重塔・護摩堂・訶梨帝母天堂(かりていもてんどう9)・鐘楼がならびます。
石手寺については、「蟇股あちこちー6 2021-10」に記載済みです。
二王門の蟇股は鎌倉時代の代表作とされます。
写真104~107    

既報内に記載してなかった小堂を紹介します。
鎌倉後期 訶梨帝母天堂(かりていもてんどう) 国重文 建立:鎌倉後期 一間社流見世棚造 檜皮葺
写真108~111    
三重塔の奥の一隅に建っています。河野一族が勧請した十六王子社の遺構とされます。組物や妻飾りの懸魚に優れた技法を見せ、特に正面の水引貫上の蟇股は国宝・仁王門と同じ手法で、創建も同じ時期とされます。県下最古の神社建築の遺構が伽藍の中に混在するのは、永い神仏混交の歴史をものがたります。

西国88カ所の3寺院を紹介しました。88ヵ寺のうち、恩山寺・立江寺・金剛福寺・栄福寺・善通寺・根香寺・延命寺・大日寺・八坂寺でも蟇股に出会えるとの情報があります。
各寺院では素朴な蟇股に出会えます。

 

長保寺 多宝塔 本堂 大門
和歌山県海南市下津町上

長保寺は一条天皇の勅願で、1000年に創建されました。その場所は不明で、14世紀ごろに現在地に移ってきたとされます。
鎌倉末期から室町初期にかけて七堂伽藍が整えられました。1667年に紀州藩の菩提寺となり、天台宗に属し、江戸期を通じて藩の手厚い保護を受けました。
国宝の多重塔、本殿、大門、国重文の鎮守堂がならびます。
写真01~03   

1338年 大門 国宝 建立:1388年 三間一戸楼門 入母屋造 本瓦葺
写真04~05  
伝統的な和様を基本とし、頭貫木鼻や絵様肘木、隅木下持送り、妻木大瓶束などの意匠に斬新さがうかがえます。上層の組物に肘木を各段に通しています。

1311年 本堂 国宝 再建:1311年 桁行五間 梁間五間 一重 入母造 向拝一間 本瓦葺 
写真06~11      
修復後も創建当時の遺構を残し、柱や組物に唐様の様式を取入れ、連子窓や組入れ天井に和様を混合した技法を取入れています。
和歌山県下の鎌倉時代の代表的な折衷様の中世仏堂です。

向拝の蟇股
写真12~17      

多宝塔 国宝 建立:1357年 三間多宝塔 本瓦葺  
写真18~22     
下層と上層の釣り合いがよく、著しく低い亀腹と勾配の緩い屋根がよく調和して安定感を与えています。外観は純和様で、蟇股が美しいです

蟇股
写真23~28      

鎮守堂 国重文 建立:1295年 一間社流造 桧皮葺 禅宗系の細部をかなり大々的に取り入れています。 
写真29~32    
斗栱は母屋・庇とも繰形実肘木付の三斗、中備は母屋正面、内外陣境、庇に蟇股、背面は間斗束、母屋背面の頭貫先に木鼻、妻飾りは虹梁大瓶束。渦巻き様の珍しい笈形を付けています。

蟇股  内陣の蟇股は極めて古式、
写真33~37     

阿弥陀堂
写真38~43      

鐘堂
写真44~46   

御霊屋  建立:1779年 桁行八間 梁間五間 入母屋造 本瓦葺 南東に玄関
写真47 
徳川家歴代の位牌を祀る 全体に重厚な御殿風の建物で、藩の威信が現れています。紀州徳川家菩提寺の住職の私的空間に相応しい数奇屋風の洗練された建物です。

 

浄妙寺 多宝塔
和歌山県有田市宮崎町1000

寺伝では、806年に創建したとあります。1585年の豊臣秀吉の兵火を受け、山中にあった薬師堂(現在の本堂)と多宝塔を残して全ての堂宇を焼失しました。
以後長らく荒廃していたものを1647年に紀州藩初代藩主徳川頼宣が再興しました。
鎌倉時代に建てられた薬師堂が本堂になりました。本堂の右手に多宝塔が建っています。

鎌倉後期 多宝塔 国重文 建立:鎌倉時代後期 三間多宝塔 本瓦葺 
写真01~05     
擬宝珠高欄の縁をめぐらし、下層の柱は円柱、組物は出組、中備は各間とも蟇股、小さい亀腹に本瓦葺の屋根 すっきりとした美しい塔です。彩色は剥落激しいです。
正面中央は両折桟唐戸、脇間は火頭窓 側背面は板壁です。内部は一室で、後方に来迎壁を縦、その前に須弥壇を構えています。

蟇股 中備に本堂と同様の本蟇股を四面に、計12個置かれています。
写真06~13        
蟇股は片蓋で下層各間の中備にもちいられており、輪郭は各部の幅のつり合いが取れ、安定感のある力強い形に造られています。
輪郭内の透かし彫りは、蓮花とみられる中心飾りや両脇から中心飾りの下に伸びる蔓状の繰方は鎌倉後期以降の唐草風の意匠に近いですが、上部の繰方は鎌倉前期の終わり頃の平面的な透かし彫りの繰形に倣っています。

本殿 国重文 建立:鎌倉時代 三間一重 寄棟造 向拝一間 本瓦葺
写真14~17    

向拝の蟇股
写真18~20   

蟇股  中備は左右対称の彫刻を飾る本蟇股で、古式を示します。
写真21~29         
この蟇股の透かし彫りは鎌倉前期の終わり頃に倣って彫られていますが、幅の広い輪郭からみると金剛峯寺不動堂の蟇股と同じころのものと思われます。

鐘楼・庫裏
写真30~33    

 

不退寺 塔婆
奈良市法蓮町517

不退寺南門の板蟇股(国重文)については「かえるまたあちこちー6 2020-10」の中で紹介しております。ここでは国重文の塔婆を紹介します。

鎌倉後期 塔婆 国重文 建立:鎌倉時代後期 桁行三間 梁間三間 一重 宝形造 桟瓦葺
写真01~03   
本堂手前東側に建ち、多宝塔の下層部が残っています。本来は二層、檜皮葺の多宝塔です。「業平忌」の当日のみ公開されます。

塔婆の蟇股
写真04~06   
蟇股は片蓋、中央部の中備に用い、輪郭部は上部の幅を広くして力強い形に造られています。輪郭内に二つの円弧を連ねた蔓状の繰形を施しただけの中心飾りがない蟇股です。 

本堂 国重文 建立:室町前期 桁行五間 梁間四間 一重 寄棟造 本瓦葺
写真06~10    
桁行三間、梁間二間の身舎の周囲に庇を廻らす古代的な柱配置。正面入側柱筋に格子戸を入れて内外陣に分け。中世仏堂風としています。
身舎柱列では柱頭から肘木状の肘木を出す特異な組物を持ち、内陣側には若葉系の繰形を持つ木鼻を付けています。

重複しますが・・・。

南門の蟇股
国宝の南門は切妻造、本瓦葺の四脚門です。その板蟇股については既に紹介しました。ここには蟇股も用いられています。
写真11~16      
中央冠木の上に束を中心にして笈形風に装飾しています。棟札より1317年の建立と確認されています。


コロナの影響で外出がままならず資料不足です。次月は年代順序が前後する報告になりそうです。

 

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