JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Oct. 2021

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■■■■■ Topics by Reporters


■ 日本一の天然紅葉  瀧山幸伸

「日本一」は曖昧な言葉だ。美男美女などと同様、個人の主観によるものだからやむをえない。

「天然の紅葉」とは、人の手が加わっていない紅葉だ。人の手が加わった紅葉は寺社仏閣の紅葉などで、さらに主観が増える。

自分の経験に基づく主観でいえば、今までで一番美しいと感じた「天然の紅葉」は、北海道上川町大雪山にある大雪高原沼だ。

現地はたびたび訪問しているが、今年は最も美しかった。まず、台風や霜の害が少なく、十年に一度のベストの紅葉と言われている。訪問日の紅葉の進み具合もベストで、緑色と黄色と赤色に空の青と残雪の雪渓が加わり鮮やかだ。さらに当日の天候もベストで、晴天で風がほとんどなかったのでそれらが水面に反射した幻想的な姿が美しさを数倍に高めていた。

写真は順に、土俵沼、芭蕉沼、滝見沼、緑沼、鴨沼、えぞ沼、式部沼、大学沼、高原沼、空沼

          



■ コロナ禍下でのお祭り 大野木康夫

私の地元の祭礼は、かつては10月16日(旧暦9月9日)に行われていましたが、体育の日が制定されてからは10月10日に、体育の日が10月第2月曜となってからは10月の第3日曜日に行われるようになりました。
一昨年、神輿の轅(ながえ)を新調し、他の京都地区の神輿と同じように前後に揺らし、鳴鐶(なりかん)を鳴らして巡幸するようになりました。

  

しかし昨年は新型コロナウイルス感染症の影響で中止、今年も役員さんのみでトラックに神輿を積んで氏子地域を巡行するということとなりました。
私自身、舁き手としてもとうが立ってきたことから、再開後に参加するかどうかは白紙です。

一昨年から意識して撮影するようになった各地の祭礼も、新型コロナウイルス感染症の影響で神事のみ行われたり中止になったりしています。
一昨年撮影した祭礼の写真を見ると、大勢の人が密集して行うことが多いため、コロナが収束しないと再開は難しそうです。

令和元(2019)年に撮影した祭礼

亀崎潮干祭(愛知県)

  

ホーランエンヤ(島根県)

  

高浜七年祭(福井県)

  

尾張津島天王祭(愛知県)

  

祇園祭(京都府)

  

貴布禰神社夏季大祭(兵庫県)

  

百舌鳥八幡宮月見祭(大阪府)

  

尾張津島秋祭(愛知県)

  

飾磨祭(兵庫県)

  

灘のけんか祭(兵庫県)

  

祭礼が撮影できるようになれば、各地の興味深い祭礼の撮影を続けたいです。
さしあたって、地域によって曳行に特徴がある大阪府、兵庫県のだんじりや荒々しい播州地方の秋祭りは撮影したいと思います。

【最近の撮影】

京都市とその周辺の旧遊郭建築

売春防止法施行以降60年以上がたち、特徴がある建物がだんだん消えつつあります。
「負の遺産」としての側面もありますが、存在するうちに撮影しようと思いました。

五条楽園(下京区)

大規模な遊郭建築や旧歌舞練場が残っています。

    

橋本(八幡市)

狭い地域に集中して残っていますが、近年取り壊される建物が増えてきたようです。
映画「鬼龍院花子の生涯」のロケ地としても有名です。

    




蟇股あちこち - 18   中山辰夫

法隆寺と東大寺(蟇股あちこち16~17)の報告も終わりましたのでもとへ戻ります。今月は、住吉神社、平清水八幡宮、清水寺、福龍寺、古熊神社、今八幡宮です。

1400年代のトップは山口県の住吉神社と決めていましたので、二回に分けて山口県下の社寺を報告します。主要な社寺から年順を考慮せずに進めます。(蟇股が見込める先の一部です)
室町時代、大内氏という強大な勢力が君臨し、京都を範とした大内文化が栄えました。当地方独自の中世建築文化が育まれ、蟇股も室町期の特徴を有したものが多いです。



■  街並みに残る過去の記憶 野崎順次

格子状住宅地を横切る斜めの道

尼崎市武庫之荘あたりの東西南北格子状住宅地の中に斜めに真っ直ぐな道が走っている。1200mほどある。近くの交差点信号を避けるのに便利で、タクシーに乗ると、「斜めの道行ってんか。」と指示しなくても、運転手さんはこのルートを選ぶ。
古代からある道なら面白い。例えば、奈良の太子道は、聖徳太子が斑鳩から飛鳥とを往来されたそうで、条里制の南北方向の地割りに斜交(北方向約20度西、南方向約20度東)している。
40年位前に図書館で大正・明治の古地図を調べてみたことがある。詳細は忘れたが、要するにかつては高圧電線があり、その下は建築制限があったようだ。明治・大正の頃かな。その後、高圧電線のルートが変わり、その下に細い空き地が残ったのだ。
      


昭和初期からある約6kmの南北直線道路、尼宝線

現在では東西や南北の直線幹線道路は珍しくないが、昭和20年代くらいまでは尼崎と宝塚を結ぶ尼宝線は阪神間で珍しい直線道路だった。大正時代後期に宝塚尼崎電気鉄道が設立され阪神電鉄の支援を得て、尼崎と宝塚を結ぶ鉄道路線に着手した。兵庫県や対抗する阪急電鉄との様々な駆け引きの末、昭和2年(1927)末までに西大島(尼崎)と小浜(宝塚)の間の路盤が完成した。しかし、結局、電車をやめてバスの営業に変更され、昭和7年に自動車専用道路がオープンした。これが今の兵庫県道42号尼崎宝塚線である。
もとは2車線だったが、その後、4車線への拡幅工事がほぼ終わりかけである。阪急神戸線を超える陸橋に2車線道路が残っている。
           


武庫川支流枝川と申川の痕跡

西宮市東南部の地図を見ると、JR甲子園口から甲子園球場までに緩やかなカーブの街並みが浮かぶ。これは武庫川のかつて支流枝川の痕跡である。また、甲子園球場のあたりで申川が分かれていた。
「大正10年(1921)頃に兵庫県は、氾濫川であった武庫川を改修するために、この川から分岐する枝川と申川を廃川として払い下げることで資金を得ることを決定する。細長いこの敷地をまとめて買い受けたのが、住宅経営およびレクリエーション施設を建設する構想を抱いていた阪神電鉄であった。その敷地において、まず建設された巨大スタジアムは、竣工した1924(大正13)年の干支にちなんで「甲子園球場」と名付けられた。
(土木学会ホームページより)」
廃川といっても埋め立てたのではない。天井川(川底が周囲の地面より高い川)なので、埋め立てる必要はない。水を止め整地すれば住宅地になる。実際、現在でも廃川部の多くが周囲よりも少し高い。
           


阪神甲子園駅はかつての枝川橋の上にあるらしい。ガード下には古めかしい鉄骨構造が残っている。
 

 



■ 東海道って・・五十〇次??  酒井英樹

東海道にある宿場は、有名な初代歌川(安藤)広重の浮世絵にもある通り「東海道五十三次」・・起点の江戸日本橋から終点の京三条大橋の間に53の宿場町があるとされている。
しかし、実際にそうだったのでしょうか??

江戸日本橋(歌川広重画:浮世絵)
 

 京三条大橋(歌川広重画:浮世絵)
 


東海道、中山道、甲州街道などのいわゆる五街道は、関ケ原の役の勝利で実権をほぼ握った徳川家康が慶長6年(1601)に整備を始めた。
そして、整備が一応終了したのは二代将軍秀忠の代である寛永元年(1624)とされる。
この間大阪の役で豊臣家は滅亡し、大坂は松平(奥平)領(1615-1619)を経て天領となり幕府の西日本の拠点となっていた。

参勤交代の大名が京に入り、皇室や公家と接触することを極力避けるため、終点を京にするのではなく京の手前で分岐して大坂に向かう街道が整備され東海道の実質の延長路線・・京街道(京では大坂街道と呼ぶ)・・として整備された。
この時東海道と一体整備された京街道は江戸日本橋から53番目の大津宿を過ぎた髭茶屋追分(滋賀県大津市追分町)で東海道分岐し、秀吉時代に整備が始まった文禄堤に沿って伏見宿、淀宿、牧方宿、守口宿をとおり大坂高麗橋に至る。

  大津宿(歌川広重画:浮世絵)


江戸時代中期の幕府道中奉行(主要街道を管轄)の公文書に「東海道は品川宿より守口宿」など記載があり・・弥次喜多が東海道を旅する十返舎一九の『東海道中膝栗毛』も大坂で話は終えている。
などなど・・東海道が実質・・京三条大橋が終点ではなく・・大坂高麗橋になっていたと思われる。
また、現在の一般国道1号のもととなり、ほぼ東海道に沿った明治時代の2号幹線道路も東京日本橋から大阪高麗橋であり、それぞれに道路元標(のちに大阪側は梅田新道に移転)が設置されていた。
つまり、実質江戸中期以降は東海道は五十三次ではなく、京街道の4宿を加えて五十七次となっていた。

そこで今回、実質の東海道の延長路線・・京街道の4宿を訪れてみた。


 伏見宿(京都府京都市伏見区)
  日本橋より54宿目。秀吉により淀川舟運の京側の港町として整備された町
   

 淀宿(京都府京都市伏見区)
  日本橋より55宿目。淀城の城下町として整備された町
  

  淀城址と跡地に建つ與杼神社
 

 枚方宿(大阪府枚方市)
  日本橋より56番目の宿。京と大坂の中間地点
  伏見と大坂(八軒茶屋:現在の京阪本線天満橋駅付近)間の淀川舟運(三十石船)が発展し、人の移動は・・下りは船で、時間・船代とも倍かかる上りは徒歩(京街道)と使い分けられる。
  枚方は下りは寄港地として、上りは宿泊地として片宿となる。
   


 守口宿(大阪府守口市)
  日本橋より57番目で最後の宿。大坂側最初の宿場で清滝街道(至:生駒・斑鳩・奈良、現一般国道163号)の分岐点
   

大阪と京都を結ぶ京阪本線や一般国道1号が京街道に沿っているため、残念ながら京都・大阪のベッドタウンと化して、京街道の名残はところどころにわずかにしか残っていない。

獣道のごとく人の流れが道路を造ると言われている・・東海道も実質二つあることは不思議ではないのだろう・・

奇しくも東海道の一部であった京街道を引き継ぐ京都・大阪間の一般国道1号が2重路線であることにも通じるのでは・・



■ 鏡山又はひれふりやまにて 田中康平

やっと緊急事態宣言も解けて他県へも心置きなく出かけられるようになった。
古墳時代後期の宣化天皇2年(540年ころ)、朝鮮半島の任那が新羅に滅ぼされそうになって大伴狭手彦(大伴金村の三男)が救援軍の大将として派遣されたと日本書紀に記されているが、この狭手彦と恋仲になっていた松浦佐用姫が出兵に際して別れを惜しんで領布を振ったという言い伝えのある唐津の鏡山(別名領布振り山)を訪れてみた。万葉集の編纂された8世紀にはすでにその様な話が定着しており、この地を訪れた山上憶良や大伴旅人の歌が万葉集巻五に残されている。
  
   領巾振嶺(ひれふるみね)を詠める歌 一首 
  遠つびと 松浦(まつら)佐用姫 夫(つま)恋に 
         領巾ひれ(ひれ)振りしより 負へる山の名
                (山上憶良 万葉集 5-871) 

  海原の 沖行く船を 帰れとか
      領巾振らしけむ 松浦佐用姫
                (大伴旅人 万葉集 5-874)

標高284mの平坦な山頂部まで車道が整備されており、アクセスは容易だ。展望台からは眼下に虹の松原が望め爽やかな秋の日には頗る心地よい。前にも一度来たことのあるところではあるが何度来ても印象がいい。この日は少し霞んでいて壱岐や対馬は見えないものの、点在する島々が見え6世紀の昔に朝鮮半島との行き来が頻繁に行われたのも頷けるやさしい海が見渡せる。島伝いの航路は古代の人々にとって間違えることのない安心できるルートだったのだろう。
秋にはここ鏡山はタカの渡りの観察地の一つとなる。オオタカより一回り小さいハイタカは国内に留鳥として居続けるものの他に秋に大陸から渡ってきて冬を日本で過ごすものがあり、この地はハイタカの渡り観察地として知られる。ハチクマやサシバの渡りと異なり群れは作らず比較的少数がパラパラと海を越えて朝鮮半島から渡ってくる。多くて1時間に5羽位の感じだ。
前に訪れた時の方がやや良くハイタカが見えたような気もするが、いずれにしろ眺めがよい高台で穏やかな秋の風に身をさらしてのんびりとタカを見るのはすこぶる心地よい。古代より営々と続く時の流れを見るようでもある。

写真は順に 1.地図 2.頂上の松浦佐用姫像 3.説明版 4.頂上展望台からの眺め-虹の松原から唐津方面 5.同-糸島方面 6.頂上展望台 7.、8.、9.渡るハイタカ 10.遊弋するトビ (写真には前回訪問時のも含む)

          



■ PCダウン・リカバリーそしてwindows11インストールのこと  川村由幸

昨年の夏に給付金を元手に購入したむDELL製のPCが9/15頃から不調になり、翌日には何をしても立ち上がらなくなってしまいました。
トラブルシューティングも復元・回復も全てを試しましたが元に戻らず、結局作成してあったリカバリーUSBメモリーを使用せざるを得ない状況に陥りました。
リカバリーかと思うと気が重く、すぐには体が動きませんでした。と言ってもPCなしの生活は考えられず、その日の午後には作業開始。

まず、PCに接続している全ての機器を取り外します。ちなみに私の場合は3台のHDDとブリンター1台。
A5の印刷できるプリンターは無線LAN接続なので関係なし。
リカバリーUSBメモリーをセットして電源ON、F12キーをひたすら連打してリカバリー作業に入りました。
しばらくはPC任せで購入したばかりの状態で立ち上がり、まずは一安心。ハードに問題はなかったようです。

しかし、大変だったのはこれからでした。

①システムの更新の実行
   これはPC任せで実行するのみ、時間はかかりますが、ひたすら待つだけのこと。
②DELLのソフト・ドライバーの更新
   これも付属ソフトでほぼ自動で実行、必要なのは時間のみ。
③購入したソフトの再インストール
   これには全てシリアルNOが必要でまずはそれを探しだすことから、紙で通知されたものをあれば、電子ファイルのものもあり見つけ出すだけで多くの時間がかかりました。さらにそれからインストール作業です。
④カメラ関連ソフトのインストール
   CANON・SONYのサイトから関連ソフトをDLしてインストール、CANONのDPPのDLには購入したカメラのシリアルNOが必要でDLにもひと手間懸かる始末。
⑤プリンターのドライバー
   メーカーサイトからDLインストール、プリンターとの接続を確認してテストプリント。
⑥メール&住所録の再構築
   メールアドレスも住所録も以前のPCが稼働できる状況でしたから、不足はあるもののデータ移行は簡単でした。

ここまでは何をすれば良いかが解っており、忍耐力だけでイライラをうっちゃって作業を進めてきました。
ここから、PCの使用環境を整えようと沢山活用していたフリーソフトの設定に入りました。

⑦フリーソフトの設定
   まず、驚いたのが自分が使用していたフリーソフトの名前が解らなかったことです。
   名前、すなわちソフトのIDが解っていればすぐに探し出せ、処理が済みます。
   ところがIDが不明だと、記憶しているのはその機能。機能から探すと使用していたソフトがどれだったのか見つけ出せないのです。
   ソフトのアイコンなど、いろいろと思い出そうとしても記憶が曖昧でこれに丸一日以上費やしました。

9/16の午後から始めたリカバリーは9/19には完了しました。PCの環境もほぼ元に戻りましたのでほっとしています。
今回のリカバリーで唯一ラッキーと言えることがありました。
それは、windowsのシステム以外の情報は失わなかったということ。私のダウンしたPCは500GBのSSD(Cドライブ)と1TBのHDD(Dドライブ)が付属していて、システム・ソフト関連はSSDにそれ以外の文書ゃ音楽・画像などはHDDに保管していたため、リカバリの際、HDD(Dドライブ)はLockされ、データが保護されていたのです。BitLocker回復キーでDドライブが無傷であったことが確認できた時はなんとも嬉しく、なんだか得をした気分になりました。

今回の話はまだ先があります。
10/5からwindows11がインストール可能となり、直ちにインストールしました。

 

上の画像がwindows11のスクリーンショットです。タスクバーのアイコンが中央に表示され、個々のアイコンも変更されています。
windowの角が丸くカットされるようになりました。右クリックメニューも大幅に変更されており、10に慣れた方はいくらか戸惑うかも。
リリース直後はトラブル多発が常識ですから、早々のインストールは避けるべきかもと考えなくはなかったのですが、リカバリした勢いで直ちにインストールに走りました。
これで又トラブルが発生したら、笑い話にもなりません。


■ 看板考 No. 103 「株式会社もりぞう」 柚原君子


 

所在地:長野県木曽郡南木曾辺り

中山道木曽11宿のなかにある三留野宿(馬籠宿の一つ前)に行く為に中央本線「十二兼」駅を下車して国道を歩くと、右側に木曽川が流れ、川岸から垂直にそびえている山、森林が続きます。10月ですが檜の山は濃い青緑で規則正しい間隔で空にまっすぐに伸びています。気持ちの良い景色です。その中にあった看板「株式会社もりぞう」。
景色と看板が見事にマッチしていて小さくうなづいてしまいました。

「株式会社もりぞう」とは。……森の中にもりぞう……平仮名ですが頭の中で漢字変換が進みます。「森造」「森増」「森蔵」etc。森林を造って増やして貯めていく、うーん、どの字も合います。
「モリゾー」とカタカナにすれば2005年の愛・地球博の「モリゾーとピッコロ」のキャラクターも浮かびます。

帰宅して調べたHPに「株式会社もりぞう」は家を造る会社。木曽の檜を使って暖かい家を造ると、ありました。

森林の役割は孫の小学生の社会科の授業にもあって、「洪水を緩和する」「水質の保全と浄化」「貴重な生物の保護」「夏の気温を下げてくれる」「二酸化炭素の吸収」など、いろいろ調べる孫の横で私も一緒にネット検索した記憶があります。

ついでながら一番興味のある地球の温暖化を防ぐ二酸化炭素の吸収はどうなっているのかと調べたら、若い木が一番吸収をしてくれると明記されていました。

木は収穫までに多くの年月がかかります。
苗を植えて若木が成長する時には間伐や下草刈り、枝落としなど林業として多大な努力があるようです。そして→伐採→植林。伐採できる木は切り、植林で山をいっぱいにすれば、若木が二酸化炭素を吸収してくれて地球温暖化に少しは役立つサイクルとなります。

山を維持できなくて林業が成り行かなくなっているというニュースも時々あります。その隙間に入り込んで外国企業が良質な水源地の山林を買い占めている、とも。日本人は何事も平和に穏便に片付けてしまうタイプが多いので、将来に水を奪い合う時がやってくると、自国の美しい山林の側にいながら他国の権利者から水を買わねばならない……そんな日がこないことも限らない。
「株式会社もりぞう」の看板。漢字で「守るぞー」という字も当てはめて、山の持ち主も看板見る人も何かを意識してくれたらと思いながら、過ぎました。

蛇足ですが訪れた三留野宿はあっけないくらい何もなく、跡碑が三つあったくらい。里人には一人二人しか会わなかった。


■ おばちゃんカメラマンが行く  鮭の遡上と格闘するヒグマ@北海道知床 事務局

9月から10月にかけて北海道では鮭の遡上のシーズンだが、今年は幾分早く遡上したらしく、訪れた9月の下旬には鮭の量は以前に比べて少なかったように思う。
ホロベツ川の河口では釣り人が熊に遭遇するという事故があって立入禁止となったが、そこで鮭を捕獲するクマを撮影することができた。
周囲を警戒してか獲るのが下手なのか、なかなか川に入って鮭を捕まえず、見かけてから捕食までほとんど半日かかった。
かなり貴重な遭遇だろうが、ナキウサギと同じくらいの忍耐力が必要だ。
一瞬にして鮭を獲る仕草は獰猛で、やはり恐ろしいが、失敗してしょんぼりうろつく姿も可笑しかった。
動物写真は辞めようと思うが、撮れた時の達成感は忘れられない。
それにしても、立入禁止の所を船で繰り出し、釣りをする人間にも驚かされる。結構ひょいひょいと釣っていたように見える。熊もさぞかしやりにくいことだろう。
コロナの緊急事態宣言解除ですが、気をつけて撮影しましょうね。地域猫達も最近見なくなりました。早くもとの生活に戻れますように。

 


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Editor Yukinobu Takiyama

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