Monthly Web Magazine Dec. 2021
■蟇股あちこち -20 中山辰夫
今月より1400年代「室町時代中期」に入ります。
添御県座神社(奈良・重文)、勝手神社(滋賀・重文)、大笹原神社(滋賀・国宝)、荒胡子神社(広島・重文)、春日神社(滋賀・重文)、大行社(滋賀・重文)、水渡神社(京都府・重文)とその近辺の久世神社(京都府・重文)・白川神社(京都府・重文)、佐牙神社(京都府・重文)です。
1401年頃から91年頃までは、広範囲な後発地域での中規模な寺院の勃興期、建築技術面は停滞するも、彫刻的装飾は発展、製材職人の専業化が進んだとされています。相変わらず限られた地域(おもに西日本)の情報ばかりです。
添御県座神社 本殿 そうのみあがたにいますじんじゃ
奈良市三碓町 (みつがらす)
この神社の名称は、「大和の国の添郡に設置された県に鎮座する神社」を意味します。
鎮座の年代は詳らかではないですが、およそ千四百年前に遡ると推定されています。「延喜式神名帳」に大社の格式を認められた神社として記載されています。
本殿は、山を背に西を向いて建っており、様式は五間社流造、正面三箇所に千鳥破風付き。屋根は檜皮葺で、覆屋によって保護されています。
1966年の解体修理の際、内部の壁板面に永徳3年(1383年)11月9日完成した旨の墨書が発見され、本殿は、神杜建築としては全国的にも希少な、南北朝時代の建立であることが確認された。 2008年には彩色の修復が施され、ベンガラ塗りの往古の美麗な姿が甦りました。
本殿 国重文 建立:1383 五間社流造 正面三カ所「鳥破風付 桧皮葺
一間社流造をある間隔に三つ並べて、その間を「あいの間」でつないだものです。
蟇股は中央間・両端間の身舎正面及び庇、身舎の両妻の中備として用いられています。
当初の蟇股は両妻の2個だけで、その他は1665年の修理時にとり替えられました。
向拝
本殿
向拝と同じような蟇股と説明されていますが未確認でした。参考資料に1936年に撮影された画像を添付します。
南妻
この蟇股は片蓋で北妻の中備に用いられており、輪郭内には桐唐草の透かし彫りが施されていますが、南妻のものに比べると左右対称に近い形に彫られています
また、両妻の蟇股では透かし彫りを補強する繋ぎを蟇股の下方に造り出しており、この繋ぎを頭貫の小穴に入れて下部が固定されています。尚、輪郭に突起があるものは十六所神社本殿(奈良県 国重文)背面の1448年に補加されたと考えられる蟇股にも見られますが、そあの蟇股では肩の下方輪郭の輪に曲線を付けて広げ、入八双状の形にしたもので、突起は輪郭の内外に出しています。
北妻
蟇股は中央間・両端間の身舎正面及び庇、身舎の両妻の中備として用いられていますが、当初の蟇股は両妻の2個だけで、その他は1665年の修理時にとり替えられました。
この蟇股は片蓋で南妻に用いられており、輪郭の肩の下方に突起を出して笠状にしていますが、これは蓑束の形を表わしたものと思われ、蟇股としては他に類例を見ないものです。
また、輪郭内には桐唐草の透かし彫を施していますが、左右対称の形は崩れています。尚、年代の明らかな蟇股で、透かし彫を桐唐草としたものでは最古の遺例とされます。
拝殿
境内社
勝手神社 本殿
滋賀県蒲生郡竜王町岡屋
勝手神社は社伝によれば859年創立の古社で、現在の本殿は1400年の上棟です
建築形式は明應建立に相応の穏雅な様相を呈し、蟇股内部の彫刻や手挟その他の絵様にその特徴がよく現れています。
本殿 国重文 建立:1400 三間社流造 向拝三間 桧皮葺
身舎、前室、向拝とも隅柱上は出三斗を連三斗とし、身舎側面の中柱上は平三斗に実肘木を入れて虹梁を受け、扠首組とします。
前室の正側面には花狭間菱組格子戸を建て、上部に彫刻欄間を飾る。
蟇股は、前室および向拝の組物には手狭を入れ、向拝の各間に彫刻蟇股を備えています。
以下の画像は 1930(昭和5年)に撮影されたものを引用しております
向拝の蟇股
右端~中央~左端
本殿蟇股
中央表麺―裏面、本殿東端蟇股 表麺―裏面、本殿西端蟇股 表麺―裏面
三つとも中心飾りがり、その両脇を充填している唐草は、両脚から分岐して中央に向かい、中央飾りの両方でそれに接して各渦文をつくり、過不足なく空間を満たしています。これらの意匠は鎌倉直系です。宝珠三つの杉形配置や桐は当代に相応しいものとされます。三番目は不明ですが珍しい意匠です。
笈形
大笹原神社 本殿 1414
滋賀県野洲市大篠原2375
この神社は古くから水の神として信仰されてきました。拝殿横に寄倍の池があり、水涸れしたことがなく、神殿の前で雨乞い行事が宮座行事として行われた記録が残っています。
986年に吉備国より祭神を勧請したのが始まりとされています。1185年から1568年の佐々木氏滅亡に至るまで、同氏の庇護が篤かったとされます。
社殿の創建は鎌倉中期もしくはそれを多少遡るころとされています。良質のもち米が獲れ、鏡餅発祥の由来から、鏡餅を祀った「鏡の宮」が境内に建っています。
現社殿は、1414年に佐々木氏の重臣馬淵氏を願主に建立され、次いで永原氏からも庇護されました。
本殿 国宝 建立:1414年 桁行三間 梁間三間 一重 入母屋造 向拝一間 桧皮葺
本殿は近江に珍しい正面三間の入母屋造で、各所に配した彫刻的な装飾が特色です。洗練された意匠は中央の大工の手と思われ、永原氏ら土豪の豊かな経済力が伺えます。外陣の花狭間格子戸、その上の透彫の欄間、向拝及び母屋の正側面各柱間に挿入された蟇股、内陣・内々陣の腰長押下にはめ込まれた格座間、脇障子に施した浮彫彫刻など、滋賀県下の本殿としては珍しく、豊富な彫刻が施されています。装飾が豊富です。室町時代本殿の秀作とされます。
蟇股 向拝中央と軒下に見られます。
柱上には出三斗の組物、隣り合う組物の間に食物模様を入れた蟇股を配しています。前方の庇部を囲む斜格子戸は極めて繊細な花狭間です。
脇障子には一面に若葉の浮彫りを貼り付けています。正面花狭間格子戸の鴨居上に仏教法具の三鈷杵の透彫、正面蟇股内には宝珠が彫られています。
蟇股は9個あって、火焔の模様入り、極彩色です。その他の部材にも朱や漆が施され、大変華麗な建物です
向拝の蟇股
身舎中備の蟇股 前部で9個あります
拝殿と蟇股
境内社篠原神社本殿 国重文 建立:1427年 一間社 入母屋造 向拝付 隅木春日造 和様 桧皮葺 室町期の一間社隅木入り春日造の県下唯一の遺構
隅木春日造の典型で細部まで施美されています。春日造の屋根の形状と母屋とのバランスがいいです。鏡餅の元祖を祀った神社です
蟇股
向拝に一個あります。
手水舎
荒胡子神社 本殿 1441 (あらえびす 厳島神社末社)
広島県佐伯市宮島町
もとは大願寺に属した神社。美しい小建築。棟札には室町時代島田三郎左衛門尉宗氏が造立した旨が記されています。
元は寺院本堂内に建てられていた本殿のため、室町時代の建築ながら、全国でも最も保存状態が良い遺構とされています。
荒胡子神社本殿の蟇股は、板蟇股に替わって、本蟇股が装飾的に使われた全国初の遺例です。
本殿 国重文 創建:1441年 再建:1591年 一間社流造 身舎側面一間 浜縁付 土台建 組物連三斗 中備蟇股 檜皮葺 朱塗りの御本殿 拝殿 石段
朱塗りの御殿です 屋根に千木、柱は全て円柱 社殿は朱より落ち着いた赤色の弁柄塗りです
室町時代(15世紀前半)造立の例として和様と禅宗様が混交しており,その中でも破風の曲線、扉口上の蟇股の股内彫刻絵様が左右対照をわずかに中心でくずしたところ、向拝の丸柱の工法等にこの建物を特色づける手法が見られます。
蟇股
蟇股は全部で四個あります。向拝1個と本殿正面1個、両妻面各一個、計4個置かれています。
本殿の蟇股 正面と妻面
透かし彫りした蟇股 彫刻は仏教的で極彩色の宝珠を唐草で包んだものに入れたものです
参考資料 修理保存工事報告書より転載
顔料分析結果と描画技報の推定
寸法
向拝の蟇股
向拝頭貫上の蟇股は内部に彫刻のない蟇股です
明治の神仏分離を奇跡的に逃れた貴重なものとされています
大行社 本殿 1447
滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺8
大行社は金剛輪寺境内の南の山麓に所在し、金剛輪寺の南門の守護神として勧請されのが始まりとされます
現在の本殿は、もと金剛輪寺本堂北堂にあった三所権現社の本堂で、1877年の大行社本殿の焼失に伴い山上より現在地に移転されました
装飾性の豊富さでは県内でも屈指とされます 本蟇股は向拝、前室、身舎の各柱間にあって全部で7個を備えます。身舎の3個は見ることが出来ません
蟇股
中門の板蟇股
向拝の蟇股
前室の蟇股
身舎の蟇股 撮影できません
参考 1958年発行の「重要文化財 大行社 修理保存工事報告」より転載
向拝の蟇股 (表・裏) 現在は欠損です
外陣の蟇股 「東側・中央表・裏・西側」
内陣の蟇股 「東側・中央・西側」
本殿 国重文 建立:1447 三間社流造 桧皮葺 棟梁:大工新五郎 正面:7段の石段
身舎庇に前室のついた三間社流造で、正面柱総間3.58mは三間社としてはやや小規模に属します。
蟇股や彩色豊かな格狭間、手狭、妻大斗上の木鼻、扠首組上の花肘木に風格ある彫刻を飾っています
細部
春日神社 本殿 1448 通称:小八木春日神社
滋賀県東近江市小八木763
創立は明らかでないですが、社記によると、当郡内には奈良仏教の栄華時に興福寺や東大寺などへ寄進した寺領が随所にあり、それによって奈良春日神社より勧請し、分祀したものと伝えます。
本殿 国重文 建立:1448 三間社流造 桧皮葺 大工:新五郎大夫
前室の正面を三間ともに吹き寄せの引違い格子戸、側面を杉戸引違いとした軽快な意匠で、外観を一段と優美なものにしています
蟇股
向拝蟇股は1438年の墨書が内部に残っています 「橘」
前室の蟇股の絵様や彫刻は美しく整っており、室町時代の特徴がよく表れています
前室正面中央 「宝珠」
前室右脇間 「獅子」
前室左脇間 「桐」
神門 県指定 建立:室町中期 四脚門 切妻造 桧皮葺
建立年時の記録はありませんが、板蟇股や頭貫木鼻の様式は室町中期を示しており、本殿と同時期頃の建立とされます
両側面には袖塀の貝形柱が取りつき、土塀も一部残されていて往時が偲ばれます
水度神社 本殿 1448
京都府城陽市寺田
京都宇治のあたりから南山城の地方にかけて、久世神社・水度神社・佐牙神社・白山神社・春日神社・神殿神社・相楽神社・御霊神社などの本殿をはじめとして鎌倉時代から室町時代における有名無名の神社の名建築が多く、この水度神社本殿はその代表的な一例です
鴻巣山の中腹、松林の参道奥に鎮座しています。 当地方には珍しく千鳥破風を付けています
一の鳥居と二の鳥居 二の鳥居の先の石段を登ると本殿です
千鳥破風
流造の前流が充分前に延び正面の屋根に千鳥破風を造っている処が一般と異なっています。
拝所 拝所の後方が本殿です
本殿 国重文 建立:1448 一間社 身舎側面二間 浜縁付 組物舟肘木庇連三斗 中備蟇股 庇手狭 妻扠首 流造 正面千鳥破風 桧皮葺
身舎正面は格子戸 内陣板扉 庇手狭は上に若葉の彫刻
また、一般の古社殿では向拝が後世に改変されているものが多い中で、当本殿では全体によく旧状が保たれ、妻の懸魚や桁隠も古いものが使われています
蟇股、手狭、透欄間などの彫刻には繊麗な装飾技法が見られ、端正なまとまりと、全体構造の簡潔さとよく調和されています。
本殿正面蟇股
桐様桐文を中央にしてこれに唐草を配した左右対称形のもの
拝殿
木津川 マンホール
久世神社
京都府城陽市久世芝ケ原
当社の祭神は日本武尊で、日本武尊が死後白鳥となって、久世の鷲坂に飛来したという伝説から創祀されたとされます。
久世神社は、旧久世村の産土神で、江戸時代には「華霊天神社」(かりょうてんじんしゃ)でありましたが、明治初期に「久世神社」 と改称しました。
現在の本殿は、細部の様式から室町時代末期に建造されたと推定されています。
殆どが部分撮影となりました。
幣殿周辺
本堂 国重文 建立:室町末期 一間社流造 身舎側面一間 中備蟇股 庇繋虹梁 妻扠組 流造 桧皮葺
朱塗りの一間社流造で、柱上部・斗栱・庇頭貫・中備蟇股などが全面にわたって極彩色に彩られ、華やかな外観を呈しています。中でも身舎正面格子戸上部に設けられた欄間がこの本殿の特徴となっています。
本堂周辺
蟇股
蟇股
右の方は下に岩があります。「松」と「竹」とが生へ、右の方に「鶴」が二羽(首と脚欠損)と左の方に「亀」を配し、背面に「梅」の老木が彫刻してあります。
「松・竹・梅」三つそろって一カ所にあるのは桃山以降です。山口市古熊神社本殿のは室町時代唯一の遺構です。
欄間の透彫りは、中央に菊、左右各々2個の桐を等間隔に置き、その間を唐草模様で埋めています。
社務所と鳥居
白山神社
京都府京田辺市宮津白山41
本殿は国重要文化財。1429~41年の造営とされます。向拝や木鼻などに室町時代の建築様式が見られます。
本殿前にある石灯籠は重要美術品に指定されており、1433年の銘が刻まれています。
この頃廃寺となった法雲寺の境内にあったものを移したと伝えられています。
市内最古の神社建築物。毎月第1日曜日には朔日講の神楽が行われることでも有名。
本殿は重要文化財。本殿は永享年間の造営といわれ、向拝蟇股や木鼻などに室町時代の建築様式がみられます。
本殿前の石燈籠は重要美術品に指定されています。石燈籠には永享5年(1433)年の銘が刻まれており、このころ廃寺となった法雲寺の境内にあったものを移したと伝えられています。
本殿 国重文 建立:1429~41 一間社流造 厚板葺 本殿・末社共に覆い屋の中にあります
土台建の小規模な一間社流造で縁・木鼻を省略した簡素な社殿です。屋根は厚板で葺き、目板を打っています。
組物は身舎舟肘木、庇出三斗とし、庇中備に蟇股を置きます。細部は奈良地方色斗されます。
蟇股
蟇股内には竹に虎の丸彫刻を飾り、輪郭は肩の盛り上がった力強い形につくられています。
末社
佐牙神社 本殿 1585
京都府京田辺市宮津佐牙垣内
社伝では573年の創建とされ、造酒司の奉幣であったと伝えます。
江戸時代は天神と呼ばれ、江津村・山本村の氏神として両村の宮座組織によって社殿の維持管理が行われてきました。
拝殿 平入 切妻造 建てられて間もないです。後方が本堂です
本殿 国重文 建立:1585 左右両殿よりなります。いずれも同規模同形式の一間社春日造です。
二棟の本殿(重文)は、北殿(右殿)に佐牙弥豆男神(さがみづお)、南殿(左殿)に佐牙弥豆女神(さがみづめ)を祀ります。
細部
組物は身舎で三斗、庇連三斗、身舎三方と庇に中備賭して蟇股を置き、身舎と庇は虹梁で繋ぎます。
蟇股は向拝の1個を合せて7個あります
本殿の造立は1585年ですが、両殿身舎の6個の蟇股は室町前期の様式とされ、左右対称の意匠で、旧建物の再利用と推定されます。
輪郭は肩の肉が盛り上がり、脚元の引き締まった力強いです。
彫刻はわずかに左右対称性を崩しているものの、両肩から中心飾りへの方向性をうかがわせる繊細な透彫りです。
身舎の蟇股は撮影し辛く隙間から撮りました
参考
向拝は天明6年(1786)の後補である。
身舎(もや)三方にとりつけた6個の蟇股は、その輪郭は鎌倉風のものであり、内部の彫刻も左右対称的なデザインからなり、特に向かって右殿正面の「柏の葉」「ふくろう」のそれは鎌倉風の秀逸である。
平成14(2002)年に屋根の葺き替えとあわせて鮮やかな丹塗りが蘇った。
相楽神社(国重文)も近郊で含まれますが、蟇股あちこちー15に報告しております。
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