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Monthly Web Magazine Jan.2022


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■蟇股あちこち -21 中山辰夫

今月は割り込みになりますが吉野山の「金峯山寺と周辺の寺社」です。言わずもがな吉野山は桜の名所です。  
コロナの感染が低調の気配を見せる11月14日に訪問しました。
紅葉には少し早く、千本桜の樹木は白っぽく見え、ぐっすり眠っている気配の中を歩きました。人出はマアマアでお店はオープンしていました。
桜の賑わい時と違った雰囲気でした。金峯山寺と寺社9カ所を報告します 蟇股には方々で出合えました。

吉野ロープウエイ駅からスタートしました。少し戻りますが朱塗りの大橋があります
 
吉野三橋の一つ 敵軍からの攻撃を防ぐ目的で造られました のち荒廃し、1604年豊臣秀頼の寄進で再興されました
大橋から通称「黒門坂」を上ると黒塗りの黒門があります

総門 高麗門 二本の鏡柱と日本の控柱から成り、鏡柱の上に冠木を渡し、切妻屋根を被せています
  
金峯山寺の総門で、関所の役割を果たしていました 吉野山が最もの栄えた頃、金峯山寺の周辺に50近い塔頭があり、その寺域の総門でした

弘願寺 黒門をくぐった先にある高野山真言宗のお寺です。本殿は、桁行四間、梁間四間、重層切妻造、鉄板葺
吉野郡吉野町吉野2591
     
関屋地蔵尊 全長1.2m 幅約0.6m 1515年の造立 寺宝の秘仏「虚空蔵菩薩座像」を特別展で公開しています

銅の鳥居 国重文 再興:1711 高さ約8.2m 柱間約7.4m 柱径約1.1m 銅製 東大寺の大仏鋳造で、余った堂で造られました 日本三大鳥居の一つ
  
吉野山の関所であった総門と仁王門の中間に建ち、吉野熊野修験道の根本道場である大峯山寺まで4鳥居あるうちの一番目で、発心門と称されるのは行者たちが修行に入る第一門であるからです 当鳥居は9世紀末に建造され室町時代に造替えされたとされます。台輪鳥居で、脚部に逆蓮花の蓮座を付けています。

弘法大師の真筆とされる発心門の扁額と行者堂
  

銅の鳥居から黒門坂を上ってゆくと金峯山寺があります。今回の本命です

金峯山寺
金峯山寺は金峯修験本宗の総本山、本尊は蔵王権現です。白鳳年間に役行者が金峯山に入り、修行を重ね修行道の基礎をかためました。 
当寺は標高約400mの吉野山の尾根上に展開した細長い町並みの中間にあって、本堂を中心とする一郭はさらに一段高い台地となっています。
大峰山寺と同様、山岳信仰の霊地として平安中期以降貴族や僧侶の入峯が多く、庶民の信仰も集め隆盛を極めました。

仁王門 国宝 再建:1456 三間一戸二重門 入母屋造 本瓦葺 2020年より保守工事継続中(70年振り)  (現状と工事前) 板蟇股あり
   
柱総円柱 正面中央には、低い板蟇股の上に双斗をのせています。両側に高さ約5.7mの金剛力士像(国重文)が配されています。

中備に板蟇股が使われています。下層の中央間が板蟇股で、他は間斗栱が使われています。
  

本堂(蔵王堂) 国宝 再建:1591 桁行7間 梁間8間 二重 入母屋造 桧皮葺  保守工事中 (工事中と工事前)
     
高さ(27.2m)では東大寺大仏殿に次ぐ、全国古建築中屈指の大建築物です。現在の蔵王堂は1455年に再建された建物を1591年に修理したものです。 

     
大建築を支える部材にも目を見張るものが多くあります。彫刻された花肘木、蓑束、双斗、木鼻など。正面の蟇股は1591年の修理の際に補加されたようです。

蟇股の寸法
金峯山寺寺史研究室の池田氏に依頼して蟇股の寸法を計測して頂きました。蔵王堂の上層の南端側(正面側)にある蟇股の寸法です。
   
かなり大きなもので、正面の蟇股はさらに大きいようです。

内陣に蔵王権現の巨像を納める日本一巨大な厨子が安置されています。
大瓶束と花肘木 花肘木は複合式で、斗の両方から便化した象頭(牙あり)が出て、さらにその上から若葉を出し、中心飾りに宝珠をおいた珍しく込み入ったもの
 

懸魚(げぎょ)
   
この懸魚は「三花懸魚」で当代初めての出現したもの。懸魚は鎌倉時代になって用いられました。この時代は向拝ができ、木鼻や手挟の彫刻が発達したことによります。
金峯山寺本堂厨子懸魚には両方に飾りあり、その飾りを「鰭ヒレ」といわれます。
鰭を魚の形にしたのは珍しいです。鰭を用いたので、その上に水が添えてあります。

蔵王堂〈本堂〉の蟇股・・・桃山文化を象徴する大きな蟇股です
   
本堂下層正面の三間には、脚間に面白い彫刻を入れたすこぶる手の込んだ蟇股が三つあります。室町のものでなく、天正の大修理の際に補加されたものです。
蟇股内の彫刻は、平安末期近くにあらわれ、左右相称の図案的な物から、徐々に進歩発達して絵画的なものになりました。人物を用いたのは室町末期で、土佐神社本殿の蟇股が古い方です。

東端と西端の蟇股
    
背景に「菊」と「牡丹」を用い、人物は三人ずつで、楽を奏しています  
中央
  
背景は「松に藻も」で人物は三人、右端の人物は足のついた器に桃を三個載せたものを、左端の人物に捧げています。

愛泉堂と本地堂
     

観音堂 軒下に蟇股が並びます
     

鐘堂
    

青銅大燈籠 国重文 建立:1471 室町時代の秀作とされます 蔵王堂の正面に建っています
 
二人の尼僧が寄進しました。燈籠には「法要の時灯りを灯すに必要な御油田7反も合わせて寄進した」との暘刻が残っています。

威徳天満宮 創建:941 三間社流造、檜皮葺 拝殿はありません
    
軒下に極彩色の絵模様が描かれています

蟇股
        


蔵王堂西の一段低い台地に石標と石柱があります

吉野朝宮址
 
往古子の台地には大小20に及ぶ寺院があり、その中の一番大きな寺院が後醍醐天皇の吉野宮に選ばれ金輪王寺と改称されました。
後醍醐天皇は、足利幕府により京都の花山院に幽閉されていましたが、1336年、吉野に脱出。初め吉水院に行宮としましたが、手狭いため、蔵王院西の実城院を居宮とし、寺名を金輪王寺に改称、しました。これが南北朝時代の始まりです。後醍醐天皇は京都へ帰還できず1339年にこの地で没されました。

宗務庁
       

ここからは吉野山にある寺社巡りです

脳天大神へは、445段の石段道を下ります。帰りは上りです。誰でもが行けるコースではありません。
     

能天大神
吉野郡吉野町吉野山2498
    
金峯山寺の蔵王堂から西側へ急な坂を450段の階段で下りたところにあり、金剛蔵王大権現の変化神である脳天大神が祀られています。
名称からは神社のようで、参道には鳥居もあって祭祀も神式ですが、金峯山寺の塔頭の一つです。
脳天大神は、頭を割られた大蛇の姿をしており、地元では「脳天さん」とも呼ばれています。この場所にお祀りされたのは1951年です。
首から上の病気に霊験あらたかと言われており、頭の病気全癒、入学試験合格はもちろん、商売繁盛祈願などに御利益があるとされます。

帰路の登りの石段道です
  

境内へ帰ってきました 蔵王堂南の石段下にあります
稲荷神社と
   
稲荷には「後醍醐天皇導きの稲荷」と呼ばれ、伝承が残っています。 

護摩供養の列に出合いました
  

東南院 
吉野郡吉野町吉野山2416
            
桁行三間 梁間三間半 入母屋造 本瓦葺 向拝付 多宝塔は1937年に八幡神宮より移築(築:1564年) 
金峯山修験本宗(別格本山) 本尊は役行者 古い塔頭の一つ 金峯山寺開山の時一山の安泰と交流を祈願して巽(東南)の方向に建っています
役行者の開基と伝えられ、1300年の歴史を持つ寺院です
東南院は宿坊としての歴史古く、1092年に白河上皇が、金峯山寺に参詣された時の宿坊とされました。

吉水神社
吉野郡吉野町吉野山579
もとは金峯山寺の格式高い僧坊でしたが、明治の神仏分離で神社になりました。白鳳時代に役行者が建立した吉水院が前身です。
後醍醐天皇が1336年、吉野に潜幸した時、一時的に居所された所、源義経が鞍馬を逃れ弁慶らと身を隠したところ、豊臣秀吉が花見の本陣としたなどの歴史的逸話が残っています
社殿
      

書院 国重文  桁行八間 梁間五間半 入母屋造 桧皮葺)
   
書院には「義経潜居の間」「弁慶思案の間」「玉座の間」などがのこされています

桜の名所 
    
豊臣秀吉の吉野の花見
1594年、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達正宗らの武将、茶人、連歌師たち総数5000人を連れて三日間花見にやって来て吉水院に滞在しました。
三日間雨に祟られ、晴天祈願をさせた所翌日は晴天となり、盛大な豪華絢爛な花見となったようです。
「吉野花見図屏風」 細見美術館所蔵 部分描写
 

勝手神社
   
2001年不審火で本殿は焼失 高壇のみが残っています。金峯山の入口に位置しましたので「吉野山口神社」とも称されました。
1185年義経と別れた静御前が山中で山僧に捕らえられ、勝手神社の神前で廻されたとか、天武天皇が吉野宮に滞在した時、神前で事を弾くと五色の雲に乗った天女が現れ、袖を翻して吉兆の舞を舞ったという伝承が残っています。

大日寺
吉野郡吉野町吉野山2357
      
大海人皇子(後の天武天皇)ゆかりの法城で、吉野で最古の寺院とされます。藤原時代の代表作とされる重文の五智如来を祀っています。
寺宝 阿弥陀如来二十五菩薩来迎図六曲廟風
 

喜蔵院
吉野郡吉野町吉野山1254
       
金峯山寺の塔頭で、平安時代初期に始まりました。江戸時代中期に由井正雪の乱の疑いを熊野藩山が潜居したとされ、歌碑がのこっています。
寺宝 大峯大天狗立像
 

 

善福院
吉野郡吉野町吉野山2291

吉野山にある高野山真言宗の古刹 神武天皇御東征の際に天皇をお迎えし道案内をしたとされる井光(いひか)出現地とされています。井光井戸跡があります
山門
      
本堂
    
寺宝 神武天皇奉迎 井光大神の五尊像
 

櫻本坊
吉野郡吉野町吉野山1269
大峯山護持院の一つで、桜の夢のご縁で天武天皇が建立・祈願寺とされました。神変大菩薩(鎌倉時代・国重文)を御本尊俊、国重文を含む数々の仏像・宝物を奉安されています。神仏混合の修験道場です。
山門
     
本堂
  

蟇股は向拝に見えます。
       

大師堂~庫裏
         
寺宝 役行者 母公像
 

竹林院
吉野郡吉野町吉野山2142
聖徳太子の創建と伝わる寺院 格調高い宿坊としても有名です。護摩堂には南北朝時代作の聖徳太子坐像が安置されています。
山門
     写
本堂
       

護摩堂 護摩堂に安置されています 聖徳太子坐像は南北朝時代の作です
    

群芳園と宿坊
庭園の群芳園は千利休が作庭し、細川幽斎が改修したとされ、大和山庭園の一つとされます
写真
      

竹林院から如意輪寺までは約25ほど歩きます 千本桜の名所です
     

如意輪寺
吉野郡吉野町吉野山2357
創建は901~23年で後醍醐天皇の勅願寺 境内の裏には後醍醐天皇の御陵があります 
山門
   
鐘楼
  
本堂(如意輪堂)
      

蟇股は向拝に使われており、4面に設けてあります
     

御霊殿 後醍醐天皇がまつられています
       

如意輪寺寺宝
四条畷の合戦の図(歌川国芳・作)
 

後醍醐天皇陵と世泰親王墓
  

吉野山には吉野水分神社と金峯神社が残りました。写真を借用して記載します。

吉野水分神社
吉野郡吉野町吉野山1612
水を司る天之水分(あめのみくまり)大神を主神とし、“みくまり”が“御子守”となまって、俗に子守さんと呼ばれ子宝の神として信仰されています。
社殿は豊臣秀頼が再建したもので、本殿、拝殿、幣殿、楼門、廻廊からなる桃山時代の美しい建築です。

楼門 国重文 再建:1605 三間一戸楼門 入母屋造 柿葺  
 

楼門の蟇股(一例) 多くの蟇股が彩色されて設置で使われています。
    

本殿 国重文 国重文 再建:1605 桁行九間 梁間二間 流造 正面中央一軒隅木入春日造 左右千鳥破風付 桧皮葺 透塀一棟
 
国重文の本殿は1605年の建立です。一つ屋根に3つの千鳥破風を設けています。社殿は華麗な彫刻、飾り金具、極彩色等を以って摺る桃山時代の代表建築です。特に彫刻として見事なのは、正面から側面にかけての斗栱巻間の蟇股と向拝見返しの手狭です。

本殿左妻の虹梁大瓶束にかかる牡丹唐草の笈形。彫刻にも桃山式の大胆さが発揮されています。
 

本殿手狭-1
 
13個ある手狭の二個です。この手狭は8猫に牡丹」、日光東照宮の有名な「眠り猫」の兄になるもの。「眠り猫」式の彫刻は日光ばかりでなく、吉野水分神社にも、和歌浦東照宮にも、大坂の四天王寺太子堂にもあるとされます。

本殿手狭-2
 
これも13個のうちの一個です。「水に蓮」桶から蓮が生えて花がさいているところ。蓮は元来寺のもので、インド以来仏教建築・彫刻などにつきものです。それをのちには神社にも用いました。手狭ばかりでなく、蟇股にも見られます。瓜・菊・牡丹・蓮・芦に雁・松に鶴・松に山鳥・梅末に袋、などが彫られています。

本殿蟇股(一例) 花鳥禽獣を入れた蟇股は極彩色で、桃山時代の特色が発揮されています
     
「芦に鷺」、「枇杷と猿」、「鼠とざくろ」、「菊に鳳凰」、「碁を打つ人物」など、種々様々な場面が彫られています。さらに蟇股の輪郭に飾金具が打たれています。

金峯神社
吉野町吉野山1651
 
奥千本にあり、杉や老樹に覆われて鎮座しています。吉野山の地主神 境内から1kmほど先に義経隠れ燈があります

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